【終末ワイン】 ムロランルージュ (24,000字)
寿命。人の命の長さ。それを人は知る事が無い。知る事が出来ない。知らないからこそ、明日を未来を信じ、生きていく。自分が明日、死ぬという事がわかっていたら? 死ぬ事が決まっていたとしたら、人はどういう行動を取るだろうか。
2月29日 厚生労働省終末管理局
月末の今日、1カ月毎に実行される『終末通知』の葉書を作成するプログラムが起動した。今月は、2万2001通の通知葉書が作成された。作成された終末通知葉書は、管理局職員により機械的に郵送の手続きが粛々と行われた。
◇
北海道は室蘭市。その中心とも言える室蘭駅から歩いて10分程。そこに1軒のスナックがあった。スナックの名は「ムロランルージュ」。スナックを営んでいたのは今年で50歳になる安永恵津子。恵津子は室蘭駅から1つ隣りの母恋駅から歩いて20分程のアパートに1人で住んでいた。
恵津子は若い時分に結婚をしたが、夫は交通事故により若くしてこの世を去った。夫が亡くなった当時、2人の間には小学生に上がったばかりの娘が1人いた。夫と死別して以降は再婚する事無く娘と2人で過ごし、やがて娘は地元の高校を卒業すると同時に家を出た。札幌の会社へと就職が決まり、室蘭から通う事も出来ない為に札幌へと引っ越し、今は一人暮らしをしている。
恵津子は室蘭で生まれて室蘭で育った。製鉄所で働いていた夫とは知人の紹介で知り合い結婚に至った。夫が交通事故で亡くなった時、相手の保険会社からはそれなりの慰謝料も貰ったが、自分と子供の生活費、それと子供の養育費をずっと賄える額でもなく、恵津子が働いて金を稼がなければ厳しい生活を強いられる状態であった。
恵津子は室蘭で仕事を探しはしたものの特に資格等も持っていなかった恵津子を雇う会社は無く、そもそも求職が多い訳でもない為に見つける事は出来なかった。そこで、義母である夫の母が営んでいた室蘭駅近くのスナック「ムロランルージュ」で雇ってもらう事となった。ムロランルージュと言う店名は義母が付けた物であり、もちろんダジャレである。
10年近くスナックで働いた頃、スナックオーナーである義母の体調が悪くなり店を恵津子に任せて休む事が多くなった。義母は年齢的にも体調の回復の見込みが無くなってきていた。必然、店を手放す事を考え「安くするからスナックを買わないか」と恵津子に持ちかけた。その頃の恵津子は娘が札幌へと出て行った時期と重なり肩の荷が下りたという状況でもあった事に加え、多少のゆとりも出てきていた事からスナックを譲って貰う事にした。
子供が社会人として家を出て行ったからといって人生が終わる訳では無い。生きていく為には金が必要であり、金を得るためには働かざるをえない。だが手に職も無く、他につける職も無く、恵津子を雇ってくれる場所が無い中で自分がオーナーとしてやっていこうと、スナック経営者としてこの街で生きていこうという決意の下での購入であった。
とはいえ、昔は活気のあった室蘭も今はそれ程では無く、駅に近いとはいえ儲かる訳では無い。L字型に配置されたカウンターには10席、それと4人掛けのテーブル席が5席。それらの席が忘年会シーズン以外で全て埋まる事は殆ど無く、決して豊かな生活が送れるとは言えない状況であった。
室蘭と言えば大きな製鉄所が有名であるが、その製鉄所の最寄り駅は東室蘭であり室蘭よりも活気があった。室蘭本線という名前で列車が走ってはいるが室蘭へは通じてはおらず、東室蘭からの支線という扱いで通じていた。
夫の墓があるからという理由で室蘭に固執している訳では無いが、仕事を探す際にも室蘭以外は探さなかった。娘も社会人となり札幌へと出て行ってしまい1人気ままな自由の身ではあるが、どこか別の街へと行こうとは考えた事も無い。製鉄所の他には地球岬という名所がある位の室蘭ではあるがこの町が気に入っていた。まだ夫が存命時に親子三人で東京へと旅行に行った事があったが、人の多さと街の過密さに窮屈さを覚え馴染めないと思った。ほぼ常連客しか来ないスナックを経営しているだけではあるが、この町で生きていこうと自分自身の中で漠然と決めていた。
月曜日の午後0時、恵津子は枕元でジリリリと奏でる目覚まし時計によって目を覚ました。かといって布団からは出ず、布団の中からもぞもぞと手だけを伸ばし、手探りで目覚まし時計を探し出してそのまま止めた。伸ばした手はそのまま布団の中へとそっと仕舞われ、部屋には沈黙が訪れた。
その状態で10秒程が経つと、恵津子はムクリと上半身を起こして布団の上で正座した。寝ぼけ眼で見るカーテン越しの窓からは陽が差し込んでいたが、刺さるような部屋の寒さに身震いすると同時に身をすくめ、再び布団を頭から被り団子のように寝転ぶと、再び部屋には沈黙が訪れた。
その状態で10秒程が経つと、恵津子は両手で以って掛け布団を勢いよく後ろへと剥いだ。そんな意を決したようにして布団から這い出ると、枕元に畳んであった半纏を背中に羽織り、同じく傍に置いてあった毛糸の靴下を履いた。そして寝ぼけ眼のままにおもむろに立ち上がり、壁に固定されているエアコンの暖房スイッチを入れると、身を縮こませながら台所へと向かった。
恵津子が住んでいるアパートは築40年といった古いアパートであった。トタンの屋根は大きい雨粒の雨が降れば部屋の中で大きい声で話さなければ会話が出来ないといった安普請でもあり、トイレと風呂は別々ではあったが洗面所はついてはおらず、洗顔や歯磨きは台所でしていた。
6畳と8畳の畳部屋に台所。間取りで言えば2Kと言える部屋ではあるが、畳も古く襖は経年劣化で汚れていると同時に、子供が小さい頃に書いた落書きも残っていた。あちらこちらに古臭さが残り、天災が起きたらどうかなってしまうのではと心配するようなアパートではあったが、それは家賃の安さという魅力で相殺されていた。その街自体の家賃相場は元々安くはあったが、そこから更に安くなっていた。それで浮いたお金は食費やその他の消費へとつながる事で、そこからの引っ越しも考えてはいなかった。
恵津子は台所で以って歯を磨き終えると、瞬間湯沸かし器のお湯で丁寧に洗顔した。そして寝室として使っている8畳間へと戻り、畳の上の布団を押入れへとしまい込み、厚手のナイロン製のパジャマから、細身のブルージーンズに意味の分からない英文が前面にでかでかと書かれたピンク色のトレーナーへと着替え、その上から半纏を羽織った。
恵津子が娘と一緒に暮らしていた時には朝6時半に起きていた。まだ学生だった娘の為に早朝から朝食と昼の弁当、それと夕食の準備をしていた。子供と一緒に朝食をとり、学校へと出かける子供を見送り、その後に洗濯等の家事全般をこなし、仮眠を取った後にスナックへと向かい午後5時開店へ向けての準備をする。
スナックの終了時刻は午前1時頃。後片付けを終えてから家に着くのは午前3時。帰った時には当然娘は寝ており、娘を起こさないようにそっと布団に入る。そして3時間後の朝6時に起きる。何か買い物があればスナックに行くついでに買い物をし、スナックから帰る時に荷物を持って帰る。
そんな生活サイクルをしていた事で時折意識が飛びそうになりフラつく事も何度かあったが、平日に子供と会えるのは朝だけと言う事もあり、自分の身を案じる事無くその短い時間を大切にしていた。
子供が社会人となって家を出ていくと、午前3時頃の就寝は変わらないものの起床時間が午後0時となった。スナック開店準備は午後4時頃から始めるので、それに間に合えばいいだけであった。
子供と一緒に暮らしていた時には日に2,3時間しか寝ないような時もあった。現在50歳となる恵津子はそんな日々を時折思い出す度、「よく体が持ったなあ」と懐かしく思う。子供という存在があったからこそ気を張ってそんな生活をやっていけたのだと、昔を思い出す度、しみじみと懐かしく思う。
冷凍御飯を解凍しての卵かけごはん。それと昨日の残りのみそ汁。そんな簡単な朝食を済ませると洗濯にとりかかり、洗濯機を回している最中に部屋の掃除を済ませる。そして洗い終わった洗濯物を錆びてそのうち朽ち落ちるのではないかと心配になる鉄製の小さいベランダへと干す。それらを終えたあたりで、時計の針は午後2時を回っていた。
その後はテレビを見ながらのんびりと過ごし、時計の針が午後3時半を過ぎたあたりで、仕事へ向かう準備を始めた。私用に於いては着る事の無い黒いスーツを着込み、少し濃いめの化粧を施す。肩辺りまで伸びた髪は艶を失っていると共に毛先は自然と跳ねて枝毛も多かった。少しだけ色を抜いたその髪は、太陽の下では少しだけ茶色く見えた。
恵津子のアパートからスナックまではゆっくり歩いて30分程。そこまでの公共交通機関は無く、恵津子は自転車にも乗れず、いつも歩いて向かっていた。自転車に乗れたとしても雪が降れば危なくて乗れず、夏はともかく冬の寒さの中では乗る気もしない。タクシーで行けばものの数分で着くがそんな浪費をする事などはありえず、毎日のように歩いて向かっていた。
着替えと化粧を終えた恵津子はスーツの上からベージュのダウンのロングコートを羽織り玄関へと向かった。そして金色のヒールを履くと外開きの玄関ドアを開けた。
既に太陽は傾き、風は吹いてはいなかったものの寒気が入り込むと同時に身を竦ませた。毛糸の手袋と顔には防寒の為のマスクをしてはいたが、それでも寒い事には変わりなかった。錆も目立つ鉄製の外階段をヒールの音を響かせながら1階へと降り、そのままスナックへと向かって歩き出した時、「あっ」という独り言を小さく口にしたと同時に踵を返して直ぐに部屋へと戻った。
部屋へと戻った恵津子は居間として利用している6畳間の中央に鎮座する丸いテーブルへと向かった。そのテーブルの上には恵津子の携帯電話が置いてあった。万が一にも娘から緊急連絡があったら大変だと、常に携帯電話は近くに所持するようにしていた。そして携帯電話を手に取ると、すぐに玄関へと引き返した。
玄関を出て直ぐ、恵津子は玄関脇に設置されている自分の郵便ポストからチラシがはみ出ているのが目に付いた。一瞬、帰ってから見ようとは思った物の気になってはみ出ているチラシを抜き取り、そのままポストの中も確認した。ポストの中には駅近くのスーパの安売りチラシに不用品引取りのチラシ、手にしたチラシも同様の物。それ以外には1枚の葉書が入っていた。
恵津子はチラシを取り出し一瞥してから葉書を手に取った。その葉書の宛先には『安永恵津子様』と自分の名前が記載されていると共に、その左横には注意を引くような赤い文字で『終末通知』と記載されていた。
恵津子は30分程歩き続けてスナックへと到着した。店の入口付近には不在時の間に届けられたおしぼりやお酒、乾物や野菜といった物が詰め込まれた段ボール箱等の箱が置かれていた。恵津子はダウンコートを脱ぎ棄てカウンターの上へと置くと、それら段ボールの品物を棚に冷蔵庫にと次々入れていった。それが終わると小型の掃除機で以って店内の掃除を始めた。いつもの行動なので無意識に近い状態で体が動いてはいたが、頭の中ではポストに届いていた終末通知の葉書の事で一杯であった。
圧着タイプのその葉書は未だ開いていなかった。開いたその中には自分がいつ死ぬかの日付が記載されている事は知っていた。葉書が届いた事で既に「死ぬ」という宣告を受けた訳でもあり、今更怖がってもしょうがないとは分かってはいたが、葉書を開くのが怖くて開けなかった。恵津子は葉書が届いた事を忘れようとでも言うように、掃除を終えると惣菜といったつまみの下ごしらえに取りかかった。
午後5時。既に周囲が暗い中、「ムロランルージュ」という白地に赤い文字で書かれた看板が灯された。
開店してから5分程が過ぎると、常連客がポツリポツリと現れ始めた。とはいっても高齢男性、中年男性、中年女性と数人程度。みな歩いて来られる距離に住む人達ばかりであった。ビールに水割り、ハイボールとそれぞれが頼み、常連客同士で楽しく飲みながら話していた。恵津子もソフトドリンクを口にしながらその会話に混ざっていた。恵津子は常連客との話の中で終末通知の話をしたくなったが、切り出しづらくて言いだせなかった。楽しい話ではないし、何より自分に葉書が届いた事が知られた時の常連客の反応も怖かった。
時刻は午前1時を回り、恵津子は終末通知の話を誰にも出来ないままにその日の営業を終えた。店の後片付けを終えると真っ暗で静かな室蘭の街を一人歩き、アパートへと帰って行った。
そうして葉書を開く事が出来ないまま、誰にも話させないままに1週間近くを過ごし、今日もスナックを開けていた。
時刻が午後11時を回った頃、店の中には沈黙が流れていた。既に客は誰もおらず、店の中には恵津子1人だけ。恵津子は虚ろな目で以って自分のハンドバッグに目をやった。そのハンドバッグの中には終末通知が入れっ放しにしてあった。おもむろにハンドバッグに手を伸ばすとそれを手に中を開け、沢山の領収書の束に混じってあったそれを手に取った。
『あなたの終末は 20XX年 4月11日 です』
葉書を開いてすぐに目に飛び込んできたのはそんな文言。この葉書が投函されていた時点で既に自分がもうじき死ぬという事は分かっていた。だが改めて「この日に亡くなります」と突き付けられが今だに実感が湧かなかった。
記載されている終末日から逆算すると恵津子に残された時間はほぼ1カ月。恵津子は未だにこの話を娘にするかどうかを決めきれていなかった。そして娘に話せないままに日々は過ぎていく。
恵津子は娘に話さないままに死んでいくのもありだと思っていた。夫が亡くなった時も突然の話であり、人が死ぬのは突然というのが普通なのだろうと。そもそも前もって大切な人が亡くなるという話を聞かされて、相手がどう思うのかが分らない。娘がそんな話を聞いたらどうなるのかと思うと話す気になれなかった。そんな事を考えている内に、更に数週間が過ぎていった。
日曜日の午後0時。いつもの時間に恵津子は起きた。といっても今日は店は休み。家事を済ませたらのんびりと1日中アパートで過ごすつもりでいた。
結局、娘は勿論、誰にも終末通知の件を話せないままに日々は過ぎ去り、この時点で恵津子に残された時間は4日となっていた。もう何も考えたくないと、ただただ日々が過ぎ去るのを待っているだけだった。
恵津子は部屋の中、テーブルを前に畳の上に座り、何の気なしに終末通知の葉書を手にぼんやりと眺めていた。その葉書の中、ふと「終末ケアセンターの問合せ先」という記載に目が留まった。最初見た時には気付かなかったが、終末日が記載されている横にそれは記載され、その下にはQRコードが併記してあった。恵津子はそれは何を示すのだろうと興味を持つと、携帯電話で以ってそのQRコードを読み取った。するとすぐにウェブブラウザが開き、とあるホームページが表示された。
『終末の過ごし方』
そんなタイトルのホームページが開かれ、そこには「今まで通りの生活をするか、安楽死を望むか」といった一見過激に思える文言が書かれていた。そのページの最下部には「安楽死を望むなら自治体の終末ケアセンターに来てください」とも書かれ、その文言のすぐ下には『最寄りの終末ケアセンター』と書かれたボタンがあった。恵津子が何の気なしにそのボタンを押すと直ぐに携帯電話の画面上に地図が表示された。携帯電話のGPS情報から自動検索されたであろうその地図は、恵津子の家から最寄りの終末ケアセンターまでの道を表示し、自宅から約2キロの場所にそれはあると表示していた。
現時点に於いてはこのままで良い、このまま終わっても良い思ってはいたが、家から2キロという近い場所に何かがあるというなら行くだけいってみようかと、恵津子はおもむろに立ち上がると出かける準備を始めた。
午後2時過ぎ。恵津子は地図に表示された終末ケアセンターへと向かって歩いていた。恵津子が歩く道の両端には2階建ての家々がまばらに並び、その並びの中で極稀に商店が現れる。時折現れる路地の先に目をやると低い山の稜線がチラチラと見えた。それはその街が低い山に囲まれていると容易に想像でき、既に50年住んでいる町のその見慣れた光景が数日後にはもう2度と見れなくなると思うと懐かしくもあり愛しくさえ思えた。その付近の道をかつては夫と娘との3人で歩いていた。その当時とは人の賑わいは全く異なる物の、それでも家族で歩いた道である事には変わりなく、それを思い出すとより一層愛おしく見える気がした。
家からゆっくり歩いて30分程。恵津子は終末ケアセンターの入口へと辿り着いた。今までは目に入ってとしても気にしていなかっただけかもしれないが、まさか自分のアパートからこんな近くの場所にそんな施設があると気付かなかった。
道路に面したその敷地には凡そ50台程の車が停められそうな未舗装の駐車場が広がり、その奥にその建物は建っていた。もう少し古びていれば史跡といえそうな石造りを思わす3階建ての大きい建物。一見、西洋の神殿を思い起こさせるような石柱が建物の周囲をぐるりと囲み、その頭上を屋根瓦で覆うといった和洋折衷の建物。
駐車場を通り抜けて建物正面までやってくると玄関までの低めの段差と奥行きの長い5段の階段を1歩1歩ゆっくりと上った。そして全面ガラスの玄関口までやってくると、両引き戸の自動ドアがゆっくりと開き始めた。
音も無くスーッと開かれた自動ドアを通って中へと入ると、そこから10メートルほど離れた正面の上部に「受付」と書かれたブースが目に留まった。横幅約5メートルといった素っ気無いそのブースには制服と思しき明るいグレーのブラウスに濃いグレーのリボンタイといった装いの2人の女性が座っていた。2人の女性が玄関口の恵津子に気が付くと座ったままの姿勢で軽く頭を下げた。それを見た恵津子もすぐに軽く頭を下げ、受付へとまっすぐに向かった。
受付前までやってきた恵津子に対し2人の女性は「いらっしゃいませ」等と声をかけるでもなく、ほんの少し口角をあげた表情で以って恵津子を迎えた。
「あの、終末通知の葉書を貰ったのですが……」
恵津子は少し小声ぎみにそう言って、ハンドバッグから終末通知の葉書を取り出し受付の女性に提示した。
「少々お待ち下さい。担当をすぐに呼びます」
受付に座る女性はそう言ってどこかに電話をかけ始めた。恵津子は終末通知の葉書をハンドバッグの中へとしまうと、手持無沙汰に受付付近の吹き抜け空間をぼんやりと眺め始めた。
受付付近で待つ事数分。コツコツと、ゆっくりとした足音が響いてきた。その足音は徐々に近づき1メートル手前まで来て止まると恭しく頭を下げた。
「初めまして。私、神林一郎と申します」
白髪混じりの短髪に少しお腹も出ている小太りの中年男性。ほぼ真っ黒のスーツに濃いグレーのネクタイを着用した神林は手に持っていた1枚の名刺を両手で以って差し出した。神林は終末通知の件で来た人を担当する終末ケアセンターの職員である事、職務としてはカウンセラーのような立場であると恵津子に説明した。そんな簡単な自己紹介を終えると「では、こちらへどうぞ」と、恵津子を先導するように受付横の廊下を歩き始めた。
恵津子は部屋に入った正面が広大な庭を望む全面透明ガラス、残り3面の入口扉を含む壁全面が曇りガラスという秘匿性も遮音性も感じない10畳程の広さの打合せルームへと案内された。その部屋は中央に銀色に鈍く輝くステンレスで出来た長方形のテーブルと、そのテーブルを挟んで3つづつの計6つのステンレス製の椅子が置いてあるだけという質素で簡素な部屋だった。
部屋に入った直後、恵津子は正面の大きいガラス越しの庭に目を留めて「やはり海は見えないな」とぼんやり思った。ガラス越しの向こう側には綺麗に整備された一面芝生の庭が広がると共に多くのベンチとイスがテーブルとセットで置いてあった。そして庭を囲む様にして3階にも届きそうな高い木が奥も見通せない程に沢山植えられていた。それは庭だけを見るとその場所が何処だか分からなくなる程でもあった。
恵津子のアパートを含めたこの地域は直線距離にして海まで1キロにも満たない場所ではあるが砂浜といった海岸線がある訳でなく低い崖の海岸線で構成されていた。少しだけ標高があるその街には低い山々が点在し、その山合いに町や道が形成されている事から、この建物はおろか海が見える家自体がほぼ無いという地域でもあり、ここから海が見えなくても至極当然とも言えた。
ぼんやりと庭に目を取られていた恵津子に向かって「そちらにお座りください」と、神林が声を掛けつつ向かいの椅子を手で指し示すと、恵津子はそれに従い神林の向かいの椅子へと腰掛け、それを見届けた神林も椅子に腰かけた。
「では最初に顔写真付きの身分証明書となる物と、終末通知の葉書をご確認させて頂いて宜しいでしょうか? 万が一にも別人の方と言う事が無いように、確認が必須となっておりますので」
神林の言葉に恵津子はハンドバッグの中から終末通知と財布を取り出し、財布の中から免許証を取り出すとテーブルの上、神林の目の前へと差し出した。恵津子の免許は原付免許であり、乗る為では無く身分証明書のつもりで取得したものであった。
夫は軽自動車を所有してはいたが亡くなった時点で処分した。夫は通勤に車を使用していた為に必要ではあったが恵津子には特段必要が無かった。そもそも車の免許を持っておらず車に乗って何処かに行く当てがある訳でもなく、普段の生活は自宅から2キロ圏内と言う狭い範囲で全ての事が済んでいた事からも車の必要性も感じなかった。そもそも車を維持する余裕などもなく、車の免許を取る資金も無かった。買い物等で重い荷物を運ぶ必要に迫られる時もあるが、どうにもならない時にはタクシーを利用し、それ以外の時には「歩けば健康に繋がる」と自分に言い聞かせて極力徒歩で移動していた。とはいえ「健康のため」と言い聞かせていたにも拘らず、数日後には終わりを迎えるという皮肉な結果になっているとも言えた。
差し出された終末通知の葉書と免許証を前に神林が「拝見させて頂きます」と手に取り目視で確認すると、今度は持参していたタブレット端末のカメラで以って終末通知の見開いたページの中に記載されているバーコードを読み取った。
「確認致しました。有難う御座います。それではこちらの施設他について説明させて頂きます」
神林は笑顔でそう言って終末通知と免許証を恵津子に返し、タブレット端末を恵津子に見えるように傾けた。そのダブレットの画面上にはグラフデータが表示されていた。
「この終末通知を受け取った方の中で、実に2割近くが悲観して飛び降り等の自殺をしてしまうようです。1割位の方は自暴自棄になり事件を起こすという事例もあるようです。又1割近くの方はこの葉書が届かないか見ていないかのようです。それ以外の方の多くが、とりあえず終末ケアセンターにお越し頂いて、私達職員とお話させて頂いております。お話をさせて頂いた内訳では40代位までの方で奥様や小さいお子様がいらっしゃる方は終末日近くまでご夫婦で過ごし、直近にこちらの施設にきて安楽死を望まれる方が多いですね。ご高齢のご夫婦の方ですと、ご自宅で最期を迎えたいと仰る方が多いですね。単身者の男性の場合ですと年齢関係無く、早急に安楽死を選択する方が多いですね。女性の場合ですとギリギリまで旅行や食事等を経験した後に安楽死をするという傾向でしょうか。それ以外で言えば、経済的に厳しい方は早めに安楽死なさる傾向にありますかね」
「……はあ。そうなんですか」
「終末通知を受領されている段階で、クレジットカード等の信用取引は出来なくなっておりますのでご注意ください。今後は現金取引のみとなります。口座引き落としのカードでしたらご利用なれます」
「あ、そうなんですか? 携帯電話とかクレジット払いだったはずだから、それも駄目って事ですよね?」
「そうなりますね。しかし携帯電話については終末日まである意味無料でご利用可能になっています。そういうルールになっていますのでね」
「そうなんですか。なら大丈夫そうですね」
「はい、残り時間を考えるに、それほど生活に影響は出ないと思いますよ」
「分かりました。それで……あの……安楽死というのは、どのような方法なんでしょうか?」
「一言で言ってしまえば、服毒ですね」
「ど、毒? 毒ですか?」
「毒を服用すると言ってもマンガみたいなドクロマークのついた瓶の毒を飲んで苦しみもがいて亡くなるという事ではありません。苦しんでしまうようでは安楽死とは言えませんからね。では少々お待ち頂けますか?」
神林はそう言って席を立ち、1人部屋を出ていくと建物の奥の方へと去って行った。
数分後、片手でも持てそうな程の大きさの木箱を手に、神林が打合せルームへと戻って来た。神林は木箱をテーブルの上に置きつつ椅子に座ると恵津子に対して木箱の中が見えるよう傾け「こちらは終末ワインと呼ばれる物です」と言って見せた。
神林が持って来た木箱は高級そうではあるものの使い古された感じの残る長さ30センチ程の蓋の無い木箱。その箱の中には中身が入っていない事が傍目で分かる薄茶色で細長い凝った意匠のある瓶が、青いサテン生地のクッションの中で横になって入れられていた。
「……ワイン。ですか?」
「はい、こちらが安楽死の為の飲料です。終末通知を受け取った方が、自ら終末を迎える為に用意された劇薬です。厳重に管理が必要なため終末ケアセンターでしか提供が出来ません。承諾書に安永様の自筆による署名を頂いた後、当ケアセンター内、且つ職員立会いの下で服用頂けます。といってもこれ自体はサンプルですけどね。本物は本番に時に提供させて頂きます」
「それを飲んだらすぐに死ねるという事なんですかね? 苦しくないですか?」
「はい、勿論苦しくありません。安楽死が目的でありますので一切苦しむ事無く、お亡くなりになる事が出来ます。服用直後から強烈な睡魔が襲ってきます。そのまま眠りにおち、徐々に呼吸数が落ち、長くても30分以内に呼吸が完全停止します。こちらを飲まれた方のほとんどが、良いお顔で亡くなっていかれました。ただ解毒剤も無く、即効性がある物ですので、何人かの方が口にした瞬間に気が変って足掻いたという事がありまして、その方達については良いお顔では無かったという事も過去に何件かありましたが」
「そんな状況で足掻く人がいるんですか?」
「ええ、まあ稀な事ですけどね。それに理解出来ない訳でもありません」
「そうですね。確かに理解出来ない事も無いかもしれませんね……」
その後、恵津子は当然匿名ではあるものの、自分以外の終末通知を受け取った人達の話を神林から聞かされた。というより一方的に神林が話し続けた。
そして「何か質問等あれば何でも聞いてください」と、ひとしきり話を終えた神林が笑顔で言ったその言葉に、恵津子は申し訳なさそうな顔をしながら神林の顔を上目づかいにチラリと見やった。
「何でしょう。何でも仰って頂いて結構ですよ?」
「そうですか……。あの…。実はまだ子供に今回の件を話してはいないのですが、こういう事は話した方がいいのでしょうか? それとも黙っていた方がいいのでしょうか? 黙っていた方がいいのなら安楽死を選択せずに最期を迎えようかなと考えているんですが……」
「何とも返事しづらいですね。こういう話に正解はありませんからね。とはいえ、私共は話すという事が仕事のカウンセラーなので、話すという事は大事であるとは思っています。私共とお話させて頂いた方々の中にも色々な方がいらっしゃいました」
「…………色々ですか」
「ええ。子供には話さずに安楽死を選択した方。子供には話さずに自宅で最期をという方。子供に話して安楽死を選択した方。子供に話して自宅で最期をという方。個人的な意見としてあくまでも参考にお話させて頂きますが、私があなた様の立場で有れば話すつもりです。子供の立場であれば話して欲しいです。残す子供の事を思えばつらいとは思います。面倒な事に巻き込みたくないという気持ちもわかります。しかし子供の立場で有れば、親がそんな状況だった事を知ろうと思えば知りえる状況だった。それなのに突然親が亡くなるという事になれば自分に腹が立つ事もあるでしょう。そして、ずっと後悔するという事も考えられます。話した所で相手が受け入れてくれるかどうかは分かりませんがね。話をするという事が大事である。というのが私の個人的な考え方ですね」
「なるほど……。そうですか……。そうかもしれませんね、話す事が大事という事ですね」
「あくまでも個人的意見です。といっても私の場合には話さないと思います」
「……は?」
「恥ずかしながら私はバツイチでしてね。別れた妻子は今は東京の方に住んでいます。子供がいるといっても離婚してますのでね。なので言いませんけどね」
「はあ……。まあ、そういう事情であれば、あえて話さない方がいいのかも知れませんね……」
「ですね。まあ、個人的な結論としてはこういう話で正解は無いというのが結論ですかね。故に、ご自分で出された答えが正解であるという事で宜しいんじゃないかと」
「そうですね……。残り時間もあまり無いですが、もう少し考えてみます。有難う御座いました」
恵津子は座ったままに神林に向かって軽く頭を下げた。そしておもむろに席を立つと、そのまま部屋を後に玄関へと向かった。神林も恵津子の後を追うようにして玄関へと向かった。
「それでは安永様。私はこれにて失礼いたします。尚、こちらで行う安楽死に於きましては、終末を迎えるにあたっての一つの選択肢でしかありませんので、より最善の最後を選択の上、ゆるりとお過ごしください」
玄関口を背に神林は笑顔でそう言いつつ頭を下げ、恵津子を見送った。
自宅までの帰り道、恵津子は俯きがち娘に話すかどうかを頭の中で巡らせながら歩いていた。
娘に終末通知の件を話したら一体どのような反応をするのだろう。既に1人暮らしをしながら社会人として働いているのだから今私がいなくなっても生活に影響は無いだろう。しかし私が死んでしまうと両親2人共に亡くなってしまう事になる。既に自分の両親も他界しスナックを譲ってくれた義母を含めた夫の両親も他界している。社会人になっているとはいえ娘を一人ぼっちにしてしまう。それが理由で結婚とかに悪い影響を与える事は無いだろうか? かといってこの事を話さなかったら娘はどう思うだろうか。
娘とは月に1度は電話で話すが直接会って話をする事は少ない。電話越しでも娘の元気な声が聞ければ十分だった。今まではそれでも十分だった。先程まではこのまま1人で死ぬつもりでいた。だが神林と話をしたせいであろうか。その気持ちが今は揺らいでいる。既に残された時間は少ないが最後に一目で良いから娘に会いたい。
仮に連絡をするにしても娘に何て言って連絡しよう。どういえば最後に娘に会えるだろうか。もしかしたら予定が入っているかもしれない。娘も仕事の都合もあるだろうし、休日には友人達や仕事の同僚達と楽しんでいるという話も聞いている。そもそも普段と変わりない様子で私は娘に話せるだろうか。
頭の中で堂々巡りしている内にアパートへと到着し、ここまでの道程の記憶も曖昧なままに玄関の前へと立っていた。少し呆けながらもハンドバッグの中から家の鍵を取り出しドアの鍵穴に差し込み開けようとするも、鍵は既に開いていた。家を出る時には確かに鍵をかけた記憶があった事から用心しながらもドアノブをゆっくりと回し、そっとドアを開けて土間に目をやると、そこには自分の物ではない白いハイカットのスニーカーが1足脱ぎ散らかされていた。
「あ、お母さん。お帰り。どこ行ってたの?」
「……どうしたの? 急に帰ってくるなんて?」
「こっちの友達の所に遊びに来たついでに寄っただけー」
そこには今年で25歳になる恵津子の一人娘である「安永ミク」がいた。その姿を目にした恵津子は「これは『娘に話しなさい』という事なのだろうか」と、普段は全く信じる事の無い信心めいた発想に至った。
ミクが実家のアパートに帰ってきたのは単なる偶然ではあったが、タイミングがタイミングだっただけに恵津子はそんな風に解釈した。そして恵津子はミクに終末通知の件を話す事に決めた。
「……お母さん、それマジで言ってんの?」
「だからほら、この葉書がお母さん宛に届いたんだってば」
6畳間に置かれたテーブルの上には恵津子宛の終末通知が置いてあった。そのテーブル挟んで恵津子は正座し、ミクは胡坐をかいて座っていた。ミクは恵津子の話を真面目に聞こうとせずにそっぽを向いていた。
「悪戯なんじゃないのそれ? 警察に言った方が良いんじゃないの?」
ミクは吐き捨てるように言った。とはいえ恵津子を馬鹿にしている訳では無く、突然の話に理解が追いつかずその話を冗談にしたいという思いでの言いまわしでもあったが、そのミクの様子に「こんな感じに話を受け取るのであれば悩む必要は無かったかな。もっと早く話せば良かったかな」と、恵津子は安堵すると共に拍子抜けした。
「にしてもさ、仮にその話が本当だとしたらもう何日も残ってないんだけど……」
「お母さんも話そうかどうか迷ってたのよ……。そしたら日が経っちゃってね……。ごめんね」
「ごめんねって……」
ミクにはこの後の言葉が見つからなかった。話が本当であるならば自分の母親は4日後に亡くなる。1週間後にはこの世の何処にもいないと告げられている。もう2度と母親には会えなくなる告げられている。休日である今日同級生に会いに室蘭へと戻りついでに実家にフラッと戻って来ただけだった。なのにまさかそんな話になっているとは夢にも思わなかった。もうすぐ母親が死んでしまうなんて話を信じられなかった。そんな事があるという現実感がそもそも無かった。とはいえ今この場に於いて何と言えば良いのか分からない。
ミクは俯き歯ぎしりをする程に歯を噛み締め鼻で深く息を吸い、そのまま鼻で吐くと同時に顔をあげるとスクッと立ち上がった。
「とりあえず今日は帰る。じゃ」
「そ、そう? じゃあ、気を付けて帰ってね。また電話してね」
今日が土曜日であれば「泊まって行けば?」と声をかけたい所ではあったが、今日は日曜日であり明日はミクにも仕事がある。故に恵津子は笑顔で以ってそう言ったが、ミクは恵津子の顔を見ようとはせず黙って玄関へと向かった。そして逃げるかのようにしてアパートを後にした。
ミクが足早に駅へと向かって歩いていると自然と涙が溢れ出した。拭っても拭っても溢れ出る涙に前を遮られその場で立ち止まった。そして急に力が抜けたか様にしてその場に座りこんだ。すると前方から中年の女性が駆け寄ってきた。
「ちょっとあなた大丈夫? どっか苦しいの? 救急車呼ぶ?」
ミクは涙声で「……だ、大丈夫です」とふらつきながらも立ち上がり、見知らぬ女性に頭を軽く下げて踵を返すと、その場から逃げるようにして駆け足で去って行った。そしてそのまま実家近くの公園へと駆け込み横長のベンチに1人腰掛け、俯きながらに泣いていた。
「何でこんな事になってんのよ……」
あまりにも突然の話に対応できずに逃げてきた自分に腹が立つ。申し訳無さそうに「ごめんね」といった母の顔が頭から消えない。笑顔で「また電話してね」と言った母の優しい声が今でも耳に残っていた。
「また電話してって……もう電話も出来なくなるんじゃん!」
ミクの頭の中には父親の葬儀の様子が蘇っていた。母にしがみつきながら泣きじゃくったシーンが蘇っていた。あの時は母がいてくれた。しかしその母がもうすぐいなくなる。もうすぐ一人になってしまうという事が信じられない。今は一人暮らしをしているとはいっても電車で数時間の所に母が住んでいると分っているから何とも思わなかった。その母が亡くなるという考えが全くなかった。母がいなくなるといよいよ一人ぼっちになる。想像もしていなかったそんな未来があるなど考えもしなかった。
陽も暮れかけた夕刻、アパートのドアが突然ガチャッと開いた。テレビをぼけっと見ていた恵津子はその音にビクッと反応すると共に玄関の方へと振り返った。そこには目と鼻を真っ赤にしたミクが立っていた。恵津子は直ぐに立ち上がり駆け寄った。
「ちょっとどうしたの? 電車が止まったの?」
「今日、泊まっていく」
ミクは俯き加減にそう言って、スニーカーを脱ぎ捨てると恵津子を押しのけるようにして部屋の奥へと入っていった。そして寝室として使っている8畳の部屋へ入ると押入れを開けて布団を引っ張り出し、服を着たままに布団の中へと頭まで潜り込んだ。恵津子はその様子を心配そうに黙って見つめていた。
「ねえミク、明日は仕事でしょ? ここから通うの? 間に合うの?」
「…………」
「ねえミク、聞いてるの?」
「休む」
「休むって……お母さんに気を使って休むの?」
ミクは恵津子の質問に答えず、いつしかそのまま眠りに就いていた。ふと目を覚ますと、トントントンという小気味よい音が耳に入って来た。ミクはおもむろに布団から這い出すと音のする台所へと向かった。
台所では恵津子が料理をしていた。居間のテーブルには2人分の食器が並び、ミクの分も用意されている事がすぐに分かった。
「あ、起きたの? もうすぐご飯出来るから待っててね」
ミクが学生の頃に何度も聞いた事のあるフレーズ。学生の頃には何とも思わなかったそのフレーズが今のミクの耳にはとても優しい言葉に聞こえた。再び涙が溢れそうになった。目を強く瞑り歯を食い縛って我慢しようとした。だが強く瞑った目からは自分の意志とは関係なく涙があふれ出した。
「お母さーん! 死んじゃいやーっ! 死なないでよー!」
ミクは声を大に泣きだし恵津子の背中に抱きついた。そして力無くその場に崩れ落ちた。突然のミクのその様子に恵津子も堰を切ったように涙があふれ出した。手にしていた包丁を流し台に落とし、振り返ると共にしゃがみ込み、床の上で泣き崩れているミクの体を強く抱きしめた。誰が悪い訳でも無い。誰に何の責任がある訳でも無い。そこにはただただ自然の摂理があるだけではあったが、ミクのそんな姿に浮かぶ言葉は1つだけ。
「ごめんね、ごめんね……本当にごめんね……」
明けて月曜日。実家に泊まったミクは仕事を休み、恵津子もその日はスナックを開けない事にした。恵津子は最後の日までスナックを開けようかと思っていたが、ミクが最後の日まで一緒に過ごしてくれる事になった。簡単な朝食と昼食を済ませ、午後になると2人揃って恵津子のスナックへと向かった。
恵津子はスナックの扉に「閉店のお知らせ」と書いた紙を貼り付け店内を簡単に掃除した。スナックに品物を卸してくれている店には電話で以って閉店する旨の連絡を入れた。それらを済ませると2人は室蘭駅へと歩いて向かった。
恵津子の終末日は明後日の水曜日。そして安楽死を実行するのであれば今日か明日しかなかったが、今日はミクと一緒に過ごして明日に安楽死を行う事とした。何処かに1泊するという小旅行も考えたがそれほど時間的余裕があるかどうか分からず、且つ資金も乏しい為に今日は札幌のミクのアパートに泊まる事とした。室蘭から札幌までは特急電車で2時間程。2人が札幌に到着するとミクは自分が働いている会社の建物を恵津子に案内した。
「すごい立派な建物の中で仕事してるのねぇ」
「会社はこの建物全部じゃなくてワンフロアのみだけどね」
恵津子は目の前に建つ大きい建物を見上げながら感心していた。恵津子は数回程度しか札幌に来た事がなかったのでミクの案内で簡単な観光もした。室蘭からは2時間程度の場所ではあるが室蘭と違って人も車も多く、高い建物も多く、「同じ北海道とはいえ室蘭と違って随分と都会だな」と、恵津子は改めて感心した。
2人がちょっとした観光を終えると再び札幌駅へと歩いて向かった。そこから電車に乗ってミクのアパートの最寄駅へと向かった。せっかく札幌に来たので札幌の何処かで夕食をと恵津子は思ったが、ミクが手料理を振る舞うとの事でそこでの食事はやめておいた。
札幌から電車で30分程。ミクは恵津子に対して札幌と言っていたが実際には札幌市を少し過ぎた場所であり住所で言えば小樽であった。ミクのアパートの最寄駅周辺には店も少なく前もって食材は札幌で買い込んでおいた。ミクも身分証明書用に原付の免許は持っているだけで車の免許は持っておらず買い物の殆どは通販を利用し、生鮮食品を購入する際には札幌駅に併設されている駅ビル内の食品売り場で以って帰宅時に購入していた。そして今回も同じ場所で以って購入し、2人分の食材を手にミクと恵津子はアパートへと歩いて向かった。
最寄駅からは歩いて20分程の場所に建つアパート。築数年というアパートは恵津子が住むアパートと比較する事が恥ずかしい程に真新しかった。既に時刻も午後6時を過ぎ、アパートに到着して早々ミクはキッチンに立って食事の準備に取り掛かった。
「お母さんも手伝おうか?」
「テレビでも見てゆっくりしててよ。心配無いっての」
「そう? じゃあ楽しみに待ってるね」
母親に背を向けながら小さなキッチンで料理をするミクは、優しい母の声に涙が出そうになると同時に「そんな優しい言い方で言わないでくれた方が楽なのに」と、心の中で呟いた。
30分程の時間を掛けてミクが作った料理は豚汁と野菜炒め。ミクの部屋は8畳程の1K。フローリングを持つ白く綺麗な壁に沿ってシングルベットが置かれ、反対の壁沿いには横長の低い棚が置かれ、その上には小さめのテレビが乗っていた。部屋の中央には小さめのガラステーブル置かれ、その上に豚汁の入った椀が2つと野菜炒めが盛られた大きめの皿が1つ乗せられた。
「あら? ご飯はないの?」
「ご飯は食べないようにしてるの。太るっていうじゃん? 会社の子達も食べないらしくってさ。豚肉は食べるけど基本は野菜中心かなあ。お母さん食べたかった? ならちょっと時間かかるけどコンビニで買ってこようか?」
「ううん、別にいいの。でも野菜だけじゃ足りないんじゃないの?」
「だから豚汁なんじゃん。これで十分だよ」
「でもご飯も食べないと体力がつかないよ?」
恵津子は自分の言葉にハッとした。今の言い方だと「死」を連想させてしまったかもしれないなと。そして平静を装いミクの顔を伺うと、ミクはいつもの笑顔であった事で安心した。
「大丈夫だよ。別に肉体労働してる訳じゃないんだからさ」
ミクは笑って答えた。しかしミクは恵津子の言葉にハッとしていた。そして自分の返事次第では「死」の話になりそうだと思い言葉を選んで答えたつもりであったが大丈夫だっただろうかと、ミクは平静を装って母親の顔を伺ったが、母親はいつもの笑顔であった事で安心した。
「豚汁おいしいね。こんなに料理が上手になっていたなんて、お母さん知らなかったわ」
「まあ、1人暮らししてれば嫌でもこれくらいは出来るようになるよ。とはいっても面倒と言えば面倒だからね。お母さん家にいけば、お母さんが作ってくれるんだし、わざわざ作らないって」
互いを想い合う状況での会話は少しぎこちない様子でもあった。そしてミクが母親に料理を作ったのはこれが初めてでもあり、これが最後でもあった。
「てっきり外食やお弁当ばかりだと思っていたから料理できるなんて思わなかったのよ。だから言わなかったのに、こんなに料理が出来るって知っていれば、お母さんだって頼んだのに……でも作ってくれて嬉しいわ。ありがとね」
ミクは泣き出しそうになるのを我慢しながら話していた。もうこれ以上優しい言葉を掛けないでと心で呟いた。
食事も終わり、キッチンで親子並んで食事の後片付けをする。その後は2人で横に並んで部屋の中に座り、テレビを見ながら他愛のない話をしているうちに夜も更けて行き、午後も11時を回ると就寝する事にしたが、ミクの部屋にはシングルベッドが1つのみで他に布団が無く、母娘2人で狭いシングルベッドで寝る事にした。
そして恵津子にとって最後の夜が過ぎていった。ミクにとって母親との最後の夜が静かに過ぎていった。
翌日は朝8時に親子揃って起床し、朝食として昨日札幌で買い込んでおいたパンを焼いて食べた。
恵津子は寝不足を感じ頭がボーっとしていた。昨晩は夜の11時に就寝したがそんなに早い時間に寝る事は殆どなく中々寝付けなかった。午前3時頃になってようやく寝付けたが、5時間後の朝8時に起床した事で寝不足が否めず、本当はもう少し寝ていたかったが、今日には永遠の眠りにつく訳でもあり、娘との残された時間を寝て過ごすのも勿体ないと、娘に合わせて起床した。
ミクはさっぱりとした気持になっていた。昨日、母親の死の宣告を聞いてから未だ24時間も経ってはいなかったが、昨日の事の全てがとても昔の出来事に思えた。今でも昨日の事が夢のように思えて実感がなかった。
昼食は札幌でという事で、正午を前に2人はアパートを後に最寄駅へと向かった。
ミクは恵津子同様に海が近い場所に住んでいた。昨日に電車で来た時にも潮の香りがする事に恵津子も気付いてはいたが、その時には既に周囲は暗く何も見えはしなかった。そして今、駅へと向かって歩いていると家と家の隙間から真っ青な海がチラリと見えた。その光景を何度か繰り返しながら駅へと向かって歩き続けた。ミクにとっては日常の光景ではあったが、室蘭では見られないその光景が恵津子には不思議に思えた。恵津子は特に気にしていなかったが、恵津子が海を目にするのはこれが最後となった。
2人が札幌まで戻って来ると、ミクがよく行くというお店で昼食をとった。ミクは平日の昼食時間という事もあり、同僚が来てないかを少し気にしながら食べていた。そしてゆっくりと食べていた昼食を終えると午後1時を過ぎていた。
2人は再び札幌駅へと向かい、恵津子の住むアパートのある室蘭駅の1つ手前の駅、母恋へと向かう電車乗った。電車が発車してから10分も経つと、恵津子は寝不足も手伝ってかうとうとし始め、いつの間にか眠ると同時にミクの肩へと頭を乗せていた。ミクは恵津子が倒れないように肩を抱き、車窓に目を向けた。
2人を乗せた電車が母恋駅へと到着すると、2人は手を繋いで恵津子のアパートへと向かって歩き出した。
降りた駅名や電柱に掲示されている住所の「母恋」という文字がやたらとミクの目に留まった。ミクは母親の住む駅や町の名が「母恋」というのが何と皮肉な名前だろうと思う同時に、それらに目を背けるようにして俯き加減に歩いた。
アパートに到着すると恵津子は壁に掛かっている時計を見上げた。時計の針は既に午後4時を目前にしていた。終末ケアセンターの閉館時間は午後5時までと聞いていた。歩いて行く時間を考慮すると4時半前にはアパートを出なければならない。それまでの時間を利用して恵津子は身辺整理を始めた。ミクは居間の畳の上に座り、その恵津子の様子をただただ黙って見ていた。そしてあっと言う間に時間は過ぎ去り、時計の針は午後4時を5分程過ぎていた。
「じゃあ、そろそろ行こっか?」
「……そうだね」
恵津子が笑顔で話しかけたのに対し、ミクは憮然とした表情で俯いたままに答えた。そして恵津子とミクの2人は沢山の思い出が詰まったアパートを後にし、もう2度と恵津子が使わない家の鍵は、「じゃあ、後の事はお願いね」と、娘を慈しむといった表情で以ってミクに手渡され、ミクは黙って鍵を受け取った。
母娘2人が手を繋ぎながらゆっくりと母恋の町を歩いていた。そして40分程で終末ケアセンターに到着し、ミクは終末ケアセンターという建物を初めて目にした。その立派な建物を前にしても、単なるコンクリートで出来た大きい構造物であるだけだと、ミクには他に何の感情も湧かなかった。
そして恵津子とミクは2人並んで終末ケアセンターの玄関自動ドアをくぐり受付へと向かった。
「安楽死をお願いしたいのですが」
受付付近で待つ事数分。コツコツと、ゆっくりとした足音が響いて来た。その足音は徐々に近づき1メートル手前まで来て止まると恭しく頭を下げた。そこには先日恵津子が来た時に応対した終末ケアセンターの職員である神林一郎が立っていた。
神林は「では、こちらへどうぞ」と、先日に恵津子が来た時と同じ打合せルームへと案内した。
「では確認させて頂きますが、本日安楽死をご希望されるという事で宜しいでしょうか?」
「はい、お願いいたします」
「分かりました。では最期となる場所についてですが、あちらの庭か当建物の上階にある個室がありますが、どちらが宜しいでしょうか?」
神林は打合せルームから見える庭を手で指し示すと共に持参していたタブレットで個室の写真を提示した。写真に写る個室からの光景は低い山に点在する住宅という何の変哲もない景色だった。打合せルームからも海は見えず、ひょっとしたら個室からは見えるのかなと恵津子は一瞬に期待したが、それは叶わなかった。恵津子は海が見たい訳では無かったが低い山が見えるとは言っても住宅を見たい訳でもなく、わざわざ見せてきたそんな個室からの写真に落胆した。もっと海に近い場所に建てれば良かったのにと、わざわざこんな山合いに建てなくても良かっただろうにと、心の中で愚痴を吐いた。
「はあ……じゃあ、庭で結構です」
「了解致しました。では準備致しますので、こちらで少々お待ち下さい」
神林はそう言って、恵津子とミクの2人を部屋へと残し、建物の奥の方へ去っていった。
神林を待っている間、恵津子は打合せルームのすぐ横に広がる庭を、壁一面の透明なガラス越しに見ていた。その広い庭には3階にも届きそうな高い木が奥が見通せない程に沢山植えられていた。そして一面芝生の地面には、多くのベンチとイスがテーブルとセットで置いてあった。
暫くして、コロコロと軽い音を立てるキャスター付きのワゴンと共に神林が戻ってきた。
神林が押してきたそのワゴンの上には、一見ブランド品に見える焦げ茶色をメインに金色の装飾が施された万年筆。バインダーに挟まれたA4書類。そして先日サンプルとして恵津子が見たのよりも少し幅のある使い古された感じの残る高級そうな木箱が乗せられていた。
その木箱の中には今度は赤いサテン生地のクッションの上にシャンパングラスと呼ばれる細長いグラスと終末ワインが横に寝かされていた。サンプルの時には空だった細長い薄茶色の意匠のある瓶にはどす黒く見える液体が入り、スクリューキャップできっちりと封じられていた。
「では、参りましょうか」
神林が2人に向かってそう言うと恵津子は「はい」と言いつつすぐに立ったが、ミクは俯き加減に憮然としたまま座っていた。恵津子は「ほらミク、立って」と宥めるかのよう言うと、ようやくミクは眉をひそめ歯を噛み締めるような表情をしながらおもむろに席を立った。ミクからすればこれから母親が死地に向かう様なものであり母親が死ぬのを見ようとしている訳でもあり、この場から離れると母親が死んでしまうという思いでもありなかなか体が動かなかった。
恵津子は立ち上がったミクの手をそっと握り、ミクを引っ張る様にして部屋の外へと出て行った。
ワゴンを押し歩く神林を先頭に恵津子とミクが続き、打合せルームから30メートル程歩くとそこには全面ガラスの扉があった。神林が壁に設置された開閉ボタンを押すと両引き戸のガラス扉がゆっくりと開き始め、ドアが完全に開いたところで神林が先に外へと出ると、それに続いて2人も庭へと出た。
「お好きな場所へお座りください」
神林がそう言うと恵津子は庭を見渡した。目に留まったのは大きめの四角いテーブルを挟んで長椅子が2つの場所。恵津子は「じゃあ、あそこで」と指さすと、「承知いたしました。では参りましょうか」と、再び神林を先頭にミクと恵津子の2人が手を繋ぎながら続いた。
最後の場所と決めたテーブルに到着すると、恵津子とミクは1つの長椅子に手を繋いだままに並んで座った。
神林はテーブルの横にワゴンを置き、「ではこちらをお願いできますか?」と、ワゴンの上のバインダーに挟まれた書類と万年筆を手に取り、テーブルの上、恵津子の目の前へと置いた。
「終末ワインを提供するにあたって承諾書に署名が必要となります。こちらが承諾書の書類になりますので御確認頂けますか? 質問や疑問があれば仰って下さい。ご確認頂き問題等無ければこちらにご署名なさって下さい。ご署名なさって頂いた後、こちらの終末ワインを提供致します」
【終末ワイン摂取承諾書】
このワインを摂取すると、直ちに安楽死を迎える事になります。
あなたがそれを望むのであれば、下記に自筆でご署名をお願いします。
そんな短い文面の承諾書で一番下に署名欄。恵津子は承諾書を手に取り目を通した。短い文書なので確認する事も特に無く、目の前に置かれた万年筆を手に取りキャップを外すと、署名欄に自分の名前をサッと書き入れ、署名を終えた承諾書と万年筆をテーブルにそっと置いた。
神林は書類を手に取り、名前が正しく記載されている事を確認した後、担当者欄に自らの名前を署名した。
「確認致しました。ありがとうございました」
神林は承諾書と万年筆をワゴンの上に戻すとシャンパングラスをテーブルの上、恵津子の目の前へとそっと置いた。そして終末ワインのボトルを手に取りスクリューキャップの栓を開け、そっとシャンパングラスへと注ぎ始めると全量注いだ。全量といっても100ccといった量であり、注ぎ終わった空のボトルのキャップを締めると再び木箱の中へと戻した。
「ではこちらの終末ワインを提供させて頂きます。ただ、ご家族様でタイミングを計ってお飲み頂きたいのは山々ですが、職員帯同の下でお飲み頂くという事がルールとなっておりますので、私は少し離れた場所で見させて頂く事を御容赦ください。では」
神林はそう言うと共に一礼し、ワゴンを押しながら10メートル程離れた場所へと向かうと、その場で恵津子とミクの方向へと向き直り、恵津子を監視するかのようにして両手を前に組みその場に位置した。
恵津子はその神林の姿に眉をひそめた。最後は親子2人きりにして貰いたかったというのもあったが、やはりジッと見られていると思うとなんだか落ち着かなかった。
時刻は午後5時を目前に夕焼けとなっていた。その赤い空の下には長椅子に手を繋いで座る母と娘の姿があった。風は無かったが気温は低く、恵津子には娘と繋いだその手の温もりが妙に暖かく感じた。
ミクは目に涙を浮かべながら憮然とした表情で俯き、じっとテーブルの上を見つめていた。恵津子は穏やかな笑顔で目の前のテーブルに置かれたグラスを見つめていた。恵津子の髪は後ろに束ねられていたが、その束ねた髪からまばらに垂れ下がった数本の髪がゆらゆらとそよ風になびいていた。
恵津子はミクが生まれ、親子3人で暮らした日々を思い出していた。そして自分が決して知る事の無い娘の未来に思いを馳せていた。
正直な気持ちとしては娘が結婚するところを見たかった。生まれてくる孫を見たかった、この手に抱いてみたかった。孫は我が子より可愛いとよく聞くが本当だろうか?
しかし今となっては全てが些細な事。終末通知が届いたのが娘でなく自分に届いたという事に感謝している。もし終末通知が自分にではなく娘に届いたらと考えるだけでも背筋が凍る。そうしたら直ぐにでも後を追った事だろう。娘がいてくれたから夫が亡くなっても生きていけたし生きていたかった。娘には悪いが死ぬのが自分で良かったと心から思う。数日間だけであったが最期に一緒に過ごす事が出来、最期はこうして一緒にいられる傍にいてくれる。それで十分だ。今握っている娘の手の温もりがこれ程迄に暖かいと感じた事はあっただろうか。こんな最期を迎えられる事は考えてみれば幸せな事だと言えるのではないだろうか。それ以上の望みは厚かましいという物だろう。
恵津子は今際の際に於いて穏やかな笑顔を見せていた。そして隣で俯きながら涙をぽろぽろ流しているミクへと顔を向けた。
「……じゃあ、お母さん。そうそろ逝くね」
時刻は午後5時。恵津子は最後にそう言い残し、おもむろにテーブルのグラスを手に取るとそのまま口にした。
それから直ぐ、ミクは自分の手から母親の手が離れていくの感じた。ミクは人目を憚る事無く泣き叫び、自分の隣で項垂れている母親を強く抱きしめた。
◇
1カ月後、北海道は室蘭駅近くのスナック「ムロランルージュ」の看板に明かりが灯っていた。
店の中では常連客が思い思いに飲んでいた。ある者は自己陶酔しながらカラオケで歌い、ある者は仲間とワイワイ話しながら飲んでいる。そしてある者はカウンターの中にいる1人の女性と楽しそうにしておしゃべりしていた。
スナック「ムロランルージュ」は恵津子の1人娘、安永ミクが後を継いでいた。
ミクは今、母親が住んでいた母恋のアパートで1人元気に暮らしている。
◇
20XX年『終末管理法』制定。制定されると同時に厚生労働省には『終末管理局』が新設された。新設された終末管理局の役割は当局の管理監督の下で、個人に対して個人の終末日、つまり亡くなる日を通知するというのが主な役割である。しかし、あくまでも医療行為、健康診断等の膨大な身体情報を基に本省のコンピュータシステムで計算した物で有る為、事件事故等、不測の事態で亡くなる場合には無意味である。また大病を患っている、持病がある等の場合にも無意味である。この制度は健康体の人物を対象とした福祉の一貫として位置づけられている。
個人に終末日を伝える方法は葉書とされた。毎月の月末日に厚生労働省の本省に設置されているコンピュータシステムで終末日を算出し、同時に終末通知の葉書を作成する。作成後は即刻郵便として全国へと発送される。対象期間は月末日から2か月以内に死亡予測が出た個人宛に発送される。
また、葉書を受領した人達に対する精神ケアの為に、各自治体には『終末ケアセンター』を設置する事も義務付けられた。終末ケアセンターの役割は通知葉書を受領した人達へのカウンセリング、そして安楽死の実施という2つが主な役割とされた。
安楽死の方法は飲料による服毒と定められた。安楽死が目的の為、飲む事によって苦しみを一切伴わず、且つ終末の飲料としても美味しい事も求められた。その要求に対して飲んだ直後から急激な睡眠作用を誘導、同時に脈拍低下が始まり、数分後に完全な心停止する飲料が開発された。そしてその仕様を邪魔しない味を求めた結果、ぶどうを原料としたワインが開発された。
財政的にも公的支援が図られる事になる。終末日を迎えた時に負債があれば公費で負担する事になった。そのかわり、終末日は保険金融業界にも連携され、クレジットカードは即時利用停止となる。終末日以降はローンも組めず、銀行の現預金か現金決済のみとされた。
終末日以降の自殺での保険金搾取も考慮し生命保険も停止という措置がなされる。そのかわり傷病での医療費の負担は公費で全額なされる。資産の相続についても軽減措置がなされ、名義変更が必要な家や車と言った資産については、妻子を優先に自治体のシステムで、自動的に名義変更まで行われる。
遺体の引き取り先が無い、若しくは引き取りを拒否された場合には自治体により火葬納骨まで行われる。その際は自治体の共同無縁墓地へと埋葬される。これは行旅死亡人と同様の扱いである。
終末を通知された人が自暴自棄になる事も想定され、人は勿論、社会に対して破壊衝動に駆られる危険性を考慮の上、終末管理局にてそれらの衝動に駆られそうな危険人物の特定も行われる事になった。これも本省の最新のコンピュータシステムで過去の実績等(事件事故等)の警察情報をデータベース化し、システムにより人物抽出される。これらを担うのは終末管理局直轄の部門で『終管Gメン』と呼ばれた。終管Gメンは、警察庁との情報を含めた密な連携を取り、対象者の監視拘束を行う。そして一度拘束されると終末日まで拘束される事になる。それ程の強権を発動する事に対して賛否は拮抗しているが、終末日の通知は残りの時間を有意義に過ごすという福祉の一貫であるにも関わらず、個人の身勝手な破壊衝動に対しては、社会の安定を第一に考え、強権を持って抑えるというものである。
終末日を知らせる葉書は『終末通知』と呼ばれた。そして安楽死を行う飲料は『終末ワイン』と呼んだ。
2019年 11月27日 6版 誤字含む諸々改稿
2018年 11月30日 5版 誤記修正、冒頭説明を最下部に移動
2018年 11月20日 4版 誤記修正、冒頭説明修正
2018年 10月13日 3版 誤記修正、描写追加変更
2018年 09月26日 2版 誤記修正、冒頭説明文追加
2018年 09月19日 初版