11.楠 舞奈との近すぎる距離②
事の起こりは、普段通りの平和な部室でのひと時にあった。
その日の僕はいつも通り最高に美味しい小手毬さんのコーヒーを飲みながら、いつも通り最高に愛らしい小手毬さんの秘書のような振る舞いを堪能していた。
いずれスーツ姿を見てみたいものだが、持ってきたら着てくれるかな……。ちなみに僕は、圧倒的にパンツルック派である。
「今日はフィナンシェ焼いてきたんだけど、どうかな? 真壁くん」
「最高」
小手毬さんの質問に、僕は秒で即答した。
もちろん今食べてるフィナンシェも最高だが、本当に最高なのは小手毬さん自身である。可愛くて、コーヒーもお菓子も美味しいんだぞ? 他に何が必要だというのか。
「建山くんの件が終わって、何だかゆったりしてるねえ」
小手毬さんがふにゃっと笑いながら言った通り、建山と小野寺さんが無事に仲良くなって以降、特に恋愛相談は持ちかけられていない。
余談だが建山たちは今度、簗木のお姉さんである佐紀さんと会うらしい。何故か小野寺さんが熱望したとかで、建山が簗木に直接頼みに行ったようだ。「神との対話」とか言ってたけど、彼らはどこに行こうとしているのだろう……。
まあ、無事に二人が仲良くなれたようで、安心する限りだ。
これで前部長である先輩にも、顔向けができるというものである。
しばらくは、こうして小手毬さんと二人きりの時間を過ごすのもいいかもな。
などと思っていたら、お約束のように扉が開かれた。って、ノックくらいしろよ。
「ちわーっす。恋愛相談やってるのって、ここでいいっすか?」
軽薄そうな挨拶と共に踏み入ってきたのは、これまた軽薄そうな容姿の男子生徒だった。派手すぎではないが茶髪にピアスと、ここに来た人間の中では過去最高にチャラい。
「恋愛相談部は、うちだけど」
「あ、そうなの? えーっと、ちょっと相談に乗ってほしいんだけど」
にやけ顔で言う男子生徒。
相談には乗るが、まずそのチャラいオーラをどうにかしろ。見ろ、小手毬さんを。さっきから僕の後ろに隠れて、制服の袖を不安そうに掴んでるんだぞ。……良くやった!
などと意味不明な発言を胸中で繰り広げていた僕だけど、ふと目の前のチャラ男に見覚えがあることに気付いた。
「あ、えっと、確か金名だったか?」
僕が男子生徒――金名 京介の名前を呼ぶと、彼の方も僕のことに気付いたらしい。
「お? あー、なんか俺も見たことあるかも。えーっと、あれだよね。隣のクラスの……あれだ」
「……真壁だ」
どう見ても思い出せる様子ではなかったので、僕は自分から名乗ることにした。別に金名に覚えられていなくても、何とも思わないが。
彼は2ーAに所属する生徒で、B組の僕らとは合同授業なんかで一緒になる機会がある。まあ、こっちはそれ以外にも、彼のことを知っている理由があるんだけど。
「おー。そうそう、真壁くんな!」
「ああ、よろしく」
僕の名乗りを聞いた金名は、嬉しそうに破顔した。
金名が手を伸ばしてきたので掴んでやると、そのままブンブンと縦に振られた。何というか、距離感の近い奴だな。
そのまま金名は、僕の後ろに隠れたままの小手毬さんに目を向ける。
「そっちは確か小手毬ちゃんだったよね。俺、金名 京介。京介でいいよ!」
「あ、うん。小手毬です。よろしく、金名くん」
流石に小手毬さんは男子を気軽に名前で呼べず、金名は「たっはー」と大して残念でもなさそうな顔をする。
というか、小手毬さんの名前は覚えてるのかよ。見た目に違わぬチャラさだな……。だが小手毬さんから目が離せないのは、僕にも理解できる。
「それで、金名はどんな相談がしたいんだ?」
小手毬さんに夢中なのは理解できるが、看過はできない。僕は二人の接触を最低限にするべく、金名に相談を促した。
「おお、そうそう。真壁くん、あの小野寺さんと建山くん……だっけ? あの二人をくっつけたらしいじゃん」
「僕は仲良くなれる切っ掛けを作っただけで、付き合えるかどうかは、この後の二人次第だけどな」
僕が敢えて冷たく言うと、金名は全く気にしない様子でカラカラと笑う。
「それで十分だって。俺もお近づきになれるように、協力してくれない?」
「誰と?」
「鴨川先輩」
金名の返答を聞いて、僕は思わず顔をしかめた。
鴨川先輩といえば、前回の建山の相談でも軽く名前が出てきた、三年の有名人だ。モテる人なのは間違いないので、彼女に関する恋愛相談があっても、別に不思議ではないんだけど……。
「金名って、楠さんとは付き合ってないんだっけ?」
僕の質問に、金名は慣れた様子でヘラヘラと笑いながら返してくる。
「付き合ってないよ。マイはただの幼馴染。皆にそう言ってるんだけど、よく勘違いされるんだよね」
その言い方は、心底面倒そうだった。
とはいえ嫌悪感はないので、楠さんに思うところがあるのではなく、彼女と恋人関係だと誤解されることに辟易しているのだろう。
楠さんというのは、僕や小手毬さんと同じクラスの女子生徒、楠 舞奈さんのことだ。
金名とは幼馴染の関係というのは有名で、家も隣同士で仲が良いらしい。らしいというか、普通にお互いの教室に顔を出しているので、見ていれば気の置けない関係なのはすぐに分かる。
合同授業なんかでも普通に二人で組んでいるので、まあ彼氏彼女として見られるのも、不思議ではないだろう。
金名の様子を見る限りでは、本当にそういう関係ではないようだが……。
だけど僕は、二人の関係が本当に言葉通りのものなのか、疑いを持っていた。
「金名。鴨川先輩と面識はあるか?」
「うーん。すれ違ったことはあるけど、話したことはないかな」
気楽そうに言う金名に、僕は溜め息を吐いた。
「建山が小野寺さんと上手くいったのは、二人に共通点があったからだ。何の関係もない金名と鴨川先輩をくっつけるのは、僕も自信はないぞ」
「マジ? つーか、あの二人に共通点なんてあったんだ」
僕の説明を聞いた金名は、大して悩んでいそうもない顔で考えた後、口を開いた。
「まあ、いいや。ダメ元でいいからさ。やってみてよ、真壁くん」
「……鴨川先輩のこと、好きなんだよな?」
「おお、好き好き。だって美人じゃん?」
何の真剣味もない言葉に、思わず閉口してしまった。
小手毬さんに掴まれていたはずの制服も、いつの間にか引っ張られる感じがしなくなっていた。おそらく金名の緩すぎる態度に、小手毬さんも毒気が抜かれたのだろう。小手毬さんに毒などないが。
……あまり気は進まないけど、好きになる理由なんて人それぞれか。
「まあ、やるだけやってみる。色々と考えておくから、期待しないで待ってろ」
僕は明らかにやる気なさげに言ったが、金名はそんなことは気にも留めずに、嬉しそうに笑った。
「マジで? ありがとー。さっすが真壁くんだわ。じゃあ、俺帰るから。よろしくねー」
そう言うと金名は、こっちの返事も待たずにさっさと部室を出ていった。最初から最後まで、とにかく軽薄な奴だった。
取り残された僕と小手毬さんは、顔を見合わせた。僕は溜め息を吐き、小手毬さんは同情したような表情で僕を癒してくれる。
何だか無償に小手毬さんを抱き締めて、そのまま撫で回したい気分だった。