111.筋肉野郎・簗木 篤の恋愛トレーニング⑤
「つまり真壁といる時みたいに、知麻と接してみればいいってことか?」
僕と影戌後輩が似ているという寝耳に水な評価を得た僕は、続く簗木の言葉を聞いて大いに安心してしまった。
危なかった……。万が一、「じゃあ真壁にも知麻みたいに接してみるか?」なんて言われた日には、刺し違えてでもコイツを倒さなければいけなくなるところだった。
佐紀さんと小野寺さんは大喜びだろうけど、僕には何の得もない展開だ。
「そうですねー。そのくらい気楽な感じでいった方が、知麻っちもゴリポン先輩に冗談とか言い易くなるんじゃないですか?」
「男の子と女の子だと、ちょっと勝手が違うかもしれないけどね。あんまり乱暴な言い方だと、知麻ちゃんが怖がりそうだし」
「その辺はアドリブですね。ゴリポン先輩が苦手そうなヤツです」
「お前……いや、否定はしねえけどよ」
鳶田後輩の容赦ない言葉に、簗木は何も言い返せないでいた。
今日は影戌後輩がいないから、あまり厳しいことは言われないだろうと思っていたんだけど、彼女が不在の分は友人である鳶田後輩が、しっかり補ってくれるようだ。そんな友情は真っ平ごめんである。
「しかし真壁にするような接し方か……『おう、お前またバカなことやってんのか?』――なあ、これだと知麻に嫌われねえか?」
「そもそも第一声がそれなのがおかしいだろ。なんで僕が、いつもバカなことやってるみたいになってるんだよ」
「え? マッキー先輩に対してなら、こんなもんじゃないですか?」
「……ちょっと今日の鳶田後輩は、僕に厳し過ぎなんじゃないの?」
「いやー今日は知麻っちがいないから、私がしっかりしないとって思いまして」
物凄くいい笑顔で言われてしまった。
後輩二人が立派に育っていて、どうやら僕と小手毬さんの卒業後も我が部は安泰のようだ。むしろ影戌後輩と違って時々変なことを言い出さない分、鳶田後輩の方が部長に相応しいのかもしれない。
そんなことを実際に口に出してみたら、鳶田後輩に鋭い目で睨まれてしまった。
「マッキー先輩……下手したら知麻っちがガチ泣きするから、それ絶対に本人の前で言わないで下さいね?」
「わ、分かった……二度と言わない」
鳶田後輩の言い分とはいえ、ガチ泣きしちゃうんだ……影戌後輩。
恋愛相談部の次期部長に対して、ちょっと本気すぎだろ。
「よろしい。大体、私が狙ってるのは、てまりん先輩のポジションですし」
「私のポジション? も、もしかして、真壁くんのお嫁さんを……?」
「いや、副部長ですよ、副部長」
「あ、そっか……そういえば私、副部長だったね」
「てまりん先輩にとっては、マッキー先輩のお嫁さんが自分の立ち位置なんですね……」
今まで特に言及する機会はなかったけど、実は小手毬さんが副部長なのだ。
まあ僕が一人でやっていたところに小手毬さんが入部した時点で、自動的にそうなったんだけど。
影戌後輩も次期部長はともかく現副部長には興味がなかったので、彼女が入部した後も特に変更することなく今まで来ていた。
「それよりも今はゴリポン先輩ですよ」
脱線気味だった話を修正するように、鳶田後輩がそう言った。
でも鳶田後輩も一緒になって脱線していたよな、間違いなく。
言ったら怒られそうだから、黙っておくけど。
「自分がマッキー先輩に接する時のやり方が無理なら、マッキー先輩とてまりん先輩を参考したらどうですか?」
鳶田後輩が第二案として出してきたのは、なかなかの妙策だった。
自分で言うのもおこがましいけど、僕と小手毬さんはおしどり夫婦ならぬ、おしどりカップルと言っても過言ではない。むしろ夫婦と言っても過言ではないのでは、と思うくらいだ。
影戌後輩との関係性に悩む簗木にとって、僕らほど参考になる相手は存在しないのではないだろうか。
「え、いや……あんなの真似できるわけねえだろ」
「あ、あんなの……!?」
僕とのラブラブカップルぶりを「あんなの」呼ばわりされた小手毬さんが、まるで「ガーン!」と効果音でも付きそうな顔でショックを受けていた。
そんな彼女を見た僕は、思わず簗木に詰め寄って睨み付けてしまう。
「おいコラ、ゴリラ。小手毬さんを悲しませるとは、どういう了見だ……?」
「キレ過ぎだろ、お前……。単に恥ずかしいだけだよ、言い方が悪かったな」
僕の視線を受けた簗木は、やや引き気味の表情で謝罪の言葉を口にした。
ふむ、恥ずかしい……恥ずかしいね。
「そんなに恥ずかしいか? 小手毬さんが好きだから、好きって言うだけだぞ」
「そうだよ。知麻ちゃんだって、簗木くんに『大好き』って言ってもらえたら、きっと嬉しいと思うな」
「いえ、私もゴリポン先輩にそこまで望んでないですけど」
「……あれ?」
いきなり梯子を外され、小手毬さんが首を傾げる。
僕と小手毬さんで簗木を説得しているつもりだったのに、『僕らを参考にしろ』と言い出した調本人である鳶田後輩に否定されてしまった。
「というか、てまりん先輩が言ったみたいに、ゴリポン先輩が『知麻、大好きだぞー』って言ってたら、違和感ヤバくないですか?」
「それはヤバいな」
「や、ヤバいは言い過ぎじゃないかな……? 喜ぶと思うんだけどな、知麻ちゃん」
まあ影戌後輩は言われたら喜びそうだけど、如何せん簗木のイメージとかけ離れたセリフ過ぎて、言っているところが想像できない。
「ゴリポン先輩が見習うべきなのは、どっちかというとマッキー先輩の方ですね」
「僕の方? なるほど、小手毬さんへの溢れんばかりの愛情を――」
「だってマッキー先輩って、てまりん先輩が相手だと格好悪いところだって、気にせず見せるじゃないですか」
「……あれ? ちょっと?」
予想外の方向に話が進んだので抗議してみたものの、軽やかにスルーされる。
「あんなデレデレと抱き付いてるのに、幻滅されるどころかラブラブなんですよ。ゴリポン先輩だって、少しくらい羽目を外しても大丈夫だと思いません?」
「いや、あれは小手毬の趣味が特殊なんじゃないのか?」
「ちょっと待て。なんで僕が特殊な趣味扱いされてるんだ」
くそ、こうなったら小手毬さんに甘えて、心の傷を癒すしかない。
そう思って彼女を見ると、サッと手を広げて待ち構えてくれるので、間髪入れずに抱き付いて温かさや甘い香りを堪能する。
「はーい、真壁くん。よしよーし」
これは……久々に思ったけど、やっぱり法に触れそうな幸福感だ。
横の二人が呆れた顔をしているのが雰囲気で伝わってくるけど、今はそんな場合ではないので無視させてもらう。
「……見て下さいよ。マッキー先輩を抱き締めてる、てまりん先輩の顔を」
「……めちゃくちゃ嬉しそうだな。確かにあれは男として、ちょっと羨ましいぜ。あ、もちろん小手毬にやってほしいって意味じゃねえからな」
僕が嫉妬で睨み付ける流れを先読みして、先に注釈を付け加えられた。
簗木のヤツも、なかなか成長しているようだ。
それはそうとして小手毬さんに抱き締めてもらって、すっかり落ち込んだ気分も解消されたので、僕からも真面目にアドバイスを送っておこう。
大体のところは、すでに鳶田後輩が言ってくれた気がするけど。
「簗木。お前が今までのイメージを崩すような振る舞いをして、影戌後輩は幻滅すると思うか?」
「うわ、なんか抱き付いたまま語り始めましたよ、この人」
ごめん、鳶田後輩。今は大事なところなんで、ちょっと黙っててくれないかな。
まあ僕が小手毬さんから離れれば済む話なんだけど……でも離れたくないし。
なので、こうして呆れた顔の後輩をスルーさせてもらう。
「多分、そう簡単に影戌後輩は幻滅したりしないよ」
「ああ、まあ……そうだろうけどよ」
それでも格好悪い姿を見せるのが不安な気持ちは、僕にも理解は出来る。
簗木は「素を出せていない」と不服に思っているみたいだけど、要するに影戌後輩は簗木への尊敬や憧れの念が強すぎて、「失礼な真似をしてはいけない」と思い込んでいるのだ。……家に押し掛けるのが失礼でないのかは、ひとまず別としておこう。
とにかく彼女の固さを解消するには、簗木への「憧れ」を矯正する必要がある。
簗木が冗談や下らないことなんて言わない「憧れ」の完璧超人なら、そのままでもいいかもしれないけど、実際は違うのだから正さなければどうにもならない。
「僕だって小手毬さんの悪い……というか、良くないところは知ってる。だけど、それで小手毬さんを嫌いになったりはしないし、僕の前ではそのままでいてほしいと思ってるよ」
そう言いながら、僕は小手毬さんから身体を離して彼女を見つめた。
僕はいつも小手毬さんのことを「可愛い」とばかり言っているけど、最近はしっかりしてきたとはいえ彼女の依存心が強めな部分は、世間一般では欠点に見られるだろうと理解はしている。ただ、僕にとってはその依存心の強さも彼女の一部であり、決して「欠けた点」だとは思っていない。
それは、きっと小手毬さんも同じだろう。僕が離れたことで名残惜しそうな雰囲気を見せつつ、僕を笑顔で見返してくれる。
「うん。私のダメなところなんて多分、真壁くんにはいっぱい知られちゃってるし……。それに私だって、真壁くんのダメダメなところは知ってるよ」
「……それで小手毬は、真壁のことが嫌になったりしないのか?」
「しないよ、絶対……だって、そういうところが可愛いんだもん、真壁くんって」
小手毬さんはそう言って、花が咲いたような笑顔を見せた。
その笑顔を見ると、彼女が僕を想ってくれていることが如実に伝わってきて、とても温かい気持ちになる。
まあ、僕の時だけ「ダメダメ」とダメを二回繰り返して表現していたのは、ちょっと気になったけど……小手毬さんが僕を好きでいてくれるなら、別にいいか。
僕は小手毬さんと手を繋いだまま、簗木に語りかける。
「不安なのは分かるけど、大丈夫だろ。お前にはその筋肉があるんだからな」
「筋肉……俺の?」
「ああ、お前みたいな筋肉野郎は、影戌後輩の周りには他にいないからな。ちょっとくらい羽目を外したって、筋肉に免じて許してくれるさ」
「そうか、筋肉か……」
実際は筋肉だけを好きになったわけじゃないだろうけど、まあ簗木の背中を押すなら筋肉を褒めるのが一番早いだろう。
僕の言葉を聞いた簗木は、少し考え込んだ後に顔を上げた。
「分かった、お前がそう言うならやってみるわ。まだ少しばかり不安だが、俺の筋肉と……お前のことは信用できるからな」
「……別に僕のことは、どっちでもいいけど」
少し気恥ずかしかったので誤魔化すように言うと、小手毬さんと繋いでいる方の手がギュっと握られた。痛いどころか、むしろ幸せを感じるくらいの強さだ。
おそらく「余計なことは言わないの」とでも言いたいのだろうけど、男の友情なんて素直に口に出すのは恥ずかしいので、そこは勘弁してほしい。今の恋愛相談とは矛盾するけど、心の中に秘めていた方がいい感情というものも確かにあるのだ。
「ダメなところを見せても嫌いにならない、か……。そうだな、俺だって知麻にダメなところがあっても、それでアイツを簡単に嫌ったりはしねえだろうし、そういうところを隠してるようじゃ先には進めねえよな」
納得した顔でソファーから立ち上がった簗木は、僕ら三人を見渡した後で小さく頭を下げた。
「早速、明日から試してみるわ。真壁……それに小手毬と望も、ありがとな」
「気にするな、これも恋愛相談部の仕事だからな」
「もう……そういう言い方するのは真壁くんの悪いところだよ? でも簗木くんの悩みが解決したなら、良かったかな」
「とにかく頑張って下さいね、ゴリポン先輩!」
僕らの言葉に頷き返して、簗木は部室を出て行った。
きっと明日も朝から影戌後輩と一緒だから、そこで上手くやるだろう。
「ところで……私の良くないところって、どんなところだと思う? 真壁くん」
「ん?」
すっかり相談を解決した気分で肩の力を抜いていたら、小手毬さんからそんな質問が飛んできた。
その目は質問に反して、不安どころか期待が込められているように見える。
普段は自己評価が低めな小手毬さんが、自分の欠点についての話題でここまで目を輝かせるとは思えないから……。
だから僕は、彼女が求めているであろう答えを口にした。
「僕のことを『好き』って気持ちが周りにも分かりやすいのは、ちょっと良くない部分かもね」
「えへへ……それはどうしようもないから、困っちゃうね?」
そう言って小手毬さんは、何も困ってなどいない様子で、にへらと笑った。
今日も僕の彼女は、最高に愛らしい。
「いや、本当に良くないところですからね、それ。まだ私が一緒にいるって忘れてません?」
そして鳶田後輩の呆れた声が、部室に小さく響くのだった。
次回は影戌ちゃん視点です。




