106.ぐぬぬ系女子・信楽さんの休日
今日、私は一番の親友である小手毬ちゃんと、二人きりで遊びに出ていた。
小手毬ちゃんとは一年生の時から同じクラスでとても仲が良いんだけど、最近のあの子は彼氏が出来て少し付き合いが悪くなっていたので、こうして二人水入らずで過ごせる休日は久しぶりだ。
「見て見て、里利ちゃん! これ、凄く可愛くない?」
「ええ、そうね。可愛いと思うわ」
あなたの方が可愛いけどね。
雑貨屋の店頭で見かけた猫の小物を指差して、無邪気な顔で振り向いてきた小手毬ちゃんに、私は内心で湧き上がるときめきをひた隠しにしながら答えた。
もちろん私に同性愛の気はないけど、大人しくて可愛い女子は好きだ。少し厳しめの家庭で、清く正しくという気風の育てられ方をしてきたせいか、妹みたいな子を見ると甘やかしてやりたくなる。
その点において、小手毬ちゃんには本当に隙がない。どちらかと言えば真面目だけど適度に抜けたところがあり、大人しい振る舞いに反して感情表現は豊かなので、まるで小動物のようで見ていて和まされる。
去年、高校最初のクラスで初めて彼女に会った時点で、この子は私の理想の妹だと確信したくらいだ。
それなのに……。
「あの鬼畜眼鏡が誑かしたせいで……ぐぬぬ……!」
「……里利ちゃん、どうかしたの? 何だか怖い顔してるけど」
「え? あ、ああ……何でもないのよ、小手毬ちゃん」
おっと……せっかく可愛い小手毬ちゃんと二人きりだというのに、どこぞの陰険鬼畜眼鏡を思い出して彼女を不安にさせていては意味がない。
こてんと首を傾げる仕草も抜群に可愛い小手毬ちゃんに、私は笑顔を向ける。
「ただ来年の今頃は、受験で遊んでるどころじゃないんだろうなって思って」
「あー、そうだよねえ。受験かぁ……私は里利ちゃんみたいに成績良くないから、頑張らないとダメだよね」
受験と聞いて、ガックリと落ち込んだ表情になる小手毬ちゃん。そんな落ち込んだ姿ですら可愛いのだから、もはや彼女に可愛くない時は存在しないのかと思う。
もちろん小手毬ちゃんが受験勉強に取り組む際は、私が全力で勉強を見てあげる心積もりだ。
自慢ではないけど、小手毬ちゃんも言った通り私の成績はそれなりに良いし、彼女の世話を焼きながらでも十分に志望校を目指せるだろう。むしろ小手毬ちゃんという癒しがあることで、勉強の効率も良くなるかもしれない。
そんな未来図に思いを馳せていると、小手毬ちゃんはおもむろに頬を少しだけ赤く染めて、ニッコリと笑った。
あ、これはヤバい。可愛いけど、これは確実にアレが来る予兆だわ。
私の嫌な予感を裏切らず、小手毬ちゃんは超可愛い笑顔で口を開いた。
「でも真壁くんと一緒の大学に行きたいし……頑張らないとね!」
ぐぬぬ……! めちゃくちゃ可愛いのに、心が痛いわ……!
最近の小手毬ちゃんときたら、二言目には「真壁くん」だ。
彼氏と順調な関係なのは良いことだし、小手毬ちゃんが幸せそうなのは私も嬉しいけど、自分よりも大きな存在が彼女の中にあるという事実が受け入れ難い。
もちろん親兄弟や親族が相手なら、付き合いの長さや密度が違うから諦めも付く。だけど、あのいけ好かない鬼畜眼鏡にだけは、決して負けたくなかった。
「そ、そうね……その意気よ、小手毬ちゃん」
心の中で歯噛みをしながら、私は取り繕った笑みを向ける。
真壁くんと小手毬ちゃんが接近する前は、彼女と一緒なら自然と笑顔になれたので取り繕う必要なんてなかったというのに、最近はこの有り様だ。
「うん! 利佳子さんとも、真壁くんと一緒に行くって約束してるし、頑張らないと」
誰なのよ、その利佳子さんって……。
真壁くんの名前も出てくるということは、彼の関係者なのかしら……?
以前の小手毬ちゃんはそこまで交友関係の広い方ではなかったのに、今ではおそらく真壁くん関係と思われる繋がりが色々と出来上がっているようだ。
それに私が気になるのは、実のところ真壁くんの事だけではない。
「あっれー、小手毬ちゃん。こんなとこでマジ奇遇」
「本当だ。こんちわ、小手毬ちゃん」
私の考え事が現実になったかのように、雑貨屋を冷やかしていた私たち――正確には小手毬ちゃんに、男女二人組が声をかけてきた。
「あ、舞奈ちゃんに金名くん。今日はデート?」
「そうだよー、小手毬ちゃんも真壁くんと……あ、今日は信楽ちゃんと一緒なんだ。学校の外で会うのは初めてだね、信楽ちゃん」
「ええ、そうね……楠さん」
声をかけてきたのはクラスメイトの楠さんと、その幼馴染で彼氏でもある金名くんだった。
金名くんと話したことはないけど、楠さんを訪ねてうちのクラスまで頻繁に来るから、顔と名前くらいは把握している。向こうも私が楠さんの知り合いだと理解したらしく、小さく「どうも」と言いながら会釈をしてきたので、同じように返す。
「こないだは楽しかったねー、小手毬ちゃん。また皆で集まろうね」
「うん。女の子だけで集まるのも、たまにはいいよね」
楠さんとは今年から同じクラスになったけど、小手毬ちゃんが彼女と親しくなったのは割と最近だ。
授業をサボったりとかはしないとはいえ、派手めな外見で小手毬ちゃんとはタイプがかなり違うので、そんな二人が仲良くしているのは少し不思議だったりする。
ただ楠さんが真壁くんと話している姿も時々見かけるので、もしかしたら彼が関係しているのかもしれない。
「マジで頼むよ、小手毬ちゃん。マイのヤツ、俺が出かけようとすると毎回ついて来るからさ。いくら彼女って言っても、たまには別行動したい時もあるから、ガンガン連れ出してくれると助かるわ」
「うーん……私はいいけど、そんなこと言うと舞奈ちゃんが……」
「なに、京介。可愛い彼女がいない間に、別の子でも引っかけるつもり?」
「そ、そんな事しねえよ……!」
いまいち輪に溶け込めない私を余所に、小手毬ちゃんは二人と盛り上がっている。
昔の彼女なら、こういうチャラい感じの二人を相手にしていたら、見た目だけで怖気づいていたと思うんだけど、今の彼女からはそんな気配は感じられない。
とても自然な態度で、親しい友人との会話を楽しんでいるようだった。
寂寥感を覚える私の耳に、今度は別の声が聞こえてくる。
「いやー、ついに買ってしまったわ、あの神ゲーの続編を! ダッシュで帰って、この休み中にフルコンプするわよ! 今夜は寝かさないんだからね、勝くん!」
「あはは……ほどほどにね、真世さん」
声のした方に目を向けると、どこかで見た気がする綺麗な女子と大柄な男子が、二人で並んで歩いていた。
騒がしく話す二人――正確には女子の方がテンション高く話していて、男子の方はそれに受け答えしている感じの二人を見て、小手毬ちゃんは顔を綻ばせた。
「真世ちゃん! 建山くん!」
「ん……? うげっ……み、美薗ちゃん!? 楠さんまで……」
小手毬ちゃんが大きな声で二人を呼んだのには驚いたけど、その呼び名で相手が誰だか分かった。
この容姿で「真世」といえば、「高嶺の花」で有名なD組の小野寺 真世さんだろう。少し前から「高嶺の花」に彼氏が出来たと噂になっていたから、横にいる男子がその彼氏だろうか。
「あ、久しぶり。金名くんもいるんだ」
「おお、建山くん。そっちもデート中か」
「うん、まあデートっていうか、ただの買い物っていうか……」
男同士で仲良く話している傍で、女子勢も私を除いて三人で盛り上がっている。
別にあからさまに除け者にされているわけじゃないけど、何だか入り込みづらいというか……。むしろ小野寺さんだけ別のクラスなのに、自然な感じで溶け込み過ぎじゃないの?
「真世ちゃん、ご機嫌だったねえ。何か買ってきたの?」
「うん!? ま、まあそんなところね……」
「ははーん……相変わらずだねえ、小野寺ちゃんは」
「い、いいでしょ別に……好きなんだから。悪いけど、今日は忙しいから、もう行くわよ! ほら、勝くんも!」
「はいはい、仕方ないなあ、真世さんは」
何故か慌てた様子の小野寺さんは、会話もそこそこに彼氏をつれて立ち去ってしまった。
あの有名な「高嶺の花」にしては、ずいぶんと世間ずれした態度だ。
まあ人の噂なんてあてにならないものだし、「高嶺の花」なんて言っても私たちと同じ高校生にすぎないということだろう。
「んじゃ、私たちも行くねー。小手毬ちゃんも信楽ちゃんも、また学校でね」
小野寺さんたちがいなくなって会話が一段落したのか、楠さんカップルもあっさりと、どこかに行ってしまった。
「ふう……やっと落ち着いたわね」
「ごめんね、里利ちゃん。話し込んじゃって」
「大して長い時間でもなかったし、別にいいわよ」
私がそう言うと、小手毬ちゃんは安心した顔になる。
実際に楠さんと会ってから十分も経っていないし、とやかく言うような状況でもないだろう。
私だって似たようなことが起きたら、短時間の会話くらいするかもしれない。
今はもう小手毬ちゃんと二人に戻ったわけだし、この時間を楽しまなければ損だ。
「それより、このショッピングモールに新しく入ったスイーツショップが結構、女子高生に人気らしいのよ。せっかくだから行きましょう?」
「わあっ、楽しみだね、里利ちゃん!」
小手毬ちゃんとの休日を最高のものにするため、彼女好みの店だって事前にリサーチしてある。
正直、私はスイーツとかそこまで好きでもないんだけど、そこは小手毬ちゃんの笑顔をおかずにすることで満足感を得られるだろう。
――そんな私の期待は、そう簡単には叶えられなかった。
「ヒロくん、重くない? やっぱり私も少しくらい持つわよ?」
「このくらい余裕だから、子供扱いしないでくれよ。つーか悪いと思うなら、もうちょっと小まめに買い物してくれると助かるんだけど」
「そ、それは……色々と忙しいのよ――って、あら、小手毬さん……と、信楽さん!? こ、これは、その……」
「あー、ハイハイ、弟っす。いつも姉がお世話になってます」
ショッピングモールの入口で、男の子を連れた担任の先生に会ったり。
「あれ、小手毬さんたちもデート中?」
「いや、この子が真壁以外に靡くわけないし……そもそも女同士なんだから、普通はデートなわけないでしょ。アンタ、自分がそうだからって、相手も同じだと思うんじゃないわよ」
「えー、そうかなあ。ていうか、花蓮ちゃんのパフェも美味しそうだよねー。私もそっちにすれば良かったかなあ」
「仕方ないわね……ほら、口開けなさい」
スイーツショップで、やけに仲が良さそうな女子二人と遭遇したり。
「先輩、誤解しないでほしい。私は別にタイガーと遊んでるわけじゃなくて、数奇な運命に導かれて――」
「永那ー、早くしないと映画始まるぞー!」
「今すぐ黙れ、タイガー」
映画館の近くで、やたらとテンションな差が激しいカップル(?)に会ったり。
「みーちゃ……小手毬さん。私の変な噂とか聞いてない? その……あだ名とか」
「天乃さん、俺は格好いいと思いますよ、絶ひょ――」
「止めて、徹くん。本当に、一体誰があんな名前を……」
男連れの生徒会長から、突然声をかけられたり。
というか小手毬ちゃん、あの「氷の女王」と知り合いだったのね。
何だか映画館の方を見て苦笑いしているような気もするけど……何なのかしら?
――という具合に、やたらと小手毬ちゃんの知り合いに出会う羽目になった。
しかもカップルや男連ればかり……スイーツショップにいた女子二人は、まあ別だけど。……本当に別よね?
「何か今日は、やけに知り合いに会う日だねぇ」
小手毬ちゃんも予想外だったのか、しみじみと言った。
本当にどこへ行っても彼女の知り合いばかりで、あまり二人きりの休日という感じがしなかった。
楽しかったかどうかと聞かれたら、それは楽しいと答えるだろうけど。
「小手毬ちゃん、ずいぶん知り合いが増えたのね……」
以前は私や、クラスの大人しいタイプの子と仲が良いくらいで、別のクラスや学年に友達がいるような子じゃなかったのに。
「知り合いって言っても、みんな恋愛相談部で会った人たちなんだけどね」
つまり真壁くんの関係者ということか。
ぐぬぬ……小手毬ちゃんが私の知らない人間関係ばかり築いていくのは、やっぱりヤツのせいなのね……。
正直、凄く寂しい。寂しいけど……大人しかった小手毬ちゃんが成長しているのは、親友として喜ぶべきなのだろうと理解はしている。
結局のところ、彼女にとって悪いことなんて何一つ起きていないんだから、あとは私がその変化を受け入れられるかどうかなのだ。
親友の一番でいたいという浅はかな独占欲を、自分の中でどう処理するべきかと迷っていると、小手毬ちゃんは思い出したように手を叩いた。
「そうだ! さっきは舞奈ちゃんが来たから言いそびれたけど、もちろん里利ちゃんとも一緒に大学行きたいな。里利ちゃんも、たしか私と同じところ受けるって言ってたよね?」
「え、ええ……そうね」
私たちの志望校は、この辺りでは一番大きくて定番の進学先だ。
私の成績なら問題ないし、小手毬ちゃんだって頑張れば難しくない範囲だろう。
「じゃあ……里利ちゃんが良かったら、一緒に受験勉強しよ?」
窺うような目を向けられて、私は自分の思い違いに気付いた。
小手毬ちゃんは、決して私を蔑ろにしているわけではないのだ。
確かに私の知らない交友関係は増えているけど、だからと言って私との友情を犠牲にしているわけではない。ただ彼女が外側にも目を向けられるようになって、大人に近づきつつあるだけだ。
妹のようだなんて考えて、彼女を閉じ込めようとしていたのは私の方だった。
「そうね……もちろんOKよ。一緒に頑張りましょう?」
「うん! 里利ちゃんと一緒なら、もっと頑張れそう」
小手毬ちゃんが笑顔で言った言葉に、私は心の中で「私もよ」と返す。
手を引いて守ってあげるような関係じゃなくて、一緒に歩いて行けばいいのだ。
「あ、それと……」
「ん?」
「真壁くんも一緒なら、もっと頑張れるかなって……えへへ。たまにでいいから、真壁くんも呼んで大丈夫かな?」
「…………ぐぬ」
あの眼鏡の名前を聞いた途端、小手毬ちゃんの変化を大人しく受け入れようという気持ちが、一気に吹き飛びそうになった。
だって小手毬ちゃんったら、私の時よりも嬉しそうな顔してるんですもの……!
「里利ちゃん? どうかしたの?」
「な、何でもないわよ。そうね、真壁くんも……まあ、たまには一緒でもいいわよ」
「本当? 良かったぁ」
嬉しそうな笑顔を浮かべる小手毬ちゃんを見て、改めて私は認識した。
彼女の成長は喜ばしい、だけど……。
あの鬼畜眼鏡のことは、やっぱり大嫌いだわ!
「犯人は映画館にいますよ」とは言えない小手毬さんだった。




