そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.8 < chapter.2 >
車両管理部のガレージには、デニスのほかに三名のドライバーが待機していた。長距離輸送専門のシグテ、本部職員の送迎担当ヨーナス、メッセンジャーのミハウだ。
彼らはマルコとロドニーから『不思議な話』を聞かされると、何かを考える顔になった。
ただ驚いているわけでも、怖がっているわけでもない。それぞれ、『どの話』を語るか悩んでいるような顔つきだ。
「どうにも理解できない『何か』の話、あったら教えてほしいんだけど?」
「いかがでしょう?」
マルコに視線を向けられ、長距離ドライバーのシグテが手を挙げた。
「これ、長距離ドライバーの間ではメジャーな話なんですが……」
騎士団の荷馬車はありとあらゆるものを運ぶ。武器、弾薬、兵員、食料、生活雑貨、消耗品、特殊な処理工程を要する産業廃棄物など、『物質』としてこの世に存在するモノであれば、およそ運ばぬ物はない。
その日もシグテは、大量の物資を乗せて荷馬車を走らせていた。
「……ん? あれは……」
誰もいない岩砂漠の真っ只中。はるか遠くの地平線までまっすぐ続く道の途中に、陽炎のように揺らぐものがある。
「……また出ちまったか……」
シグテは一度馬車を停め、荷台から騎士団の旗を取り出す。
それは現在使われている団旗ではなく、五百五十年前、革命戦争のさなかに掲げられた魔女王ヴァルキリーの紋章を染め抜いた旗である。
荷馬車の後ろに一本、御者席の横に一本。
二本の旗を立てると、シグテは再び馬車を走らせる。
ゆらゆらと揺らぐ『陽炎のような何か』は、荷馬車が近づくと、まるで人間のようにこちらを見た。
シグテは叫ぶ。
「俺は魔女王様の配下の者だ! 先を急ぐ! 止まることはできない!!」
何かが荷台に飛びつき、乗り込んできた気配を感じる。
速度は落とさない。
後ろを振り向くこともしない。
首筋に人の吐息のようなものを感じても、シグテは前だけを見て、ひたすら馬車を走らせる。
そのうち、気配はフッと消えていなくなる。
馬車が岩砂漠を抜け、草原地帯に入ったのだ。
理由は定かでないが、『何か』は岩砂漠から出られない。そして魔女王の旗を掲げていれば、それ以上はなにもされない。
では、旗を立てずに通過したドライバーはどうなるか。
それは誰にも分からない。これはもう、何百年も前からずっと受け継がれている『攻略法』なのだ。あれが何か。なぜ、何の目的で現れるのか。『攻略法』の考案者が誰で、いつごろ編み出されたものなのか。攻略できなかったらどうなるかなど、今となっては何一つ分からない。
しかし、一つだけ確かなことがある。
その日の積み荷を知らされていなくとも、『何か』の出現によって、ドライバーは中身を知ることができるのだ。
ガーゼと包帯、医療器具、火傷の治療薬。
それらを求め、今なお砂漠を彷徨う者がいる。
それだけは、揺るぎようのない事実である。
シグテの話を聞き終えたロドニーとマルコは、揃って目頭を押さえている。
「かわいそうに……誰か、火傷を負った人がいたんだな……」
「ご家族でしょうか。恋人やご友人でしょうか。その方のために、命懸けで岩砂漠を歩いたのでしょうね……」
「魔女王ヴァルキリーの旗が目印になるってことは、戦時中の人なんだろ? 命懸けで隣町まで歩いたって、まともな薬なんか無かっただろうに……」
「それに、岩砂漠から出られないのなら、その方のご遺骨は今も砂漠のどこかに放置されて……」
「だろうな。クソ。拾って帰ってやりてえぜ……」
「《サンスクリプター》を使えば、その方と直接お話しできるのでは?」
「可能性はあるけど、自我が残ってるか分かんねえぜ?」
「あ……そうですね。五百五十年も前の幽霊となると……」
「理由も忘れて惰性で化けて出続けてるとしたら……うう。マジでかわいそう……」
「どうか救いがありますように……」
ただのオカルト好きなら『怪談話』として聞き流してしまう話も、この二人には『未解決事件』や『事後処理の為されていない事故現場』と認識される。
幽霊も、元は普通の人間だったのだ。
善良な人間が不幸に見舞われているなら手を貸してやりたい。そう思うのが『当たり前』として育った二人に、シグテは好感を持ってこう言った。
「お二人にお話しできて良かった。こういう話を面白がる人間には、話したくなかったんですよ……」
「フィクションのホラー映画なら面白がるけどよぉ。実際に誰か死んでんのに、かわいそうじゃねえか……」
「ええ。亡くなられたご本人も、残されたご家族も、お辛かったことでしょうから……」
二人の反応を見て、送迎ドライバーのヨーナスは何かを決意したように手を挙げた。
「王子とハドソンさんになら、お話しても大丈夫そうですね。実は私は、つい数日前……」
送迎担当ドライバーの仕事は、本部職員を王宮や中央市役所、各省庁、フェリーターミナルなどに送り届けることである。
騎士団長から総務部の新人まで、必要とあらば誰でも乗せて、どこへでも行く。乗せた人間が現地で用を済ませ、騎士団本部に帰るまでが送迎ドライバーの『仕事の時間』だ。長い時では半日以上、現地で『出待ち』をすることになる。
安全な観光地や飲食店街なら、ちょいとそこいらを見て回ることも、気軽に食事に出ることもできる。困るのは騎士団が歓迎されない地域である。マフィアが仕切る港町、領主や代官が独自の自警組織を立ち上げている町では、王立騎士団は目の敵にされている。制服のまま一人で出歩いたりしたら、どんな目に遭わされるか分かったものではない。
その日の現場も、そんな町の一つだった。事務方の人間と町の有力者との会合で、終了時刻は決められていない。敷地の外は安全とは言い難く、すぐそこに喫茶店が見えていても、一人で出歩くには不安がある。
ヨーナスは持参した水筒のお茶を飲みながら、いつ終わるとも知れぬ待機時間を過ごしていた。暇つぶしに持ってきた雑誌をパラパラとめくり、めぼしい情報を探す。
と、その時だった。
軽い眩暈とともに、自分の身体に何者かが入り込んでくるような感覚があった。
体の自由が利かない。
自分の身体を使って、何者かが勝手に、何かをしようとしている。
何者かは手にしていた雑誌を投げ捨て、護身用の警棒を引っ掴むと、唐突に駆け出した。
敷地を出て、喫茶店と隣家の間の路地へと入る。
しばらく進むと、表通りからは見えないクランク状の路地裏で、今まさに乱暴されそうになっている女性がいた。
現場には一目見てマフィアの下っ端と分かる若者が七人。最低限の筋力トレーニングしか受けていないドライバーのヨーナスでは、絶対に勝ち目がない。
しかしどうしたことだろう。自分の身体は信じがたい素早さで動き、七人の暴漢をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、あっという間に全員を行動不能にしてしまった。
路地に転がる七人の男。
自分に取り憑いた何者かは彼らの財布を回収し、身分証らしきものが何もないことを確認してから、それらをドブに投げ捨てた。
「白昼堂々女を襲うだけのことはあるな。足がつくようなものは所持していないか……」
そう言うと、何者かは当然のように七人の服を脱がせ、脱がせた衣類で手足を縛り始める。
下着一枚も残していない。素っ裸で後ろ手に縛られ、七人は局部を丸出しにしたまま路地裏に放置された。
男たちを縛り終えたころには女性はいなくなっていたが、むしろそのほうがいい。マフィアが仕切る町ではどんな理不尽もまかり通る。ろくな理由もなく殺される人間なんていくらでもいるのだから、現場に留まれば、それだけ逆恨みで殺される可能性が高まるだけだ。
ヨーナスの身体は本人の自由にならぬまま、勝手に歩いて、勝手に馬車に戻る。そして投げ捨てた雑誌を拾い、丁寧にホコリをはらっている。
「すまないな。緊急事態だったとはいえ、君の身体を勝手に使ってしまった。もしかしたら今後、あの連中が君を狙ってくることもあるかもしれない。だが恐れることは無い。君の身体に『暴漢と戦う力』があることは、もう理解できているだろう? 君は強い。そして、さらに強くなれる。『最低限の筋力トレーニング』を甘く見るな。基本があるからこそ、その先の『技』を体得することができる。誰かを守れる男になれよ」
ヨーナスの口はひとりごとのようにそう話すと、ふと動きを止めた。
「あ……あれ? え、今のは……?」
何者かは体から出て行った。
それが何者なのか、なぜ突然現れたのか、理由は何も分からない。
ただ、自分の拳がひとりの女性を救ったことは間違いない。
この時以来、ヨーナスの心には火がついた。
「私はその日のうちに警備部のジムを訪ね、格闘術の受講者登録を済ませてまいりました! あれは間違いなく、騎士団式実戦格闘術の動きでしたから! 私はただのドライバーではなく、送迎対象の護衛もできる『戦うドライバー』になります!」
「おお! 頑張れよ、ヨーナス! 応援してるぜ!」
「しかし、いったいどなただったのでしょうね。死してなお正義の心を説く騎士の霊、ですか……」
「格好良いよな、そういうの!」
「ええ。どうせ化けて出るなら、そのくらい立派な幽霊になりたいものです」
「んっ、ん~。あの~、マルコ王子ぃ~? 殉職前提でお話しされますと、わたくし共もリアクションに困るのですがぁ~?」
デニスのわざとらしい咳払いに、マルコはハッとする。
「そうそう簡単に、化けて出てはいけませんね?」
「はい。とっても」
「死なない程度に生きていきます」
「どうぞご安全に!」
二人のやり取りに、車両管理部の三人も笑いをこらえきれない。ロドニーが率先して笑っていることもあり、ドライバーたちも遠慮なく吹き出していた。
「さて、と。次はミハウさんに聞いても良いか? なんか、不思議な話とか知ってる?」
「ええと……聞いた、というよりは、自分で体験した話なのですが……」
「お、なになに?」
「一昨年の暮れに、市内の支部に書類を届けに行った時のことです」
ミハウはその時の出来事を一つずつ思い出しながら、ゆっくりと語る。




