13.楠 舞奈との近すぎる距離④
拗ねる小手毬さんをどうにか宥めすかした翌日、僕は放課後になると部室には行かず、屋上へ向かった。教室を出る際に小手毬さんが寂しげな目を向けてきた気がするけど、昨日は「分かった」って言ってたよな……。本当に大丈夫なのか……?
どうにも不安だけど、それはともかく今は楠さんだ。
彼女は幼馴染の金名と登下校しているのだが、金名は放課後になると不特定多数の女子に声をかけながらフラフラしているので、この屋上で楠さんが一人で待っている。というのは、僕も含めたB組一同の知るところである。
楠さん、ちょっと健気すぎない? 軽くギャルっぽい見た目だし、言動は軽い感じだけど、中身は意外に乙女なんだよな、彼女。
階段を上り、扉に手をかける。
錆びた蝶番の不快な音に少しだけ顔を顰めていると、目の前に薄っすらと赤みが差した風景が広がった。階段の暗がりに慣れた目に、沈みかけた日の光が染みる。
開放感のある空間に身を投げて周囲を見渡してみるけど、目当てだった楠さんの姿は見当たらない。
ここにいるって噂だったけど、毎日いるわけじゃないのか? そう思って僕が扉の方へ引き返そうとした時、不意に気だるそうな女性の声が聞こえてきた。
「あれー、真壁くんじゃん。どしたの、こんなとこで? 放課後は小手毬ちゃんと、よろしくやってるんじゃなかったっけ?」
声の聞こえた方を見ると、塔屋の陰から楠さんが歩み出てきたところだった。
緩いパーマのかかった茶髪と、やりすぎない程度にバッチリ決めたメイク。そして、あまりやる気の感じられない表情は、まさしく僕が毎日教室で見ている、普段の彼女と同じ姿だ。
「別に、僕だって一人になりたい時はあるよ。そういう楠さんは?」
嘘だけど。小手毬さんを一人にするなんて、気が気じゃない。
今だって彼女の下に駆けつけて撫で回したい衝動と、必死に戦っているのだ。
そんな嘘吐きな僕に、楠さんはダルそうな表情で答える。
「んー、京介待ってる。ていうか、みんな知ってるんじゃないの? 私がいつも、ここでアイツを待ってるって」
「あ、そういえばそうだったね。忘れてたよ」
僕はわざとらしく「あはは」と笑って見せる。明らかに胡散臭いだろうけど、彼女の性格ならそこを追求してくることはないはずだ。
楠さんは決して人付き合いの苦手なタイプではないが、基本的に金名とそれ以外で興味の向け方が全く違う。他の好き嫌いとは別に、金名のことだけは優先順位を明確に高く設定しているということだろう。
だから金名を待つのに飽きたりしないし、金名のことで周囲から誤解を受けていても、わざわざ訂正して回ったりしない。
「金名って、この時間はいつも何やってるの?」
「知らなーい。多分その辺の女の子に、声かけてるんじゃない?」
僕が質問すると、楠さんは投げやりな声で答えた。
よくよく観察してみれば、その眉が少し吊り上がっていることが分かる。
これは興味がないというより、話したくないって感じだな。
「楠さんを待たせて他の女の子に声かけるって、よく考えると結構アレだね」
「んー? まあ、私が勝手に待ってるだけだし」
「あ、約束してるわけじゃないんだ?」
僕がそう聞くと、楠さんはコクリと頷いた。
なるほど。金名が女子を追いかけてるのは気に食わないけど、それを他の人間から悪く言われるのも嫌、って感じだな。楠さん自身が金名に文句を言わないのは、自分がただの幼馴染だからか?
簡単な会話しかしていないけど、多少は見えてくるものがあるな。
僕が分析をしていると、楠さんはジト目を向けてくる。
「真壁くん、本当は何しに来たわけ? 見ての通りここには私がいるから、一人になりたいなら他のとこ行った方がいいよ?」
遠回しに「どっか行け」と言われてしまった。
まあ、あまり彼女にとって楽しい話題を提供できてないし、仕方ないか。
探りを入れるのはこのくらいにして、後はコミュニケーションを深めよう。
「まあまあ。本当に一人になりたかったっていうより、何となく『いつも通り』じゃないことがしたかっただけなんだ。せっかくだし、楠さんが嫌じゃなければ話し相手になってくれないかな?」
僕の言葉を聞いた楠さんが、横目でチラリとこちらを見てくる。
うーん、ちょっと嫌そう。これが楠さんじゃなくて小手毬さんだったら、この視線だけで僕は即死してたね。
しかし相手は楠さんだ。僕の予想が正しければ、彼女は僕を拒絶しないだろう。
その予想を裏付けるように、彼女は小さく嘆息してから呟いた。
「ま、いいけど……。好きにすれば?」
ほらね。彼女は拒絶するほど、僕に興味なんて持っていないんだ。自分で言ってて悲しくなってくるけど、実際にそうなんだから仕方ないだろう。
とはいえ、ここからが恋愛相談部の部長としての、腕の見せ所だ。
「じゃあ、ちょっと話に付き合ってもらおうかな」
そう前置きを置いてから、僕は楠さんに向かって話し始めた。
そして数十分後――。
「って感じでさー。京介のヤツ、ホントにいい加減で」
「あはは、それは大変だったね」
僕と楠さんは、最初の雰囲気が嘘のように、楽しく会話をしていた。
小手毬さんのように分かりやすくはないけど、楠さんも少し笑顔を見せている。
「あー、喉乾いたぁ。京介以外とこんなに喋ったの、すっごい久しぶりかも」
そう言いながら、楠さんは会った時から手に持っていた、イチゴミルクのストローを口に咥える。元からあまり中身が残っていなかったようで、少し飲んだあたりでズズっと音をさせて不満げな表情になった。
「あれー、無くなっちゃったか。いつもなら京介が来るまでに、無くなるかどうかってとこなんだけど」
さっきから話してる途中で、ちょくちょく飲んでたからね。そりゃあ一人で飲んでる時と比べて、無くなるのも早いだろう。
「いつもそれ飲んでるの?」
「ん? そーそー。前に京介が『お土産だ!』って買ってきてくれてさ。それ以来、何となく気に入っちゃって」
素っ気ない口調の楠さんだが、どこか嬉しそうな雰囲気を滲ませている。
これぞ僕が彼女との会話を盛り上げた、必勝テクニックという奴だ。
まず楠さんと会話をする際、どこかしらに金名に繋がる話題を散りばめる。
すると彼女は確実に食い付くので、それをずっと続けていけばいい。
この時に注意しないといけないのは、楠さんが金名の愚痴や悪口を言っても、こちらは金名を貶めてはいけないということだ。さっきの場合も、僕は「大変だったね」と彼女の苦労を労わったけど、あそこで「金名って酷い奴だね」などと言うのはNGだ。そんなことをしたら、確実に楠さんの機嫌が悪くなる。
おそらく彼女の中では、「迷惑を被っている自分が京介の悪口を言うのは良いけど、他の人が言うのは嫌だ」という基準があるのだろう。
「へえ、思い出の味ってやつだね」
「んー。ま、そんなとこかな?」
ちなみにイチゴミルクの件、僕は以前から知っていた。
何故ならこの幼馴染たちの情報は、例のノートに記録されているからだ。
楠さんも金名も、別に特別モテるというわけではない。容姿自体は揃って悪くないんだけど、二人の仲が良いので割って入ろうとはだれも思わないのだ。
ではどうしてノートに載っているのかといえば、まさしく今のような状況で二人の関係が拗れることを、僕が以前から予想していたからに他ならない。
いずれ発生するであろう相談に備えて、情報取集をしていたということだ。
「おっと、もうこんな時間か。そろそろ帰るよ」
話の切れ目でスマホを確認すると、予定の時間が近くなっていた。
そろそろこの場を離れないと、面倒なことになりそうだ。
僕の言葉を聞いて、楠さんも自分のスマホで時間を確認した。
「ホントだ。もうすぐ京介が来るかな」
うん、知ってる。だから一刻も早く、この場を離れたいんだ。
まあ普段通りなら、金名がここに来るまで五分近く残っているから、すぐに帰れば鉢合わせる可能性は低いだろうけど。
「それじゃあ、また機会があったら付き合ってよ」
「んー。まあ、暇だったらいいよ」
相変わらずダルそうな雰囲気だが、楠さんは特に嫌がる様子は見せず、ゆるゆると手を振って僕を見送ってくれる。
予定通り、彼女との距離を縮めることに成功したようだ。
上々な結果に満足した僕は、部室には寄らずそのまま帰宅した。
その結果――。
「真壁くん。あなた、健気な小手毬ちゃんを放置するなんて、鬼畜ね!」
「ええ……?」
翌日、涙目の小手毬さんと一緒にいるクラスメイトから、鬼畜呼ばわりされる羽目になってしまったのだった。