100.中島 永那の謎めいた瞳⑥
数日後――小細工を終えた僕は、春日井にゴーサインを出した。
「それじゃあ、行ってきますね!」
中島さんへのアプローチ決行を告げられた春日井は、臆することなく頷いた。
そこまで前向きなら、最初から恋愛相談部に来なくても良かったのでは……なんて思ったけど、ここ数日の付き合いで彼の性格もそれなりに把握できている。
要するに春日井という男は、人に背中を押されれば簡単に動けるタイプなのだ。
普段も引っ込み思案というわけではないんだけど、運動部気質のせいか特に上級生の言葉を鵜呑みにして、乗せられやすい傾向がある。
褒めても叩いても真っ直ぐに伸びる、運動部としてはかなりの逸材だろう。
恋愛方面において逸材かどうかは、疑問が残るけど。
「が、頑張ってね、春日井くん!」
「あんまり張り切り過ぎるなよ」
意気揚々と部室を出て行く背中に、僕と小手毬さんが声をかける。
気分は息子を受験に送り出す両親のようだ。
大して長い付き合いでもない赤の他人相手でもこうなのだから、本当に自分たちの子供が相手だったら、小手毬さんは緊張で気を失ってしまうのではないだろうか。
「心配だなあ……。春日井くん、大丈夫だよね?」
「うん、まあ大丈夫だと思うよ……ふっ……」
「……? どうかしたの? 真壁くん」
小さく吹き出した僕を見て、小手毬さんは不思議そうに首を傾げた。
「いや、ちょっと……僕らに子供が出来たら、受験の時とかこんな感じなのかと思って」
「こ、子供って……でも確かにそんな感じはするかも」
僕の言葉に恥ずかしそうな顔を見せた小手毬さんだったけど、すぐに不安げに眉を顰めた。
「小さい頃からお受験とか発表会があったら、もっと緊張しそうだよね……。その時は、ちゃんと私たちのこと引っ張ってね? 真壁くん」
「ん……。も、もちろんだよ、小手毬さん」
割とあっさり、しかも真面目に返されてしまい、僕の方が照れる羽目になってしまった。
私「たち」って、小手毬さんと子供のことだよな……? あれ? 僕と小手毬さんって、もう子供いるんだっけ?
最近の小手毬さんは、ただ可愛いだけではないので本当に油断ならない。
未来の大黒柱としての決意を、こんなところで固める羽目になる僕だった。
そして翌日――。
「ダメでした!」
あっけらかんとした顔で、春日井は中島さんとのファーストコンタクト失敗を報告してきた。
呆れる僕と、その隣で青い顔をしている小手毬さんを余所に、真面目くさった表情で言葉を続ける。
「ちょっとよく分からなかったんですが、『信じれば裏切られる』とか『結局、人は一人』とか言われました。彼女は過去に何か、つらいことがあったのかもしれませんね……」
「うん、そうだな……」
多分、症状が出ていただけだと思う。
そのあたりを説明しても春日井には伝わらないだろうから、とりあえず濁しておくことにする。
「えっと……どうする? 諦めるか?」
「いいえ、まだ諦めません! 真壁先輩の弟子として、彼女と仲良くなって見せます!」
「そうか……うん、頑張ろうな」
いつの間に僕は、春日井を弟子に取ったのだろうか。
まあ中島さんと彼女になることを諦めていないというのなら、僕としてはそれだけで十分だ。
正直、一度コンタクトに失敗したくらいで諦めるのなら、それでも仕方ないとは思っているんだけど、小手毬さんが気にするんじゃないかと心配なんだよな。
「じゃあ俺は部活に戻りますね! また相談に乗って下さい!」
そう言うと春日井は、あっさり部室を出ていった。
人によっては、彼が中島さんに対して本気じゃないのではと疑いを持ちそうだけど、あれは単にポジティブ過ぎるだけで、別にふざけているわけではない。
真面目にやってアレなのが、ある意味ではタチが悪いんだけど。
「ま、真壁くん、どうしよう!? 春日井くん、ダメだったって……!」
「お、落ち着いて、小手毬さん……。こうなるのも折り込み済みだから、慌てなくても大丈夫だよ。次の手も考えてあるから……ね?」
当の本人があの態度だというのに、本来なら無関係なはずの小手毬さんの方が、よほど深刻な反応をしている。目元には、うっすらと涙まで浮かんでいた。
「うん……信じていいんだよね? 真壁くん……」
「もちろん大丈夫。うん、大丈夫だから」
いかん。何だか浮気の言い訳をしている旦那の気分になってきたぞ。
こんなところを目撃されたら、ぐぬぬ女子に殺されてしまうかもしれない。
そして小手毬さんを宥めながら、三十分ほど経過した頃――。
「失礼……あら、取り込み中だったかしら?」
「いえ、大丈夫です」
いつかのように茅ヶ原先生が部室にやって来た。
その後ろには、見覚えのある女子が控えている。
「……これ、本当に大丈夫?」
その女子――中島さんは、僕らを見て首を傾げていた。
ちなみに今は、小手毬さんが僕の胸に顔をうずめている状態だ。
慣れていない中島さんが、取り込み中の状況と誤解するのは分かるけど、恋愛相談部の部室では割とありふれた光景である。
「まあ普通ではないけど、ここでは珍しくはないわよ」
不純異性交遊を取り締まる側の先生でさえ、こうして見逃してくれるくらいだ。
まあ先生は先生で、僕らに重大な弱みを握られているようなものだから、あまり迂闊なことは言えないのかもしれないけど。
「とはいえ今はお客さんがいるんだから、そろそろ止めなさいな。何だか知らないけど、最近私が恋愛相談部の顧問っていう話が広まってるのよね……」
すみません。その話を広めたのは、僕なんですよ、先生。
正確には、僕の頼みを受けた鳶田後輩が、中島さんのクラスを中心に噂を広めてくれたんだけど。持つべきものは、やはり交友関係の広い後輩だな。
ただ鳶田後輩に依頼をした時、「私に頼むのは分かりますけど、後でちゃんとフォローして下さいね」と言っていたのは、一体何だったんだろうか?
「まあいいわ。確かに案内したから、ちゃんと話を聞いてあげなさいな」
「あれ、もう行くんですか? また羊羹ありますけど」
「……これでも忙しいのよ。帰りが遅くなると、あの子に心配かけるし」
そう言って茅ヶ原先生は、そそくさと部室を出て行った。
どうやら門脇とは仲良くやっているようで何よりだ。
先生がいなくなった後、入口に立ったままの中島さんに声をかける。
「そんなとこに立ってないで、向かいに座ったらどうだ?」
「……その前に、抱き合うのをやめるべきだと思う」
「ああ、そうだったな……。ほら、小手毬さん」
「ふえ……?」
中島さんからの苦情を受けて、小手毬さんの背中をそっと叩きながら声をかけた。あまりに慣れ親しみ過ぎていて、小手毬さんと抱き合っていることに、自分では全く違和感を覚えてなかった。
僕の胸から顔を上げた小手毬さんは、蕩けた目で僕の顔を見上げた後、ようやく入口に立つ中島さんの存在に気付いて声を上げる。
「ええっ!? い、いつの間に……!?」
「……気付くのが遅い。ここが戦場なら、あなたはとっくに死んでいた」
「いや、まあそうだろうけど」
そもそもここが戦場だったら、最初から抱き合ったりしていないと思う。
僕から離れ……まあ抱き付くのは止めて、真横にぴったりくっついて座った小手毬さんに、中島さんは胡乱げな目を向けていた。
そんな彼女に、僕は努めて朗らかな声で語りかける。
「うちに来たってことは、何か相談があるんだろ?」
「……そのつもりだった。けど、どうしてあなたたちが、ここにいるの?」
「そりゃあ僕らが、ここの部員だからだよ。改めてこの間は、部活中に迷惑かけて悪かったね」
「…………」
あくまで以前の出会いは偶然だったという体で話を進める僕に、中島さんは明らかに訝しむような目を向けてくる。
ただ、僕らの行動理由をハッキリと追求するつもりはないらしく、面倒くさそうに溜め息を吐いた後、明後日の方を向いて話を続けた。
「噂を聞いて来てみたけど……やっぱり浮かれた部活だった。色恋に現を抜かす人間なんて、みんなそう。自分の受け入れられたいっていう欲を満たすばかりで、本当は相手の気持ちなんて考えてない。あの暑苦しい陽キャだって、どうせ……」
「暑苦しい陽キャ?」
間違いなく春日井のことだろうけど、アイツは一体何を言ったんだ?
どうやら最後の一言は失言だったようで、彼女は誤魔化すように首を振った。
「……何でもない。それに、ここへ来たのは気の迷いで、私は誰かに頼るつもりなんてない」
そう言い切った後、中島さんは僕と小手毬さんのいる方に向き直った。
そして、まるで当て付けるように口を開く。
「他人に頼ることを覚えれば、人は弱くなる。どうせ人は最後には一人になるんだから、そうなっても大丈夫なように、日頃から鍛えておくべき」
僕らに向けて言い放った中島さんの顔は、どこかドヤ顔のようにも見えた。
おそらくだけど、「バカップルに物申してやったぜ」という気分なのだろうか。
なかなか拗れていると胸中で苦笑を浮かべる僕だけど、困ったことに(僕は少しも困ってないけど)我が部には、愛に生きる健気な小動物がいるのだ。
「そ、そんな事ないよ!」
「……はい?」
気持ちよく語ったところに反論を受けて、中島さんは小さく目を見開く。
これは……久々に開演するのだろうか。
――小手毬さん劇場が。
というわけで100話目です。
ここまで連載を続けられたのも、皆様のお声があったからこそです。
当初の予定よりキャラも増えているので、感想やレビューをいただけていなかったら、とっくに連載終了していただろうと思います。
現時点の見通しでも130話くらいは行く予定ですので、もう少し本作にお付き合いいただけると幸いです。