3-4「復讐の炎と彼女の願い」
「えっくろ、くろみ、黒美さん?」
「なんで敬語? まあいいや、早く! スマホ返して! 時間がない!」
「えっ、あっはい……はい?」
驚く間もなく現れ、驚いている間に私に詰め寄っていた新家黒美にスマホをひったくられ、呆然とするしかない私。
「あれ? 『がじょせん』起動してんじゃん! もしかして古雅音ログボ貰っといてくれたの!?」
「え、わかんないけど、起動した時になんかアイテムがどうこうって出てたような……」
「ありがとー! ログボ自体は大したもんもらえるわけじゃないんだけどね、愛の皆勤賞が……!」
私から取り上げたスマホを持って小躍りして、今にも画面にキスしそうな勢いだ。この奇行は、というかそんな事を確かめるまでもなく、目の前にいるのは紛れもなく私の親友、新家黒美だ、
「あの……そろそろ、いい? 黒美……」
「っと……ちょっと待って、もうすぐ日付変わるからログボ貰っちゃう」
「あのねぇ……」
私はベッドの上でため息をつく。
当たり前のようにそのベッドに腰掛けてウキウキと画面をタップしている黒美の後ろ姿を見ていると、ここは自宅で、私はちょっと体調を崩して寝ているだけで、様子を見に来た黒美が看病の合間に静かに遊んでいる、そんな状況なのではないかと錯覚する。
それでも、ここは見知らぬ部屋だし、私の脚は消えているし、さっきまでここには復讐を焚きつける見知らぬ少女もいた。それはもう、どうあがいても揺るがしようがないほどに事実だった。
「さて、古雅音、具合どう?」
くるっと振り向いて、やはり風邪で寝ている友人を見舞うような気軽さで黒美が話しかけてくる。
「具合は……悪くない……」
「そりゃあよかった」
「でも……黒美が死んだって嘘つかれて……気分は悪い」
「それもよかった」
「よくないよ」
「だって心配してくれたんでしょ?」
「するに決まってるじゃん!!」
ようやく騙されたことへの怒りが自覚できてきて、思わず声も大きくなる。だが黒美はそんな私を見てニヤニヤと笑い続けている。
「それ言ったのってあのマセガキ?」
「マセ……ルチルっていう、変な服装の女の子だよ」
「まあそうだよね……まあ実際、無事じゃあ無かったわけだし、あの子が何をしたいのかは、まあ……何となく分かるんだけど」
黒美はそう言って頬杖をついてみせる。
「いや、無事じゃない。よかったよほんと」
「うん、まあ、それなりに……ね?」
返事の歯切れが悪い。何かおかしなことがあるというのだろうか。
ふと、違和感に気づく。
「あれ、黒美……その手袋……」
がじょせんのキャラグッズを平気で使うという悪癖を除けば基本的にはオシャレで通している彼女らしからぬ、洒落っ気のない黒い手袋をしている。そのままスマホを操作しているので、そういった機能も考えて着けているものだ。例えば荷物を運ぶからとかそういうのではないような気がする。
「うん、これさぁ……可ぁ愛くなぁいよねぇ。うへへ、マセガキに頼んでもうちょっとかわいいデザインにしてもらおうとは思うんだけどさぁ」
その声の白々しい明るさに私は不安になる。
でも何が、と問い詰めるよりも先に黒美が手の甲を顔の高さに上げて、見せつけるように手袋を取った。
「まあ、これはこれで結構綺麗だと思うよ? ほら」
そこにはいつもネイルに気を使っている黒美の細い指の代わりに、青く光る何かがあった。
「違和感もほとんど無いしね……ちょっと硬いけど」
黒美がくねくねと動かしてみせるそれは、指の形で、指のように動き、指の働きをしているが、明らかに異質な何かだ。
機械にしては動きが滑らかすぎるし、部屋のライトを反射するくらいには光沢があり、青い光が循環するようにその表面を走っている。
私は言葉を失う。
無事な姿を見てすっかり頭から抜け落ちていた記憶の断片。私の脚と同じように、干からびていく黒美の指。
「ルチルの言ってた……」
「あ、もしかしてもう見た後?」
「ううん……義足だ、ってケースは見たけど、中身開けないで私が突っぱねたから……」
「……あたしは古雅音と違って意識を失うまでいかなかったんだけど、あの根っこを引っ張ってた手の、特に指がダメでね……ここに連れてこられてすぐ切り落とされて、これをつけるかつけないかってあの子に言われたんだ」
手のひらを見つめて寂しそうにそういう黒美に、私はかける言葉が見つからない。
「まあほら、タダでつけてくれるって言うし、指が無いとスマホもタップできないし?」
へへ、と笑う黒美の笑顔には力が無い。
「だって……だって……」
言葉が見つからない。自分のほうが大きなものを失っているだとか、命が無事で良かったとか、その指も綺麗だねとか、全部が間違っている気がする。さっきまでルチルに対して不用意にポンポンと出ていた言葉が、せき止められたように喉に詰まっている。
「あーそうそう、あのマセガキが言ってたけど、あの子の眼も……これと同じタイプの義眼なんだって。だからさ、まぁいいかなーって」
「えっ」
何度も私を睨みつけていたあの綺麗な青い目が、今黒美の手にあるような作り物であるという言葉に私は驚く。
それが精巧でわからなかったとか、そういうことではない。
それはつまり、彼女もまた「失っている」という事実、それに驚いた。
と同時に、理解した。
「だから、復讐……なのか……」
「復習? なんの話?」
黒美が呟く私の顔を覗き込んでくる。
手にはいつの間にか先程の手袋を装着しなおしている。
「ルチルがね、黒美は死んだって言った後に『復讐したくないか』『黒美の仇をとりたくないか』って、言ったの」
「やっぱりそっか……あたしをダシにして、仲間に引き入れようとしてたんだね」
「私は、もう何もしたくないって断わって……そしたら怒って出てっちゃったんだけど、でも、その声がなんだかすごく寂しそうで……なんていうかな……仲間っていうか、同じ気持ちの人が欲しいっていうか、そんな気がした」
「ふぅん……」
黒美は私の話を聞くと、腰を下ろしていたベッドからポンと降りて、両手を頭の上で組んでぐっと背伸びをする。
「んーーっ、っと。さて、そろそろ怒られそうだから元いた部屋に戻るね」
「あっ、うん……」
私はこの場所から黒美がいなくなるという宣言に、ひどく不安を覚える。
「大丈夫、あのガキ上手く言いくるめてまた来るからさ」
「……うん」
それが、また黒美と会えなくなるのではないかという恐怖なのだと気づく。
天竹葵を失い、人生のレールを失い、葵が無事であるという希望を失い、一時は親友すら失いかけて、私はようやく気づいた。
失う事は、こんなにも恐ろしい。
この場所は安全なのかもしれないが、少しの間でも黒美と会えない事が、永遠の別離にならない保証はない。
それは広く考えれば、黒美に限った話ではない。人は何時、何を失うかを選ぶことはほとんど出来ないのだ。そんな当たり前で恐ろしい事実に、こんな時に気づいてしまった。
「もー、そんな顔しないでよ。大丈夫だってば」
「黒美……」
そんな、と言われるほどひどい顔をしていたのだろう。黒美が私の頭をぽんぽんと叩き、微笑みかけてくれる。
「ねぇ、古雅音」
「ん……?」
黒美は背を向け、去り際に問いかけてくる。
「義足、あのガキからもらうのはやっぱり嫌?」
「……わからない」
黒美と合ったことで、自暴自棄な感情はだいぶ薄らいだ。
失うことの恐怖に気づき、失ったものがまた得られる幸運もまた理解できた。
でも、まだ決められない。
「もちろん私は生きてるから、仇討ちをしてほしいなんて思わないし、古雅音の人生は古雅音のものだし、古雅音が決めるべきなんだけどさ……」
「うん……」
「あたしはさ……またさ……古雅音が走って、跳んでるとこが見てみたいんだよね」
いつか聞いた言葉を残して、黒美は部屋を去っていった。