▼13 Veracious feather
メリークリスマス!
こんな暗い話を聖夜に読んでる奇特なアナタに捧げます。
何が最善であるか。
ビス・ケイリスクは、常に考えている。
この『最善』とは、実現可能的な選択肢の中で、最も安定して最短距離を取れるかどうかという『最善』だ。
ビス・ケイリスクの能力は、その『最善』を打ち出すことに向いている。
その能力を一言で表すのなら、『記憶を視る眼』だ。
例えば過去視。
『象のあし』の攻撃から離脱したエリカ・クロックフォードが入り込んだ路地。そこでビスが視たのは、路地の上を往く人々の『足跡』である。これほど人探しに有効なものはない。
例えば現在視。
現在進行形で更新される思考は、『記憶』といえる。『煤煙のハブ』の、気化した肉体から繰り出される攻撃を見切ることが出来たのは、ビスの瞳に映っていたものが、現実に目の前に広がる光景ではなく、『ハブの脳で想定されている攻撃行動』そのものだったからだ。
例えば未来視。
それは、ビス自身の記憶を覗き見る能力。ビスは自己の辿る『途』そのものにアクセスし、一歩先、その体が経験するものを先取りする。
その『未来』は、ビス自身の行動によって常に更新を続ける。
最も不安定で不確定である『未来視』できる正確な時間は、現在から一歩だけ先の、3.8s。
ビスは、3.8秒先の未来までしか計測できない。
一歩先だけ先取りできて、常に更新され続ける未来を歩くビスの脳は、時にコンピューターのように冷徹に、『最善』を選択する。
ビス・ケイリスクは『最善なる未来』について、常に考えている。
※※※※
一瞬、ストロボライトが浴びせ掛けられたように、視界が白く霞んだ。
気付けば全身が奇妙な浮遊感と共に傾いていて、長い瞬きから瞼を持ち上げた時には、腰に巻き付く褐色の腕を命綱のようにして、かろうじて膝が床についていないという有様だった。
「あ――――……申し訳ありません。ありがとうございます」
「あなたは、とても疲れている」
「……ありがとう。もう立てます」
かたわらに立つ触手生命体デネヴは淡々と、人形にするように崩れた膝を手ずから伸ばして丁寧に床に立たせた。
もう一度礼を言って、ビスは深く息をする。疲労が氷塊のように、臟のあたりに居座っている。
「『本の一族』は、たびたび無意味に『ありがとう』を繰り返す」
唐突にデネヴが呟いた。「……なぜ? 」
首をかしげる触手生物に、ビスは応える。
「それが彼らのマナーであり、先祖に組み込まれた不文率だからです」
「『ありがとう』と言われたら、わたしはどうすればいい? 」
「あなたが次に彼らに助けられたとき、『ありがとう』と返せばいい。彼らにとって、親切とは循環する水のようなものなのです」
「しかし、あなたに還元される『ありがとう』は、少なそうだ」
「そう……見えますか」
ビスはなんとなく、自宅のベットが恋しくなる。目の前にあるベットで、マットと毛布の間に埋もれている人物を見やって、もう一度深く酸素を取り込んだ。
さあ、仕事だ。
「……記憶を深く探られるというのは、あまり気持ちのいいものではありません。それが辛い記憶ならなおさら……。それなら、せめて悪い夢を見たと思うほうが良い」
サラシ一枚を残し、ビスは黒革の眼帯をサイドボードに置いた。ベッドの周辺にはビスを含め、5人の管理局職員が息を潜めるように押し黙り、ビスの挙動を眺めている。
簡易ベッドに横たわる少年に体重を掛けないよう、その肩のあたりに跨ったビスは、ぱさついた前髪を指先で流し、その閉じられた目蓋に触れ、背中を曲げて少年の日に焼けた顔を両手で包み、覗き込んだ。
息を詰め、目蓋を――――記憶の蓋をこじ開ける。
――――それはビスの視界に、鮮烈な光をともなってぶち撒けられた。
悲鳴が迸る。
電気ショックを充てられたようにベットの上で跳ねあがった少年の肩を、太腿と腰で押さえつける。
かさぶたにもならない傷を抉る行為だ。ある程度の反応は予想していたが、これでは彼の負担が大きすぎる。
しかしビスに止めるすべは無い。
記憶がすべてのものを押し流す土石流のように、眼球を伝って脳をも揺さぶる。
我が身に起こったように凝縮された少年の記憶がビスの中身を打ちつけ、身体を激しく痙攣させた。
―――――怖い。
彼の記憶は、禍々しく攻撃的な極彩色に彩られている。
足が覚束なくなるほど高い空の青、痛いほどの黄色い陽光、黒く腐って崩れていく死骸。
冷たくぎらつく星々が眩しすぎて夜は藍色をしていた。
焼けた鉄に似た大地の赤。そこに撒かれる血。
少女の瞳と、重すぎる杖。守るべき琥珀の緑――――。
未経験の痛みは肉体にも、精神にも与えられた。痛みは内側からやってくる。皮膚の上を滑るだけの傷は、血が出るだけで現実味がない。辛いのは、夜に寝床に横たわってからやってくる痛みの方だ。
見えない手が、丁寧に希望を摘み取っていく。
痛みに抗い、もがき、やがてふと冷静になれた時には、すでにそこは何もなかった。
泣き喚いたかもしれない。
誰かの名前を口走ったかもしれない。
傍目から見れば数十秒にも満たない時間だったが、ビスの体感では一日働き通しの徹夜明け、ようやく長い仕事が終わったような、そんな重い疲労感がさらに身体に圧しかかる。
体をびっしょりと濡らして冷たく震える自分の体を自覚したとき、まず、自身の上体が少年の上に倒れ込んでいなかったことと、この口が何も叫ばなかったことに、ビスはとても安堵した。
深く息を吸おうとして、肺が絞られたように咳き込む。
「だ、大丈夫ですか!? 」
「……ん、いえ。先に彼の方を……負担が大きかったはずですから」
ベッド際に差し出された椅子に有り難く沈み、今度こそ息を整える。第二部隊の医師が、流れるような手つきで横たわる少年の腕を取った。
「少し休みますか」
「いえ、先に知見資料を提示します」
ここにいるのは、第三部隊と第二部隊の合同班だ。
第二部隊の職員が、ヘッドセット型の器具をビスに差し出す。
いくつも垂れ下がるコードが絡まないよう、網目状に配置された接触部分を頭蓋にぴったりと沿わせるよう、いくつもの腕が慣れた手つきで調節する。
ビスは目蓋を降ろし、安置された人形のように、すべての身動ぎをやめた。
第二部隊の職員が言う。
「……知見記憶、転写します」
頭に取り付けられた機器が、耳元で羽虫が羽ばたくような駆動音を上げ、コードの中身が淡いブルーグリーンに点滅した。コードの先が繋がるのは、台車の上に乗せられた円柱型の白い機器である。側面に奔るライトが、くるくると同じ色に光って『稼働中』であることを知らせている。
この方法で能力を使い、対象者共々こんなに消耗することになったのは初めてだった。
『第一部隊』の活動の一環として、人を人とも思わないような人物の記憶に潜ったことも数え切れないほどある。
それだけ、この『小津蒼馬』少年が抱え込んだことが重すぎたということだろう。同時に、ビス自身が、彼に『共感』を持ってしまったのもいけなかったのかもしれない。
他人の記憶を覗くという行為は、その内容がたとえ幸福なものであったとしても、見る方も見られる方も嫌悪を感じることが大半である。
しかし、ビスのような能力者が提示できるこうした資料は、『新鮮で信頼できる』希少な情報源となる。
能力者の主観の混じらない、より『純水な情報』を抽出するため、特例と判断された場合にのみ、監理局ではこうした機器が用いられる。
機器を使って抽出された記憶映像は、重要な資料として会議に上がるだろう。
しかしこれで、エリカ・クロックフォードが提唱した仮説に確かな裏が取れた。
熱い蒸しタオルを瞼に乗せられ、どろりと意識が溶けだしていくのを感じながら、ビスは、夢の中に落ちていった。
※※※※
炎。
燃えている。
鼓膜には何も届かない。無音の中で、自分の鼓動すら遠い。
これが夢だと、頭のどこかは分かっている。しかし、そこにいるのは、正しく現実にそれを目にしている過去のビス自身だった。
12歳のビス・ケイリスクの目の前に現れたのは、雪と、炎と、両親との離別と、断たれた退路だ。
ビスの眼は、常時発動型の能力を有している。眠っているときも例外ではない。
閉ざされた眼球は、こうして瞼の裏にある『記録』を見せてくる。
五年前、本の国を炎が包んだ。
第一部隊所属のアン・エイビーの手引きにより、数名の異世界人が、異界領域結界を破って侵入。
その侵入方法は、まず攫ってきた14~16歳までの少年少女計四名を本の国内に文字通り『投擲』し、システムに接触させる。その混乱に乗じてアン・エイビーが市街、住宅の密集地において虐殺を開始。約三十分間の攻撃と、瓦解させられた家屋の下敷きになった数百名のほとんどが、本の一族であった。
さらにそこに火災が発生。火元となったのは、北郊外にある、ロキ・ケイリスクの自宅兼私設研究所の爆発。
当時、天候は数十年ぶりの寒波による積雪。北西よりやや強い風があり、爆発による火が、火の粉となって燃え広がったものと思われる。
火災発生同時刻、市街から40㎞離れた場所にて、違法異世界旅行者が集団で転移。
管理局に常駐していた職員が迎撃。
現場状況は、事態が発生した12月30日の昼から1月1日未明にかけて、ようやく終息した。
その日、母とビスの間に起こったことを、ビスだけが知っている。
ビスは年越しを両親と過ごすために帰宅した。家は北の郊外。周囲は雑木林と空き地に囲まれている。
―――――ビス、おまえ一人ですか。兄さんは。スティールは。
玄関で出迎えてくれた母は、期待と真逆の険のある目つきで、ビスの後ろを見た。
ビスは初めて母の舌打ちを聞いた。母は片方の手で息子の口を塞ぎ、突き飛ばすように息子の背中を押し出した。
――――いけない。早く出て……静かに外に行きなさい。兄さんを探してきなさい……。
その時ビスは、玄関の奥に動く人影を見たように思う。
――――あああぁぁぁ……ダイモンッ……! 間に合わないのか……!
たたらを踏むように玄関から出たビスに、背後から伸びて来た母が、抱きしめるようにして腕をまわしてビスの両手に何かを手渡した。手渡されたものを確認する間もなく、ロキはビスの腕を引きずって家を離れる。
――――行きなさい。何があっても兄さんが助けてくれる……振り返らないで……! 行くのです!
追い立てられて走り出したビスは、背後から襲った激しい爆風にすぐに転ぶこととなった。
呆然と振り返ったビスが視たのは、赤々と燃え盛りつつある家の黒影。
そこには母の姿はすでに無く、あの燃える家の中にいるのだということは、ビスの目にも明らかだった。
そのとき自宅にいたのは、確かに母ともう一人。
それが誰かはまだ分からない。
焼け跡からは、ロキ・ケイリスクの遺体だけが見つかったという。
そして、その爆発と同時刻。
南西の田園地帯にて、ダイモン・ケイリスクが《眼球を奪われ》、死亡した。
多かれ少なかれ、異世界人というものは離別とは切っても切れない運命にある。
故郷、家族、友人、夢、時に肉体や精神性――――異世界人は、そう定義づけられた瞬間、あらゆる過去を手放す。
彼らは本来、流浪する運命にある。
一つの世界に留まれば、それは、その世界そのものを瓦解させる要因となるからだ。
そんな彼らが、『故郷』となる居場所を創ろうとしたのが、管理局という組織の起点である。
未来が見えたとしても、選択しているのはビス自身の意志だ。
あの日から、ビス・ケイリスクは常に考えている。
最短で最善を。
残された時間で、何が出来るかを。
ビス・ケイリスクは、3.8秒より先の未来を、一つだけ知っている。
ビス・ケイリスクは、預言する。
あと三年。
それが自分に残された、最期の時間だということだ。
※ビス・ケイリスクにできること。
①対象の昔の記憶を視る。対象には、物体、人物、自分、例外はほぼ無い。
②対象の今の記憶を視る。すべての感覚は常に『過去』へと更新され続けているので、それを視る。
③自分の未来の記憶を覗き見する。覗き見するだけなので、三秒ちょっと先しか見えない。未来の自分が見間違えたり、そもそも見えなかったりしていたら分からない。
④同じ眼を持つスティール兄貴がどこで何をしているのか、なんとな~く分かる。(今は寝てるな……)とか(あっ……また兄さん、お酒飲んでる……)とかフワッと分かる。兄貴はビスより力弱いのでそこまで出来ないし、そもそも出来ることを知らない。距離が近いと精度が上がるので、家に女の子連れ込んだら一発でバレるが、弟として兄貴には自由恋愛をしてほしいので教える気はない。
今回のタイトルは「真実の羽」と和訳してくだされ。