ex01.頂き物のチョコを食べた時の定番のアレ
「あっ、真壁くん、おかえりなさい!」
「ただいま、小手毬さん」
いつも通り放課後になって部室に向かった僕は、扉を開いたと同時に愛らしい天使に迎えられた。もしかして、ここが天国なのだろうか。
そんなことを考えていると、小手毬さんが僕の手にある物に目を留めた。
「あれ? 真壁くん、その箱どうしたの?」
「ああ、これ? ここに来る途中で、鴨川先輩に貰ったんだよ。ちょっと前に旅行に行ったから、そのお土産だって」
そう言って持っていたお菓子の箱を、軽く掲げて見せた。
小手毬さんに説明した通り、これは部室に向かう途中で偶然会った鴨川先輩に貰った物だ。
なんでも少し前の連休に行った家族旅行の先で、自分が食べて美味しかったお菓子を買ってきてくれたらしい。ド変態なのに、こういうところはマメな人だ。
ちなみにその家族旅行には何故か鳶田も同行したらしく、そのくらいの時期に鳶田後輩の機嫌が悪かった理由が、今更になって判明してしまった。
あの時は、いつもなら場を賑やかしてくれる鳶田後輩が不機嫌だったせいで、影戌後輩が「自分が何かしてしまったんじゃないか」とオロオロしていたな。本人や部員たちの前では言えないけど、半泣きになった影戌後輩は実に可愛らしかった。
それはそうとして、この先輩に貰ったお菓子である。
僕の記憶が確かなら、今日は後輩二人も部室に来るという話だったはずだ。
しばらく顔を出さないのなら個別に配っても良かったけど、せっかくなら皆でお茶会でもした方が楽しいだろう。そう提案すると、小手毬さんは嬉しそうに頷いてくれた。
「いいね、お茶会。それじゃあ知麻ちゃんたちが来る前に、お茶の用意しておかないと」
「でもお菓子が一品だけだと、途中で飽きるんじゃないの? 私もお金は出すから、購買で何か買ってきてくれない? 真壁くん」
小手毬さんと一緒に部室に来ていた信楽さんに、パシリを命じられてしまった。
とはいえ小手毬さんには美味しいお茶を淹れるという重大な使命があるし、信楽さんを使い走りにするというのも気が引ける。
僕は大人しくパシリ役を引き受け、購買でお菓子を買い込んできた。
僕が購買から戻ってくる頃には後輩二人も顔を見せて、急遽決まったお茶会は無事に開催された。
ちなみに買い出しのついでに茅ヶ原先生にも声をかけたんだけど、残念ながら今日は忙しくて部室に顔を出す余裕はないらしい。とりあえず先生と門脇が家で食べる分のお菓子は、しっかり確保しておこう。
「結構お高めな感じのお菓子ね……流石は鴨川先輩だわ」
「確かに……これはチョコでしょうか?」
信楽さんと影戌後輩も話している通り、鴨川先輩から貰ったお菓子の中身は、どうやらなかなか高級なチョコのようだ。
僕はお菓子には全く明るくないけど、女性陣は基本的に甘いものが好きな子が多いので、パッケージを見ただけでもピンと来るものがあるらしい。
「むう……鴨姉がお兄ちゃんを連れてったのは気に入らないけど、まあお菓子に罪はないですもんね」
「そうだよ、望ちゃん。せっかく貰ったんだから、皆で楽しく食べよ?」
「はーい、てまりん先輩」
最初は「鴨川先輩がくれたお菓子」に忌々しげな目を向けていた鳶田後輩も、どうにか自分の中で折り合いをつけたようだ。
一見すると兄の恋人を毛嫌いしているようだけど、前に遊園地に行った頃から先輩のことを「鴨姉」と呼ぶようになっていて、素直に慕ってはいないものの受け入れつつあるように思える。基本的に人懐っこい子なので、きっといずれは先輩とも上手くやっていけるだろう。
「まあパッケージを眺めていても仕方ないなら、そろそろ食べようか」
「そうだね。あ、これ……なんかいい匂いがするね」
僕が促すと、それぞれ好きにチョコを食べ始める。
一応は他のお菓子も買ってきたけど、やはり今回のメインは先輩から貰ったこの高級チョコだ。
かくいう僕もさっきから気になっていたので、一つを手に取って包みを開ると――小手毬さんの口元に差し出した。
「はい、小手毬さん。あーん」
「え、ええ……? 恥ずかしいなぁ……あ、あーん」
「恥ずかしいって言いつつ、普通にやるのね。小手毬ちゃん」
信楽さんのツッコミを受けて頬を赤く染めつつ、チョコを咀嚼する小手毬さん。モグモグと小さく口を動かす様子が、またこの上なく愛らしい。部室にビデオカメラを常備しておかなかった事を、大いに悔やむ僕だった。
「どう、美味しい? 小手毬さん」
「う、うん……ちょっと癖があるけど、美味しいよ。えっと……真壁くんも、あーん」
「あ、やっぱりお返しするんですね、てまりん先輩も」
今度は鳶田後輩のツッコミを受けながら、小手毬さんが差し出してくれたチョコを僕が食べる。
確かに小手毬さんの言う通り、なかなか癖のある味だった。とはいえ僕は甘いものがそこまで好きというわけでもないので、この苦味のような感じは割と嫌いではない。
「いいわね、これ。結構好きな味かもしれないわ」
「だよね。僕も甘さ控えめで、ちょうどいいと思う」
「……そうね」
小手毬さんも前に言っていたけど、どうも信楽さんとは味の好みが近いみたいだ。何故か当の本人は、顔を顰めて複雑そうな表情をしているけど。
そうしてお茶会は和やかに進み――やがて異変が現れた。
「えへへ……真壁くーん」
「小手毬さん? どうしたの?」
僕の隣にいた小手毬さんが、いきなり抱き付いてきたのである。
二人きりの時ならともかく、皆がいる今の状況で彼女がこういう行動に出るのは、かなり珍しい。
「真壁くーん、まーかーべーくーん」
「こ、小手毬さん……?」
いつもよりほんわかした雰囲気の小手毬さんは、抱き付いたまま僕の胸板にぐりぐりと頭を押し付ける。
その様子を見て、鳶田後輩が困惑した声を上げた。
「ちょ、ちょっと、マッキー先輩。てまりん先輩の様子、なんだかおかしくないですか?」
「ああ、おかしいな……。今の小手毬さんは可愛すぎる」
「あ、ダメだ。ちょっとバカな時のマッキー先輩だ」
「酷くない?」
まあ、ふざけすぎたのは認めるけど。
それにしても、確かに今の小手毬さんは少し様子がおかしい。
「真壁くん、好きー。だーい好きー」
「てまりん先輩が、こんなに堂々とマッキー先輩に甘えるなんて……あれ? いつもこんな感じだった気も……」
「いやいや、流されてるんじゃないよ」
いくらなんでも普段の小手毬さんは、ここまで明け透けではないはずだ。
「うるさいわね……。もう少し静かに出来ないの? 真壁くん」
突然の異変に鳶田後輩と二人で頭を悩ませていると、信楽さんから不機嫌な声がかけられた。
彼女のことだから、僕と小手毬さんがくっついているのが気に入らないのかもしれない。しかし小手毬さんの様子が普段と違うのは、信楽さんだって見ていれば分かるはずだ。
疑問を覚える僕に、彼女は据わった目を向けてきた。
「本当に真壁くんは……いつもいつも真壁くんなんだから」
「……はい? 信楽さん、何を……?」
「だから真壁くんだって言ってるの。聞いてるの、真壁くん?」
「あ、はい」
つい頷いてしまったものの、全く意味が分からなかった。
あまりに支離滅裂すぎる言動で、信楽さんが正気だとは思えない。
呆気に取られる僕に対して、彼女はお構いなしに語りかけてくる。
「ねえ、真壁くん。あなたも真壁くんだと思わない?」
「あ、うん。そうだね」
「あっはははっ! 『そうだね』って! 冗談は真壁くんだけにしてよね!」
「え、何これ、新手のいじめ?」
意味は分からないのに、なんだか悲しくなってきたんだけど。
こっちの話はほとんど通じない上に、向こうの言ってることも分からない。
まるで酔っ払いのような……酔っ払い?
「マッキー先輩、これ見て下さいよ」
自分の考えに引っかかりを覚えたタイミングで、鳶田後輩が声をかけてきた。
その手には開封済みのチョコの箱があって、僕に向けて差し出している。
「ん? どうした鳶田後輩……『アルコール分』?」
促されるままに箱を見ると、パッケージの隅に気になる文字があった。
「てまりん先輩とラッキー先輩がおかしいのって、これが原因じゃないですか?」
「え、じゃあこれって酔っ払ってるのか? チョコレートで?」
「まあ、そういう人もいるってことですかねー」
まるで漫画みたいな話だけど、確かに小手毬さんと信楽さんの様子は明らかに普段と違うし、チョコに含まれたアルコールで酔っているのなら説明が付く。
「僕と鳶田後輩は、そこそこアルコールに強いってことか」
「むしろ、この二人が弱いだけだと思いますけどね。子供だって食べれるようなヤツですし……って、あれ? 二人?」
鳶田後輩が首を傾げると同時に、僕も彼女の言いたいことに気付いた。
さっきから全然話さないから忘れていたけど、この場にはもう一人いるはずだ。
鳶田後輩と顔を見合わせてから恐る恐る視線をずらすと、そこには無表情で黙々とチョコを食べ続ける影戌後輩の姿があった。
「ち、知麻っち……?」
やや緊張気味の鳶田後輩が、遠慮がちに声をかける。
普通なら異常な光景に見えるところだけど、影戌後輩の場合はそもそも表情の変化が少ないので、パッと見では正気なのか判断が付かない。
しかし影戌後輩は、鳶田後輩の声には応えなかった。嫌な予感を覚えつつ、念のために僕からも声をかけてみる。
「影戌後輩、大丈夫か……?」
「はい」
お、返事をしてくれた。どうやら影戌後輩は酔っていないようだ。
彼女の無事を確認した僕と鳶田後輩は、揃って安堵の息を吐き――。
「大丈夫ですよ――お兄さん」
「……おに?」
影戌後輩の唐突な一言に、再び顔を見合わせた。
そんな僕らの様子に気付いていないのか、影戌後輩は滔々と話し続ける。
「知麻は平気ですよ、お兄さん。むふふ、お兄さん……呼んでしまいました」
「ち、知麻っち? どしたの、急に?」
鳶田後輩が再度声をかけるものの、影戌後輩は反応を見せない。
わずかに口角を上げながら僕の方を見て、ひたすら喋っているだけだ。
「一人っ子だったから、ずっとのぞぴーが羨ましかったんです……」
「え? いやー、兄なんてそんないいもんじゃな――」
「でも私にも、お兄さんが出来ました。意地悪だけど、優しいお兄さんです」
「――聞いてないね、これは」
ガックリと肩を落とす鳶田後輩。いやいや、諦めないでくれ。
というか、さっきから思ってたんだけど……。
「お兄さんって、もしかして僕のことか?」
「他に誰がいるんですか。私のお兄さんは、一人だけです」
「いや、でも兄を名乗るには、筋肉が足りないとか言ってなかったか?」
「確かに筋肉は大事です。でもお兄さんは、お兄さんなんです」
そう言って影戌後輩は、ふらふらと体を揺らしながら席を立つ。
「ちょ、知麻っち?」
「むふふー、お兄さーん……」
そのまま鳶田後輩の制止も聞かず、僕の方に歩いてきた。
影戌後輩は小学生並みの身長なので、ソファーに座っている僕の隣に立っても、顔の高さは大して変わらない。
「お兄さん」
「な、なんだよ?」
「たまには褒めて下さい。『偉いな知麻』って、撫でてくれてもいいんですよ?」
「え、いや、それは……」
影戌後輩を褒めるのは吝かではないけど、正気に戻った後で怒られそうだな。
そんなことを考えていると、僕に抱き付いたままだった小手毬さんが声を上げた。
「やー、真壁くん。撫でるなら、わたしにして?」
「ええ? 小手毬さん……?」
「ほらー、撫でてー? 好き好きーってして?」
「ダメですー。お兄さんは私を撫でるんです」
左から抱き付く小手毬さん。右から肩を揺する影戌後輩。
わけが分からないうちに、挟み撃ちにされていた。
「いや、ちょっと……鳶田後輩、助けてくれ……って、何やってるんだ?」
二人を振りほどくわけにもいかないので助けを求めると、何故か鳶田後輩はスマホを構えて、僕らの方に向けていた。
「え? いやー、動画撮っといて後で知麻っちに見せたら、面白いかなーって」
「それ絶対、僕が八つ当たりされるヤツじゃないか!?」
「真壁くん、うるさい。もう、あなた本当に真壁くんね……そんなだから真壁くんなのよ……」
「信楽さんは、なんで酔っ払うと僕の名前を連呼するの!?」
ダメだ、もう収拾がつかない。
誰でもいいから、この場をどうにかして――。
「おい、真壁。なんでノックしても返事しねえんだよ。ちょっと知麻に……」
――どうにかしてほしいと思ったら、よりにもよって簗木がやって来た。
「あ、やば……」
「えへへー、真壁くーん♪」
「真壁くん真壁くんって……あなた、どれだけ真壁くんなのよ……」
「お兄さん、聞いてますか? たまには妹のお願いを聞いてくれてもいいと思います」
小手毬さんに抱き付かれ、信楽さんに名前を連呼されながら、影戌後輩に「お兄さん」と呼ばれる僕。
極めて意味不明ではあるが、どう見ても有罪だった。
「真壁、お前……」
「あちゃー……マッキー先輩、頑張って!」
この日、僕は初めて簗木と本気で喧嘩をした。
そして動画を見た影戌後輩は、三日ほど部室に来なくなった。
ちなみに信楽さんは丸一日、目を合わせてくれませんでした。




