22.影戌 知麻より愛をこめて④
部室から逃げた人形のような少女と、彼女を追いかけていった簗木。
派手な大捕り物が繰り広げられるかと思っていたけど、意外に早く決着はついた。というか、数分後にはあっさり少女を捕まえて、簗木が戻ってきた。
まあ、体格差を考えれば、この二人が捕り物をするのは無理があるよね。
手紙を読んだ感じだと、この少女はあまり運動が得意じゃなさそうだし。
「で、なんでこんな手紙を出したり、ストーカーみたいな事してたの?」
「……」
部室に連行された少女は、いかにも「ぶっすー」という効果音が付きそうな不貞腐れた顔をしたまま、ソファに座らされていた。
これだけ表情を崩しているのに、まだ人形のように作り物めいて見えるというのは、それだけ彼女の顔立ちが整っている証拠だろう。
改めてその容姿を見れば、幼さはあるが端正な顔立ちであることが分かる。
艶のある黒髪は肩に届かないくらいの長さだけど、綺麗に編み込まれていて洒落た雰囲気を醸し出している。
身長はほぼ小学生並み。ぎりぎり中学生と言い張れないこともないレベルといったところか。
そんな見目麗しい彼女は、相も変わらず黙秘を貫いている。
「ハァ……せめて名前だけでも、教えてくれないかな?」
何とか名前くらいは……と粘る僕だけど、少女は頑として答えない。
と思いきや、彼女は視線を横に逸らして、ぼそりと呟いた。
「こんなところで白昼堂々と抱き合う変態に、名乗る名前なんてありません」
「誰が変態だ」
あんな筋肉だらけの手紙より、よほどノーマルだろうが。
しかし、なるほど。妙に警戒心が強いと思っていたけど、僕と小手毬さんが抱き合っていたのを目撃したのも、原因のひとつらしい。
「あうぅ……」
少女から僕との逢瀬について言及された小手毬さんは、真っ赤になって俯いてしまっている。
まあ、簗木がこの子を捕まえて戻ってきた時、まだバッチリ抱き合ってたからなあ。二人から揃って、冷たい目で見られてしまった。
だが僕と小手毬さんの二人きりの時間を取り戻すため、いつまでも手をこまねいているわけにもいかない。
仕方がないので、僕は伝家の宝刀を抜くことにした。
「答えてくれないなら、やっぱり簗木も呼び戻すか」
「……!」
僕がそう言うと、途端に少女は肩を跳ね上げた。
やはり簗木とは顔を合わせたくないらしい。
何故かは分からないけど、ここに連行されてきた時から彼女は簗木の顔を見ようとせず、とにかく何も言いたくない様子だったので、仕方なく簗木には席を外してもらっている。ちょっと挙動不審になってたしな。
「くっ……! この鬼畜眼鏡……!」
そう言いながら、少女は僕をチロリと睨み付ける。
本人としては「ギロリ」のつもりかもしれないけど、絶妙に迫力がないので「チロリ」という効果音しか付け様がないのだ。
それにしても、初対面の少女からも鬼畜眼鏡と呼ばれるとは……。
もしかして君、信楽さんと知り合いだったりしないよね?
「真壁くん、大丈夫だよ」
僕が少し落ち込んでいるのを察したのか、小手毬さんが頭を撫でてくれた。とても癒される。
「……何をデレデレしてるんですか。この変態眼鏡」
それを見た少女から罵倒される。とても傷付いた。
そして傷付いた僕を小手毬さんが慰めて……って、ダメだ。このままじゃ無限ループにしかならない。あと変態眼鏡はやめなさい。
「僕がデレデレしてるかどうかは、ともかくとして」
「してたじゃないですか。何を誤魔化してるんですか」
いいから、話を聞きなさいよ。
僕は彼女の罵倒を強靭な精神力で耐え抜き、毅然とした態度で応じた。もちろん後で小手毬さんに癒してもらうのだ。
「どこの誰とも分からない人間が友達に付きまとってるのは、僕としても看過できないんだよね」
「ぐっ……」
僕がそう言うと、彼女は言葉に詰まったような表情を見せた。
「貴方のような、体脂肪率が二桁ありそうな男性に屈するのは嫌ですが……」
体脂肪率云々は意味不明だが、おそらく自分が怪しいという自覚はあるのだろう。しばらく悩むそぶりを見せた後、不承不承という様子で口を開いた。
「……影戌 知麻です」
「影戌? ああ、聞いたことあるな」
「え、そうなの? 真壁くん」
小手毬さんの質問に頷いて返しながら、僕は例のモテる生徒の情報を集めたノートの内容を思い出していた。
一年生にそんな名前の綺麗な女子がいて、大層人気だと聞いた覚えがある。本人を見れば、確かにそういう噂が出るのも納得できる容姿だ。いかんせん体型が小学生なんだけど。
僕がその辺りを(体型の部分は省略して)説明すると、小手毬さんは「なるほど」と納得した様子だった。
影戌さんの方は、どうせ「気持ち悪い」だとか罵倒してくるんだろうと思っていたけど、意外にも感心したように頷いている。
「なるほど。確かに正確な知識と情報がなければ、せっかくのトレーニングも効果半減どころか、逆に怪我を誘発しますからね。知識を得るのは、とても重要です」
……この子、なんでいちいち筋肉関係で例えるんだろう?
これが脳筋って奴なのか? いや違うよな。
見た目も含めて、あまりのキャラの濃さに胸焼けしそうだ。
とはいえ、変に噛み付いてこないのは好都合なので、さっさと話を進めてしまおう。まずはストーキングの動機から確認したいんだけど……。
「影戌さんは、二週間くらい前に簗木が助けた子って事でいいのかな?」
「ええ、まあ。そうなりますね」
意外にも影戌さんは、変に誤魔化さず正直に答えてくれた。
しかし、そのままうっとりとした顔で語り出した彼女を見て、僕は安易にこの話を切り出したことを後悔する羽目になる。
「あの人は悪漢に襲われた私を助けるため、身一つで立ち向かってくれたのです」
「悪漢って……。簗木くんも影戌さんも、大丈夫だったの?」
日常生活でなかなか聞くことのない「悪漢」という言葉に、小手毬さんが驚く。まあ、二週間前の話なんだから、二人が無事なのは確実だろうけど。
「ええ。私もあの人も、大事はありませんでした」
「そ、そうなんだ……良かった」
小手毬さんが安心したのも束の間、影戌さんの話はさらに続く。
「もちろん貧相な私の肉体では、いくら現代のもやしっ子とはいえ悪漢どもには手も足も出なかったでしょう。しかしあの人は違います。圧倒的筋力をもって、碌に鍛えていないであろう悪漢をねじ伏せてしまいました」
多分、その時の光景を思い出しているのだろう。簗木の活躍を語る影戌さんの目は、まるで憧れのアイドルを間近で見たような輝きを放っている。
さっき怒っていた時はまだ人形らしさが強かったけど、今の陶酔したような表情なら、彼女が人間だと誰が見ても分かるだろう。
「あの時、私の脊柱起立筋に電撃が走りました。あの人こそが、私が求めてきた運命の筋肉の持ち主だったのです」
「……真壁くん、運命の筋肉って何かな?」
「……ごめん、全く分からない」
小声で話す僕と小手毬さんに、影戌さんは気付いた様子がない。
どうやら簗木の雄姿を思い出して、余韻に浸っているらしい。
「えっと……。つまり影戌さんは、助けてくれた簗木くんのことが好きになったってことでいいのかな?」
「えっ? あ、そ、そうですね。確かにあの人の筋肉はとても美しかったですし、あの逞しい大胸筋に包み込まれたいという気持ちはあります」
「うんうん。好きな人に抱き締められると、幸せな気持ちになれるよね」
小手毬さんの質問は、流石に要約しすぎではないかと思ったけど、意外に影戌さんの反応は悪くない。というか、変な筋肉発言を除けば普通に恋する少女だった。
まあ、その変な部分が大半を占めてるんだけど。
あと小手毬さんに嬉しそうな顔でそういうこと言われると、凄く恥ずかしい。
「でも、それならちゃんと簗木くんに言った方がいいんじゃない?」
「それは……出来ません」
責めるわけではなく、あくまで善意で言った小手毬さんの言葉だったけど、それを聞いた影戌さんは急に落ち込んだ様子を見せる。
「ま、真壁くん……」
「ああ、うん。大丈夫」
自分の言葉で影戌さんを傷付けてしまったと思って焦る小手毬さんに、僕は落ち着くよう促す。別に酷い事を言っていたわけでもないし、小手毬さんの言い方ではなく影戌さんの事情に問題があるんだろう。
女子同士の恋バナという形の方が無難かと思って任せていたけど、僕も部長として頼りになるところを見せておかないと。
「影戌さん、簗木に気持ちを言えない理由って何なのかな? うちはこれでも恋愛相談部っていう部活だから、事情があるなら相談に乗るよ」
「恋愛相談部……?」
あれ、なんか気付いていなかったような反応だな……。
おそらく簗木を追って来ただけで、ここがどういう場所だか知らないんだろう。
「生徒の恋愛に関する相談を聞く部活だよ。よかったら、影戌さんもどうかな?」
「私も力になれるか分からないけど、協力するから。ね?」
僕が影戌さんを安心させるように言うと、小手毬さんも追従してくれる。
そんな僕らの様子を見て、影戌さんは少しだけ表情が和らいだ。
「それでは……お願いしてもいいでしょうか?」
影戌さんの言葉に、僕と小手毬さんは笑顔で頷いた。
ようやく恋愛相談部らしい流れになってきたな……。
まあ、ストーカーも恋愛に関する問題と言えなくもないので、別に今までが畑違いだったわけでもないんだけど。
「私があの人に……簗木先輩に気持ちを伝えられないのは……」
そういえば手紙にも、それらしいことが書いてあったような……。
えーっと……どういう理由だったっけ?
僕が手紙の内容を思い出すより先に、影戌さんが自ら語ってくれた。
「私が貧弱だから……。私のような筋肉のない女は、あの人の傍に相応しくないから……!」
そうそう、そんな内容だったな。
え? あれってマジだったの?
影戌ちゃんは筋肉至上主義です。