109.筋肉野郎・簗木 篤の恋愛トレーニング③/簗木くんの献身的な彼女
俺は朝起きたら、まずランニングに行くんだよ。
だから朝はいつも五時起きだな。
早い? いや、昔からそんなもんだし、あんま気にしたことねえな。
まあ起きたら軽く体をほぐしながら着替えて、顔を洗ってから外に出る。
そうすると家の前で、アイツが待ってるわけだよ。
「おはようございます、篤先輩! 今日もトレーニング日和ですね」
「はよっす、知麻。相変わらず早いな、お前は」
「いえいえ、篤先輩のトレーナー兼パートナーとして、私だけ惰眠を貪るなど出来るはずがありません!」
え、なんで家の前に知麻がいるのかって?
さあ……? 気付いたら朝のランニングを待ってるようになってたんだよな。
俺も一人で黙々と走るより、彼女と走る方が気分いいから、割と嬉しいぞ。
「んじゃ行くか。気を付けろよ、知麻」
「はい、どこまででもお供します、篤先輩!」
そんな感じで、一時間くらい軽く流すんだ。
ちなみに知麻は自転車だぞ。
知麻も見た目の割に体力だけはある方なんだが、流石に足で走って俺に付き合うのは無理だし、アイツはトレーナーだからな。
それでも彼女の声援を浴びながら走るのは、青春って感じがして気持ちいい。
「ふぅ……今日もいい汗かいたな」
「お疲れ様です、先輩! タオルとドリンクをどうぞ」
「おう、悪いな。お前もお疲れ」
「いえいえ、篤先輩の頑張りに比べれば私など……」
知麻は気が利くヤツで、走り終わった俺にいつもタオルと、ほどよく冷えたスポーツドリンクを渡してくれる。
ドリンクをキンキンに冷やしていないのがミソだ。あまり急激に体を冷やすと良くないからな。
今の時期は暑いから、ランニング後にはシャワーを浴びる。
まずは俺から先に済ませて……え、「まずは」ってどういう意味かだと?
いや、自転車とはいえ知麻だって汗かくし、アイツもシャワー使いたいだろ?
俺は先に使ってもらってもいいんだが、知麻はいつも俺に先を譲るんだよな。「篤先輩の方がお疲れですから」って。
で、シャワーが終わって制服に着替えたら、後は朝飯だ。
「はよっす」
「おはよう、篤。今日もイチャイチャしてきたかね?」
「してねえよ。普通に走ってるだけだっての」
リビングに行くと、すぐに姉貴が絡んでくる。
昔から面倒な絡み方をしてくる姉貴だったが、知麻と付き合い始めてからは、そっち方面の絡みが格段に増えた。
「まさか篤に、あんな健気な彼女が出来るとはねえ……。あの眼鏡くんとの熱い友情もこれまでか……いいネタだったのに」
「眼鏡って、真壁のことか? 別にアイツとは、今も普通に友達やってるぞ」
「そういうんじゃないのよ。もっとこう……男と男の、くんずほぐれつな友情物語を見たかったのよ、私は」
「真壁は文化部だから、取っ組み合いなんてしねえだろ」
「だから、そういう……ああもう、我が弟ながら察しが悪い!」
何が言いたいのか分からん上に、すげえ腹立つ。
真壁は会ったことあるから知ってると思うが、うちの姉貴はこういう面倒なヤツなんだ。
……なんだよ、鳶田妹。あー分かったよ、望でいいか?
姉貴の趣味って……まあ俺はよく分からんが、ゲームとか好きみたいだぞ。たしかD組の建山と小野寺だったか? アイツらも同じゲームやってるらしいな。対戦か何かじゃねえの?
前に真壁がうちに来た時は、趣味だのタイプだの聞き出そうとしてたから、もしかしたら気があるんじゃないかと思ったんだが……。
いや小手毬、結局は違ったから、そんな顔すんなって。
「篤、ちょっとこれ運んで」
「おう分かったよ、お袋」
姉貴と話していると、お袋がダイニングから声をかけてくる。
朝飯が出来上がったから、テーブルに運べとのお達しだ。
俺は五人分のおかずを順番に運んでいく。両親と姉貴と俺――そして知麻の分だ。
ん? なんだお前ら、変な顔して……知麻は五時前に家を出てきてるんだから、朝飯を食べる暇なんてないに決まってるだろ。
「お、この漬け物は初めて見るなあ。母さん、これどこで買ったの?」
俺の運んだおかずを見て、親父がそんなことを言う。
言われるまで気付かなかったが、この時は初めて見る漬け物があったんだよな。
「それ知麻ちゃんが持ってきてくれたのよ。あの子が自分で漬けたんですって」
「へえ、あの子はそんなことも出来るのか。うちの篤にはもったいない子だなあ。ちょっとアレだけど」
「そうなのよ。あんな子が娘になってくれたら、私も嬉しいわ。ちょっとアレだけど」
「確かに知麻ちゃんは可愛くていい子だよね。私も妹に欲しいわ。ちょっとアレだけど」
家族全員、揃いも揃って知麻を持ち上げている。
アイツがうちの家族に受け入れられてるのは嬉しいんだが、全員が一言余分に付け加えてるのは何なんだ?
……おい真壁? 小手毬たちまで、なんで目を逸らすんだよ?
「皆さん、お待たせしました。すみません、いつも図々しくシャワーをお借りする上に、私の分まで朝食を用意していただいて……」
話をしているうちに、知麻がシャワーを終えて出てくる。
相変わらず身長は小学生レベルだが、顔はとにかく美人な上に俺の好みドンピシャだから、シャワー上がりでしっとりした状態だと目を奪われそうだ。
……うるせえ。俺だって、そういうのは気になる年頃なんだから、仕方ねえっつーか正常な反応だろうが。
「そんなの気にしなくていいのよ、知麻ちゃん。あなたのご家族とも、ちゃんと話して決めてるんだから」
「そうそう、気にしなーい。ほら知麻ちゃん、篤の隣に座んなって」
「しかし、このテーブルは五人で使うには、やっぱり少し狭いかな。そのうち新しいのに買い替えるか。その時は運ぶの手伝ってくれよ、篤」
「み、皆さん……」
うちの家族の言葉を聞いて、知麻は感動の面持ちだ。
「というか佐紀、アンタは浮いた話の一つでもないの? 最近よく出かけてるみたいだけど、画面の中以外に彼氏でも出来た?」
「いや、画面の中の男も、私と付き合ってるわけじゃないし……。最近出かけてるのは、大学の友達に愚痴聞かされてんのよ。なんか好きだった年下の子に、彼女が出来たらしくて」
「なんだ、つまらないの」
「本当だよね。出来たのが彼氏だったら最高だったのに」
また姉貴がわけの分からないことを……。
どうした小手毬? いきなり首傾げたりして、気になることでもあったか?
多分、気のせい……? そうか、まあいいや。
とりあえず、うちの朝は最近いつもこんな感じだな。
で、朝飯が終わると、二人で登校するわけだ。
この時は俺が知麻の自転車を引いて、二人で話しながら歩くんだがな……。
「それで真壁先輩ときたら、どうしたと思いますか? 篤先輩」
「どうって……怒られたりしたのか?」
「それどころではありません! いきなり私の頬を摘まんで引っ張った上に、『さてはバカだな、お前』とまで言ったんです!」
「そりゃあ……」
この際だから白状するが、正直言って羨ましい。
引っ張るかどうかはともかく、俺も知麻の柔らかそうな頬を摘まんでみたい。
真壁は実際にやったってのに……なあ真壁、一発だけ殴ったらダメか?
いや、マジで殴ったりしないから、そんな庇わなくてもいいぞ、小手毬。
「まったく……場を和ませようという後輩の粋な計らいを解さないばかりか、女子に手を上げるなんて、鬼畜眼鏡としか言いようがありません」
「まあ、そうだな」
「その点、篤先輩は猛々しい紳士ですから、軽々しく暴力なんて振るいませんよね。まあ私も真壁先輩ならともかく、敬愛する篤先輩に対して失礼なことを言うなんて、万に一つもあり得ませんが」
知麻はそう言って俺を持ち上げてくれるが、ぶっちゃけ俺も少しくらいは失礼なことを言われてみたいんだよ。
バカにされたいわけじゃなくて、そういう気安い態度で接してほしいんだよな……真壁といる時みたいに。
知麻は俺の筋肉を持て囃してくれるし、好意的な感情も十分に伝わってくるんだが、冗談とかはあんまり言ってくれない。
だから真壁や恋愛相談部の話を聞いてると――楽しそうに話す知麻を見ると、お前らが関係ないところでも、こういう顔をしてほしいと思うんだよな……。
「――と、まあこんな感じだな。知麻が柔道部に来てる時は、一緒に帰りながら似たような話をしてるぞ。やっぱ恋愛相談部の話題が多いけどな」
そう言って話を締めると、恋愛相談部の面々は揃って複雑そうな顔をしていた。
小手毬は苦笑しているし望は無表情、真壁は呆れた顔だ……割といつも通りじゃねえか?
そんなことを考えている俺に向けて、真壁が口を開く。
「簗木」
「おう、なんだ真壁」
早くも解決策が浮かんだのか? 流石は真壁だな、アホだけど頼りになるぜ。
と思いきや、真壁の口から出た言葉は……。
「お前、やっぱアホだろ」
何故か突然の「アホ」呼ばわりだった。
なんでだよ、意味分かんねえぞ。
シレっとクレイジーな影戌ちゃん。




