135.信楽 里利は恋を知る⑦
鴨川先輩による部室襲来から早数日、ついに遊園地に行く日がやってきた。
恐怖の大魔王こと鴨川先輩は、鳶田兄妹や柔道部の元主将と一緒に、僕らとは一日ずらして日曜日に行く予定らしい。
同じ日に行って園内で出くわすようだと、主に茅ヶ原先生が門脇とのデートを気軽に楽しめないだろうから、別の日で良かったと思う。
あくまで偶然だと思いたいんだけど、鴨川先輩のことだから先生の事情も知っていた上で、気を遣っている可能性も否定できないんだよな……。別に誰にとっても不都合はないんだから、あまり気にしなくてもいいか。
そんな事を考えながら、まさにデート日和の空を見上げた。
「うむ、今日も晴れの日」
「なんだそりゃ? まあ天気がいいのは、ありがたいけどよ」
僕がなんとなく呟いた言葉に、呆れた顔でツッコミを入れる簗木。
本当に何気なく口にしただけなので、意味を求められても困る。
今いるのは、遊園地の入場ゲート前だ。
時刻は開園して少し経った辺りで、家族連れやカップルとおぼしき男女が楽しそうに園内に入っていく様子が窺える。
水澤先輩の相談の時もそうだったけど、僕と簗木は電車に乗る時の最寄り駅が同じなので、今日もこうして一緒に来ていた。
ちなみに毎朝五時から簗木家の前にいるという都市伝説のような後輩も、流石にデートの日は出没しないらしい。まあデート前に彼氏の実家で朝食を貰ったり身支度するのって、かなりクレイジーだもんな。デート前じゃなくても、ちょっとアレだとは思うけど。
「それにしても、お前と信楽が一緒に出かける日が来るとは思わなかったぜ」
「まあ、それは僕も同感だよ」
「しかも、ここ数日は普通に信楽と会話してたよな。いつの間に仲良くなったんだ? つーか、そもそも何であんなに目の敵にされてたんだ?」
「何でだろうなあ……」
正直、目の敵にされていた理由は何となく分かる。
彼女も僕と同じで――あくまで信楽さんの方は友人としてだけど小手毬さんのことが大好きで、だからこそ彼女と恋人関係になった僕が気に入らなかったはずだ。
小手毬さんが恋愛相談部に入部するまでは、間違いなく信楽さんが彼女と一番仲の良い相手だったのに、入部後は入り浸りになってしまったせいで二人で過ごす時間が減ったのも理由の一つだろう。
では最近になって、急に彼女の態度が軟化した理由は何かと言えば――正直、全く分からない。
確かに彼女が恋愛相談部の部室に来たことで、今までにないくらいに会話の機会が持てたと思う。それまでは言われて言い返して、それで終わりという感じだったから、相互理解は多少深まったのではないだろうか。
かと言って、あそこまで急に普通の態度を取られるほどの、特別な切っ掛けがあったかと聞かれると……分からないとしか言い様がない。
それでも僕と信楽さんがいがみ合わないことで、小手毬さんは凄く喜んでいるみたいだから、それでいいと満足しておくべきだろうか。
そうして簗木と話すこと数分――唐突に背後から脇の下を通るように両腕を差し込まれ、そのままギュッと抱き締められた。
「おっと」
「えへへ……だーれだ?」
朝から昇天してしまいそうな甘い声が耳に届き、背中には慣れ親しんだ柔らかい感触が与えられる。そこに嗅ぎ慣れた香りも加われば、僕を抱き締めている相手が誰かなど、悩むまでもなく明白である。
「可愛い小手毬さんかな」
「えっと……可愛いかは分かんないけど、うん、私だよ」
これまで散々、僕に「可愛い」とか「愛らしい」とか言われているだろうに、相変わらず恥ずかしそうにしながら、小手毬さんは僕の体からそっと手を離した。
自由になったので振り向いてみれば、やはりそこには愛くるしさ天下一の小手毬さんがいて、困ったような笑顔で僕を見上げている。
「なんだ、やっぱり可愛いじゃないか」
「も、もういいから……! おはよう、真壁くん♪」
「うん。おはよう、小手毬さん」
口では「もういい」なんて言いつつ、幸せそうに笑う小手毬さんである。
この笑顔を見ただけで、「今日も生きていて良かった」と感じさせられる。
「付き合う前も大概だったけど、今は本当にアレだな、お前ら……」
「というか、そこは目を隠すんじゃないのね……」
簗木以外にも呆れた声が聞こえてきたと思ったら、信楽さんもすぐ近くにいた。
どうやら小手毬さんと一緒に、ここまで来たようだ。
小手毬さんが朝から可愛すぎるせいで、少し気付くのが遅れてしまった。
うん、僕は悪くないな。
「おはよう、信楽さん。今日はよろしくね」
「ええ、おはよ」
多少素っ気ないながらも、普通の態度で挨拶を返してくれる信楽さん。
ここで「朝から往来で何をデレデレしてるのよ、みっともない」くらい言ってくれると、僕としては気が楽なんだけど。
それにしても信楽さんの私服姿というのは、初めて見た。
何となく動きやすいパンツルックで来るかと思っていたんだけど、小手毬さんに合わせたのか長めのスカートだった。
全体的に暖色寄りの小手毬さんに対して、信楽さんの方はモノトーン寄りだ。
うん、これはなかなか……。
「信楽さんの私服も可愛いね」
「なっ、何よいきなり……私を褒めるより、小手毬ちゃんを褒めてあげなさいよ」
お、今の返しは少しいい感じだったな。
前の切れ味に比べたら、ペーパーナイフくらいのレベルだけど。
「小手毬さんだって、ちゃんと褒めたじゃないか。他の女子は彼氏なりが褒めてあげるだろうから、信楽さんは僕が代表ってことで勘弁してよ」
「なに、同情で言ってるってこと? そんなの余計なお世話よ」
今度は子供包丁くらいの切れ味だろうか。
ただ、少し発言の意図を誤解されているような気もする。
「いや、そうじゃなくて普通に可愛いとは思ってるよ。でも親しくないと、そういうのって男の方からは言いづらいし」
「そ、その言い方だと、私と真壁くんが親しいみたいじゃないの……!?」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
別に信楽さんと親しかったところで、僕に不都合なんてないんだけど。
むしろ小手毬さんが嬉しそうにしてくれるので、どちらかと言えば好都合……なはずなのに、向こうから親しげにされると落ち着かないのは、因果なものである。
「もう、里利ちゃんってば。別にいいでしょ、真壁くんと仲良くても。それに今日の里利ちゃん、本当に可愛いよ?」
「こ、小手毬ちゃんの方が可愛いわよ」
呆れ顔の小手毬さんと、少し慌てた様子の信楽さん。
この二人にしては、なかなか珍しい光景だった。
さて、これで残るは先生たちと……影戌後輩だな。
先生は門脇を乗せて車で来るらしいけど、影戌後輩は少し遅い。
小手毬さんたちと同じ電車に乗っていなかったのなら、割とギリギリになるかもしれない――と思っていたら、いきなり簗木が大きな声を上げた。
「おわっ!?」
「ど、どうした簗木?」
驚いて振り返ると、簗木の横腹あたりから突き出された両腕がそのまま正面に回り……長さが足りずに、抱き締め損ねたような状態になっていた。
「……流石は篤先輩です。逞しくて、私の貧弱な身体では腕が回りませんね」
「ち、知麻か……驚かせるなよ」
簗木の言葉通り、小手毬さんの真似をして後ろから抱き付こうとしていた影戌後輩が、諦めて背後から出てきた。
「いえ、篤先輩は意外と甘えられたがりですから、喜ぶかと思いまして」
「……まあ悪い気はしねえな」
「ですよね。むふふ……」
表情はあまり変わらないながらも、隠し切れない嬉しさを全身から滲ませる影戌後輩。
「前に教室で落ち込んでたのも意外だったけど……影戌さんの前だと、こんな感じになるのね」
簗木まで恋人とイチャつき始めたのを見て、信楽さんが再び呆れ顔を浮かべたけど、二人がここまで堂々と振る舞うようになったのは、割と最近の話だ。
よく考えなくても、彼氏の実家に毎朝押しかける方が、よほど凄いと思うんだけど。
「まあ、簗木だって普通の男子高校生だからね。大目に見てやってよ」
「分かってるわよ。好きな相手と一緒にいるんだから、そういうものなんでしょ?」
「そうそう……うん?」
何だろう……常識的なことを言っているはずなのに、今の信楽さんの発言には妙な違和感があった。
僕がその違和感の正体に辿り着く前に、小手毬さんが影戌後輩に声をかけた。
「知麻ちゃん。私たちと同じ電車に乗ってたの? 全然見かけなかったけど」
「いえ、実は駅に向かう途中で先生に会いまして。ここまで乗せていただきました」
言われて辺りを見回してみれば、駐車場の方角から並んで歩いてくる茅ヶ原先生と門脇の姿が見えた。
僕らの前まで来た先生は、簗木の横に立つ影戌後輩を見て苦笑いをこぼす。
「影戌さんったら、小手毬さんが真壁くんに抱き付いてるのを見た途端に、『私もやります!』って走り出して……」
「当然です。私と篤先輩が、真壁先輩ごときに後れを取るわけにはいきませんので」
「誰が『ごとき』だ、誰が」
いつも通りの生意気な後輩に文句を言いつつ、何故か安心感を覚える。
信楽さんが妙に大人しいので、影戌後輩の平常運転は気楽でいいな。腹が立たないかどうかは、また別の話だけど。
「あ、そうだ真壁くん。さっき言い忘れてたんだけど」
「うん? どうしたの、信楽さん?」
ようやく全員が揃ったところで、信楽さんが改まって声をかけてきた。
何か言われるべき事があっただろうか、と首を捻る僕に向けて、彼女は微かに微笑んで――。
「――今日はよろしくね?」
そんな柔らかい言葉を口にしたのだった。
次回は小手毬ちゃん視点です。




