2-2「桜並木と少女だったモノ」
これは異常なことだ。
じりっ
足を引きずって、桜並木のうちの一本に歩を進める。
これは異常なことだ。
とんっ。
一歩ごとに突く杖がもどかしい。
これは異常なことだ。
少女の影は動いてはいない。
私を待っているかのように。
これは異常なことだ。
思い出の中のままの少女がいる。
あの日、あの場所にこなかった彼女が目の前にいる。
これは異常なことだ。
他人の空似だろう。
ここで感情に任せて肩でも掴もうものなら不審者として通報されかねない。
これは異常なことだ。
無理だけれど、走り出したい想いを必死にこらえる。
飛びつきたい衝動を必死に抑えて、彼女まで10メートル程度の場所で立ち止まる。
これは異常なことだ。
「葵ちゃん……葵ちゃんだよね……ねぇ!!」
叫ぶ。
これは異常なことだ。
「そうだよ……あたし、天竹葵だよ。こがねちゃん」
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
天竹葵のはずがない、葵ちゃんのハズがない。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
10年経って同じ姿のはずがない。
これは異常なことだ
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
10年経った私をすぐに認識できるはずがない。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
私から大声で叫んでようやく届く距離から、あんなささやくような声がはっきりと聞こえるはずがない。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
彼女を見た瞬間から私の中で鳴り響く警報のような思いがどんどん大きくなる。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
これは異常なことだ。
早く逃げろ。
『早く逃げろ!!!』
頭の中に響いた言葉が現実のものとなったのかと錯覚する。
しかしそれは確かに私の鼓膜に届いていた。
葵でも黒美でもない、知らない女の子の声だ。
『何突っ立ってるんだ、早く逃げろ!! 喰われたいのか!!!』
「で、でもっ、葵ちゃんが」
声は拡声器を通したように少し異音が混じっている。
何処から聞こえているのかわからないまま、その声に向けて小さく返す。
その声は声の主には届いていないのか、返答はない。
その代わりに、やけにはっきりとした声が耳に届いた。
「そうだよこがねちゃん。あたしが天竹葵だよ」
逃げろ、絶対に逃げろ。
頭の中は警報で埋め尽くされている。
目の前の少女は天竹葵だ。でもきっと、いや、間違いなくそれは私が取り返したかった葵ちゃんではない。
10年前に消えた葵ちゃんは、断じてあんなモノではない。
どうしようもない違和感で吐きそうだ。
冷や汗が背中を走る。
踵を返そうとするが身体が反応しない。
なんとか身をよじったが、今度は脚がついてこない。
無理やり杖を前方に突いて、すがりつくように身体を預ける。
バランスを崩す。
倒れそうになる。
「古雅音ぇー!!!」
ああ、世界にこんなに安心する声があるだろうか。
逃走を促す謎の声でも、葵の形をしたものから発せられる冷たい声でもない。
黒美が走ってくる。
あの子は運動は本当にからっきしなんだ。
でも、必死に走ってきてくれている。
彼女ならきっと助けてくれる。彼女に届けばきっと助かる。
かろうじて杖に寄りかかった私も、もう一歩を踏み出そうと顔を上げる。
『後ろだバカっ!!!』
謎の少女の声が私の頭を叩くように響く。
意識は弾かれたが、衰えた身体の反応は間に合いなどしない。
どすっ。
聞いたことのない音がして、感じたことのある感触がきた。
これは、脚に何かが突き刺さった時の感触だ。
私は立っていられず倒れ込む。
なんとか首を後ろに向けると、やはり倒れ込んだ脚に何かが刺さっている。
木だ。木の根のようなものが、ふくらはぎから伸びている。そしてその根は
そのまま葵の脚に繋がっていた。
「えっ」
『間に合えぇーーー!!!』
「古雅音ぇぇぇぇ!!!!」
「こがねちゃん、いただきます」
私の脚に刺さった根を引き抜こうとする黒美。
手に銃のようなものを持って空から降下してくる小さな女の子。
みるみるうちに干からびていく私の脚。
表情など見えるはずもないのに、にたりと笑う天竹葵。
私の意識はそこで途切れた。