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the day before tomorrowあるいはbook day 転結

作者: 下畑耕司

目が覚めると桃太郎は山の中にいた。


「ここは…?」


周囲を取り囲む緑。頭上には絡み合う木の枝枝。差し込む日の光から、気を失ってからさほど時間が経ってないことを悟る。


「…あるいは、丸一日以上眠りこけてたか」

「いえ、それは無いですよ」

「ついさっき運んできました」

「血は止めましたがまだ安静にしててください」

「お、お前達…」


そこにいたのは桃太郎のかつての仲間。猿と犬と雉だった。


「お前達が俺を助けてくれたのか?」

「いえ、私達はここまで運んできただけです」

「あなたをあの怪物から救ったのは山姥の彼女です」

「気を失ったあなたを、あの怪物から守っていたのです」


桃太郎は耳を疑った。自分が全く歯が立たなかったブラッディクラウンを相手に早苗が一瞬でも持ちこたえられたという事実が、どうしても信じられなかったのだ。


「そんな、はずは無い。あいつは…あの女を殺そうと」

「殺せなかったのだよ」


不意に地の底から響くような低い声が聞こえた。声の聞こえた方を向こうと体を起こした桃太郎の身体に痛みが走る。

切断された右足は、止血こそされているがそれはあくまで応急処置。切断面は未だに痛みを訴えている。桃太郎は神経を刺激しないようにゆっくりと体を起こす。視界に入った声の主は巨大な、通常の熊よりも圧倒的に大きな熊だった。


「わしはこの山の神じゃ。本来ならばわしは人間と鬼の戦いには関与せん。しかし今回は例外じゃ。あの時と同様にな」

「あの時?」


山の神の意味深な物言いに桃太郎は訝しげに声を上げる。


「鬼が島の戦いのことです」

「私達を行かせたのは彼です」

「あなたが今ここにいるのも彼の導きです」

「そうだったのか。…で、山の神様とやら、さっき『殺せなかった』と言ってたが、何か知っているのか?」


山の神はすぐには答えず、ゆっくりと二度呼吸をし、それから答えた。


「おぬしが戦っていたのは、気付いているとは思うが、鬼ではない」

「ああ、おれは鬼の怨念とかが集まってできたものだろ?」

「ほっほっほっ。いいや違う。全くと言っていいほどにな」

「全く?じゃああれは何だというつもりだ」


咳き込むように上げられた山の神の笑い声に眉根を寄せながら桃太郎は呟く。


「それじゃよ」


山の神は右の人差し指で桃太郎の脇を指差す。そこにあったものは


「…グラム?…俺の聖剣が何だって言うんだ」

「あの化け物の正体じゃよ」

「なっ…馬鹿な。何を言っている。剣が持ち主に襲い掛かるなんて聞いたことがない。それに、俺が奴と戦うときに使った剣こそこの聖剣グラムだ」

「ほっ…ほっほっ、そうではない。聖剣とはいえ、使えば血が付き脂が付き、錆びるものじゃ。しかしおぬしの剣、錆びたことはあったか?」

「それは…」


桃太郎は記憶を辿る。しかし聖剣が錆び付いたことなどない。


「ない。今の今まで一度もない」

「そうじゃろうな。では本来付くはずじゃった錆はどこに行くと思う?」

「…まさか、あの怪物の正体はグラムに付くはずだった錆の集合体ということなのか?」

「まあ、そう言ったところじゃな」


桃太郎は押し黙る。彼は聖剣の適性を得ているとはいえ、聖剣のことを熟知しているというわけではなかった。相手は神なのだから、言っていることは恐らく正しいのだろうが、しかし彼は聖剣に命を脅かされかけたという事実を、認められずにいた。


「奴の能力こそが何よりの証拠じゃろう」

「能力?体の一部を変形させる能力か」

「んん?…ほっほっほっほっ…ほっほっほっ。いやはや、ほっほっほっ」

「何がおかしい」

「ほっほっほっ。いやすまんの。まさかそれほどにまでおぬしが無知だったとは」


殴りたい衝動に駆られながらも桃太郎は満足に動けないため断念する。


「そりゃああんたに比べればそうだろ。もういいから教えてくれ」

「そうじゃな。時間もないことじゃしのう」

「時間?」

「いや、こちらの話じゃ。…あの化け物の能力、それは相手が自分に向ける殺意や敵意に比例して強くなる能力じゃよ」

「なっ…それは」


桃太郎は絶句した。なぜなら自分の所有する聖剣の特性にその能力があまりにも似ていたからだ。


「おぬしには絶対に勝てん相手じゃ。少なくとも今のおぬしにはな」

「ではどうしろと言うんだ。戦う相手に殺意や敵意を向けるなと言うのは無理な話だ」

「恐れを捨てよ。殺意も敵意も根源はそこにある」

「恐れだと?そんなもの戦いに挑んでる時点で捨てている」

「いいや。恐れている。争いの本質は脅威の排除にある。弱き者、恐れる者は排除した脅威に二度と脅かされまいとする。その意志こそが殺意や敵意と呼ばれるものじゃ」


桃太郎は言い返そうとして言葉を吞んだ。言われてみるとあながち的外れとも思えなかったからだ。


「思い出すんじゃ。桃太郎。おぬしは何だ?刀に選ばれただけの運男か?獣使いか?桃の子か?」

「違う。俺は人間だ。人に育てられた人の子だ。聖剣に選ばれた人間だ」

「では戦うがいい。…と、言いたいところじゃが、おぬしもわしも戦う術を持たん」


桃太郎は左目と右足を失い、左腕の骨は砕けて使い物にならず、右腕も左腕ほどではないにしても損傷している。まさに満身創痍。

そして山の神は、かつては山を荒らす者を自らで断罪していた荒ぶる神であったが、今ではその力を半ば失い、山を見守るのみの神となった。


「取引をせんか?わしとおぬしで。神の力は消えたわけではない。今もわしの中に確かに存在する。それをおぬしが使え。それであの化け物を倒せるわけではないが、五体満足の身体には戻れる」

「神の力という割には大したことないんだな。化け物くらい消し去れるかと思ったが」

「奴の特性を忘れたか?消し去ろうとすればするほどに奴は強大になる」

「…じゃあ無理なんじゃないのか?神の力も通用しないなんて」

「じゃから言ったじゃろ。恐れを捨てよと。何故おぬしが無事にここまで逃げおおせたと思う?」


自分に投げかけられた質問に桃太郎はしばらく言葉を失う。言われてみれば不思議だからだ。自分が殺されなかったこと自体に納得はいく。気を失えば殺意も敵意もなくなってしまうからだ。

しかし自分がここまで運ばれたというのは不思議なことだった。ブラッディクラウンにしてみれば桃太郎が気を失っている間はただの休戦。目を覚ますのを待ってとどめを刺すのが普通だ。待っている間に桃太郎を助けるべく現れた猿、犬、雉が桃太郎を連れて帰るのを黙ってみているなど考えられない。

桃太郎は猿、犬、雉の方へ視線を向けて口を開く。


「お前達が助けてくれたんだよな?どうやったんだ。あいつの妨害を掻い潜って俺を運んだのか?」

「いえ、違います」

「普通に運びました」

「彼女のお蔭です」

「彼女?」


桃太郎自身それが誰のことか分かっていた。早苗のことにほかならない。しかし彼女は桃太郎の目の前でブラッディクラウンに裏切られていた。ブラッディクラウンを下がらせることができたとは考えられない。


「あの山姥が俺のために何かしたということか?」

「いえ、特別なことは何も」

「ただ、あの化け物の腕を掴んでました」

「私達が見えなくなるまでずっと」

「何!?そんなことをしてあいつは無事だったのか?」

「ほっほっほっ。つまりはそう言うことだ。あの娘は化け物に干渉していた。しかしその思いは怪物を打倒せんとする向きとは別の向きに向いていたということだ」


つまり、桃太郎を救おうという向きに。彼はようやくそのことに気付いた。


「あいつが…俺を?しかし、何故俺なんかを」

「それはわしの与り知らぬことじゃ。で、どうする?やるのかやらぬのか、早く決めてくれ。わしには時間がない」

「…やるさ。必ず、やり遂げてみせる」

「うむ。…では、頼んだぞ」


そう言って山の神は立ち上がり、おぼつかない足取りで一歩桃太郎に歩み寄る。それによって桃太郎との距離は大きく縮み、手を伸ばせば届く距離にまで近づいた。


「受け、取れ…」


山の神は桃太郎の目の前で目を閉じた。その数秒後、山の神の身体は砂のように粉々に砕け、桃太郎の上に降り注ぐ。山の神だったものはそれぞれがあらかじめ決められていたかのように流動し、桃太郎の右上腕と左腕全体を覆い、失われた左目と右足を補うように集合する。

暫くしてさらに変化が現れる。ただ不定形に蠢いていただけの山の神の身体が徐々に色と質感を持ち出した。それは先ほどまで桃太郎の目の前にいた山の神と同じような、熊のような様相を呈していた。


「さあ、行こうか。案内してくれ」

「はい」

「分かりました」

「行きましょう」


桃太郎は新たに手に入れた脚と腕の具合を確かめながら聖剣を掴み、三体の獣の後を追う。

走ること数十分。彼らは例の河原に辿りついた。そこには早苗が思いつめた顔で座り込み、川を眺めていた。


「おい。また自殺でもするつもりか?」


桃太郎は彼女の背後から歩み寄り、話し掛ける。犬によるとこの辺りにブラッディクラウンもいる。桃太郎はあたりを見渡す。

そして見つけた。彼の新たな左目で捉えたブラッディクラウンは、早苗の陰から這い出るように現れる。


「ああ、愚かだな。折角逃げられたというのに、またのこのこと」

「逃げられたからこそ戻ってきたんだよ。…みんな下がっていろ。すぐに終わる」


桃太郎の言葉に従って猿犬雉は両者から距離を取る。桃太郎とブラッディクラウンは共に歩み寄り、距離を詰める。

しかし二人の距離が残り数メートルとなったところでブラッディクラウンの足が止まる。


「何故だ。なぜ何も起こらない。お前は、この状況に置いて俺に何の害意も抱いてないということか?」

「ああ、俺の目的はお前を倒すことじゃない。そこの山姥を救うことと、けじめをつけることだ」

「けじめだと?」

「ああ、剣は本来鞘に納まるべきもの。でもグラムには鞘がない。それ故に錆びやすい…はずだった」


桃太郎は右手に握った聖剣を見つめる。


「これがけじめだ」


言って桃太郎は聖剣をブラッディクラウンに突き刺す。ごく自然に、あるべきものをあるべき場所に戻すべく。

聖剣はブラッディクラウンをいとも簡単に貫く。殺意や敵意による強化のされていないブラッディクラウンの身体をいともたやすく貫通する。


「ああ、そうか。…気が付いたのか」


ブラッディクラウンは足掻かなかった。ただ流れに身を任せるように、剣に吸い込まれるように、本来あるべき錆の姿へと変貌して聖剣を覆いつくす。

その光景を桃太郎はただ見つめ、完全に錆の浸食が止まると聖剣を地面に突き立てた。しかし錆びてもろくなった聖剣はその衝撃に耐えられず砕け散り土へと還る。


「これで終わりだ…。おいお前。大丈夫か?」

「ええ、大丈夫よ。…まさか、あなたが勝つとはね」

「俺の勝ちということにして良かったのか分からんが、とにかくやるべきことは終わった」

「で、あなたは大丈夫なの?見たところかなり人間らしさを無くしてるみたいだけど」


早苗の言葉に桃太郎は自分の身体を改めて観察する。神と化した左手と右足をただ眺める。


「まあ確かに人間の中では生きていけないだろうな。…でも、人間として生きていくつもりではある」

「そう。じゃああなたはあなたで頑張ってね。私は私で、あなたの言うところのけじめというものをつけてくるから」


そう言って早苗は桃太郎に背を向け、川へと歩き始める。しかし彼女の腕を桃太郎は、まだ人間の形をしている右手で掴んで引き留める。


「この期に及んでまだ死のうだなんて考えてるのかお前は」

「当たり前よ。あの化け物が消えた今、私はこの世でできることもすべきことも無くなったわ。次はあの世で」

「だから待て。何でそうなる。この世でやることが無くなったならいつか死ぬその時まで遊んでいればいいだろ」

「何言ってるの?私は鬼と人間の戦争を止めようとして止められなかった。私は無能よ。この世に私を必要としてくれる人なんていない」

「必要ないからと言って居なくならないといけないわけじゃないだろう」


それに、と桃太郎は続ける。


「ただ生きているだけでも、ある日川で子供を拾ったりして、誰かの助けになれるかもしれないじゃないか。誰かに、たとえその誰かが自分でも、いらないと言われたからって居なくならないといけないわけじゃないはずだ」

「なによ。あなたは…私に生きて欲しいって言うの?」

「いや?ただ、お前がいなければ俺は奴に殺されてた。大切なことにも気付けなかった」


もっとも、ブラッディクラウンを呼び出したのは他の誰でもない早苗なのだが。しかし桃太郎はそのことに関しては黙っておくことにしたようだ。


「じゃあ、いいの?…私はこのまま生き続けても…。何もできないけど生きてていいの?」

「当たり前だ。生きてこそのこの世だ。もし生き辛いようなら暫く俺が面倒を見てやる。だから…」


そこまで言って桃太郎は言葉を切った。目の前で早苗が声をあげて泣き始めたからだ。今まで押し込めていたもの全てを解き放つように、涙を流す彼女を見て、今必要なのは言葉ではないと察し、獣の腕と人の腕を両方使って彼女を暫く抱きしめてやった。


「あのう、すみません」

「よい雰囲気のところ申し訳ないのですが」

「大事なお話が」


しかしそこへ水を差すように例の猿犬雉が現れる。桃太郎は別段気にすることなく首をひねって彼らの方を向いたのだが、早苗は恥ずかしかったのか、桃太郎を突き飛ばしてうずくまり、暫く顔を赤くしていた。


「で、何だ。話と言うのは」

「山の神になる件なんですが」

「五年後にまたあの山に来てください」

「あなたが完全に神になるには時間が掛かるので」

「俺はまだ神じゃないのか?」

「はい。完全に神になると」

「私達の主と同じ姿に」

「なりますので」

「そ、そうか」


桃太郎は自分があの巨大な熊と同じ姿になるという事実に愕然としながらもさっそく五年の間に何をしようかと考え始めていたのであった。

それから桃太郎は残りの時間を早苗と共に過ごし、一人の男の子を授かった。子供が一歳になるころに桃太郎は神になり、山へと旅立ったのでした。

めでたしめでたし。


~~~


「終わり?」

「ええ、この話はこれで終わりよ。面白かった?」

「…普通」

「そっか。じゃあもうそろそろねんねしな」

「え~でも」

「明日もみんなと遊ぶんでしょ?そろそろ寝ないと明日の朝起きられないわよ」

「…分かった。じゃあ寝る」

「よし。いいこだね。おやすみ。金太郎」


数日後、この金太郎が熊と相撲を取って勝ち、その背中に乗って帰ってきたのだが、母親は驚きのあまり涙をこぼしたそうな。

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