しとうとなみだとおべんとう
「まあ、なんてーの?」
たいようのひざしをはんしゃして、はるのかわもがきらきらとかがやいています。
「こういうのが、いわゆる、さいのう、ってやつかな?」
ここはまんなかはらの、そのまんなかをながれるおおきなかわ、つらぬきがわです。きたのもりからみなみのはままで、まるでまんなかはらをなんぼくにつらぬくようにはしっていることから、つらぬきがわとよばれるようになったといわれています。
「べつにさ、じつはまえもってれんしゅうしてたとか、ほんとうはけいけんしゃだったとか、そんなんじゃねぇのよ? しょうしんしょうめい、つりざおにさわったのもはじめて。しんじられねぇかもしれんけども、いや、ほんとに」
きつねさんとたぬきくんは、こしかけいわからトコトコとあるいて、つらぬきがわにやってきました。きつねさんも、もちろんたぬきくんも、どこがさかなのよくつれるばしょか、なんてしりませんから、すわりやすそうなばしょをさがして、てきとうにつりいとをたらしてみます。ミミズにさわることができず、ひめいをあげるたぬきくんに「しょうがねぇなぁ」とわらいながら、きつねさんはたぬきくんのつりばりにえさをつけてあげました。「なんでへいきなんだよ。しんじらんねぇ」とぶつぶついっているたぬきくんをみて、きつねさんは「おくびょうものめ」とほがらかにわらいました。きつねさんは、たぬきくんをつりにさそってよかったとおもいました。つりをはじめるまえまでは。
「いやぁ、まさかじぶんにこんなかのうせいがあるとは、おもいもしなかったよ。てんはだれにもさいのうをあたえるが、だれもがじぶんのさいのうとであえるわけではない。そのことばのいみを、いまはじめて、じっかんとしてりかいできたきがする」
「ちょっとだまってろ」
あきらかにてんぐになっているたぬきくんのうわついたこわねに、きつねさんはおくばをかみしめたまま、くぐもったこえをかえしました。
たぬきくんのこしには、つったさかなをいれるためのびくがぶらさがっています。つりをはじめてほんのいちじかんたらずのあいだに、たぬきくんのびくには、もうじゅっぴきいじょうのさかながはいっていました。それにくらべて、きつねさんのびくにはまだいっぴきのさかなもはいっていません。たぬきくんときつねさんがつりいとをたらしているばしょはほとんどおなじなのに、なぜかあたりがくるのはたぬきくんのつりざおばかりです。
「おっ。またきた」
たぬきくんがタイミングよくさおをひき、またいっぴきさかなをつりあげました。さいしょはちょっとさおがゆれただけでおおさわぎしていたたぬきくんも、もはやかんろくさえかんじられるどうどうっぷりです。てぎわよくえさをつけて、ふたたびはりをかわになげいれると、たぬきくんはまんめんのえみでいいました。
「いやあ、いまのでいったいなんびきめかなぁ。もうかぞえるのもめんどうになっちまったよ。ところで、きつねさんはいま、なんびきつれていらっしゃるんでしたっけ?」
たぬきくんはわざとらしくとぼけたかおをして、きつねさんにききました。きつねさんはひたいにあおすじをうかべて、たぬきくんのことばをもくさつします。たぬきくんはからだをよじり、きつねさんのびくをのぞきこみました。
「おや、まだいっぴきも。これはしつれいをいたしました。まさかわたくしめをつりにさそってくださった、けいけんほうふなきつねさんがぼうずとは、いやはや、つりとはなんともおくぶかいものでございますなぁ」
「だまってろっつってんだろ!」
きつねさんはきばをむき、ぎろりとたぬきくんをにらみました。たぬきくんはかたをすくめ、「おお、こわいこわい」とつぶやきながら、からだをかわのほうにむけました。
きつねさんはかおにつよいあせりのいろをうかべて、かわもをにらんでいます。こんなことになるなんて、つりをはじめるまえまではおもってもみませんでした。
「このままじゃおわらねぇ」
つよいけついとともに、きつねさんはちいさくつぶやきました。
きつねさんは、さかながつれようがつれまいが、そんなことはどうでもいいとおもっていました。でも、たぬきくんとさがついてしまうのはがまんがなりません。たぬきくんの、あのうちょうてんになっただらしないえがおをみるのももちろんはらがたつのですが、それいじょうに、たぬきくんにできて、じぶんにできないことがある、ということがくやしいのです。たぬきくんとはいつだって、たいとうでいたいのです。
とはいえ、たぬきくんがたくさんさかなをつり、きつねさんがいまだいっぴきもつれていない、というのはげんぜんたるじじつです。おにぃといったときはちゃんとつれたのに、と、きつねさんはにがにがしいおもいがしました。つれたときと、いまと、いったいなにがちがうのか、きつねさんにはわかりませんでした。このままじっとまっていたって、たぬきくんいじょうにさかなをつれるとはおもえません。
「りょうじゃかてねぇ。しつだ。やつがじぶんでまいったというような、おおものをつるしかねぇ」
きつねさんにはひとつだけ、だいぎゃくてんのためのひさくがありました。それはきつねさんのおにいさんがおしえてくれた、つらぬきがわにすむという、ヌシのおはなしでした。
つらぬきがわには、ながいとしつきをいきて、とてもおおきくせいちょうした、ヌシとよばれるさかながすんでいるといいます。ヌシはきつねさんのせたけよりもおおきく、そのうろこはたいようのひかりをあびてにじいろにかがやくといいます。そのうつくしさとはうらはらに、せいかくはどうもうで、いままでヌシづりにちょうせんしたものは、ことごとく、かわにひきずりこまれたといいます。つまりヌシは、おとなのきつねでもつりあげられないような、つらぬきがわでいちばんのおおものなのです。
きつねさんはつりいとをかわからひきあげると、さおをてにたちあがりました。
「お? なんだ、トイレか?」
「ちげぇよっ!」
なんのきなしにかけたことばに、すごいけんまくでどなりかえされたたぬきくんは、びっくりしたようにめをまるくして、「そんなにおこらんでも」とつぶやきました。きつねさんは「ふん」とはなをならし、たぬきくんにせをむけて、かわしもへとあるいていきました。きつねさんはおにいさんから、ヌシをみかけたというばしょをきいていたのです。そのばしょはここからすこしさきの、かわはばがひろくなってながれがゆるやかになったところでした。
「ここだ。ここにちがいねぇ」
きつねさんはかわにつきだすようにせりだしたおおきないわをみつけ、そこにこしをおろしました。おにいさんはここでヌシをみたのです。いわれてみれば、なんとなくほかのばしょとはふんいきがちがうようなきもします。
いける。
きつねさんはかくしんにみちたひとみで、かわもにつりいとをたらしました。きつねさんのようすをずっとみていたたぬきくんは、きつねさんがつりをさいかいしたことにほっとしたように、じぶんのつりざおのさきにしせんをもどしました。
きつねさんはめをとじ、こきゅうをととのえて、ゆっくりとかわもにつりいとをたらしました。わずかなけはいものがさぬよう、ぜんしんをめにしていしきをとぎすませます。するとほどなくして、はりのさきになにかがふれるかんかくが、きつねさんのてにつたわってきました。そのなにかは、たしかめるようにつんつんとはりさきをつついています。
(まだだ。あせるな)
きつねさんはこきゅうのおとさえたてぬよう、ひっしでこころをおちつけていました。
つんつん
なにかはしんちょうに、えさをつついています。
(まだまだ)
しゅういのふうけいとどうかするように、きつねさんはけはいをころします。いちどでもしくじれば、けいかいしたヌシはにどとすがたをあらわさないでしょう。チャンスはいっかい。しっぱいはゆるされません。
きつねさんとなにかのしずかながまんくらべは、それからしばらくつづきました。じりじりとせいしんをけずられるきんちょうのなか、きつねさんはたぬきくんにかちたいいっしんでたえつづけました。そして、ついにうんめいのしゅんかんはやってきました。
「きたっ!」
つりさおがぐいっとひっぱられるかんかくがつたわってきたそのとき、きつねさんはたちあがり、すばやくさおをひきました。つよくおもいてごたえが、かかったのがおおものであることをつげています。きつねさんはまんしんのちからをこめてさらにさおをひきつけました。
ばっしゃーん!
かかったさかながかわもをはね、そのすがたをあらわしました。からだはきつねさんよりもおおきく、うろこはひのひかりをはんしゃしてにじいろにかがやいています。おにいさんのいっていたかわのヌシにまちがいありません。きつねさんはよろこびにかおをあかくしました。これでたぬきくんにかてる。しかし、きつねさんがしょうりのよろこびにきをそらした、そのとき。
「うわっ!」
はねあがったいきおいでかわにふかくしずんだヌシにひっぱられて、きつねさんのからだがよろけました。いわのはしギリギリにあしをかけ、かろうじてふみとどまったものの、からだはおおきくかわのほうにかしぎ、いまにもおちてしまいそうです。
「バカっ! てぇはなせ!」
いへんにきづいたたぬきくんが、するどいこえでさけびました。でも、このつりざおはおにいさんからかりたものです。なくしたらおこられる。そんないっしゅんのためらいが、きつねさんのはんだんをおくらせました。そして、そのいっしゅんのうちに、きつねさんはかわにひきずりこまれてしまったのです。
どぼんっ!
かわもにいきおいよくたたきつけられ、きつねさんのぜんしんにはげしいいたみがはしりました。すいちゅうにひきずりこまれ、からだがくうきをもとめてあえいでいます。うんのわるいことに、きつねさんのてにはつりいとがまきつき、かんたんにはずすことはできそうにありません。ヌシはくちにひっかかったつりばりのいたみで、あばれにあばれていました。きつねさんはげきりゅうにほんろうされるこのはのように、みぎへひだりへとひっぱられています。
(こりゃ、しぬかな)
きつねさんはとおざかるいしきのなかで、じぶんのくちからこぼれたくうきのあわが、すいめんにうかんでいくのをみていました。からだがひどくおもくかんじられて、ゆびのいっぽんもうごかせそうにありません。たぬきくんにまけたくない、そんなおもいにめがくらんで、きつねさんはじぶんのりきりょうをこえたむぼうなちょうせんをしたことをこうかいしました。ヌシはおとなのきつねもつりあげることのできないおおもの。こどもであるきつねさんがつることなどできるはずもなかったのです。
からだのいたみもにぶくぼやけて、いきのできないくるしさもじょじょにうすれて、きつねさんはゆっくりとめをつむりました。
「ど、ど、ど、どうしようっ!」
きつねさんがかわにおちたのをまのあたりにして、たぬきくんはちのけのひいたかおでいみもなくてあしをばたばたさせていました。たすけなきゃ、でも、たぬきくんはおよげないのです。きつねさんをかわにひきずりこんださかなははげしくあばれていて、かわもにおおきなみずしぶきがあがっています。きつねさんのすがたはみえません。おぼれてしまったのでしょうか?
このままじゃしんでしまう
たぬきくんのあたまに、そんなことばがうかび、そして。
「うわぁん!」
たぬきくんはじめんをけり、かわへととびこみました。
さぶぅん!
もうろうとするいしきのなか、きつねさんのみみに、なにかがみずにおちるおとがきこえます。どうしてかそのおとがきになって、きつねさんはうすくめをひらきました。そこできつねさんにめにとびこんできたのは、しんじられないこうけいでした。
「あのバカっ! なにやってやがるっ!」
かわにしずむたぬきくんのすがたに、きつねさんはおおきくめをみひらきました。
「がぼごばごぼがばっ」
あんのじょう、たぬきくんはおぼれて、てあしをばたばたさせながらもがいています。きつねさんのとおざかっていたいしきが、きゅうそくによみがえりました。しぬかな、なんてゆうちょうにいっているばあいではありません。このままではたぬきくんがしんでしまいます。
いしきがせんめいになるにしたがって、からだのいたみも、いきのできないくるしさもよみがえってきました。きつねさんはギリリとおくばをかみしめ、いたみやくるしさをむりやりにいしきからおいだしました。つりいとはまだきつねさんのてにからまっています。ヌシをだまらせなければ、たぬきくんをたすけにいくことはできません。きつねさんはあばれつづけているヌシを、もえるようないかりをこめてにらみました。
するとそのとき、ヌシがかわもをおおきくはね、みずのうえにとびあがりました。つりいとにひっぱられ、きつねさんのからだもくうちゅうへとまいあがります。
「いましかねぇ!」
きつねさんはてにからまったつりいとをたぐりよせ、くうちゅうでくるりとまわってたいせいをととのえると、
「かわのヌシともあろうもんが、つりえさがっついてんじゃねぇよ!」
ヌシののうてんにみごとなかかとおとしをくらわせました。ヌシときつねさんはそのまま、じゅうりょくにしたがってかわへとらっかしていきます。
ざばぁん!
おおきなおとをたて、かわもにみずばしらがたちあがりました。きつねさんのかいしんのいちげきをくらったヌシは、きをうしなってかわのひょうめんにぷかぷかとういています。きつねさんはするどいきばでつりいとをかみきると、みをひるがえし、すいちゅうをきりさくようにおよいで、たぬきくんのもとへとむかいました。
「おまえは、バカなのか?
バカ、なん、です、か!」
きつねさんはたぬきくんのまえににおうだちになり、じごくのえんまもはだしでにげだすあっとうてきなはくりょくでたぬきくんをみおろしていました。たぬきくんはじめんにせいざし、しゅんとしたようすでうなだれています。
「およげねぇやつがかわにとびこんで、いったいなにしようってんだこのあんぽんたん!
おれがたすけなきゃあのよいきだったんだぞ? しにてぇのかバカヤロウ!」
きつねさんのかみなりにかたをすくめ、たぬきくんはますますみをちいさくちぢめました。たぬきくんもわかっているのです。じぶんがおよげないということも、およげないのにかわにとびこんでもやくにたたないということも。きつねさんはふかくためいきをつき、すこしこえをやわらかくしていいました。
「どうしてこんなことしたんだよ。かわにとびこんだらどうなるか、わからなかったわけじゃねぇだろ?」
たぬきくんはすねたようにくちをとがらせ、
「……しょうがねぇだろうがよ」
もごもごとふめいりょうなこえでいいました。
「……しんじゃうって、おもったから……」
「だからって……!」
さらなるおせっきょうをくりだそうとたぬきくんのかおにめをやり、きつねさんはおもわずことばをのみこみました。たぬきくんのめじりに、なみだのつぶがうかんでいたのです。なみだはみるみるおおきくなり、あふれてほおをつたいました。
「いぎでで、よがっだ……
じななぐで、よがっだ……」
りょうめからぽろぽろとなみだをこぼし、はなみずをせいだいにたらして、たぬきくんはなんどもなんども、「いきててよかった」とくりかえしました。そんなたぬきくんのようすをみて、きつねさんはなにもいえなくなってしまいました。そもそも、たぬきくんがかわにとびこむげんいんをつくったのはきつねさんなのですから、たぬきくんのむぼうをしかるまえに、じぶんじしんのくだらないみえをはんせいしなければいけないのです。
「わかったよ。わかったから、なくなって」
きつねさんはひざをつき、めのたかさをあわせました。たぬきくんはぐしぐしとはなをすすり、てでなみだをぬぐっています。しかし、なみだはあふれてあふれて、なかなかとまってはくれませんでした。
「おれがわるかったよ。おれがわるかった」
じしんかで、いつもにくたらしいほどよゆうたっぷりのたぬきくんのなみだを、きつねさんははじめてみました。そして、そのなみだのりゆうが、しんぱいとあんしんであったことに、きつねさんはこころのなかで、うれしい、とおもいました。きつねさんは、なきつづけるたぬきくんのあたまをやさしくなでつづけました。「わるかった」といいながら、たぬきくんがなきやむまで、ずっと。
そらはあいかわらずくもひとつなく、あたたかいひざしがさんさんとまんなかはらにふりそそいでいます。たいようはせかいのいちばんたかいところで、ごきげんにかがやいています。ずぶぬれだったふたりのけがわも、もうすっかりかわいていました。
「いつのまにかひるじゃねぇかよ。どおりではらがへったとおもった」
たぬきくんがまぶしそうにたいようにてをかざしました。きつねさんはすこしいじわるなかおをして、たぬきくんにいいました。
「そうだな。なくとはらがへるもんな」
「だ、だれがないたって? そんなじじつはどこにもねぇよ!」
たぬきくんはすこしかおをあかくして、あわてたようにさけびました。きつねさんはあきれたようにいいました。
「おまえだよ。ついさっきまで、びーびーないてただろ」
くびをぶんぶんとよこにふって、たぬきくんはべんかいします。
「ないてねーよ。なくわけがねーよ。もしおまえが、おれがないていたとおもったんであれば、それは、ごかいだ」
「どこにごかいのよちがあんだよ。のうみそとけるぐらいないてたろうが」
「ふっ、あまいな。さっきのはな」
たぬきくんはしばいがかったしぐさでまえがみをはらうと、しんけんそのもののかおをしてきつねさんをみつめました。
「うそなきだ」
「うそつけ。はなみずまでたらして」
「うそはなみずだ」
「きいたことねーよ。そんざいしねーよそんなことばは」
たぬきくんはかたくなに、うそなきだとしゅちょうしつづけました。きつねさんはあまりにいっしょうけんめいなたぬきくんのようすに、おもわずわらってしまって、「はいはい、わかったわかった」といいました。たぬきくんはぐぬぬ、となっとくのいかないかおをしていましたが、それいじょうなにもいいませんでした。
「それよりさ、おべんとう、もってきてくれたんだろ? たべようぜ。いいじかんだろ」
きをとりなおしたように、たぬきくんはそういってわだいをかえました。きつねさんがおべんとうをもってきていたことはたぬきくんもきづいていて、ひそかにたのしみにしていたのです。しかし、きつねさんはばつのわるそうなかおをして「うーん」とうなりました。
「どうしたよ。はよだせ、ほれだせ」
もうまちきれないのか、せかすたぬきくんに、きつねさんはむごんで、じめんにおいてあるおべんとうのふくろをゆびさしました。そこにあったのは、かわのヌシがおおあばれしたときにあがったみずしぶきをあびて、ずぶぬれになったおべんとうのすがたでした。
「こりゃ、もうくえねぇんじゃねぇかな」
きつねさんはあきらめたようにいいました。おべんとうばこはぼうすいでも、みっぺいせいにすぐれてもいない、つるであんだシンプルなものです。かわのみずをぞんぶんにあびたおべんとうは、きっともとのかたちをとどめてはいないでしょう。しかし、たぬきくんはまるできにしたふうもなく、おべんとうをひろうと、ふたをあけました。
「いいや、くえるね。なんのもんだいもねぇ」
たぬきくんはそういうと、かわのみずでふやけたおにぎりをてにとり、くちにほうりこみました。
「うん。うまい。からだによさそうなあじがする」
「まじで?」
たぬきくんはおべんとうのなかみをほいほいとたべていきます。きつねさんはじぶんのぶんのおべんとうをひろうと、ふたをあけて、たまごやきをつまんでくちにいれました。
「まずっ!」
かわのみずをたっぷりとふくんだたまごやきは、あじがほとんどしない、ぶよっとしたべつのなにかにかわっていました。なにをどうひっくりかえしても、このたまごやきからうまいということばはでてきません。きつねさんはたぬきくんのかおをじっとみつめました。たぬきくんはいきおいよくたべつづけています。ちょっと、やけになっているようにもみえなくはありません。
「むりしてくわなくてもいいんだぞ? どうかんがえてもくえたもんじゃねぇ」
きつねさんはもうしわけなさそうにいいました。
「むりなんかしてねぇよ。ほんと、いけるって。なんだおまえ、アレか。ブルジョアか? ちょっとぬれちまったたべものはくえませんってか。それはそれは、おそだちのよいことでございますな」
すっかりいつものちょうしをとりもどしたように、たぬきくんはひねくれたわらいをかおにうかべました。さっきのしおらしいたいどとのらくさに、きつねさんはふだんのにばいほどいらいらをかんじました。
「いちいちはらたつな、おまえ」
「おれはいつでもすなおにしんじつをはなすのみだ。うまいものはうまい」
「ばかじたなだけだろ」
あきれたようなきつねさんのことばをむしして、たぬきくんはおべんとうをたいらげました。きつねさんがたべなかった、もうひとつのおべんとうも、ぜんぶ。
ゆうひがまんなかはらをあかねいろにそめ、いちにちのおわりをしゅくふくしています。たぬきくんときつねさんは、まんなかはらのすこしさみしげなうつくしさに、みいられたようにたちつくしていました。
「きょうはさんざんだったな」
たぬきくんがきつねさんにそういいました。
たぬきくんがかわにとびこんだとき、こしのびくにはいっていたさかなはみんなにげてしまいました。さいしゅうてきにふたりは、あれだけのおおさわぎにかかわらず、いっぴきもつれなかったのでした。
「もうつりはこりごりだよ」
きつねさんはそういってわらいました。
「そうだな」
たぬきくんはきつねさんとかおをみあわせました。
『もともとそんなすきじゃねぇし』
ふたりのこえがぴったりとそろい、ふたりはふきだすようにわらいあいました。
ゆうやけのそらに、からすがないています。やまにあるじぶんのいえに、かえっていくのでしょう。たぬきくんはからすのすがたをおって、しせんをそらにむけました。
「そろそろかえるか」
たぬきくんがおおきくのびをしていいました。
「おう」
きつねさんはたぬきくんのよこがおをみつめていました。
「じゃ、またあした」
「え?」
たぬきくんのおわかれのあいさつに、きつねさんはおどろいたようなこえをあげました。たぬきくんはけげんそうにきつねさんをふりかえりました。
「ん?」
ふしぎそうなひとみのたぬきくんに、ふっとちからのぬけたほほえみをかえして、きつねさんはかるくくびをふりました。
「いや。……じゃ、またあした」
きつねさんにかるくてをあげて、たぬきくんはタヌキやまにかえっていきます。きつねさんもまた、たぬきくんにせをむけて、キツネやまにかえっていきました。タヌキやまとキツネやまはまんなかはらをはさんでせいはんたいのばしょにあります。ふたりがいえにかえるとき、ふたりはいつもせをむけてかえらなければなりません。
たぬきくんはあしをとめ、ふりかえって、きつねさんがさっていくうしろすがたをみていました。そして、きつねさんがキツネやまにかえったことをかくにんすると、ふたたびじぶんもタヌキやまにむかってあるきはじめました。
こうしてきょうも、しっかりまたあしたあそぶやくそくをして、ふたりはじぶんのすむやまへとかえっていったのでした。