114.簗木家長女・佐紀さんの弟カップル観察記録
最近、うちの弟の様子がおかしい。
少し前にも、彼女である知麻ちゃんに対して妙に優しい態度を見せていたりしたから、きっとあの子と何かがあったんだろうと思う。
仲良し姉弟と明言できるほどの関係ではないとはいえ、相談されたら乗ってやるくらいの情はあるけど、まあ弟にはそういうのに滅法強い友達(意味深)がいるから、私にお鉢が回ってくることはないだろう。
それとも恋愛相談された眼鏡くんが自分の気持ちに気付いて、信頼しきって油断した篤に迫るとか……?
『不器用で奥手なお前に、恋愛のイロハを教えてやるよ……ただし男同士のな』
『ま、待て……俺には知麻が……!?』
『まあまあ、気にするなって。ふーん、筋肉以外も立派なもんだな』
なんて……ぐへへ。
やっぱり弟と眼鏡くんの組み合わせは捗るわね……今日もご飯が美味しいわ。
二人とも彼女が出来ちゃったのが残念だけど、実は両想いでお互いに彼女を作って自分の気持ちを誤魔化しているとか……それは流石に知麻ちゃんが可哀想ね。
実の弟とその友達をネタにするのはクレイジーな趣向かもしれないけど、それを言ったら知麻ちゃんだって早朝から彼氏の実家に入り浸るクレイジーな子なんだから、軽めの妄想くらいは許してほしい。
まあ妄想は妄想で、現実の私は知麻ちゃんを妹のように可愛がっているし、いずれ義理の妹になってくれたら嬉しいと思っている。
だから私としては、こうして食卓につきながら落ち着かなそうにしている弟の姿を見ていると、流石に気になるわけで。
「篤……アンタ、知麻ちゃんと何かあったの?」
「は? な、なんもねえよ。いきなり何言い出すんだよ、姉貴」
「不器用か」
キョドりすぎでしょ、うちの弟。
これが中性的な美男子だったら絵になるけど、残念ながらうちの弟は筋肉ムキムキのゴリラ野郎なので、可愛げというものを感じるのはあまりにも困難だ。
私の場合は小さかった頃の、まだムダに図体がデカくなっていなかった篤を知っているから、まあギリギリ可愛く見えなくもないかな……。
「今、うちのお風呂で、知麻ちゃんがシャワー浴びてるんだよねぇ」
「そうだが……何が言いたいんだよ、姉貴?」
私が言った通り、弟の彼女は我が家でシャワーを浴びている。
普通なら色っぽい誤解を招きそうなシチュエーションだけど、実際は篤に付き合って早朝のランニングを済ませた後の汗を流しているだけだったりする。
恋人二人でランニングってのも色気はあるんだけど、どうしても朝五時から待ち構えてる知麻ちゃんがね……ちょっと怖いっていうか。話してみると、少し変わってるだけで普通にいい子だから、私も両親も受け入れちゃってるけど。
「べっつにー? お、噂をすれば……」
「……っ!」
篤と話している間にシャワーを済ませた知麻ちゃんが、リビングに戻ってきた。
それを聞いた篤は、明らかに狼狽えた様子を見せている。
「皆さん、えっと……お待たせしてしまって、すみません」
「お、おう、知麻。全然待ってねえから、気にすんな」
「はい、ありがとうございます……」
篤が顔に似合わない優しい言葉をかけると、知麻ちゃんは恥ずかし気に微笑む。
うーん、改めて見ると……この子って本当に美人だよね。体つきは小さくて小学生みたいなんだけど、とにかく顔の整い方が人形みたいだ。
篤と同様、この子も少し前から雰囲気が変わっていて、篤に全幅の信頼を寄せている感じだったのが、恥じらいや呆れを見せるようになっている。
そのせいで体型の割に、シャワーを浴びた後の姿に色気があって困る。
いや、私は別に困らないし、妹みたいな子が可愛くて嬉しいくらいなんだけど、彼氏の家で家族団欒に混ざる度胸の持ち主だった知麻ちゃんが、こうして年相応の恥じらいを見せるようになったせいで、いつも仏頂面だった弟が年頃の男子みたいに狼狽えているのが何とも言えない気分だ。……って、篤は普通に年頃の男子なんだから、むしろ今が自然なのか。
「そういえば篤、この間言ってたテーブルの買い替えだけど、次の休みに見に行くつもりだから、決まったら模様替えの手伝いよろしくな」
「え、あれ本当に買い替えるのか、親父? 流石に気が早いんじゃねえか?」
「そ、そうですよお義父様。私のために、そこまでしていただくわけには……」
お父さんが何気なく思い付いたようにテーブルの買い替えの話をすると、篤と知麻ちゃんは揃って異を唱え始めた。
そんな二人を見て、お父さんは不思議そうに首を傾げる。
「どうしたんだ二人とも、今更になって……? このテーブルもそこそこ年季が入ってるし、リビングもまだ余裕があるんだから、大きくする分には問題ないじゃないか」
「そ、それはそうだけどよ……わざわざ五人で使えるように買い替えるってのは、ちょっと大袈裟っつーか……」
うーん、私もちゃんと経緯を知っているわけじゃないから断言できないけど、ここに来て二人はようやく普通の恋人らしくなったというか……知麻ちゃんが篤のことを変に持ち上げていたのがなくなって、お互いに距離感を図りかねている感じがするわね。
以前は「憧れの人」って感じで篤に接していた知麻ちゃんと、そんな彼女に気後れして格好付けていた篤が自然な態度になりつつあるから、地に足を付けて恋人関係――その先にある「結婚」というものを意識するようになった……かな?
しかし多少ぎこちないとはいえ、明確に仲が悪くなったわけではないので、その変化が周りに伝わるかは微妙なところだ。
現にお父さんは二人の違和感に気付ていないし、お母さんも不思議そうな顔をして会話に加わろうとしている。
「現に五人で使ってるんだから、別に変えたって良いじゃないの。というか、最近なんか様子が変だけど、もしかして知麻ちゃんと喧嘩でもしてるの?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
お、流石にお母さんは何か変だと気付いたみたい。
まあ今までの篤なら、こういう時は聞かれたことにしか答えなかったからね。
そう思うと、前の篤って割と可愛げなかったな……。
こっちの話に興味がないわけじゃなくて、余計なことを言うのは男らしくないとか、そんな風に思っていたんだろうけど。
篤が口ごもるという我が家では珍しい姿を目にして、母さんはいよいよ二人の仲が心配になったらしい。
申し訳なさそうな顔で知麻ちゃんを見て、小さく頭を下げ始めた。
「もしそうなら、きっと篤が言葉足らずなせいに違いないわ。本当に不器用な子で、ごめんなさいね、知麻ちゃん」
「いえ……まあ言いたいことがあるなら、もっと早めに言っていただきたかったのは事実ですが……」
「お、おい知麻! それは今言わなくてもいいじゃねえか!?」
「おっと、すみません、口が滑りました」
お母さんが頭を下げたので恐縮する知麻ちゃんだったけど、チロリと篤の方に目をやったかと思うと、小さく口角を上げて責めるような言葉を口にした。
今までの知麻ちゃんのイメージからすると意外な言動だけど、別にそれが不快に感じるということはなくて、「この子はこんな表情も出来たんだ」という印象だ。
なんとなく篤のことなら、何でも肯定しそうな雰囲気があったからね。
お母さんたちも知麻ちゃんの変化には驚いたみたいだけど、それが良い意味で砕けた態度だと判断したのか、どことなくホッとしたような顔になった。
「はあー、本当に安心したわ。篤と知麻ちゃんが喧嘩したわけじゃなくて」
「まあねー。でもお母さん、あんまり突っつき過ぎると、お母さんの方が知麻ちゃんに嫌われちゃうよ?」
お皿を洗いながら漏らしたお母さんの呟きに、私はからかうように返した。
朝食が終わった後、篤と知麻ちゃん、それにお父さんはそれぞれ学校と会社に向かって、今は私とお母さんだけが家に残って片付けをしている。
私も大学があるけど、今日は昼前から行けば問題ないので、こうして洗い物の手伝いをして地道にポイントを稼いでいた。
いや、別に簗木家がポイント制ってわけじゃなくて、ただの冗談だけどね。
私に言われた言葉が悔しかったのか、お母さんは不機嫌そうに眉を顰めた。
「分かってるわよ、もう。お父さんにも怒られちゃったしね」
本人の言う通り、お母さんは知麻ちゃんと篤のことを詮索し過ぎだと、朝食後にお父さんから注意されていた。
怒られたというか、「ほどほどにね」と窘められた感じかな。
「でも本当に焦ったのよ……別に知麻ちゃんを追い詰めるつもりはないんだけど、あの二人が別れたりしたら、田所さんのお婆ちゃんたちに何て言えばいいのか……」
「田所さん? なんで、あそこのお婆ちゃんが出てくるの?」
お母さんが言い訳のように口にした言葉に、私は引っかかった。
田所さんといえば、うちの近所に住んでいる元気なお婆ちゃんだ。
私や篤のことも昔から可愛がってくれて、実の祖父母が遠方に住んでいる私たち姉弟にとっては、三人目のお婆ちゃんという感じの人だったりする。
とはいえ、そこまで篤を特別に可愛がっていた印象はないんだけど……。
疑問符を浮かべる私に、お母さんは少し疲れた顔で言った。
「田所さんもそうだけど、この辺のお年寄りって朝から散歩してる人が多いでしょ? だから、うちの前にいる知麻ちゃんのこと知ってる人も多いのよ。あの子って言葉遣いが丁寧だから、最近はお年寄りの間でアイドルみたいな扱いなのよ」
アイドルって……確かに知麻ちゃんは可愛いし、挨拶も出来る子だけど。
いつの間にか、そんな扱いになってたんだ。
「それで皆して、あの子の結婚式を楽しみにしててね……。でも二人とも高校生だし、どうなるかなんて分からないじゃない? 知麻ちゃんは少しアレなところはあるけど良い子だし、出来たら篤とくっついてくれたら嬉しいんだけど……」
そこまで言うとお母さんは、口元に手を当てる仕草をして見せた。
「でも知麻ちゃんには、この事は言わないでね? うちに来てくれたら嬉しいとはいえ、プレッシャーみたいに思われちゃったら嫌だし」
「いや、わざわざ言ったりしないけどさ」
知麻ちゃんのことだから、ご近所さんたちに花嫁姿を期待されていると知ったら、篤のことが嫌になったとしても応えようとしてしまうかもしれない。
……それはそうとして、さっきから気になっている事があるんだけど。
「その……私の花嫁姿とかは、期待されていないの? お婆ちゃんたちに」
うちは昔から近所付き合いは盛んな方だったから、田所さんだけじゃなくて他のお年寄りにも可愛がられていた記憶がある。
年齢で言えば私の方が先に結婚しそうだし、少しは期待されてるんじゃないかなと思ったりしたんだけど……お母さんは何故か怪訝な顔をした後、深い溜め息を吐いた。
「アンタに男っ気がないのは、ご近所さんなら皆知ってるわよ。『いい人できた?』とかなら、たまに聞かれるけどねえ……」
「うそーん」
確かに彼氏はいないけど……私って、ご近所でそんな扱いなの?
なんか最近になって現れた知麻ちゃんの方が、お婆ちゃんたちに可愛がられてない?
「実際のところ、どうなのよ? 今日も遅くなるって言ってたけど」
「いや、今日も大学の友達に呼ばれてるだけ……女の子の」
私が小さな声で言うと、お母さんは再度溜め息を吐く。
ヘイヘイ、溜め息ばかりだと幸せが逃げますぜ……って、私のせいか。
「画面の中のイケメンでも、女の子同士でもいいけど……とりあえず、いい人が見つかったら教えてね?」
「待って!? もうちょっと自分の娘を信じよう!?」
確かに今のところイケメンを見ても、他の男との絡みしか想像できないけど!
とりあえず弟カップルを見習って、私も男を見つけるべきだろうか。
でも今日のところは、また友達の愚痴を聞かされるんだろうなあ……。
割と幸せそうな弟たちと、今夜会う予定の友達の現状を比較して、何とも言えない気分になる私だった。
佐紀さん視点はもう一話あります。




