140.それぞれの遊園地模様③/茅ヶ原先生と未来の旦那様
「さて、どこに行きましょうか? ヒロくん」
無事に遊園地に入れたので、どこから回ろうかとヒロくんに相談しようとしたら、何故か不満げな表情が返ってきた。
「違うだろ、有瀬姉」
「うん? 何か間違えたかしら?」
首を傾げる私に、ヒロくんがにやりと笑って見せる。
「広哉だろ、広哉」
「そ、それは信楽さんたちを誤魔化すための演技なんだから、もう必要ないでしょう?」
どうやらヒロくんは、私に「広哉」と下の名前で呼ばれたいらしい。
でもさっき入場ゲート前でそう呼んだのは、私たちの事情を知らない信楽さんと簗木くんを誤魔化すためで、別行動になった今は必要ないはずだ。
そう反論すると、ヒロくんは「やれやれ」と言わんばかりに首を振った。
「あの先輩たち以外にも、有瀬姉のことを知ってる人に会うかもしれないだろ? その時に俺を『ヒロくん』なんて呼んでるところ見られたら、不味いんじゃないのか?」
「そ、それは……確かにそうかもしれないけど」
ヒロくんが言っていることは、決して間違っていない。
もし知り合いに会ったとして、ヒロくんと一緒にいること自体は「部活の顧問」という言い訳で誤魔化せるかもしれないけど、一生徒に対して「ヒロくん」なんて親密な呼び方をしていたら、変な勘繰りをされてしまうかもしれない。あながち間違いでもないのが、余計に困る。
そもそも恋愛相談部の顧問である私と、部員でもないヒロくんが二人で行動していることの不自然さについては、どうやっても誤魔化し様がないんだけど。
「でもいいの? ヒロくん、弟扱いは嫌なんじゃ……」
「別に名前で呼ばれたからって、弟とは限らないだろ? 俺は勝手に恋人同士の呼び方だと思ってるから」
「ま、前向きなのね……」
そう言われると、余計に恥ずかしくなるんだけど。
どちらにしろ「ヒロくん」は不味いから、悩んでも仕方ないか。
「分かったわ。それじゃあ改めて行きましょうか、ひ……広哉」
「おう! そうだな、有瀬」
「ちょっ、あなたはダメに決まってるでしょ! そもそも部活の体でいくなら、ひ、広哉だって『先生』って呼ばないと……わ、分かったわよ、有瀬姉でいいから。だからそんな顔しないで……」
ヒロくんに「先生」と呼ばせようと思ったら捨てられた子犬のような目をされたので、あっさりと意見を翻してしまった。
相変わらず卑怯よね、あの表情は。あんな顔してるヒロくんのことを、私が突っぱねられるわけないじゃない。
ヒロくんが最初に行きたがったのは、意外にもゴーカートだった。
この遊園地にあるゴーカートは大人の2人乗りが出来るから、カップルに人気があるらしい。私たち以外にも、男女の組み合わせで乗っている人が大勢いた。
「そうそう。上手いじゃない、広哉」
助手席に乗った私は、カートを運転しているヒロくんにアドバイスを送っていた。いい加減、広哉っていう呼び方にも慣れてきたわね。
ヒロくんは当然運転の経験なんてないけど、なかなか落ち着いたハンドル捌きだ。まあゴーカートの運転が、本物の車の運転にそこまで通じるとも思えないけど。
「それにしても広哉がゴーカートに乗りたがるのは、ちょっと意外だったわ」
幼稚園の頃は、人並みに「格好いい車」への憧れを見せていたヒロくんだったけど、中学生で私と再会した後にそんな素振りを見せたことはなかった。
敢えて口にしなかっただけで、ヒロくんも男の子らしく車に興味があるのだろうか。
そういうつもりで尋ねた私の質問に、ヒロくんは真剣な表情で運動をしながら答えた。
「別に……車好きとかじゃないけど……よっと。いつか俺が……有瀬姉を車に乗せたいと……思って」
「ヒロく――きゃっ!?」
予想だにしない健気な答えが返ってきて感激していると、カートがコースの壁にぶつかって停まってしまった。
どうやら私との会話で気が散ったせいで、運転を誤ってしまったらしい。
「わ、悪い……大丈夫か、有瀬姉?」
「ええ、平気よ」
コースの壁と言っても正確にはタイヤが横倒しに並べられているだけなので、ぶつかったところで大した衝撃はない。それにヒロくんがスピードを出さず、安全運転をしていたというのもある。
それでもヒロくんは、自分がカートをぶつけてしまったのが思いの外にショックだったらしい。
「ハァ……こんなんじゃ有瀬姉を乗せてドライブなんて、夢のまた夢だな……」
「そんなことないわよ。元気出しなさいな、広哉」
私は少し落ち込んだ様子のヒロくんを励ますために、頭を撫でた。
「ゴーカートと本物の車は、結構運転の癖が違うのよ。車の方が簡単とは言わないけど、これで上手い下手なんて大して分からないわ」
「そ、そういうもんなのか……? ていうか有瀬姉、子供扱いは止めてくれよ」
「ふふ……免許が取れない年なんだから、まだ子供よ」
「そうかもしれないけどさあ……」
少し緩んだヒロくんの表情を見る限り、どうやら元気を取り戻したみたいだ。
ヒロくんが私と対等になろうとしてくれるのは本当に嬉しいけど、それでもやっぱり高校一年生の子供であることに違いはないんだから、あまり焦らずにゆっくり大人になっていってほしい。
どうせ私には、ヒロくん以上の相手なんていないんだから。
それに頑張り過ぎてヒロくんが今よりも格好良くなったら、同年代の女子から好かれるようになってしまうかもしれない。そうなった時、私は「自分が彼女だ」と名乗り出ることが出来ないから、ヒロくんを繋ぎ止める方法がない。
だからもう少しヒロくんに子供のままでいてほしいと思うのは、私の我儘だろうか。
「広哉が免許を取れるようになったら、また私がアドバイスしてあげる」
「……そうだな。有瀬姉が教えてくれたら、きっと一発合格だ」
「その意気よ。まずはこのカートを元に戻すところからね」
私がそう言うと、ヒロくんは意気込んでカートの運転を再開した。
いつか本物の車に乗って、こうやって助手席からヒロくんの運転を眺める日が来るのだろうか。
昼食場所については、少しだけ二人で揉めてしまった。
手頃なもので済ませようという私と、お高めのレストランに入りたがるヒロくんという構図だ。
私としてはヒロくんの分まで払ってもいいんだけど、向こうは自分で払いたがるから、結局は私の希望で手頃なカフェに入ることになった。
「そんなに拗ねないで、広哉」
「……拗ねてないし」
本人の言葉に反して、目の前でピザを食べているヒロくんの顔は不満そうだ。
「仕方ないでしょう? 広哉だって、お小遣いに余裕があるわけじゃないんだから。ああいう店に入ったら、今月分なんてすぐに無くなっちゃうわよ」
「そうだけどさ。有瀬姉は仕事の付き合いとかで、もっといいもの食べてるだろ?」
「まあ、そういう時もあるけど」
教師だって飲み会はあるし、教育関係者の集まりなんかもある。
そういう席では多少グレードの高い料理が出ることもあるから、ヒロくんとしては自分とのデートでもそれに負けないようにしたいんだと思う。
ただ真剣に考えているヒロくんには悪いけど、そんなのは無用な悩みだ。
「こういうのは値段より、誰と食べるかでしょう? 仕事の飲み会なんかより、私は広哉と家で食べるご飯の方が好きよ」
偉い人や初対面の相手に気を遣いながら食べる高級な料理よりも、ヒロくんと一緒に食べる手料理の方が、私にとってはご馳走だ。
「私には広哉の料理が一番だもの。ね?」
「うん……じゃあ今日の夕飯も、気合入れて作るから」
「ええ、よろしくね。広哉」
本当はデート帰りに外食してもいいと思ってたんだけど、ここはヒロくんにお任せした方が良さそうだ。
気を取り直したヒロくんは、私の食べているパスタを欲しがった。
帰ってから自分でも再現できないかと、味を確かめている。
この調子だと、またヒロくんの料理のレパートリーが増えそうね。
夕方の集合時間が近付いてきた頃、ヒロくんが最後に乗りたがったのは、デートの定番とも言える観覧車だった。
「観覧車なんて久しぶりね……。そういえば広哉と一緒に遊園地に来たのって、今日が初めてだったかしら?」
動き始めたゴンドラの中から景色を眺めながら、私はヒロくんに声をかけた。
「多分そうだったと思うけど。最初にあった頃は、幼稚園児と中学生だったからなあ」
「流石に幼稚園児だと、遊園地は家族としか行かないわよね」
家族ぐるみの付き合いだったら分からないけど、私の場合はヒロくんの姉と友達なだけだから、家族旅行にくっついて行くことはなかった。
「あの頃に出会った子と、こうやって二人で遊園地を回ってるなんて不思議な気分ね」
「そう? 俺は昔から有瀬姉が好きだったから、こんな風にデートしたいって思ってたな。流石に幼稚園児の頃は『お姉ちゃん』って感じだったけど」
「そ、そうなの……」
さらっと長年の想いを告げられて、思わず顔が熱くなってしまう。
ヒロくんは寂しげな表情をするのもずるいけど、こうやって好意を何気なく伝えてくるのも、同じくらいにずるいと思う。
まだまだ年単位で我慢しないといけないのに、ヒロくんとちゃんとした恋人になりたいという気持ちが止まらなくなりそうだ。
だから――デートという特別な日に、私は少しだけ素直になることにした。
「ヒロくん……ありがとう」
「は? いきなり何を――んむ!?」
「ん……」
私たちの乗ったゴンドラが天辺に来たタイミングで、ヒロくんと唇を重ねた。
ほんの短い時間だったけど、これが私たちのファーストキスだった。
「あ、有瀬姉? 今、キス……?」
「……ヒロくんが私のことをずっと好きでいてくれて、本当によかった」
真っ赤な顔で動揺しているヒロくんを余所に、私は話し続ける。
「ヒロくんのことを好きだって気付いたのは告白されてからだったけど、仮に私が先に気付いてたとしても、私からは絶対に伝えられなかったもの。ヒロくんがずっと好きでいてくれたから、こうして幸せになれたのよ」
「有瀬姉……今、幸せなの?」
「ええ、とっても」
私が笑いかけると、ヒロくんは俯いて肩を震わせた。
「俺も……俺も有瀬姉をずっと好きでいて、本当によかった」
「うん。ありがとう、ヒロくん」
もういい大人だっていうのに、私も少しだけ涙が出てきてしまった。
しばらく二人で手を握ってすすり泣いていたけど、気付けばもう少しで地上に戻る頃だ。
「あの、ヒロくん」
「ん?」
俯いていたヒロくんに声をかけると、顔を上げて赤くなった目を私に向けてくる。
そんな彼が愛おしいから、私はもう一度だけ我儘を告げた。
「こんな顔で皆に会うわけにはいかないから……もう少し時間を潰さない?」
「え? あ、ああ、別にいいけど」
「それじゃあ――もう一周、乗りましょうか?」
私がそう言った途端に、ヒロくんはブンブンと首を縦に振った。
きっとヒロくんも、私が言いたいことを分かってくれたんだと思う。
もう一度、ゴンドラが天辺についたその時には――。
遊園地編はこれで終了です。
書いていて気付きましたが、ペアだと私はこの二人が好きですね。
もしくは二ノ宮さんと内倉さんあたりでしょうか。




