21.影戌 知麻より愛をこめて③
『逞しい筋肉の貴方へ
その節は私のような貧弱な肉体の小娘を救っていただき、本当にありがとうございました。
あの日、私を救って下さった貴方の勇姿を思い出す度に、私の心と体はどうしようもなく熱くなってしまいます。
まるで激しいトレーニングによって、筋肉が炎症を起こしているかのようです。
貴方の上腕二頭筋が、ヒラメ筋が、そして服の上からでも一目で分かる発達した三角筋が、私の心を捕らえて離してくれません。
本来なら助けて頂いたご恩を返すため、貴方の筋肥大を助けるタンパク質となりたいのですが、私のような貧弱な者は貴方のお側には相応しくありません。
せめて貴方の一助になるべく、プロテインを贈ることをお許し下さい。』
……意味不明だった。
「えっと……情熱的だね」
どこか言いづらそうな口調で、小手毬さんがそう言った。
彼女なりに、この凄まじい手紙を好意的に表現しているのだろう。
確かに見方によっては、書き手の情熱を感じられなくもない。ほら、「タンパク質になりたい」みたいな辺りとか、「私を食べて」みたいに見えない? 無理か。
「確かにこの手紙からは、筋肉への並々ならぬ情熱を感じるよな」
怪文書を贈られた本人が、まさかの好印象を示していた。
いや、まあ確かに筋肉のことばかり書いてあるけど、お前はそれでいいのか?
一瞬、もしかしたら何らかの目的で簗木に取り入るため、敢えてこういう文章にしたという発想が出てきた。しかし、これで印象がいいのはアイツがおかしいだけで、普通ならドン引きされるだけだろう。
なんとなく、この手紙の主は本気でこれを書いているような気がする。
「簗木。これは一番最初に来た手紙だよな? 他にもあるってことか?」
「おお、あるぞ。毎日のように来ててな……」
こんなのが毎日のように来てるのかよ……。
簗木が自分の鞄から、残りの手紙と思わしきものを取り出す。
なるほど。全て同じ用紙で、筆跡も同じと。単独犯の仕業だな。
……良かった。こんなのが複数人いなくて。
「たくさんあるけど、これって全部同じような内容なの?」
「いや、そうでもないな」
小手毬さんの質問に、簗木が答えた。
しかし今回の相談で少し違和感があったけど、相談者が男子なのはいつも通りなのに、小手毬さんが割と普通に話してるせいだな。
流石にクラスメイトの簗木が相手なら、彼女も少しは慣れているみたいだ。
そんな風に思いながら、僕は手紙の一枚を無造作に手に取ってみる。
内容を確認してみると、まず前半が最初の手紙と同じく簗木の――正確には簗木の筋肉への称賛で、後半はトレーニングメニューや食事へのアドバイスとなっていた。
「何だこれ」
僕は思わず呟いてしまった。
さっきまでは一応、筋肉寄りだが簗木に向けた情熱の籠ったラブレターなのかと思っていたのだ。しかし今となっては、筋肉に向けたラブレターとしか思えない。
「凄えよな、それ。めっちゃ参考になるんだぜ」
「参考にしちゃったんだ……」
何故か「分かる」みたいな顔で頷く簗木と、呆れる小手毬さん。
小手毬さんの可愛さだけが、僕の心の癒しだ。もう結婚してくれないかな。
それにしても、情熱的なメッセージとプロテイン、そしてトレーニングや食事に関するアドバイスか……。
「これ、熱心なお前のファンの仕業なんじゃないか?」
むしろ、もうそれでいいんじゃないか?
少なくとも相手が簗木の筋肥大を望んでいることは、間違いないわけだし。
簗木は貰ったプロテインとアドバイスで、立派な筋肉をつければいいと思う。
僕が投げやり気味に言うと、簗木は急に難しい顔になった。
「うーん……。でもこういう、ストーカーっていうのか? そういう奴って、好きだからやるもんなんだろ? それを放っとくのは、ちょっと落ち着かねえな」
「ああ、それで恋愛相談部に来たのか」
簗木から話を聞いている限りでは、どうも本気でストーカー被害に悩んでいる感じがしなかったんだけど、実際にそっちが本命ではなかったらしい。
要するに、相手が恋愛感情からこういう行動を起こしているなら、そのままにしておくのは忍びないと考えたようだ。
「簗木くんは、相手が誰か知りたいってこと?」
「ああ、そうなるな。それにプロテイン用意してくれたり、なんだかんだで金もかけてるっぽいし。ずっと知らん顔も出来ねえだろ」
一応、相手はストーカーには違いないというのに、親切なことだ。
「へぇー、簗木くん、優しいんだね」
「そうか?」
同じようなことを、小手毬さんも考えたのだろう。
嬉しそうな顔で簗木に笑いかけた。
「むぅ……」
僕はどちらかと言えば簗木の態度に呆れていたというのに、そこで喜んで見せる小手毬さんは、本当に可愛らしい女の子だと思う。
それはそれとして、彼女の笑顔を向けられた簗木に嫉妬も覚える。
こんな簡単なことでヤキモチを焼くようでは、僕が楠さんと会っていた時の小手毬さんを笑えないな……。いや、元から笑ったりしてないけど。
よし。後で僕の方から、小手毬さんを抱き締めよう。
僕は胸中に浮かんだ嫉妬心の解消法を決めてから、簗木に声をかける。
「最終的には、トレーニング中のところを見張ればいいと思うんだけど、そもそも簗木は相手に心当たりはないのか? 最初の手紙を見る感じだと、お前に助けられたみたいなことが書いてあるし、会ったことあるんじゃないか?」
「心当たりか……。いや、ねえなあ」
僕の質問に、簗木は天井を見上げながら考え込む様子を見せる。
あの手紙の内容で会ったことすらない相手なら、相当思い込みが激しいか、そもそも助けられた相手を勘違いしているという可能性もあるんだけど。
それはそれで、早めに相手を特定する必要があるな……。
などと頭を悩ませていると、小手毬さんが思い付いたように言う。
「そういえば簗木くんって、少し前に怪我してなかった?」
「え? ああ、そういえばそんな事もあったね」
割とあっさり完治していたから、最初は心配したけどすぐに忘れていた。
そう言われると、あれはちょうど二週間くらい前だったな。
僕と小手毬さんは、これが本命なのではと簗木に視線を送る。
「うーん、どうだろうな……」
しかし当の簗木は、あまり納得していない表情だ。
あの怪我は、この件とは関係ないんだろうか。
「そもそも、あの怪我は何だったんだ? 喧嘩とか言ってたけど」
あの時は流したけど、簗木が怪我をするほどの喧嘩なんて、迂闊な真似をするとも思えない。そもそも、よく相手はこのゴリラに怪我をさせられたものだ。
「いや、何かタチ悪いのに絡まれてる奴がいたから、割って入っただけだ」
事もなげな顔で、簗木は言った。
「それって、相手は女の子なの?」
「そうだな」
「その子じゃないのか? このストーカーって」
普通に考えれば、そういう発想になりそうなものだけど。
「いや、でもなあ……」
しかし僕らから疑惑の目を向けられた簗木は、やはり納得できていない顔だ。
僕は煮え切らない態度の簗木に、その理由を尋ねてみることにした。
「何かあるのか? 相手は女子で、助けたのも間違いないんだろ?」
なら、やっぱりその子なのでは、という僕の問いに、簗木は首を横に振った。
「そいつ、小学生くらいの小さい子供なんだよ。流石に違うだろ」
「ああ、なるほど」
簗木の説明を聞いて、僕は納得した。
隣の小手毬さんも同様で、コクコクと頷いている。
確かに、いくらなんでも小学生が高校に入り込んでいたら、騒ぎになるだろう。
そもそも、そんな年の子供があんな手紙を書いたり、プロテインを贈るなんている過激(?)な真似をするとも思えないし。
僕と小手毬さんは、顔を見合わせて頷く。
「小学生は違うよな」
「そうだね。小学生だもんね」
「小学生ではありませんっ!!」
不意に――部室の扉が勢いよく開き、同時に甲高い叫び声が響いた。
僕らが揃って入口に目を向けると、そこにいたのは人形のような少女だった。
おそらく怒りで上気した顔や、肩で息をしている様子を見ても、なお命のない人形と見間違うほどに端正な顔立ち。
そして――顔立ちは整っているのに、小学生にしか見えないその体型。
「あっ! し、しまった。つい……」
怒り心頭という様子の少女だったけど、すぐに自分が失敗したことに気付いた。
そして部室の中にいる僕らをチロリと――あまり迫力のない視線で睨み付けると、踵を返して部室から離れて行った。
「あ! おいこら、待て!」
そして簗木も一言叫び、席を立って少女を追いかけるべく走り出してしまった。
後に残されたのは、唐突な展開についていけない、僕と小手毬さんだけだ。
「えーっと」
「なんか、ビックリしちゃったね……」
小手毬さんの言葉に「全くその通り」と同意を覚えながら、僕はこの状況が非常に好都合なのではないかと思い付いた。
今なら小手毬さんと二人きりだし、さっき思った事が実行できるはずだ。
「小手毬さん」
「なあに? 真壁くん」
僕は小手毬さんに体ごと向けて、ハッキリと言う。
「抱き締めてもいいかな?」
「え? 私はいつでもいいけど……。急にどうしたの?」
嬉しそうではあるものの、困惑した様子を見せる小手毬さん。
無理もない。僕の方から彼女を抱き締めたのは、楠さんたちの一件が解決したあの日くらいだ。後は基本的に、小手毬さんの方から求める形で抱き合っている。
多少の恥ずかしさはあったけど、こういうのはしっかり言葉にした方がいい。
僕は彼女を抱き締めたいその理由を、隠す事なく口にする。
「その……簗木に笑いかけてる小手毬さんを見て、ヤキモチを少々……」
「……え、え?」
僕の説明を聞いた小手毬さんは、驚きと混乱を見せた。
しかしそれも一瞬で、すぐに満面の笑顔になって――。
「真壁くん!」
「うわっ!?」
僕の胸に飛び込んできた。
いつも通り、ゆっくり抱き合うものだと思っていた僕は、当然の衝撃にたたらを踏むものの、どうにかこらえて小手毬さんの体をしっかり抱きとめる。
流石に危ないので、小手毬さんに少し注意をした方がいいかと思ったけど……。
「大好き!」
素敵な笑顔でこんなことを言われたら、文句なんて言えるはずもない。
だから僕は全ての面倒事を忘れて、こう答えるしかないのだ。
「……僕もだよ」
何故なら僕も、心から小手毬さんが大好きなのだから。
影戌ちゃんは小6くらいの美人子役のイメージでお願いします。