23.影戌 知麻より愛をこめて⑤
「美しい筋肉の隣には、同じくらい美しい筋肉が必要なんです! 私のような肉の付かない女では、あの人の隣に立つ資格はありません……!」
「なるほど……。そういう事情があったんだね」
どうしよう、意味が分からない。
恋愛相談部の部長として、恋の相談なら解決して見せると意気込んでいたけど、果たしてこれは恋の悩みに入るんだろうか?
助けを求めようと小手毬さんの方を見ると、ぷるぷると首を振っていた。
どうやら二人揃って無力だったようだ。
いや、もちろん影戌さんと言葉は通じている。向こうも日本語だし。
何が分からないって、なんでそこで悩んでいるのかってことだ。
まあ、人の悩みなんて十人十色だし、彼女にとっては重要なことなんだろう。
「ま、真壁くん。私、ちょっと良く分からないんだけど……」
「安心して、小手毬さん。僕も分からないから」
自らの貧弱さを嘆くのに夢中な影戌さんを余所に、僕と小手毬さんは小声で相談を交わす。
どうも彼女は自分の感情に浸りやすい性格らしく、こちらの動きには気付いていないようだ。一種の激情家といったところだろう。
「とりあえず、最初から確認していこう。影戌さんの体質の事もあるから、小手毬さんに話してもらいたいんだけど、大丈夫かな?」
「う、うん……。私も恋愛相談部の部員だもん。頑張るね……!」
「よろしく。頼りにしてるよ」
グッと両腕を握って意気込みを示す小手毬さんの頭を、勇気付けるように撫でる。一瞬、小手毬さんの表情がほにゃっと崩れたが、すぐに気を取り直して真面目な顔になった。
そのまま小手毬さんは僕よりも前に身を乗り出して、影戌さんに話しかける。
「えっと……間違ってたら、ごめんね? まず影戌さんは、自分の身長とか体格を気にしてるって事でいいのかな?」
「はい……そうです」
「うんうん。女の子なら誰でも、そういうのは気になるよね」
上手い滑り出しだ。影戌さんの悩みに共感を示すことで、彼女の落ち込みや警戒心を和らげている。こういうのは、女子の小手毬さんだからこそだろう。
ちなみに僕は外見を含めて、小手毬さんに不満なところなどひとつもない。
「私、小学生の途中から、全然大きくならなくて……。せめて体格だけでもと思って運動しても、ほとんど肉が付かないんです。だから知識だけが増えて筋肉が増えない、自分が情けなくて……」
多分、筋肉が付かない代わりに、脂肪も付かないような気がする。人によっては羨ましがる体質だろうな。……ちょっと身長は小さすぎるけど。
あと影戌さん自身も言ってたけど、知識が多いのは決して悪い事ではないと思う。
「だから体格のいい方に憧れていて……。自分もあんな風になりたいって」
「そうだね。ガッチリした人って、格好いいよね」
僕が筋トレを決意した瞬間だった。
いや、おそらく小手毬さんは影戌さんが話しやすいように、彼女に共感するような態度を取ってるんだろうけど。でもまあ、筋肉はあって困るものでもないし。他意は全くないけど、男としては最強を目指すのも悪くないというか……。
「はい。その中でも、あの人の……簗木先輩の筋肉は本当に美しくて、私の理想の――運命の筋肉なんです。でも、だからこそあの人のような素敵な筋肉の隣に、私のような貧相な人間がいるのは相応しくないと……」
ダメだ、また分からなくなった……。なんでそこで、そういう話になるんだ?
正直、簗木と女子の好みについて話した事なんてないけど、アイツは別に交際相手に対して筋肉を求めてはいないだろう。人のトレーニングを世話するくらいなら、その時間を自分が鍛える事に費やすタイプだ。
そういう意味では、トレーニングに関する知識を持つ影戌さんは、少なくとも相性の悪い相手ではないと思うんだけど……。
「だから、せめて……せめて、あの人のトレーニングの助けになりたくて……っ!」
「……それで簗木くんにプロテインを贈ったり、アドバイスを書いた手紙を贈ったりしたんだね。自分のことは内緒にして。つらかったんだね、影戌さん……」
「うっ、うううう……っ!!」
小手毬さんに頭を撫でられて、影戌さんはさめざめと泣きだしてしまった。
僕としては深刻な雰囲気の割に、内容が筋肉なのが気になって入り込めないんだけど、小手毬さんはすっかり影戌さんの雰囲気に飲まれて涙ぐんでいる。
「小手毬さん、小手毬さん」
この先の展開について相談するべく、僕は小手毬さんを呼び寄せた。
小手毬さんは自分の目元を拭うと、こちらに寄って来る。
「真壁くん、どうしよう。影戌さんが可哀想だよぉ……」
「うん、そうだね……。それで、ここからどうするかなんだけど」
正直、解決案は明確だ。
簗木は交際相手に筋肉を望んでいないんだから、好意を伝えるなり助けられたお礼を口実にするなりして、普通に仲良くなってしまうのが一番手っ取り早い。そうすれば影戌さんも自己肯定感を得られて、立ち直れる可能性が高いだろう。
問題は影戌さんが簗木と接触するのに、そもそも自己肯定感――というか勇気が足りていない点なんだけど。
……いや、そこも解決策はあるっていうか、もう解決してるっていうか。
あまり強引なのはどうかと思うけど、この際だから仕方ないか。
「まあ、解決策は出てるから、ここからは僕が引き受けるよ」
僕は言いながら小手毬さんの頬に指を当てて、目尻に溜まった涙を拭う。
小手毬さんは一瞬キョトンとした後、笑顔を見せて僕を応援してくれた。
「うんっ……! 頑張ってね、真壁くん!」
この笑顔があるだけで、僕はいくらでも頑張れると思う。
いつも通りの癒し効果を実感しながら、僕は影戌さんの正面に座った。
「影戌さん、念のために聞きたいんだけど、もし簗木が質のいいトレーナーの指導を欲しがってたとしたら、君はどうしたい?」
「それは……もし許されるなら、あの人のお役に立ちたいですけど……」
なるほど。やっぱり自信がないだけで、傍にいたいって気持ちはあるんだな。
「ところで影戌さん、トレーナーの方はそこそこ覚えがあるのかな? 影戌さんが贈った手紙のアドバイスを見て、簗木は『参考になる』って言ってたけど」
「ほ、本当ですか? ……嬉しいです。私の拙いアドバイスが、あの人の筋肥大の助けになれるなんて……」
……とてもいじらしいんだけど、『筋肥大』っていう表現は止めてくれないかな。なんか一気に雰囲気がぶち壊しになる。
「鍛えても身にならなくて、やり方が悪いのかと知識を検めて……。そうやって学んだことが、少しでもあの人のお役に立てたのなら、本当に嬉しいです。こんなに嬉しいのは、腕立て伏せが普通に出来るようになった時以来です」
……出来なかったんだね、腕立て伏せ。まあ、女子にはいるって言うよね。
まあ、それはともかくとして。
「影戌さん。簗木は多分、付き合う相手に筋力は求めてないと思うんだ」
自分で言ってて「当たり前だろ」と思うけど、多分彼女は分かってないだろうから、ハッキリと口にしておく。
案の定、影戌さんは呆然とした顔になっていた。
「そ、そうなんですか……? あんなに逞しい方なら、パートナーにも相応の筋力が求められるのでは……?」
何でそうなる。そう突っ込みたい気持ちを、僕は必死に抑えた。
彼女の筋肉至上主義は筋金入りだ。金属じゃなくて、まさしく肉の筋が入ってるかも……って、やかましいわ。
「いや、アイツは自分の事はガッツリ鍛えるし、まあ求められればアドバイスくらいはすると思うけど、別に体格のいい女性が好きってわけじゃないと思うよ」
「そんな……女性のしなやかな筋肉に惹かれないはずが……」
もしかして彼女、女性に対する美的感覚まで筋肉寄りなんだろうか?
そうだとしたら、この容姿で自分に自信がないというのも納得できる。彼女にとっては、逞しい筋肉を持つ女性こそが美人なのだろう。
「簗木はそうなんだよ。だから影戌さんにも、チャンスはあると思うよ」
「私にも、チャンスが……」
考えもしなかった可能性を提示されて、にわかに影戌さんの瞳が輝く。
しかし長年のコンプレックスのせいか、すぐに目を伏せてしまった。
「……いえ、それでも周囲から見れば、逞しい男性と貧相な女です。あの人が笑いものになってしまうのに、私は耐えられません」
多分、美少女とゴリラが並んでいるようにしか見えないと思う。
しかし、まあ本人がそう言うなら仕方がない。
僕は溜息のついでに息を吸い、部室の外まで聞こえるように言った。
「だってさ。後は任せるよ――簗木」
「――おう」
僕の声に応えて、部室の入口から筋肉ゴリラが現れる。
影戌さんと小手毬さんは驚いた顔をしているけど、そんなに不思議なことじゃないだろう。
このバカが人任せにして素直に帰るなんて、そんなことあるわけがない。
次回はまだ真壁くん視点です。
簗木くんとの熱い友情を描いた、UGTです。
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