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花や蹴散らせ鋼脚の君  作者: 六代目
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2.8「止まない雨」

 天竹葵、それは私の代わりに消えた女の子。

 周りの人はそんな事はないと言い続けたけれど、それに私は曖昧に返していたけれど、けれどずっとそう思って生きていた。

 誰よりもストイックに陸上に打ち込んだのも、怠惰に緩慢に生きたらあの子に申し訳が立たないという罪悪感がいつも共にあったからだ。

 どんな分野でもいい、彼女に、葵の代わりに生きている人生に、葵の代わりに何かを刻みつけるんだ。

 そんな義務感はあの日、トラックのブレーキ音に消し飛ばされてしまった。


-------------


 あの子が消えたのは、10年前の丁度今頃。

 桜も散り尽くした強い雨の日だった。


 確か、些細なことが原因だった。

 理由はもう覚えていないけれど、私と葵はちょうど二人ともが学校に行く前にお母さんと喧嘩をしたんだ。泣きながら学校に行って、同じように目を腫らした葵と顔を合わせた。

 私達はその日、いかに大人が理不尽で、横暴で、子供の心を理解できず、子供の自由を束縛する生き物であるかを語り合った。

 黒美はそんな私達の間に入って話を聞いていた。

 彼女だって、お母さんと喧嘩をすることはあったはずだけど、その日は特にそういう事は無かったので、時に首を縦に、時には横に振って、たまに意見した。

 けれど、お母さんに対しての日頃の不満がすっかり煮詰まってしまった愚かで小さな二人はそんな黒美の言葉など聞きもせずにどんどんヒートアップしていった。


「これは……家出だね」

「家出……そうだよ! それがいいよ!」

 どちらが言い出したのか、どちらが賛同したのか、覚えていない。少なくとも私は、私が言い出したのだと思う。

「んもー、やめなよ二人とも」

「お母さん大好きな黒美ちゃんはだまってて!」

「そうだよ! お母さんにたよらずに生きていけるってところを見せてやるんだよ!」

「あっちでけいかくをたてよう!」

「うん!」


 私達は黒美をのけものにして、教室の隅で小さな逃避行の計画を必死に立てた。

 何を持っていくか、どこに向かうか、お腹がすいたら何を食べるか、おこづかいはいくらたまっているのか。

 最終的に、学校から帰って準備をしたら5時にいつも遊ぶ公園のある神社に集まることにして、私達は放課後を迎えた。


 あのわからず屋のお母さんから逃げ出して、二人で遠くの町で、楽しく、仲良く暮らすんだ。

 その希望で胸がいっぱいになって、ワクワクしてたまらなかった。

 家に帰るとお母さんは朝の喧嘩なんか忘れたかのように優しく迎えてくれたけど、私はわざとそっぽを向いて自分の部屋に駆け込んだ。

 穏やかなお母さんの笑顔に鈍りそうな決心を振り切って、遠足に使ったリュックサックに家出の準備を詰め込んでいると、嘘のような豪雨が窓を叩きはじめた。


「すごい雨……」

 リュックに詰め込んだ荷物を背負うこともなく窓の外を眺める。

 4時を過ぎても雨は衰える気配が無かった。

 携帯電話なんてもちろん持っていない時代に、私はただただ、同じように窓の外を眺めている葵を想像していた。

「これじゃあ、きっと家出は中止だね……」

 自分に言い聞かせるように独り言を言う。

 部屋から出ないまま5時を過ぎて、6時になって、お母さんが夕食だと私を呼んだ。

 その日は温かいシチューだった。白いやつじゃなく、トマトの入ったビーフシチュー。私の好物だった。


 シチューのお代わりをした頃、家の電話が鳴った。

「はい、もしもし? あら、天竹さん……え? 葵ちゃん?」

 電話口のお母さんから、葵の名前が出た瞬間、私の全身の血が凍りついた気がした。

 口の中のシチューが泥になったかのように、幸せな味が消え失せた。

「いえ、うちには来ていませんけど……ちょっと待ってくださいね」

 お母さんが電話を保留にする。

 身体が鉄のように動かない。

「ねえ古雅音」

 息ができない。

「葵ちゃんが帰ってこないらしいんだけど……どこに行くとかお話してない?」

「あ……あ…………」

「……古雅音?」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」

 私はそのまま椅子から転げ落ち、テーブルのシチューをぶちまけ、床に這いつくばって、吐くまで泣き叫んだ。


 泣きじゃくる私からなんとか事情を聞くと、お母さんはお父さんの会社に電話をしてから、カッパを着込んで一目散に葵の家に走っていった。

 私は絶対に家から出ないように言われ、永遠に近い時間を一人で味わった。

 雨はずっと降り続けていた。



 そうして、天竹葵は消えてしまった。





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