▼4 The BUNGY
一章開始。
……ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。
その少年は、照りつける太陽から逃げるように走っていた。
時代錯誤もはなはだしい。西部劇のような、砂煙で煤けた赤レンガの街。ぎらついた凶暴な陽光、そして背後から迫る、ざらついた悪意の視線。
……ざっ、ざっ、ざっ、ざっ、ざっ、ざっ……。
追跡者たちは、足並みを揃えて声も上げずに迫りくる。その空洞のような目玉と口を思い出して、喘ぎながら膝を前に打ち出す。
「勇者様! お早く! 」
「も―――――! むり、だっ! 」
「頑張って! 」
膝が震えている。恐怖と焦りが喉を締めあげている。
街道は誰も歩いていない。道端に繋がれた痩せたロバだけが、濁った眼で走る自分たちを見送る。
さびしい街だった。
「もう無理だって! に――――逃げきれない! 」
「いいえ! 必ず私がお守りします! 希望を捨てないで! 」
「ブレイズウォール! 」身体を反転させ、男が言葉を叫びながら横殴りに身の丈ほどもある杖を振ると、何もない空間から、街道の端から端までを塞ぐ火の壁が噴き出した。炎の赤の奥に真っ黒な巨影が揺れながら、耳障りな金属が擦れるような奇声をあげる。こうして炎が肌を炙るのも、今日一日で五回目だ。
男は炎の壁が消えるのを見届けるより前に、息を上げながら後ろから追い上げて来る。
『魔法』を使うたび、男の体力がすり減っているのは嘘ではないはずだ。
隣を走る男の脚は早い。先導して駆け抜けたかと思ったら、遅れた少年の腕を引きに戻り、さらに手に持った長い杖で、さきほどのような『魔法』を使う。
男の、丈の長い貫頭衣は、うっすらと青みがかった灰色をしていて、荒廃した世界の中にあっても清潔感と品が感じられた。眼鏡をかけた顔や口調、杖を振る仕草にも教養がにじみ出ていて、針金細工のように細い体格なのに、少年を鼓舞しながら駆け回る余裕もある。
彼ひとりならば、ゆうに逃げ切れる能力があるのだ。けれど少年は、「あんただけ逃げろ」と口にすることができない。
男は狭い道を選んで少年を誘導した。すでに鼓舞する声も無い。息をするのも急ぎながら、殴りつけるようにして肩を押して、少年を路地裏の角を曲がらせる。
いつしか、あの足音も聞こえなくなっていた。
不思議と、こうして街の裏に来てはじめて、まばらだが人の姿を見た。
路地裏の隅で病気の野良猫のように、痩せた子供や老人が座り込んでいる。それは駅前で見たホームレスの姿と重なった。
「手荒な真似をして……申し訳ありません。勇者様」
「ここは……どこなんだ」
今さらの疑問が口をつく。
男は揺れる緑の眼で少年に向かい合い、ゆっくりと身をかがめて、便所の床よりも汚れた地面に膝をついた。
「……ここは、どこでもない」
長身を折り曲げた男が、少年―――――小津 蒼馬の黒い瞳を見上げる。
「……あなたが生まれ育った故郷は、この『虹の西端』のどこを探してもありません。ここは異世界……あなたを連れ去った罪人は、我々です」
蒼馬は、青年の白い貌を見下ろした。青年は祈るように、震える両の手指を合わせて組む。……いや、それは確かに祈りの仕草なのだろう。この青年は神職なのだ。
「この地をむしばむ災厄を祓うため、神殿はあなたを『勇者』としてお招きいたしました」
蒼馬は思い出す。
なんだかずいぶん昔のような、つい先ほどの出来事を。
青年の傍らにあるのは立派な杖だ。つやつやとアンバーに輝く木彫りの杖は、どれだけの人が握り、ああして『魔法』を放ったのだろうという風格がある。中心には、彼の瞳と同じ緑色の宝石がはまっており、宝石の中心には、まるで琥珀のように異世界の神秘的な虫が閉じ込められていた。
そんな立派な神官様を傅かせている蒼馬は、自分を顧みる。
コンビニ帰りの部屋着姿。真夏ということもあいまって、五年も着ている汗じみたTシャツに中学の体操服ジャージ。ポケットにはおつりの122円と、食べ終わったアイスの袋。
(おれは何をしているんだろう)
蒼馬は、押し潰される恐怖と郷愁を抱え、途方に暮れていた。
※※※※
召喚の儀を行う神殿は、男一人が身をかがめてやっと通れるほどの通路の先にあった。石造りのその場所は、地下ということも相まって、満たされた水のような冷気と闇がある。
彼らが崇めるのは太陽神。七色になびく炎の飾り羽で空を泳ぐ、羽の生えた蛇である。
地下神殿をかろうじて照らすのは、神官たちが持つ『琥珀』だけだった。。建造されたのは二千年も昔だという床には、神の姿が褪せることなく闇の中で生々しく波打ち、とぐろを巻いて、深く刻まれていた。
この赤い大地の化身でもある蛇は、かつてその巨躯で地面を削り取り、この渓谷をつくったという。深く穿たれた渓谷の中心には、この乾いた大地において恵みとなる川が奔り、この地を祝福している。ゆえに『虹の西端』は、余すところなく神自らの体が触れた聖地であった。
そして、だからこそ。
この『虹の西端』が世界の破滅を呼び込む魔城と化し、同時に、この世界の最後の砦と成り得たのだろうと、今のクォルは思う。
燐光を纏う七色の杖をかかげ、彼らは羽のある蛇を囲むようにして正円になる。
貧困、圧制、病……世界は悲哀で満ちていた。
太陽も眷属である炎も無いこの地下神殿だからこそ、神は力を貸してくれる。
そう主張する神官長の言葉に違和感を覚えつつも、クォルの救世を願う心に濁りは無い。
朗々とした祈りの言葉が……鼓膜を、空間を叩いて揺らす。
―――――そして光が満ちた。
地下神殿に満ちた闇が水だとするならば、その瞬間に現れたものから立ち昇るものは炎だった。
招かれた中で一番若い神官クォルは、肌を粟立たせて立ち尽くす。神殿内は、陣を取り囲む神官たちの歓喜の声が木霊している。
円陣の中心に立つのは、異国の子供であった。
黒い髪と瞳は、このあたりでは確かに珍しい。装いも見たことがない布と形である。しかし、神が遣わせた救世主にしては、どうだろう。
汗で額に髪を張り付かせ、怯えたようにこちらを見やる目。汗がにじんだ衣服に宝石のひとつも無い。御使いならば、琥珀のひとつでもあって良いものを。
クォルは周囲の歓声に反して、不安と疑問に包まれた。
(この子供が、本当に救世の勇者なのか? )
神官長が円陣の中に進み出た。神官長ケツォールは、齢百と二十年。ヒトより長い寿命に、エルフより儚い寿命を持つ、ハーフの砂漠エルフである。
痩躯に纏う僧衣には、ハーブの唐草模様が金糸で装飾され、身分を示す。褐色の肌は衰えてもなお鍛えられ、白い総髪は豊か。絵物語に出て来る勇者が至った賢人そのもののよう。クォルら若い神官たちは、その御身の前に立つだけでも恐れ多くて総身が震えたものだ。
その黄金色の瞳が、震える少女に跪く。
「おお……勇者さま――――」
神官長ケツォールの次の言葉は、紡がれることが無かった。
異界の少女の眼がぐるりと白に回る。ゴプリ、と、少女の喉から異音がし、闇よりも黒いものが吐き出された。
支えを失った人形のように少女の体が床に落ち、黒髪が散らばる。その傍らで、銅鑼に似た絶叫が迸った。陣の上で転がる人影はふたつ。ひとりは小さく石のように沈黙し、ひとりは火に巻かれたように陣の上を転がっている。
ケツォールは明らかに苦しんでいた。跪いていたケツォールは、その黒い吐しゃ物を膝に受けたのだ。
ケツォールに駆け寄った神官の一人が、その装束に触れた。瞬間、灰色の僧衣が黒く燃え上がる。
体格の良い、ふくよかな神官だった。その大樽のような体が、真っ黒に染まって紙のように崩れ去る。
最初に恐怖に堕ちたのは誰だったのだろう。
小さな地上への道は、あっというまにみっちりと塞がれた。
その時、クォルは見た。
地の蛇の上で立ち上がるもの。
金糸で彩られた僧衣。鍛え上げられた痩躯。蛇の瞳にはめられた琥珀が、ぼうと妖しい緑の光を放ち、その褐色の肌を照らし出す。
白髪は艶を増し、琥珀の青さを含んで、往年の銀に変わった。もろ肌を脱いだ体は、衰え痩せた肉を脱ぎ捨て、逞しく膨れ上がった。
美貌を約束されたエルフの血を瑞々しくあらわにした、若き神官長ケツォールの姿が、そこにはあった。
ケツォールはおもむろに、厚い胸を反らして天井を仰ぐ。
獣の咆哮。
それはケツォールにとって再生した歓喜の叫びであり、それ以外にとっては、堕落した福音の音色だった。
魔王の誕生である。
※※※※
「ケツォールは、風のようにこの地を去り、あれから三回の召喚の儀を行いました……」
「……その人たちは」
「全て、黒髪に黒曜の瞳だったと聞いております。同じような子供ばかりで、同じように命を落としました。ケツォールは、東の街『ブルー・レイン』、南のオアシス『オレンジ・デザード』、北の都『エメラルド・アイスバーグ』、四方を守護する主要都市で召喚を行い、すべてを病で満たしました。……あの、最初の異界の少女が呼び込んだ、黒い炎の病です。肌が三晩で黒く焦げ、炭のように体の末端より崩れ、逝く……あれは異界の病です。手を尽くしましたが、あれを治すことは出来ませんでした。触れたものから病に堕ちるのです。まず手を差し伸べた神官から死んでいきました」
「……それで、あんたはどうして生きてるの」
「我々は……神殿の奥深くに籠りました。真っ先に病に冒されたのは、我々のうちの一人だったのです。民に病を振りまいてはならないと……いいえ、言い訳にしかなりませぬ。我々は神殿の奥深くに逃げ込んだのです。八日で食料を運んでくれていた女たちの手も無くなり、一番若く体力のあるわたしが志願し、閉ざした門を開け放ちました。……門を閉ざしてたった二十日です。二十日で街は変わっておりました」
神官クォルは、泥で汚れるのにもかまわず、うずくまって体を震わせた。祈りの手だけが動かない。
「……わたしは、糧を手に入れるため、街を歩きました。ヒトはどこにもおりませんでした。こうして路地裏でいる者たちは、皆、老人や子供ばかり……あの病は、健康な大人ばかりを食いつくすのだと知りました。そして、それを皆に伝え……」
クォルは、互いの爪が食い合うほどに、祈りの組手を強くした。
「……そして、異界の病は、異界のものにしか祓えぬと、神殿は新たな勇者を召喚することに決まりました。病の権化、あの魔王を打ち滅ぼす勇者だと……! 僕はなんて! 愚かしいことをした……! 」
クォルのその指先は、インクで汚れたように黒く染まっている。
「我々は五度、召喚を試みました。同じような少年少女が召喚に応じて現れましたが、すぐに死んでしまった。でも、最後のあなたは生きている。でも……! 僕はもう耐えられない! この地は死んだ! 死んでしまった! 僕はもう誰も失いたくない! 」
「お逃げください勇者様! この地は滅びます! けれどこのままでは、神殿はあなたを魔王に突き出すでしょう! 勇者成れと! 西の魔王を滅ぼせと! けれど勇者は勇者ではないのです! そうなのでしょう⁉ 」
クォルは慟哭する。
『積んでいる』。
蒼馬の脳裏に閃いた言葉がそれだった。なんてことだ、こんなところで若い身を散らすのか。
走馬燈のように家族や級友の顔が浮かんでは黒く塗りつぶされ、脳裏が冷たい闇で満たされていく。
蒼馬はこのとき、何度目かの絶望をしたはずだ。
それなのに。
それなのに……。
蒼馬は一年がたっても、この異世界のこの街にいる。
=管理局
異世界人の自治組織にして、慈善組織。
外部の異世界人からの影響を考え、公的な組織名称は設定していない。
最も定着しているのが、『管理局』『異世界管理局』『物語管理局』のため、便宜上『管理局』と記する。
作中で登場するのは、『本のくに支部』。管理局の支部の中で、最大の規模と施設を誇る。
活動内容は以下に分かれる。
・異世界に漂流した遭難者の保護。
・保護したのちの生活支援。労働の提供。
・異なる世界の技術文化の発掘、研究。
・異世界人達の自治。法を定め、生活の安定を目指す。
・異世界漂流物質が原因となる災害現象の撲滅と防止。
上記の活動により、管理局員に所属する異世界人は二つに分けられる。
・実際に現地に赴き、任務に就く実動員。
戦闘員でもあるため、有事の際には兵士としての戦闘も行う。
・異世界の技術や文化の研究、実験、またその補助を行う非・戦闘職員。
審査に通れば『保護対象支援(後述)』として、身の安全と生活の保障がされる。現地(異世界)への任務には原則就くことはなく、基地で行われる実験や情報の整理を行い、有事の際は、保護を優先される。
=保護対象支援制度
文化的、技術的な面において、管理局への功労が認められると受けられる保障制度。具体的に言うと、『サッカー』という文化を持ち込めば、それでお金がもらえるよという制度。
金銭面、安全面での保障がされ、定期的な研究結果や論文等、試作品の提出が義務付けられる。
非戦闘員だけでなく、アイテム開発や実地調査を行う第二部隊の技術者は、特にこの制度を利用し、研究資金を捻出している場合が多い。




