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6 かりそめ

 アリスが家に住み始めたのが月曜日、そして本日は土曜日──というわけであの衝撃的な出会いから六日が経とうとしていた。

 三人で囲む食卓は穏やかで、物心ついた時から二人でしか夕食を食べることのなかった僕たち兄妹にとって、そしてきっとアリスにとっても新鮮で暖かい一時だ。

 特に夕暮はとても嬉しいらしく、アリスを姉のように、あるいは妹のように扱っていた。

 アリスは初め、遠慮して食事に手を付けなかったりしたのだが、その度に夕暮は


 「遠慮しなくていい。もうこうして一緒に暮らす以上、私達は家族なんだから」

 

 と繰り返した。 

 そうして今ではアリスは遠慮など微塵も見せず存分に夕暮の料理に舌鼓を打っている。

 ただ、それでも居候であるのだという自覚が消えないのだろう。毎日夕暮の手伝いをしている。

 まぁ、二人ともが本当に楽しそうだから微笑ましい光景なのだが。


 

 そしてその夕食の後、僕とアリスは毎晩、お互いに寝っ転がりながら多くの言葉を交わした。


 「ねぇ、明日の夕飯は何かしらね」


 「うーん……久しぶりに焼き魚とか食べたいかなぁ……」


 「えー、お肉でしょお肉!」


 「でも今日も肉じゃがだったじゃん」


 「今日は豚肉じゃない! 明日は鶏肉が食べたいわ」


 「それにしても本当に夕暮の料理が気に入ったんだな」


 「当たり前よ! あんなに美味しい料理、他にはそうそうないわ! ユウは将来有望ね!」


 ──そんな日常的な会話から


 「ねぇ、愛ってなんだと思う?」


 「なんだよ、藪から棒に」


 「昼間恋愛ものの映画を見ててちょっと思うところがあってね。その映画ではこう言ってたの、『愛とは即ち相手のために何もかもを捨ててしまえることなんだ、だから君のために死ねるなら本望だ』って」


 「素晴らしいセリフじゃないか。それほどまでに相手を想えるなんてすごく幸せなことじゃないか」


 「そうなのかもね。相手のために犠牲を払って挙句命まで投げ打てるだなんて、すごく満足なことだと思うわ」


 「うん」


 「でも──じゃあ残された方はどうなるの? 一番死んでほしくない人が自分のために死んじゃって、それで、どうすればいいの? それなら自分が死んじゃった方がいいんじゃないかって、そう思っちゃうじゃない」


 「でもさ、立場が違ったらどうだろう。きっと残された人も同じ立場だったらそうするんじゃないかな? それがきっと愛し合うってことで、実は愛は傷つけることなのかもしれないね」


 「悲しい……」


 「でも悲しいだけじゃないんだよ、きっと。だから人は人を愛してしまうんだろうね」



 ──そんな少しばかり哲学めいた話まで、僕たちは本当に沢山話をしたんだ。


 そして僕は確信する。この数日で激しく膨れ上がったこの感情はまさしく恋なのだろうと。

 

 だが、今日はそれだけで一日が終わらない。

 何故なら今日は前回の《時間泥棒》から六日。すなわち寿命の限界が近いのだ。

 本来なら時間に余裕を持って五日毎くらいのペースで《時間泥棒》を行うのだが、彼女との会話を優先させたい気持ちと彼女の前で《時間泥棒》についての話をしたくないという感情から先延ばし先延ばしにしていた結果がこれだ。

 これじゃあまるで公園から帰りたくないとごねる子どもだな、なんて苦笑して僕は仕事道具を忍ばせたポーチを腰に装着して。


 「じゃあ、行ってきます」


 家族と、そしてアリスが寝ているであろう暗闇に小声で呟き、部屋の中の闇とはまた別種である外の心地よい静寂を帯びた闇に身を躍らせた。


−−−


 ──二時間半後、今日も今日とて危なげなく《時間泥棒》を終えた僕は家路を急ぎながら物思いに耽っていた。

 

 本当に、思いもよらない一週間だった。

 一人の特殊な少女と出会い、そしてよもや一緒に暮らすことになろうとは、前に《時間泥棒》をした時には全く予想すらしていなかったことだ。


 そして何より、この胸に燻る恥ずかしくも暖かい恋心こそが最も予想外である。


 「本当に、人生ってままならないな」


 「何かあったの?」


 ──!?!?


 もう家に着こうかというところに差し掛かり、声を掛けてきたのは件の少女。

 彼女のことを考えての呟きだったために心臓がまるで図星を衝かれたかのように一つ大きく跳ねるが、それをなるべく表に出さないように意識しながら


 「いや、なんとなく、ふと思っただけだよ」


 「もしかして、この一週間のこと?」


 どうして分かったのだろうという驚愕に一瞬目を見開く。いやまあ確かにこのタイミングでこの呟きなのだから分かったとて不思議ではないのだけれど、それでも考えていたことを言い当てられるというのはどうにも居心地が悪いというか、なんというか。僕はやれやれとばかりに苦笑いを浮かべながら溜息を吐く。


 「正解だよ。なんでそう思ったの?」


 「あのね、多分だけどね……私もジックと同じようなこと考えていたんだと思う」


 街灯に照らされた透き通った笑みは、もしかすると恋心すら見抜かれているのではないかと思わせるが、僕にそれを確認する手立ては有りようもなく。


 「そっか」


 せいぜい火照った顔を誤魔化すために上に視線を逸らすのが精一杯だった。

 そこで会話が五秒ほど途切れ、夏特有の生暖かい風が夜を支配し始める──と、そこで遅まきながら今のこの現状ににようやく疑問が湧く。


 「そういえばなんでアリスはここに? こんなに夜遅くに」


 「眠れなくて夜風に当たりに来た──っていうのは流石に信じて貰えなさそうね。今日は《時間泥棒》してきたんでしょ? 家出たのが気配で分かったから待ってたのよ」


 「そうだったのか……。ありがとう」


 「別にお礼を言われることなんてしてないわ。っていうかなんか気を遣わせちゃってごめんね」

  

 「いや、別に気を使ってなんか」


 「使ってるの」


 「そんなこと」


 「ある」


 確かに僕が気を使っていたというのは否めない。特に《時間泥棒》に関しては特に。

 しかしそれは彼女に対する思いやりというよりかは自分のためという感の方が強い。

 僕はきっと怖かったのだ。自分を人間から乖離せしめる異能である《時間泥棒》を彼女に明確に提示してしまうことが。

 例え彼女が僕のことを《時間泥棒》であるのだと知っていたとしても。

 矜持──自尊心。

 そう言えば聞こえはいいのだが、実際そんな尊いものではない。ただ、臆病なだけだ。


 けれど、彼女はそんな僕の内心を知らないため、僕の行動を善行として受け止める。

 そしてそれが自分のせいなのだろうと責めているのだろう。

 だからこれで明確な一つの線引きをして、僕の負担を減らそうと考えた──それがきっと不器用な彼女なりの思いやり。

 そしてその思いやりに気付けるようになったというのが一応アリスと数日過ごした上での一番の進歩なのかもしれないが、でも。


 「……そうなのかもしれないね」


 僕は彼女の内心の葛藤について推察出来ていながら、結局自分の弱さを晒け出すことが出来ず、苦笑いを浮かべながら言うのだった。


 「でもこんな深夜──というよりは早朝に近い時間に外に出るなんて危ないからダメだよ。変な奴に襲われないとも限らないんだしさ」


 「平気よ、こう見えて私、強いんだから!」


 「それでもダメ」


 「むぅぅ……」


 そうしてしばらく不機嫌そうに僕を睨んでいたが、子どもみたいに頬を膨らませても僕が折れないことを悟ったのか、不機嫌そうな顔のままではあったが一応は頷いてくれた。


 「分かったわ。それじゃあもう帰りましょう、明日は早起きしなくちゃいけないんだから」


 「え、明日って何かあったっけ?」


 どうやらこの僕の一言は地雷を踏んでしまったらしい。

 アリスは怒気を全身に纏わせてツカツカと目の前まで歩いてくると、僕の鼻を捻るように摘んで


 「明日は約束の──デートの日じゃない! なんで忘れるなんてことが出来るわけ!?」


 「痛っ……あ、そういえば」


 「『あ、そういえば』じゃ、なーい!!!! もういい! 帰って寝る!」


 アリスと過ごす日々が楽しすぎて忘れていた──だなんて言えたら楽なんだろうな。


 しかしここまで怒っても「明日のデートはもういい!」と言わないところがアリスらしい。

 もしかすると明日が楽しみで眠れなかった──っていうのもあるのかな、そうだといいな。


 「ほんとごめん」


 「嫌よ!」


 「ごめん」


 「い・や・よ!」


 「ごめんったら」


 アリスを追いかけながら僕は考えていた。

 この幸せが永遠に続けばいいのに、と。

 それは切実な願いであり、祈るような気持ちだった。

 

 祈り──それは困難なことに対して想いを紡ぐ行為。

 僕はもしかすると心の何処かで気付いていたのかもしれない。

 

 この幸福はひどく儚く、脆弱極まりない代物だということに。


 ──そして、夜は明ける。


 


 


 


 

 

 

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