ex04.とある柔道部主将の述懐
俺は柔道部の主将を務めている二年生だ。
名前は……いや、そんなの誰も興味ないだろう?
俺のことは、大した特徴のない柔道部主将くらいに認識してくれればいい。
主将を務めているとは言ったが、実のところ俺は主将になってまだ日が浅い。
うちの柔道部は三年の先輩が引退して間もないので、まだまだ俺は経験不足もいいところだし、部内の空気も「ついに俺たちの時代が来た!」という感じではなく、夏の大会という大きな節目を過ぎたことで少し緩んだ感じになっている。まあ、うちの部は別に三年生が威張り散らしていたわけでもないしな。
今はまだ代替わりの時期だし、大きな大会が近いわけでもないので、部内が浮ついた雰囲気になっているのは仕方ないと思う。
しかし、いずれは俺が皆を引っ張って、柔道部を勝利に導かなくてはいけない。
まあ、うちの連中も今は浮ついているだけでモチベーション自体は高いから、きっとどうにかなるとは思うんだが……だが我が部の重要人物に限って、妙に癖の強い奴が多いのは何故だろうか?
「主将。相手してもらっていいか?」
「ああ、分かった。やるか、簗木」
乱取り――実戦形式の練習は、相手をローテーションして行う。
同じ相手ばかりだと偏った動きになるし、仲が良いヤツ同士で和気藹々と練習するのは、あまり好ましいとは言えないからな。
そんなわけで時間を決めて相手を変えるわけだが、そのタイミングで同じ二年の簗木 篤に声をかけられた。
簗木は我が部のエースだ。他の部員どころか、主将の俺よりも強い。
だったら簗木が主将にならないのかという意見はあるだろう。ぶっちゃけ俺も、未だに簗木が主将になればよかったと思っている。そして前の主将も、最初は自分の後継に簗木を指名しようとしていた。
しかし簗木は、前主将から打診を受けた際に「主将にはならない」と宣言してしまったのだ。
簗木が主将になりたがらない理由は、アイツの入部の経緯にある。
元々、高校でレスリングをやりたいと思っていた簗木は、何を考えたのか――というか、むしろ何も考えていなかったせいで、レスリング部のないうちの学校に入学してしまった。
悩んだ末に何故か柔道部に道場破りを仕掛けた簗木は、当時の二年と三年の部員を全員倒すというバカげた偉業を達成してしまったのだ。しかも柔道は中学の授業で齧ったくらいだというのだから、とんでもない化け物である。
入部早々、いきなり柔道部が筋肉ゴリラに乗っ取られるなんて……と、当時一年生だった俺は震えあがったものだが、簗木の強さに惚れ込んだ当時の――俺の二代前の部長が「レスリングの練習にも付き合うから柔道部に入ってくれ」と口説き落とし、意外にも平和的に解決した。簗木も「畳ならマットの代わりになるかもしれない」と思っただけで、別に柔道部の支配が目的ではなかったのが救いだった。
「一本、だな」
「ああ……ったく、主将だってのに全然勝てねえな、お前に」
背負い投げで綺麗に一本を取られた俺は、簗木の手を借りて立ち上がる。
前述の通り、簗木は部内の誰よりも強い。そもそも三年が現役の時点で簗木が最強だったので、先輩たちが抜けた今は当然ダントツだ。
強さだけが主将に求められるものじゃないとは思うが、簗木は人間性だって問題ないわけだし、やっぱり俺よりも主将に向いていると思う。
しかし、それでも簗木は「自分は主将にならない」と言う。
「別に主将だからって、一番強い奴じゃなくてもいいだろ? まあ手本にもならない奴だとマズいんだろうが、お前は十分やれてると思うぞ」
「いや、それこそ簗木の方が、皆の手本になれるだろうが……」
「俺は、まあ外様みたいなもんだからな。レギュラーやってるだけでも悪い気がするのに、主将までやれねえって」
「……誰もそんなこと思ってねえよ」
本当に、すぐコレだ。
簗木は入部の経緯から、自分のことを柔道部の中では異端者として位置付けている節がある。だから前主将の指名を受けなかったし、さっき本人が言ったようにレギュラーとして試合に出ること自体、場違いではないかと考えているのだ。
正直、俺に言わせれば「ふざけんな」って感じだ。確かに道場破りは非常識だったが、曲がりなりにも一年以上、一緒にやってきた仲間だっていうのに。
まあ俺も一度任された以上、いまさら主将の責務を投げ出そうとは思っていないし、簗木だって遠慮しながら練習や試合にはしっかり出てくれてるんだから、今はこれで十分だろう。あと一年も一緒にやっていれば、俺たちと簗木の距離も自然に縮まっていくに違いない。
「篤先輩、お疲れ様です。主将もこれ、どうぞ」
簗木との練習が一段落した頃、小柄な女子生徒が俺たちに声をかけてきた。
俺たち二人に差し出してくれたドリンクを、そっと受け取る。
簗木が専用のボトルで俺の方がペットボトルなのは、気にしないことにする。
「おう、いつもありがとな。知麻」
「あ、ありがとう。影戌さん」
「いえいえ、これも私の仕事ですので」
無表情で謙虚に振る舞うこの子は、うちのマネージャー(?)の影戌 知麻さん。
一年生ということを差し引いても小さめの身長で、ぶっちゃけ制服を着ていなければ小学生でも通用しかねない。しかし顔立ちは驚くほどに整っていて、ほとんど無表情なのと相まって精巧な人形のような雰囲気を見る者に与える。
もっとも無表情といっても細かいパーツはしっかり動いているので、眉の動きや口角の上下なんかで割と感情は読み取れるんだが。
「本当によくやってくれてるよ、影戌さんは。最初の頃は、簗木以外には全然興味ない感じだったから、どうなることかと思ったけど」
「そ、その節はご迷惑をおかけしました……」
こうやって申し訳なさそうに思っているのも、見ていればすぐに分かる。
しかし最初に彼女が来た頃は困っていたというのも、本当の話だ。
実のところ彼女は正式なマネージャーではない。本来はマネージャーでも柔道部に入部するわけだが、影戌さんの場合は入部をしないまま、マネージャーの仕事をしているのだ。要するに部外者がマネージャーの手伝いをしている、という形だ。
なんでそんな無法が通っているのかといえば、彼女が簗木の恋人だからだ。
……そうなんだよ。この子、筋肉ゴリラの恋人なんだよ。
最初にこの子がうちに来た時は「こんな可愛い子がマネージャーに!?」と色めきだったものだが、自己紹介の時に本人の口から「私は篤先輩の彼女ですので、主に篤先輩のお世話をさせていただきます」なんて衝撃発言が飛び出したせいで、一気に男子部員は葬式ムードになった。
その後、割とマジで簗木以外はノータッチみたいな感じだった影戌さんだったけど、いつからか他の部員の世話もしてくれるようになっていた。正規のマネージャーではないとはいえ、やっぱり仕事を選り好みしているのは良く思われないので、その辺りを改めてくれたのは本当に安心した。
「本当にな……知麻が大人になってくれて安心したわ」
「お、大人って……! 篤先輩、こんなところで何を……!?」
「いや、そういう意味じゃねえっての……」
……前よりイチャつくようになったのだけは、本当に勘弁してほしいんだけど。
「マジで最初の頃からは見違えたな、鳶田。大したもんだ」
「ま、伊達にあのゴリラと毎日練習してねえよ。まだまだ主将にも勝てねえけどな」
「入部から半年も経ってねえのに負けたら、流石に俺も泣くぞ……」
簗木との次は、坊主頭のイケメン野郎・鳶田 勇が俺の練習相手だ。
鳶田は今年の夏前に入った二年生で、去年から「運動部のイケメン助っ人」なんて言われて有名だったんだが、いきなり坊主頭にして一部で話題になり、しばらくしたら何故か簗木に連れられて柔道部にやってきた。
最初こそ不貞腐れていた鳶田も、いつの間にやら本気で練習に取り組むようになっていき、今では次のレギュラー候補と誰もが認めるほどになっている。柔道を始めてからの期間を考えると、かなりの才能の持ち主なのは間違いないだろう。
「でも、やっぱりそろそろ――」
「ほいほい、お兄ちゃん。喋ってないで練習して、練習。ダラダラしてると、マッキー先輩に言い付けちゃうよ」
「の、望か……真壁は関係ねえだろ、真壁は」
練習を始める前に一言二言だけ交わすつもりが、少し話し込んでいたようだ。
見かねたマネージャーの一人、鳶田 望さんから注意を受けてしまった。
鳶田の妹でもある望さんは、呆れた顔で兄に小言を飛ばした後で、俺にも軽く注意をしてきた。
「主将さんも、ちゃんとして下さいね。頑張った人には、望ちゃんが美味しいドリンクをプレゼントしちゃいますよ♪」
「は、はい! 頑張ります!」
くそっ、なんて男たらしなんだ……。思わず敬語で頷いてしまった。
「おい、望。兄ちゃんにも、もうちょっと優しくしてくれてもいいだろうがよ」
「何? お兄ちゃん、妹に優しくされたいの? 別に私が優しくしなくても、お兄ちゃんはあの人に優しくしてもらえばいいでしょー?」
「つ、冷てえ……昔はもっと甘えん坊だったのに」
「誰のせいで冷たくなったと思ってるのかなー? お・に・い・ちゃん?」
「す、すんませんでした……」
妹に抗議を入れた鳶田だったが、あっさりと一蹴されてしまった。
というか、妹に対して「俺にも優しくしてくれ」と文句を言うのは、俺もちょっとどうかと思う。
ちなみに望さんも、影戌さんと同じく非正規のマネージャーだ。
鳶田の入部からしばらく経った頃に、影戌さんの紹介でやって来た。
そういえば望さんが来る直前にもう一人、影戌さんが連れてきた女の子がいたはずなんだが……。確か名前は飛田さんだったか。大人しめな子で、ぶっちゃけかなり好みのタイプだったんだが、一度見学に来ただけで結局は望さんがマネージャーになったんだよな。
望さんはギャルっぽい子だが、誰にでも分け隔てなく接してくれる。
昔の影戌さんと違って彼氏がいることを公言して明らかに贔屓したりしないので、彼女のいない男子部員たちからはアイドルのように思われていたんだが、最近になって前主将と付き合っていた事が明らかになり、男共が絶望の底に叩き落された。
どうやらマネージャーになった時から交際していたが隠していて、前主将が引退したのを機にカミングアウトすることにしたらしい。あの先輩、「モテない男の気持ちが分かる」みたいなこと言っといて、自分はこんな可愛い彼女がいたとか、マジ許せねえ……。
「主将くん、ちょっといいかしら?」
「あ、はい! な、なんすか? 鴨川先輩」
鳶田との乱取りも一段落して休憩時間になると、鴨川先輩に声をかけられた。
彼女はうちの学校でも指折りの有名人で、文武両道・眉目秀麗・家柄抜群と隙のない美人だ。クールな印象とは裏腹に割と話せる人なんだけど、美人過ぎるので俺や他の男子部員は未だに面と向かって話すと緊張してしまう。例外は朴念仁の簗木と……鳶田とかいう先輩の彼氏くらいだろう。
「次の練習試合のことなんだけど――」
「ああ、それはっすね――」
鴨川先輩は「先輩」というだけあって、当然ながら三年生だ。
そんな先輩が何故この時期にマネージャーをやっているのかというと……そもそも先輩がマネージャーになった時期が、ごく最近だったりする。
まず前提として、鴨川先輩も影戌さんたちと同じく非正規マネージャーだ。
というか、うちの学校は校則で三年生の途中入部は認められていない。四月に新入生が入部する時期なら、ギリギリ認められるみたいだけど。
だが鴨川先輩に関しては、他の三年の先輩が引退してからのマネージャー入りだ。正規のマネージャーなんて、どう考えてもアウトだろう。
だからこその非正規マネージャーなんだが、先輩がこの時期にそんな真似をした理由は、俺たちにとっては残酷なことに彼氏である鳶田との時間を増やすためだった。
ここだけの話、嫉妬に駆られた男子部員たちによる「鳶田を皆でボコろう」という企画もあったんだが、アイツと仲のいい簗木が敵に回ったら厄介なので、満場一致で中止になった。
……俺? 俺はもちろん最初から反対したぞ。主将として、そんな真似は見過ごせないからな。断じて簗木を怒らせるのが怖かったわけじゃないぞ。
と、まあこんな感じで、今年の我が部には個性的なメンツが多い。
簗木と鳶田に関しては、まだ柔道部に籍を置いているから分かるんだが、よく分からないのは気付いたら三人に増えていた非正規マネージャーたちだ。
全員がタイプこそ違えど結構な美人で、しかも揃って「恋愛相談部」とかいう妙な名前の部活に関係しているという。
影戌さんと望さんは恋愛相談部の正式な部員で、そのせいで柔道部には入部できないのだとか。鴨川先輩は……詳細は聞いていないが、自分で「私も恋愛相談部の関係者なの」と言っていたから、そういう事なんだろう。
最近、我が部には一つの不文律が出来ていた。
それは「恋愛相談部には手を出すべからず」というものだ。
具体的な話は知らないが、恋愛相談部はとにかくヤバいらしい。鳶田が坊主頭になったり、いきなりうちに入部したのも恋愛相談部が原因という噂があり、鳶田自身が「真壁」という恋愛相談部の部長を恐れていることからも信憑性が高い。
簗木だって、その真壁には一目置いているようだし……。あの筋肉ゴリラに本気で認められるなんて、並みの人間とは思えない。
だから俺は恋愛相談部のことを気にしながらも、詮索はしないと決めている。
好奇心は猫をも殺す。あるいは君子危うきに近寄らず、というヤツだ。
まあ今のところ可愛いマネージャーたちが全員彼氏持ちなのが残念なくらいで、これといって困ったことがあるわけでもないから、気にしなくても大丈夫だろう。
それにしても、あの一年――飛田さんは、どこに行ってしまったのだろうか。
男子の後輩に聞いても「あんな子は見たことない」と言うし、影戌さんに聞いても言葉を濁して教えてくれないし……。
かなりタイプの子だったから、見学の時に連絡先だけでも聞いておけばよかった。
出来ることなら、もう一度あの子に会いたい。
飛田さん……君は今、どこにいるんだ?
※すぐ近くにいます。
柔道部の主将について
現主将……簗木くんたちの同学年
前主将……三年生で望ちゃんの彼氏
前々主将……大学一年生で簗木くんを勧誘した人物




