99.中島 永那の謎めいた瞳⑤
中島さんとの直接対面は、彼女の意外な面を炙り出してくれた。
いや本当、「大したことは分からないだろうけど……」なんて言いながらも、彼女への接触を敢行した自分を褒めてあげたい気分だ。そして可愛い小手毬さんも愛でてあげたい気分だ。それはいつものことか。
「中島さんは中二病だな。間違いない」
グラウンドでの接触後も入念な調査を続けて出た結論を後日、恋愛相談部の部室に呼び出した春日井に伝える。
最初は疑念に過ぎなかったけど、彼女の様子を窺ったり小手毬さんとイチャチャしたり、好きな本の傾向を調べたりと裏付けは済んでいるので、もう断言してしまっていいだろう。三分の一くらいは小手毬さんとイチャイチャしていた事実には、どうか目を瞑ってほしい。
調査報告を受けた春日井は、僕と小手毬さんの対面で不安そうに眉を顰めた。
神秘性に興味を持った女性が実は中二病患者だったというのは、流石にショックだったのだろうか。そんな不安を覚えていると、春日井が神妙な表情でおずおずと口を開く。
「中島さんは……体がどこか悪いってことですか……? 『中二病』っていうのは、一体どんな病気なんです?」
「あー……」
どうやら中島さんが中二病だった事実にショックを受けたわけではなく、そもそも「中二病」という概念を理解していなかったらしい。生真面目そうな感じだし、春日井はネットとかあまり見ないタイプなんだろう。
「え、あの……」
「もう、違うよ春日井くん。中二病っていうのは、本当の病気じゃなくてね……」
呆れた顔になった僕を見て、春日井は何を勘違いしたのか狼狽え始める。
そんな彼を安心させようと小手毬さんが声をかけたけど、彼女は彼女でセリフの途中で言葉に詰まり……。
「ごめんね、真壁くん。実は私もよく分かってないんだけど……」
申し訳なさそうな顔で、僕に向かって言うのだった。
うん、まあ知ってたよ。中島さんの調査をしてる最中も、いまいち分かってなさそうな顔してたもんね、小手毬さん。
中島さんが言った「絶氷の魔妃」も最後までピンと来なくて、後で僕に「氷の女王と何が違うの?」って聞いてきたし。多分、本人の前で言っていたら、小手毬さんが地獄の炎で灼かれていたかもしれない。僕の質問に即答でアレが出てきたあたり、中島さんが前から温めていた案みたいだからな……。
「そうだね、中二病っていうのは――」
小手毬さんとか春日井に説明をしようと思ったものの、中二病の概念自体を知らない相手に理解させるというのは、なかなかの難易度ではないだろうか。
そもそも調査中、小手毬さんがよく分かっていないままなのを、わざわざ放っておくような僕ではない。丁寧に説明した結果として、「あ、これ理解させるの無理だな」という結論に至ったのだ。
小手毬さんですら理屈が分からないだけで言葉くらいは聞いたことがあったのに、春日井に至っては中二病という名称すら知らないんだからな。
「まあ、あれだよ。漫画みたいな世界観が好きとか、そんな感じかな?」
結局のところ、こうして噛み砕きすぎた説明をするしかない。
この二人に「思春期特有の、自分を特別だと肯定したい心理が……」なんて細かい定義を解説したところで、どう考えても伝わりそうにないし。
そこから派生系まで網羅していったら、どれだけ時間があっても足りないだろう。
僕がそんなことを考えているなどとは知らない春日井は、何を理解したのか分からないが、しきりに頷いている。
「漫画ですか。俺もたまに読みますよ、海賊のとか!」
「そ、そうか……。面白いもんな、あれ」
うーん、やっぱり無理っぽいな……。
もちろん海賊のアレを悪く言うつもりは全くないけど、とりあえず春日井にそっちの素養はなさそうだ。
僕の勝手なイメージでは、素養のある人はこういう時、もっと尖った作品を挙げるような気がする。
中島さんが中二病だと判明して、これは建山の時と同じパターンでいけるかと思ったんだけど、どうやら春日井が中二病になるのは難しそうだ。
ならせめて理解者になれたらと思うものの、ここまで中二病への理解が遠いと、それも期待できないだろう。
「海賊のって見たことないんだけど、あの鹿みたいな子は可愛いよね」
「ああ! あの鹿みたいなの、女の人に人気あるみたいですね!」
「…………」
予想はしていたけど、たまに読んでいるという割には、恐ろしく海賊への理解が浅かった。あと小手毬さん、アレは鹿じゃないから。
多分この分だと、中島さんの方がよっぽど詳しいんじゃないだろうか。矛盾点を指摘しつつ、めちゃくちゃ詳細に語ってきそうな気がする。勝手な想像だけど。
絶妙にずれている二人の会話を眺めながら、僕は溜め息を吐く。
もう少しスマートに解決したかったんだけど、こうなったら四の五の言ってられないな。
「春日井」
「はい、何ですか?」
「こうなったら、ぶっつけ本番でいくぞ。中島さんに声をかけて、彼女と友達になるんだ」
「ええっ!?」
あまりに雑な僕の提案に、思わず驚きの声を上げた……小手毬さんが。
春日井の方はどうかと言えば、相変わらずの納得顔でうんうんと頷いている。
「なるほど。男たるもの、下手な小細工を弄しないという事ですね!」
「……ん? ああ、うん……まあそんな感じだな」
キラキラと輝くような目を向けられて、僕はつい同意を示してしまった。
初めて春日井がここに来たときから思っていたけど、このやたらと厚い信頼はどこから生まれているんだろうか。最初に恋愛上級者みたいな態度で、小手毬さんとイチャイチャしているのを正当化したのが不味かったのか?
当の本人がこの調子なのに対して、小手毬さんは不安そうな顔だ。
これまで僕が恋愛相談を解決する姿を見てきた分、彼女の方が「ぶっつけ本番でいけ」という僕の発言に動揺しているのかもしれない。
……いや、やっぱり普通なら春日井も驚くよな。何なんだ、コイツ。
やたらと前向きな後輩を余所に、小手毬さんは僕の耳元に口を寄せてきた。
「ま、真壁くん……大丈夫なの? なんだか真壁くんらしくないけど……」
「いや、これでも勝算はあるし、春日井はああ言ったけど多少は策を弄するつもりだから、安心してくれていいよ」
春日井の言った「策を弄しない」という言葉は、あくまで彼の勘違いだ。
僕はもちろん策を弄して、春日井と中島さんの距離を縮めるつもりである。
ただ不確定な要素も多いので、本当ならもっと無難な手を使いたいとは思う。
「そうなんだ……良かった……」
僕が捨て鉢になったのではないと知り、小手毬さんはホッと息を吐いた。
その姿を見た春日井は、ニコニコと笑顔を浮かべながら宣言する。
「真壁先輩と小手毬先輩は、いつも仲睦まじいですね……! 俺も先輩たちのように、中島さんと仲良くなれるよう頑張ります!」
……君はもうちょっと不安そうにしなさいよ。
「頑張るのはいいけど、タイミングは僕に任せてくれ」
「タイミングですか?」
「ああ。彼女に声をかけるベストなタイミングを窺うから、春日井が動くのは僕が指示を出してからにしてほしいんだ」
実際はタイミングを計るわけじゃなくて、僕の方で策を弄する時間が欲しいだけなんだけど、どうも春日井は色々と不安な部分が多いので、変なことを吹き込まない方がよさそうな気がする。
もしかしたら声をかけた時点で上手くいくかもしれないし、あくまで「ぶっつけ本番」という認識でいてもらった方がいいだろう。
「分かりました、真壁先輩にお任せします!」
「……うん、任されたよ」
「それじゃあ俺は、部活に戻りますね」
疑うことを知らないような顔でそう言うと、春日井はバスケ部の練習に戻るため、恋愛相談部の部室を出て行った。
その背中を見送りながら、僕は溜め息を一つ吐いた。
隣にいる小手毬さんも、流石に春日井のポジティブぶりには引き気味な様子で、何とも言えない引き攣った表情を浮かべている。
「だ、大丈夫だよね? 真壁くん」
「……多分、おそらく大丈夫なはず……だと思う」
勝算はあるはずなのに、どうにも不安が拭えない。
僕は少しでも勝算を高めるため、スマホを取り出して連絡を取り始めた。
気付いたら次で100話目ですね。