24.影戌 知麻より愛をこめて⑥
簗木を前にした影戌さんは、最初に部室へ連行された時と同様に挙動不審になっていた。
おそらく憧れの――いや、運命の筋肉を前にして、緊張しているんだろう。何を言っているんだ、僕は。
そんな影戌さんに、簗木は真面目ぶった口調で語りかけた。
「なあ、アンタ……」
「は、はいっ! なんでしょうか……?」
「いや、その……こないだのアレ、怪我とかなかったか?」
影戌さんだけでなく、簗木も微妙に固い気がする。
うーん、よく考えたら簗木が女子と話すのって、僕といるときの小手毬さん以外だと見た覚えがないな。実は意外に奥手だったりするんだろうか?
「あ、はいっ! 先輩のお陰で、大事なく……」
「そっか、良かった……」
とはいえ、ガチガチの影戌さんに比べれば簗木の方はいくらかマシで、どこか固い雰囲気でありながらも積極的に話そうという意思は感じる。
「名前、ちゃんと聞いてもいいか? 一応、聞いてたけど、あれじゃあ丸っきり盗み聞きだからな」
「はいっ、影戌です! 影戌 知麻と申しますっ!」
「影戌な。よし、分かった」
「ああ……っ! 先輩が私の名前を……!」
うん、影戌さんも嬉しそうだ。……嬉しそうで合ってるよね?
なんか陶酔してるというか、ヤバげな雰囲気が漂ってるんだけど。
「影戌のくれたプロテイン、凄え美味かった。トレーニングのアドバイスも、めちゃくちゃ参考になったわ。ありがとな」
「はい……はいっ! 先輩の筋肥大のお役に立てて、光栄です!」
おい、また出たぞ筋肥大。やっぱり浮きすぎだろ、あの言葉。
あと影戌さんは、感極まってもはや涙目になっていた。完全に憧れの人と対面した、過激なファンの様相を呈している。
「だけど悪い。これ以上は受け取れねえわ」
「えっ……? ど、どうしてですか?」
しかし、それも束の間。いきなり簗木から突き放すような事を言われて、影戌さんは愕然とした表情になる。
「ねえ、真壁くん。大丈夫かな、あの二人」
「多分ね。まあ見てようよ」
小声で話しかけてきた小手毬さんに僕がそう言うと、彼女は何故かニコニコと嬉しそうな顔で僕を見てきた。
「……どうかした? 小手毬さん」
「えへへ。真壁くん、なんだかんだで簗木くんのこと、信頼してるんだなって」
「……気のせいだよ」
気恥ずかしいから、あまりそういうのは言及しないでほしい。男の友情なんて、口にしないくらいでちょうどいいだろう。
そんなやり取りを僕らがしている間に、簗木と影戌さんの話し合いも進んでいるようだ。
「アドバイスはともかく、プロテインはただじゃねえだろ。お前の好意に甘えて、金払わせる男にはなれねえ」
「し、しかし、それは私が好きでやっている事で……!」
なおも食い下がろうとする影戌さんを手で制して、簗木は言葉を続けた。
「だったら、ちゃんとやってみないか?」
「え?」
要するに、好意からやっている事とはいえ、相手の心理的な負担になってしまっては意味がないのだ。今回の場合で言うと、何の肩書もない影戌さんの世話になるのを、簗木は許容できていない。
それなら相応しい肩書を、影戌さんに与えてやればいい。
「俺の……専属トレーナーだな。そういうの、やってみないか?」
「専属トレーナー……。私が、先輩のですか?」
「ああ。俺がもっと強くなるために、パートナーとして支えてくれ」
パートナーか。まずはそこからだろうな。
二人はほとんど初対面みたいなものなんだから、そこから少しずつお互いを知っていけばいいだろう。きっと相性は悪くないはずだ。
涙ぐんで頷いている影戌さんを見れば、二人の前途は明るいものだと確信できた。
「良かったね、真壁くん」
「ああ、そうだね」
一件落着。そんな風に僕と小手毬さんが笑い合っていると――。
「それとな、影戌」
どうやら、まだ簗木の話は終わっていなかったようだ。
「えっと、そのだな……」
「はい、なんでしょうか?」
しかし何故か、さっきのパートナー宣言よりも簗木の様子がおかしい。
落ち着かない雰囲気で、目線を明後日の方向に向けている。
あれよりも言いづらい事が、何かあっただろうか?
「お前、その……俺のこと、好きなんだよな?」
「は、はい……。僭越ながら、お慕いしています」
簗木からの意外な質問に、影戌さんは恥ずかしげに答えた。
あれ? これって、もしかして……。
「影戌! いや、知麻! 俺と、そっちの方でもパートナーになってくれ!」
「ええっ!?」
影戌さんが驚愕の声を上げた。ちなみに僕と小手毬さんも上げた。
だって、そうだろう。まさかこのタイミングで、簗木が告白するなんて。
ていうか、「そっちの方」って何だよ。
「あれだよ。俺はまどろっこしいのは苦手だし、最近どっかのアホどもが目の前でいちゃいちゃするから、俺も彼女作って仕返ししてやろうかなって……」
簗木はいかにも言い訳じみたことを言うけど、それが口だけで本心じゃないのは、赤くなった顔と落ち着きのない目線が雄弁に語っている。ていうか、「どっかのアホ」って僕らのことだろ。言い訳に使うんじゃないよ。
文句を言ってやりたいところだけど、流石に今は野暮だろうから黙っておく。いや、というか僕と小手毬さんが横で見てるの、二人は忘れてるんじゃないだろうか? 他人が目の前でいちゃついてると、こういう気分になるんだな。
何となしに僕は、横にいる小手毬さんの顔を見る。彼女も目の前で繰り広げられている告白劇に目を奪われ、顔を真っ赤にしていた。
自分がされているところでも、想像しているんだろうか?
……そのうち、まあ近いうちにね。
この付かず離れず……いや、離れてはいないな。まあ、そんな感じの距離感が、今は心地よい。もう少しくらい、この関係に浸っていても罰は当たらないだろう。
そんな風に僕が思っていると、影戌さんは目の前の男に負けないくらいに紅潮した顔と、涙を溜め込んだ目で簗木を見つめ返した。
「分かりました。末永く――よろしくお願い致します。先輩!」
どうやら思わぬ早さで、一組のカップルがスピード成立してしまったようだ。
次回は影戌ちゃん視点……ではありません。
もう一話だけ通常回が残っています。