116.鴨川 星に捧げる真実の愛①/鳶田くんは決心する
麗しの女神こと鴨川先輩とのデート――いや、まあ見栄を張らずに言えばお出かけだな。そんな一大イベントが決まってからというもの、俺は真剣に部活に打ち込みながらも、どこか気もそぞろになる日々を過ごしていた。
完全に気を抜いているつもりはないとはいえ、そんな態度で練習をしていれば生真面目な簗木に怒られそうなものだが、最近は何故か簗木の方がどちらかと言えば上の空になっていて、うっかり練習中に俺に投げられそうになるくらいだった。
咄嗟に踏ん張って耐えられたので、簗木から初めての一本を取るには至らなかったが……あの心身共に堅物の筋肉バカが多少気の抜けた俺に負けそうになったということは、相当調子を崩しているのだと予想される。
「おい簗木。お前どっか調子でも悪いのか?」
なので、こうして練習の合間に話を聞いてやることにした。
俺とよく組んでいる簗木の調子が悪いと、こっちの練習まで捗らないからな。
べ、別に自分の練習のためであって、簗木が心配なわけじゃないぞ……!
「あ? 何がだよ。別に調子なんて悪くねえぞ」
しかし数日悩んで声をかけた簗木は、元通りの無骨なゴリラになっていた。
少し前までは腑抜けた感じで、練習中に知麻ちゃんの方をチラチラと見ていたというのに、今日はすっかり見慣れた仏頂面に戻っている。まあ悩んでいる時期でも、辛気臭い仏頂面だったことに変わりはないんだが。
それはいいとして、少しばかり予想外の展開だ。てっきりまだ簗木が悩んでいるものだとばかり思い込んで、気合を入れて声をかけたというのに……。
これだと俺が簗木を心配するあまりに、空回りしているアホみたいじゃねえか。
「いや……何かこの間までは調子悪そうだと思ってたんだが……よく見ると今はそうでもないな。悪い、勘違いだったみたいだ」
「あー……そういう事か」
俺の話を聞いた簗木は、怪訝な顔を一転させてバツの悪そうな顔を見せた。
よく分からないが、調子が悪そうだったのは勘違いじゃないってことか?
まあ、そうでもないと簗木が俺に投げられそうになるなんて、なかなか説明が付かないよな。自分で言ってて悲しくなってくるが。
「まあ……勘違いじゃねえよ。まさかお前にバレるとは思わなかったが」
気まずそうに俺から目を逸らしながら、簗木は小さく呟いた。
目の前にいるゴリラがここまで自信なさげなのは珍しいし、今も「勘違いじゃない」と言っていたから、要するに悩んでいたのは間違いじゃないということか。
それならそれで、やはり相談に乗ってやろうと思い直した俺が声をかける前に、横から別の声がかけられた。
「あの……篤先輩、お疲れ様です。これ、どうぞ」
おずおずと声をかけてきたのは、簗木の恋人であり専属マネージャーを自称する知麻ちゃんだ。
俺と簗木が話しているのを見て、練習が小休止に入ったと思ったんだろう。
マネージャーとして来る時はいつも持っているドリンクボトルを、どことなく気恥ずかしげな様子で簗木に差し出している。
いつもなら(失礼ながら)懐いた犬みたいな感じで嬉しそうに差し出していたと思うんだが、今日の態度は少し違和感があるな……。
もしかしたら簗木が不調だった原因は、知麻ちゃんにあるのかもしれない。
「あ、ああ……いつもありがとな、知麻」
「いえ……私が好きでやってる事ですから」
「そ、そうか……」
……いや、これはもう確実に知麻ちゃんが原因だろ。
以前の簗木なら「おう」とか「悪いな」なんて言いながら、ぶっきらぼうな感じで知麻ちゃんのドリンクを受け取って、他の部員から嫉妬の視線を集めていたはずだ。
しかし今の簗木は優しく礼を口にしたり、知麻ちゃんもはにかんだ笑顔でそれに応えたりして、以前よりも嫉妬の視線が強まっている。結局、嫉妬されちゃうのかよ。
「あ、それと……鳶田先輩も、よろしければどうぞ」
「……ふぁい!?」
いきなり話しかけられるとは思っていなくて、変な声が出てしまった。
だってそうだろう。知麻ちゃんと言えば、彼氏である簗木の専属マネージャーを謳って、本当に簗木の世話しかしない鋼のようなメンタルの持ち主だ。
休憩中の簗木にドリンクを差し出すのは今まで何度も見た光景だが、俺にまでドリンクをくれたのは入部してから初めてのことだろう。
以前の俺なら「実は簗木に飽きて、俺に気があるのでは」と勘違いしていたかもしれないが、今はそんな思い上がりなんてあり得ない。
だって知麻ちゃんがくれたドリンク、俺の方はお茶のペットボトルに詰め替えただけのヤツだし……愛用のドリンクボトルを手渡した簗木との差は歴然だった。
まあ、おそらく彼女も悪気があってペットボトルを俺に寄越したわけではないだろう。他のマネージャーが渡してくれるのも同じペットボトル入りのドリンクで、単に簗木だけが知麻ちゃんから特別扱いされているというだけだ。
だから簗木との扱いに差があったとしても、何も手渡してもらえなかった以前と比べたら遥かに嬉しい。
「おお……ありがとう、ち……影戌さん」
「いえ……これでもマネージャーですので」
あっぶねえ……この空気で「知麻ちゃん」なんて呼んだら、簗木に何を言われるか分かったものじゃない。
どうも以前とは二人の雰囲気が変わっているが、別に仲が悪くなったわけではなく、むしろ恋人らしい微妙な距離感が出来ているように思える。
この辺りで、ようやく俺も察した。
おそらく簗木が不調だった原因は知麻ちゃんとの関係で、それが解決した結果、こうして仲睦まじいカップルみたいな二人になったのだと。
簗木の悩みが解決しているのは結構なことだが、この無愛想な男が一体どうやって、ここまで彼女との距離を縮めたのだろうか?
「な、なあ簗木。お前と影戌さん、何か雰囲気が違わねえか?」
「……そこまで分かんのかよ。意外と人のこと見てんだな」
知麻ちゃんが他の部員の世話を焼きに行ったので、何となく声を潜めて簗木に問いかけると、遠回しに俺の質問を肯定するような言葉が返ってきた。
簗木はまるで意外みたいな口振りだが、以前の知麻ちゃんは俺だけでなく簗木以外の全部員に興味がなかったので、その変化は一目瞭然だ。
この無愛想なゴリラが実は恋愛巧者だったのかしれないし、それとも誰かの入れ知恵があって上手く行ったのかもしれない。
どちらにしろ鴨川先輩とのお出かけで失敗したくない俺にとって、何か有益な情報があるのなら、是非とも知っておきたかった。
未だに視線を横に向けている簗木は気付いていないようだが、今の俺はまさに藁にも縋るような顔をしていることだろう。
そんな俺に告げられたのは、色々な意味で気が遠くなるような答えだった。
「まあ、ちょっと真壁のヤツに相談してな……」
「ま、真壁に……?」
あの鬼畜眼鏡に恋愛の相談……?
想像しただけで物理的に気が遠くなってくるし、仮に本当に頼りになるとしても、アイツが俺の相談に乗ってくれるかと考えると別の意味でも気が遠くなる。
え、ていうか知麻ちゃん、真壁に寝取られたんじゃ……?
一瞬、本気で心配になったが、どう見ても彼女は目の前のゴリラとラブラブだから、本当に真壁が上手く二人を進展させたのだろうか。
正直、「恋愛相談部」というのは世を忍ぶ仮の姿で、その実態は真壁が女を侍らせる鬼畜の巣窟だと、三割くらい本気で思っていたんだが……。噂か何かで、あの部室が「鬼畜魔城」とか呼ばれてるのを聞いたこともあるし。
「ちょっとお兄ちゃん、いつまで休憩してんの?」
考えを巡らせる俺の耳に、聞き慣れた声が届いた。
振り向いてみれば、不機嫌そうな妹の顔が目に入る。
「水分補給ならいいけど、あんまりお喋りしてたらダメでしょ。ほら、飲み終わったなら、それ寄越して」
「ああ……悪いな、望」
普段は部活中に声をかけてくる事など滅多にない妹だが、俺が簗木と話し込んでいるのを見て注意をしに来たようだ。
しっかり者の妹は、俺の持っていたペットボトルを回収すると、そのまま簗木の方にも声をかけた。
「はい、ゴリポン先輩も。知麻っちには、私から返しときますから」
ゴリポン先輩って何だよと一瞬思ったが、まあ状況的に簗木のことだろう。
相変わらず、うちの妹のネーミングセンスは微妙だった。
「すまん、望。任せていいか?」
「はいはい、お任せあれー♪」
簗木が知麻ちゃんから渡されていたドリンクボトルを差し出すと、妹はご機嫌な様子でそれを受け取る。
社交的な性格の妹がこういう態度を取るのは理解できるんだが、簗木が妹のことを下の名前で呼んでいるのが、少し意外だった。
これなら俺が知麻ちゃんのことを名前で呼んでも大丈夫なのでは……? いや、流石に彼女と妹を同列に語るのはマズいか。
「それじゃゴリポン先輩、引き続き練習頑張って下さいね。お兄ちゃんも、たまにはいいとこ見せてよねー」
「おう、ありがとな」
「あ、ああ……」
明らかに俺と簗木への対応に差がある妹を、何とも言えない気分で見送る。
まあ、高校生の兄妹なんて普通なら、こんなものなのかもしれない。
以前の妹はお兄ちゃんっ子で、俺に対して分かりやすく好意的だったので、その反動で寂しく感じるだけだろう。
それにしても柔道部で顔を合わせる機会があったとはいえ、妹と簗木があんなに親しそうになっているのは、かなり意外だった。
「よし。んじゃ、練習再開するぞ」
「ああ……ところで簗木、ちょっと聞きたいんだが」
「あ? 何だよ。あんま話してると、また妹に怒られるぞ」
怪訝な顔をする簗木だが、すぐに終わる話なので問題ないだろう。
「いや、お前とうちの妹、いつの間にあんな仲良くなったのかと思ってな」
別に不満があるわけではなく、純粋な興味と……予想の裏付けだ。
簗木と知麻ちゃんの距離感の変化、そして妹とも仲良くなっているという事実。
この二つの事象には、おそらくアイツがかかわっている。
簗木は「そんなことか」と、拍子抜けしたような態度で答えた。
「真壁のとこで世話になったんだよ。お前の妹にも、ずいぶん助けられちまったな」
「そうか……」
やはり真壁か……妹が「恋愛相談部に入った」と言っていたのは覚えているが、あの時は真壁に誑かされたものだとばかり思って、うっかり失神していた。……失神って、うっかりしていいものじゃないだろ。
「聞きたいのは、それだけか?」
「ああ、悪かったな。練習しようぜ」
一つの決意をした俺は、とりあえず練習を再開することにした。
道場で話すようなことではないし、妹も部活中は俺とあまり絡みたくないだろう。
話を持ちかけるのは、家に帰ってからだ。
恋愛相談部について、まずは妹に話を聞いてみよう。
「鬼畜魔城」とか言い出したのは、もちろんNさんです。
それとぼちぼちお知らせしますが、あと恋愛相談2件+αで本編終了します。




