20.影戌 知麻より愛をこめて②
「で、なんで部室で耳掃除なんかしてんだ?」
いつまでも入口に立たせておくわけにもいかないので、訪ねてきた簗木を招き入れたんだけど、僕らの向かいに座った簗木は開口一番、そんなことを聞いてきた。
「え、なんでって……」
「私が真壁くんに、してあげたかったから?」
「小手毬さんがしてくれるって言うから……」
「……お前ら、本当に仲良いんだな」
僕と小手毬さんが顔を見合わせながら答えると、簗木は呆れた顔で言った。
いや、でも小手毬さんの耳掃除だぞ? 断る理由がどこにあるっていうんだ。
「ていうかな……」
ジロリ、と僕を睨み付けてくる簗木。
最近、本当によく睨まれるな……。また小手毬さんに癒してもらわないと。
僕は傷付いた心を癒すべく、頭の下にある柔らかさを存分に堪能する。
「なんで俺が来た後も、ずっと耳掃除してるんだよ!」
おい、急に叫ぶんじゃないよ。小手毬さんが、ビックリしちゃうだろ。
僕は横向きに見える簗木に対して、抗議の視線を送った。
まだ耳掃除を続けている理由? そんなのは簡単だ。
「えっと……まだちゃんと綺麗にできてないし」
「まだ足りない。もっと小手毬さんにしてほしい」
「何なんだ、コイツら……」
せっかく僕と小手毬さんが説明してやったというのに、簗木は困惑顔だ。
一方、小手毬さんはといえば、僕が「してほしい」と言ったのが嬉しかったのか、機嫌良さそうに耳掃除を続けてくれている。
「えへへー、気持ちいい? 真壁くん」
「最高」
幸せそうな小手毬さんの表情を見て、つい即答してしまった。
実際、小手毬さんに膝枕されて耳掃除までしてもらえるこの状況を「最高」以外の何と言い表せばいいのか、僕には見当が付かない。
側頭部に伝わってくる、小手毬さんの熱と柔らかさ。幸せいっぱいなことを雄弁に語る、小手毬さんの表情。そしてすでに匠の業へと昇華された小手毬さんの耳掃除が、僕を天国へと誘ってくれるのだ。
僕の方も、人に耳掃除をしてもらうという状況に少しは慣れてきて、最初の頃に比べると素直に気持ちよさを感じられるようになっている。
彼女さえ良ければ、今後も定期的にこうしてもらいたいものだ。
「お前ら、いい加減に俺の話を聞けよ……」
おっと、しまった。うっかり簗木が放置気味になっていた。
気心知れた友人とはいえ、今は客だ。失礼な対応をしてしまったのは事実なので、ここは素直に謝っておくべきだろう。
「悪いな。ちゃんと聞くから、話してみてくれ」
「耳掃除は止めないんだな……」
そりゃそうだろう。だって最高だし。
そうはいっても、耳掃除なんて何十分もかけるものでもない。
簗木の話を一通り聞き終わるころには、とっくに両耳の掃除が終了していた。
途中、片耳が終わって体勢を変える時、簗木が凄い目で僕を見てたな……。
「つまり、少し前から差出人の分からない手紙が来て、困ってるってことか」
「お、おお。お前、アレでちゃんと聞いてたんだな」
僕が話を要約すると、簗木は相変わらず呆れた顔で返事をしてきた。
そのまま顔を顰めて、僕に質問を返してくる。
「お前ら、いつもこんな風に相談受けてるわけじゃねえだろうな?」
「は? 何を言うかと思えば……」
流石に僕も、他人に見られて恥ずかしい姿だったのは理解している。
僕が平気な顔でいられたのは、相手が簗木付き合いの長いだったからだ。
「お前だから、こんな姿を見せられたに決まってるだろ?」
お互い素直じゃないとはいえ、このくらいは分かってほしいものだ。
「その体勢でドヤ顔してんじゃねえよ。ていうか、耳掃除はとっくに終わったのに、なんで膝枕は続けてんだよ」
「え、ダメだった?」
だって小手毬さんの膝、超気持ちいいし……。
そんな僕を見て、簗木は「処置なし」といった風に首を振る。何故だ。
「小手毬も、あんまコイツを甘やかしすぎるなよ」
「私は真壁くんがしてほしいなら、いくらでもしてあげたいんだけど……」
続いて小手毬さんに水を向ける簗木だったが、彼女はあっさり僕の行動を許容してしまう。というか、彼女も望んでやっていることを、再確認しただけだった。
「ああ、もう! いいから起きろや!」
「怒鳴るなって……。分かったよ、仕方ないな」
いよいよ簗木が痺れを切らしてきたので、渋々起き上がることにする。
「あ……」
僕が起き上がると同時に、小手毬さんが小さな声を上げたので彼女の方を見ると、顔を真っ赤にして目を逸らしていた。
きっと離れるのが寂しかったんだろう。簗木が帰ったら、またお願いしよう。
「おい、今度こそいいか?」
「ああ、大丈夫だ。ていうか、さっきもちゃんと聞いてただろ?」
「そうだけど、雰囲気ってもんがあるだろ……」
むう。簗木から、雰囲気について諭される日が来るとは……。
それはそうとして、前振りが長くなったが今度こそ真面目に相談を受けるか。
「えーっと、手紙だったよな。そういえば、なんでわざわざ放課後まで待って、部室に来たんだ? 教室で言えば良かったじゃないか」
思い出してみても、朝から簗木が僕に相談をしようとした様子はなかった。
手紙は今日始まったことじゃないみたいだし、つまり簗木は最初から部室まで来て相談するつもりだったんだろう。
その辺りを尋ねると、簗木は当然のことのように答えた。
「え? だって部活の時間じゃないのに、恋愛相談するのは悪いだろ?」
「……変なところで律儀だな、お前」
「あはは……」
もはや不器用とすら言える振る舞いに、小手毬さんですら苦笑いを漏らす。
一応、困ってるみたいなんだから、気にせずさっさと相談すればいいのに……。
「いつからだ? あと、相手に心当たりはないのか?」
「うーん……。最初に来たのは、二週間くらい前だな」
「二週間? 結構、前なんだな」
そんなに前から放置してたのか? 本当に大丈夫なんだろうか。
「道場でトレーニングしててな。終わったら、鞄のところに手紙が置いてあって」
柔道場に忍び込める相手なのか……。なかなか危険な感じがしてきたな。
ちなみに我が校の柔道場には、割と立派なトレーニング設備が併設されている。
簗木が道場破りの相手に柔道部を選んだのも、畳をリングの代わりに出来る(?)という理由と、そのトレーニング設備が目当てだろう。
「しかも、なんかプロテインまでシェイカーに入れて置いてあるんだよ」
「こ、怖いね……」
簗木の話した恐怖体験に、小手毬さんが怯えた声を漏らす。
確かに飲食物を渡してくるというのは、なかなか危険な雰囲気がある。
僕は小手毬さんを励ますため、簗木からは見えない位置で彼女の手を握った。
小手毬さんの怯えた声に、簗木は頷きを返す。
「ああ、しかもそのプロテイン――めちゃくちゃ美味いんだよ」
「おい、飲んでるんじゃないよ」
結構、緊迫した空気だったのに、一気に気が抜けてしまった。
危機感ってものがないのか、このゴリラは。
小手毬さんも、もう苦笑というより頬がピクピクと震えている。
「仕方ないだろ。結構高いんだぞ、プロテインって」
「いや、だからってなあ……」
ストーカー(?)から贈られたものを、飲む必要はないだろうに。
僕と小手毬さんが呆れていると、簗木は鞄を漁って何かを取り出す。
「で、これがそのプロテインと一緒に置いてあった、手紙なんだが……」
「どれどれ……」
簗木がテーブルの上に置いた手紙を読むため、僕と小手毬さんは二人揃って身を乗り出した。密着した小手毬さんから、とてもいい香りがする。
……が、そんな浮ついた気分は、手紙を読んだら一気に吹き飛んでしまった。
「こ、これは……!?」
ちなみに今回のテーマは、「筋肉とストーカー」です。