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▼3 ケイリスク

 母の髪と瞳は、冬の日の晴天と同じ青い色をしていた。

 伏せた睫毛すら鮮やかに青く、日にあたらない肌は白い。小柄な身体は少年のように肉が薄く、童子のように髪を短くしているものだから、とても子持ちの女には見えない。

 かつて子供だった彼は、そんな母が操る試験管などの実験器具を、きらきらとした目で見つめていた。

「触ってはいけませんよ」

 あまり表情を表すことが得意ではない人だった。

「触ったら、たちまち指の肉が溶けてしまいますから」

 そんなわけないと笑った彼に、母は「ほんとうですよ」と、首を傾げた。

「むかし、母さんは足に溢して大怪我しました。いまでも右足の小指が生えてきません」

 昨日の夕食を口にするように、そんなことをサラリと言う人だった。

「でも、とても面白いと思いませんか? 」

 笑うのは、自分の専門分野を語るときだけだった。真っ青になって部屋を出ていった息子には、不思議そうに「どうしましたか? おなかが痛いの? 」と尋ねてくるような人だった。

 幼少のころから天才といわれ、しかし度重なる奇行や奇抜な実験に職を追われたことは体中の指があっても足りない。けれど、その天賦の才は引く手あまた。あげく異世界人の男との間に、二人も子供を産んだ。禁忌とされるようなことを仕出かしても、その才能の前ではおつりがくる。だから母は、幼い弟をどこかへ預けてしまった。

 変人ロキ。更地のロキ。実験場の爆弾魔ロキ――――。

 爆弾魔はジョークだったのに、最期は本当に家ごと爆発して死んでしまった。それも、一年に数度しか会えない末息子の目の前で。

(ひどい話だ、まったく……)

 溜息が出るほどの変わり者だったのだ。


 ※※※※


 管理局のいち支部である『図書館』の組織体制は、極めてシンプルである。

『議会幹部』という管理委員があり、その大木の幹の下に根別れした一~五までの部隊が存在するのだが、異世界人たちはほぼ例外なく、この五つのうちのどれかに所属する。


 第二部隊。異世界の環境を調査、未知を掘削する。環境調査は大切な役目であり、派遣する職員の選抜は、一歩間違えれば大事故を引き起こす。またその調査に必要なアイテムの発掘や開発、保全、研究は、『管理局』の大きな資金源である。

 神秘を暴き、知恵を蓄えることを命題としているので、ひとつに打ち込むことを苦としない人材が集まる。


 第三部隊。情報収集と操作を目的とする。東シオンをはじめとした、異世界を拠点に動き回る『旅行者』たちを相手にした諜報や、第二部隊の研究結果、得たアイテムの管理など、収集する「情報」は多岐にわたる。

 現第三部隊長は、その『形ないもの』を扱えることを誇りとし、『鮮度の高い情報をいかに無駄なく流通できるか』を常に考えているという学者上がりの変わり者だ。


 第四部隊。これは完全に、戦闘を前提とした部隊である。相手にするのは敵対する異世界人の集団か、現地世界人とは名ばかりのモンスターたちだ。

 第一部隊を軍人とするならば、彼らは冒険者であり、アスリートであり、いざというときの守護者、兵士たちであった。彼らにとって、肉体と精神の研磨こそが美徳にして命題である。完全実力主義の彼らは、最も多くの職員を保有し、生命の限界に挑む。



 第五部隊。彼らは実務部隊ではなく、新たに保護した異世界人たちの育成や、進路相談を行う部隊である。

 能力を見定め、適性のある仕事へ斡旋し、必要ならそのための資格や技術の訓練を行う。

 管理局にやってきた異世界人たちは、第五部隊の支援を受けながら二~三年ほど『研修生』として所属し、最低限の護身術や知識の教授を乞うことになる。ある程度の適性が認められ、志望すれば、それぞれの実働部隊に『就職』していく。

 彼らは、異世界の環境にとまどう者たちを順応にうながし、あらゆる選択肢を用意するのである。一部の行政面……おもに金融や福祉などの『お役所的な』面も、この部隊の役割に含まれるため、たいがいの職員の経験として、最初の十年はいやというほど世話になる。

 エリカ・クロックフォードなる少女魔女もまた、この第五部隊で訓練中の研修だ。

 なお、ビス・ケイリスクは、特例によりここの名簿に名を連ねたことはない。


 そして、第一部隊。

 行政……とくに警察的な役目を負い、メンバーは他の部隊職員から選出される。

 その身分は秘匿され、同時に、『秘匿されない身分』も与えられる。選ばれた隊員には、『表向きの所属』と『裏向きの所属』が出来るというわけだ。

 選ばれると、招集がかかるまで『表向きの所属』に勤め、ひとたび招集がかかれば仮面をつけて街へ繰り出す。

 彼らもとうぜん異世界へと繰り出すことも任務が与えられれば無いことも無いが、アン・エイビー事件のような有事に備え、基本的には『本のくに』に常駐することを義務付けられている。

 一般的に、第一部隊に選ばれるということは制約も多いが、単純な戦闘能力、技能、精神力すべてにおいて、申し分ない能力を持つと判断されていることになるので、それだけの評価をされているといえる。


 とうぜん、平均年齢もそれなりに高いのだが、ごくまれに、ビスのような若者も選出されることがある。


「そりゃあね、きみ。青田買いってやつだよォ」

 葉野菜の若芽のソテーが突き刺さったフォークを揺らしながら、クリスタベルがくだを巻いた。

 大通りはずれ、民家風の建物にひっそりと看板を出している店は、一般的な『飲み屋』で当然あるはずの猥雑さは、微塵も無かった。

 薄暗い店内に間接照明、洒脱なタイル張りの床、緑が無い代わりに壁にかけられた露草のオブジェ、シンプルな黒檀のカウンター、防音処理がされた個室。

 受付嬢コンビが行きつけの店は、スキャンダラスな身分の美女(?)たちにふさわしい『ちゃんとした』店だ。常に店内の客は少なく、それなりに敷居が高い。

 クリスタベルとトカゲ娘のハリー、そしてもう一人の男は、立ち飲み用のテーブルに寄りかかりながらグラスを舐めていた。

 豊穣の半神であるサテュロスのペースは速く、ワインは水より軽かった。

 ハリーも、その長い舌を使って卵を呑むように飲んでいる。まさしく蟒蛇である。青白い頬はそのまま、首筋の鱗がこころなしかふやけたように赤みを増しているように見えた。

 そんな酩酊の美女に対する男は、かなり酔いが回っている様子で、ひとりだけ椅子に背中を丸めていた。

 上背はあるが、全体的に薄い体格の男だ。癖のある長髪を背中で束ねて、白い真綿の束のような三つ編みが尻の下まで伸びていた。日にも焼けておらず、裾に網目のような刺繍がされた白い『本』の民族衣装と、大きな眼鏡もあいまって、箱入りのご子息といった雰囲気である。


 相手は第一部隊の筆頭といえる人物だ。酔いの誘いもあって、青年は臆することなく、法度すれすれのことを肴にする。

「……でもさあ、まだあいつ、一七歳だぜ? じゅ、う、な、な! 」

「二十三歳の赤ン坊が何言ってんだよ。たいした違いじゃあないじゃない」

「半神といっしょにすんなよ! こっちの寿命はせいぜい七十年なの! ビスのヤツ、第一部隊あそこに選出されたのは一四歳だ。青田買いっつっても若すぎるだろ」

「だから、どこの部隊でもたまーにあるんだって。才能ある若者を、生粋の『うちのヤツ』として育てる! っていうの。ねえ? ハリー」

 トカゲ娘のハリーは、グラスを口に咥えたまま、無言でこっくりと頷いた。

「ビスはこれからだよぉ。あんたと違って、ビスは賢くて容量良いもん。これから出世もするだろう。自分の限界くらい分かるって。いつも最初に潰れるあんたと違って」

「『いつか』出世するってんなら、『今』させろよ! 他の奴らと同じ使いされちゃあ、あいつは潰れちまう……要領よくなんてないんだ。無茶を越えているのを誤魔化すのがうまいだけなんだよ、あいつは」

「ふうん……兄貴らしく心配してるってわけだ。それ、ビス本人には言った?」

「……うう」

 項垂れる男の白いつむじを、クリスタベルの指先がペチンと弾いた。「いてっ」

「……そんなにぐずぐず言うんなら、今日連れてくればよかったのに」

「教育に悪いだろ! 」

 トカゲが上向きの鼻で笑った。

「ビスって、体はともかく、精神はお爺ちゃんみたいだけど。兄さんと違って」

「ビスのほうが大人だと思うよ。いろいろ」

「どうせおれは頼りない兄貴だよ! 」

「別に頼りないとは言ってないよ。弟が規定外だと大変だねっていう話。童貞の目じゃあないよね。いろいろ覚悟決まってるかんじ! ……ねえ、なりで決めつけたけど、ビスって童貞だよね? 」

「ンなの、あの成りだぞ」

「でも、外見なんて、この国で関係ある? 」

「……おおまかにはあるだろう。おまえとか、そうだし……」

 男はパチンとテーブルを叩き、グラスの中身を煽ると、椅子に沈み、天井を仰いでため息をついた。呼吸に混ざる酒気を吐き出すように深く息をついて、オレンジ色の照明を見つめる。

「……スティール、あんたねえ」

 頬杖をついたクリスタベルが、淡い照明に照らされる白い貌を見つめて呆れた声で言う。

「……体、弱いんでしょ。こんな時間まで呑んでて明日に残らないの」

 男はふてくされた口調でつぶやく。

「……俺だって普通に友達と夜更かししたい時があるんだよ」

 男は天井に向けた青い目を瞬く。その瞳には、弟と同じく瞳孔は見えなかった。瞳の中の波紋は弟よりわずかに力強さに欠けて、青に銀色の円を描いている。


 男の名前は、スティール・ケイリスク。

 ビス・ケイリスクの兄である。



 ※※※※



(……しまったな。歩けばよかった)

 居眠りから目覚めると、バスの隣に、不確定生物が座っていた。

 立てば太った火星人、座れば肥満体の軟体動物、歩く姿は……なんだろう。

 そもそもこの生物は、『歩く』という動作ができるのだろうか。地上では這って進むのかもしれない。

 シートに浸み込む粘性の体液は、隣人が身じろぐたびに波打って侵食を広げている。他の座席に移ろうにも、窓際のスティールの体は、隣人のどろどろした体に阻まれていた。おそらく居眠りしているあいだに、満員状態だった座席が空いたのだろう。

 このバスは最終便だ。二駅先の終点につけば、この車両も車庫に入って自動洗浄にかけられる。

 客は、スティールと、この海洋生物似の生物しかいない。

 不確定生物は船を漕いでいた。こんな関節が曖昧な生物でも、ゆっくり座席に座って帰路に就きたかったのだろうか。

 隣を見たらSAN値が減る。酔いに肌は熱いのに、尻だけが冷たい。ああ、通路向こうの濡れていないシートが恋しいが、苦情を言って、布団に入るのが遅くなるほうがいやだった。

 湿った溜息を吐いて、スティールは窓の外に視点を固定した。

 自動操縦のバスの窓ガラスに、薄緑色をした街灯のまばらな群れが、ほうき星のように尾を引いて次々現れては消えていく。街灯の向こうには、黒い雑木林と野原と山の影が、世闇の星の下で死神の衣のように不気味に佇んでいた。


 見慣れた帰路の景色に寝床の感触を思い出し、睡魔に溶け出しそうな眼球が、ふと、熱を持った。

 それは例えるなら、こうして明るい屋根の下でガラス越しに夜景を見るのに似ている。

 暗い屋内を明るい部屋から見るとき、視点を切り替えれば、ガラスには鏡のように背後が映っているだろう。スティールの視界には、そんなふうに、『現在』と『燃え盛る未来』が見えていた。

 窓に映る自分の顔は引き攣っている。燐光を感じるほどに、この両目は明るく輝いていた。それと重なるように、『未来』が見える。

 ―――――炎。炎だ。炎が見える。

 まるで五年前のあの時のような。


 まるで弟がいたあの場所のような。

 ―――――今度は自分に、あの炎が降りかかるのだ。


 スティールは蛸足不確定生物の緑色の巨体を蹴とばし、座席から脱出した。

「わにゃっ!? 」

 思いのほか軽々と跳ね上がって床に叩きつけられて覚醒した不確定生物は、短い首を振っている。スティールは濡れた尻のポケットを探り、懐を探り、鞄をひっくり返した。

「どこだ……どこだ……」

 探しているのは、携帯型の通話端末だ。最後に触ったのはいつだったか。

(たしか朝だ。鞄に入れた)

 ひと月に数度しかボタンに触らない機械だが、生活習慣の違う家族との『いざという時のため』に持っていた『手段』。

 尻ポケットには無かった。懐にもない。鞄にも。ではどこかに落としているのでは―――飲み屋に忘れていたら最悪だ――――と、その視線が一点に止まった。

「ああああっ―――――った! 」

「ふぎゃん! 」

 蛸生物を平手で突き飛ばす。べちょん、べちょん、と蛸は床に張り付きながら後部座席に転がっていく。

 粘液に沈む通信端末は、中指ほどの長さをした円柱の形をしている。メタリックブルーに塗装されたそれの尻のボタンを押すと、すぐに先端の黒い部分が白く起動し、空中にディスプレイが投影される。ずらりと並ぶのは、ほとんどがかかりつけの病院や、よく行く店の番号だ。純粋な『ヒト』の名前は、家族と友人あわせて両手ほどしか無い。迷いなく探すのは、弟の名前だ。

「もしもし! 」

 スティールは、通話マイクに向かって叫ぶように呼び掛ける。通話の最初に「もしもし」と言う文化がどこから流れてきて定着したのかということは、今はどうでもいい。

 眠気にふやけた弟の声が応える。

『にいさん、こんなじかんに、なんでうか……』

 軽口の一つでも投げたいところだが、そんな場合ではない。

「バスが燃える! 」

『……はあ? 』


 死者の財産を悪用されないため、生者の口座は死人となった瞬間に凍結され、肉親にも一円だって引き出せなくなるという。正規の道にはあらゆる面倒な手続きが必要なのは、どこの世界でも変わらない。

 兄弟の口座は、それぞれが別から収入をもらうので別々になっている。スティールは雀の涙ほどの薄給であるが、それでも昨日は給料日だった。砂地が濡れた程度の潤いだったが、それが無いとなると、弟は今月いっぱい温かい食事ができなくなるだろう。

 諸事情により、ケイリスク兄弟は貧乏であった。忙しい弟に変わり、そろばんを弾いて頭を抱えるのはいつもスティールの仕事だ。そもそも貧乏でなければ、こんな郊外の原っぱに住んでいないのだし。


「バスが燃えるからおれは死ぬかもしれない。いますぐ銀行に走れ。ありったけ引き出すんだ……! 口座の暗証番号はわかるよな! 」

『……兄さん。話が見えないんですが』

「馬鹿野郎っ」

 スティールは弟を叱咤した。これがまともに兄貴面できる最後かもしれないと思うと、苦くて辛いものが眼頭の奥から溢れてくる。

『酔ってるんですか? 』

「酔ってるけど酔ってない! 兄さんは可愛い弟に先立つものを残したいの! 」


『……話はなんとなくわかりました』

 弟は固い声で言った。

『各所に連絡するので、僕はこの電話を切らなければなりません。いいですか、兄さん。落ち着いてください。現場で興奮したままなのは、余計な二次災害を引き起こす可能性があります』

「各所ってどこ」

『管理局だとか管理局だとか管理局だとかにです。事故が起きるのならば、それに対処しなければ。せめて明日の朝まで兄さんには生きていてくれないと困ります。銀行が開くのは、きっかり十時からなんです』

「おまえ、兄貴が死にそうなのに冷静すぎない? 」

『お互いさまでしょう。冗談です』

「冗談なら冗談らしい緩急をつけてほしい」

『落ち着きましたね? いいですか兄さん。何が見えましたか。予言はどれくらい先のことですか。どこで(When)何が(Where)どうなるか(How)。こういうとき、大切なのは二つのWと一つのHですよ』

「ああ、うん……頼もしいね。おまえ」

『頼るために電話したんでしょう? 』

 電話の向こうの顔は、いつも通りの鉄仮面だろう。こういったときに、両親の血を強く感じる。


「どこで……あれは、たぶん、うちの手前にある停留所のあたりだ。ハゲの一本杉が火の後ろに見えたから、そのあたりだと思う」

 いつも通りの運行なら、あと十分ほどで到着する終点ひとつ前の停留所である。

 そのあたりには一昔前に山火事があり、一本の杉の木だけが焼け残った。焼けた後遺症か、その杉の木は半分だけ葉をつけない。

 停留所と自宅の中間地点にあるその杉の木を、兄弟は『ハゲの一本杉』と呼んでいた。

『そこでバスが炎上するのですね。わかりました。一度切りますよ。二分後にまたかけます。それまでに事故の詳細をまとめておいてください』

 スティールの返事を待たずに、通話は切れた。再びの着信は、言葉通りの二分後。一番後ろの長シートでは、なにかを察した蛸生物が身を固くしている。

『兄さん、すぐに消防が向かいます。あと管理局の職員が数人、事実確認に。生き残ったら証言を取りますから、きちんと説明してくださいね』

「わかってるよ」

 スティールは言葉通り、『見たまま』を話し出す。


 窓の外が、白く光った。

『ハゲの一本杉』のシルエットが、骸骨のようにうかびあがった。

 バスが大きく揺れる。まるで振り子の中に閉じ込められているかのように。

 全身にかかるGと遠心力が、スティールを座席から引きはがした。車内を飛んだスティールの体は、おそらく後部にまで移動して、バスの│天井≪・・≫に叩きつけられる。

 横転したバスは薄暗かった。天井灯は足元で点滅を繰り返している。スティールの視界は大きくスライドを繰り返し、ひしゃげた車内で、なにかを探していた。

 逆さになった座席に、釣り上げられるように引っかかっていた鞄を拾い上げる。

 後部のいちばん大きな窓が割れている。スティールはそこから這いだし、土を手のひらで踏んだ。

 よろめきながら膝で立ち上がる。脚を折っているようだ。未来の痛みは水の中の声のように遠いが、視界が斜めになっているのは気のせいではない。上半身をまっすぐに保てないのだ。

 背後が黄色く輝いた。

 二度目の爆発。

 公共交通機関の車両は、事故を想定して、もう何十年も前に不燃性の燃料に切り替わった。

 何が爆発を引きおこした?

 スティールの頭は疑問に包まれながら、暴風に吹き飛ばされる。

 そして、炎――――――。


『……それは、バス自体の欠陥というより、外的要因による爆発の可能性が高いように思います』

「おれもそう思う」

『他の乗客は? 』

「蛸みたいな人がひとり」

『たこ……水生生物の蛸ですか? 』

 カチャカチャと何かをいじる音がする。どうやら通話しながらも、現在進行形で情報交換しているらしい。どこか遠くで声もするので、もしかしたら二台持ちで通話もしているのかもしれない。

 恐る恐るといったふうに、通話中のスティールに近づいてきた蛸生物は、スティールの顔を見てすぐに後部座席に戻っていった。


 こうして行動に移すと、その先から見える『未来』が変わっていく。

 泡が弾ける煮え湯が目蓋の下にあるようだった。輝く眼球は、他者にはけっして見えない『未来』の更新を観測している。動き回る眼球は充血し、薄く赤が混じり始めた体液で潤んでいた。一秒ごとに忙しなく繰り返される瞬きは、カメラのシャッターのように、切り取った場面を脳にアウトプットするためのもの。

 明確なタイムリミットが提示されているスティールには焦りがある。兄弟間でしか伝わらない表現を交えた状況説明を、ビスの手が編集し、情報として現場に通知する。

 中間で、いくつものことをこなしているビスの負担がひどく大きい作業だ。

 しかし、それをこなせるのがスティールの弟である。それが誇らしいし、自分が情けなくもある。


『たったいま、手続きが受理されて、バスの進路が変更されました』

 バスがゆっくりと速度を落とし始めている。停車予定の停留所を示すディスプレイが点滅し、ルート変更を知らせた。

『……どうですか? 』

 スティールは視界を妨げる血涙を拭い、夜の車窓を睨んだ。


 ……窓の外は光らない。

 かわりに、飛び去る木々の梢の向こう側、頭一つ背が高い裸の杉の木が見えるあたりで、夜闇を貫くようにして白い光の帯が飛来したのが見えた。


 スティールは細く震える息を吐く。

「爆発は起こらない……バスの横転はキャンセルされた」

『……まだ何か』

「二回目の爆発は、まだ起こる」

 その黄色い閃光の爆発は、走行中のバスの車内で起こっていた。



 ※※※※



 スティールは瞼を下ろし、また細く息を吐く。今度のそれは、疲労からくる溜息だ。

「なあ……そこの、不確定生物」

「ふかっ! ……なっ、な、なんれふか? 」

 腰(比喩表現)を引く蛸を追い詰めるように、スティールは歩み寄る。

「あんた、第二部隊所属の研究員なんだって? ちょっと所持品、ぜんぶ座席に置いてくれるかな」

 気迫に圧されてか、蛸は素直に頷いた。

「は、はひ……? わかりまひた」

 蛸生物は、にゅるぬると触手を蠢かせると、脚のあいだやら、ひだになった体の間やらから、粘膜にまみれた荷物をポイポイと座席に放り出した。

 その中に、粘液で濡れないようにか、ビニールに包まれたプラスチック製の小箱がある。梱包が微妙に甘く、中身が緑色の粘液に浸っていた。

 スティールはそれを丁寧に剥がし、濡れた側面を拭いてやる。


「なあ、素朴な疑問なんだけどさ、この箱って中身はなに? 研究材料? 」

「そんなもの、自宅に持ち帰るわけがないでふよ。おこられちゃいまふ。これはお弁当箱れふ」

「中身はいってるけど」

「今日は外食したんれふ。先輩に誘われては、お断りすることなんてれきません」

「へえ。そういう話はどこでもあるよねぇ。……ちなみに具材は? 」

 蛸生物は、ありふれた食材の名前を上げた。全体の傾向を見るに、この蛸生物は甘党のベジタリアンである。

 スティールはビスの指示に従い、彼の連絡先を聞き出す。自宅につけば、出待ちした管理局の医療部門職員により、彼には強制的な健康診断の打診があるだろう。

 第二部隊の所属ということは、もしかしたら自分の粘液を自分で検査することになるのかもしれない。

 スティールは、大きく迂回してようやく到着した停留所で、澄んだ夜気を胸に吸い込んだ。疲れ目に星が潤んで見える。まるで『よくがんばったね。ゆっくりおやすみ』と水晶体を慰撫するようだ。

「はあ~あ~………しんどい」

 その言葉を最後に、スティールの意識はぷっつりと途絶えた。



 この国には、あらゆる未知の世界からの異邦人が住み着いている。

 その中に、一部の果実に化学反応を起こして爆発物へと変える……そんな摩訶不思議な粘液を垂れ流している人種がいても、まあ不思議ではないのである。



=スティール・ケイリスク


 ビスの六つ上の兄。ビスと同じ白髪天然パーマ三つ編み。碧眼。

 ビスと同じく能力を持つが、使うたびに死にかける。苦難を負う宿命。彼女募集中。

 開き直ったブラザーコンプレックス。



=ロキ・ケイリスク

ダイモン・ケイリスクの妻。ビスらの母。青い髪を持つ『本』の女。

管理局において、『三人の賢変人』に数えられる。おもに薬学に精通し、多大な功績を残した。

スティールによれば、ビスは母親似。

類を見ない変人として数えられたが、息子から見ても奇人の類だったそうである。

最期はビスの前で、自宅と共に自爆死した。






(次回更新は12月9日、金曜日の夜8時ごろの予定です)

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