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47 イレギュラー

 アリスの殺し方──否、『アリス』の殺し方。

 まず手順一。

 ある文言──「アリスよアリス。不思議の国も夢の世界もおしまいだ。そろそろ目を覚ますんだ」という呪文を、双方が聞こえるように言う。

 手順二。

 後は《時間泥棒》が『アリス』から時間を奪う。


 突き詰めてしまえばそれだけ。アリスが起きている状態で呪文を聞かせ、その後《時間泥棒》へ移行する、という流れは確かに鬼門だったけれど、それでも突き詰めれば二工程。

 たったのそれだけ。

 その二工程だけでアリスは『アリス』の呪縛から解き放たれるのだ。

 だが、いかに工程がただ単純なその二つだけとはいっても、当然のことながら代償は必要となる。

 つまりは《時間泥棒》をした当人が死ぬ。

 

 僕が死ぬ。

 

 それは恐るべき、または誇るべき『アリス』を殺すことができるのだから条件としては不釣り合いな、破格のものなのだろうけれど、それでも、だ。

 僕は怖い。僕は恐れている。自分の死を許容したくない。


 あぁ、いやしかし。

 それでも僕はこうなることを選んだのだ。

 自分が死ぬことよりアリスが死ぬことの方が許せなかった。

 純真無垢で天真爛漫。百花繚乱にして栄華発外。

 そんな彼女が、世界から失われることがどうしても許容できなかった。

 分からない、本当に自分のことながら分からない。

 どうしてこうなっちゃったかな──とまで思うけれど。それでも僕は後悔していない。

 つまりは僕はアリスが好きで、魅せられていたから──だから。


 自分が死ぬことを最終的には許容できたのだろう。

 アリスが死ぬくらいならば、僕が死んだほうがマシだ──アリスの為に死ねるのならば本望だ。


 代償──代替。

 成り代りにして、立ち代わりにして、入れ替わり。

 代わり。変わり。替わり。

 代替行為の代償好意。

 

 だけれど、きっとそれはアリスも同じことだったのだろうと、今更になって僕は気付く。

 自分が「餓死」すれば、他のメモリースティックの少年少女の存在理由と利用価値はなくなる。そうなればメモリースティックは助かるのではないか──そんな理由。

 全く馬鹿なことだ。全くの戯れ事だ。

 そんなことに──そんなことと評するのはどう考えても不謹慎というか、最低で劣悪な行為だとは知っているけれど、それでも「そんなこと」に痛みを感じる必要なんてないのに、そう思う。

 だけれど、だからこそのアリスなのだろうとも、また思う。

 アリスは優しい。優し過ぎるほどに、優しい。運命の過酷さとは不釣り合いなほどに。まるで反比例するかのように。

 今なら分かる。僕はその怪しげで儚げな優しさ(アンバランス)に魅せられていたのだろうけれど、それは魅力であると共に、弱さだ。

 自分を何に対してでも投げ打てる──美しい、あまりにも美しいその御心は、しかし「生き抜く」という一点に於いてはどうしようもないほどの欠陥でしかない。

 美しさが必ずしも正しさではない。そんなの高校生にもなれば分かろうというものなのに。アリスはそれを知らなかった。いや、知っていたのかもしれないけれど、見なかった。見ようとしなかった。過酷な状況下にも幻想を抱き、希望を見出し、そして、その為に命まで投げ打とうとした。

 ああ全く、なんて馬鹿なんだ。本当に本当に──放っておけない馬鹿っていうのはタチが悪い。


 そんなアリスに魅せられて、こうしている僕は更なる大馬鹿者なのだろうが。



 アリスを見る。

 まるで芸術品のようだ。掛け値なく、そう思う。



 (お互いに、馬鹿だったな。だけれど、もうこれでおしまいでいいんだよ。今までアリスが見てきた夢世界──悪夢のような現実は、もうこれで終わるんだ。終わらせるんだ。僕が、全て片付ける。根こそぎ──って訳にはいかないだろうけれどね。後はアリスの人生だ。取りこぼしくらいは任せても大丈夫だよな? 大丈夫? 大丈夫。これで、大丈夫だよな、全て)



 アリスと呼吸を合わせつつも、やはり胸の中でそう呟いて、空を見上げる。

 ああ、綺麗だな。綺麗な空だ。

 今度は皮肉ではなく、そう思えた。

 相応しい空だと、思った。

 何に? 僕の終わりと、アリスの始まりに。


 悲しいほど綺麗で、澄んでいて、笑ってしまうほどに果てのない、そんな空。

 そんな空に見惚れながらも、意識はしっかりアリスに固定。

 固定──していたとはいえ、この時の僕が万全を期していたかと問われれば、油断が一分もなかったかと詰問されれば、しかし僕は曖昧な苦笑いをするしかないだろう。

 もう残り時間は十五分。

 後半戦の更に後半戦。そろそろ死ぬ覚悟を、落命への意識をし始める頃。

 だから集中度合いとしては百パーセントではなかったのかもしれない。もしかすると五パーセントくらい、意識が自分へと向いていたのかもしれない。

 だけれど、それでも。

 生じたのは、僅かな何かでしかないはずだ。

 極々僅かな。極めて軽微な。

 

 間隙とも言えない間隙。油断とも言えない油断。


 僕はそれを確かに有していた。


 そして、その間隙に食い込ませるように、声がした。


 「「ぐうううううううううううううううううううううううううううううううううううううあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!」」


 それは、ただ単に「声」と呼ぶにはあまりにも乱れていた。まるで──

 

 悲鳴。

 怒号。 

 雄叫び。

 獣声。

 慟哭。

 号哭。


 そのどれもに類するような物凄い音が、僕の胸の中でした。

 声の主は、紛れもなく、確認するまでもなくアリス。

 だからこの場合、反射神経的に声を──呼吸を合わせることができたのは奇跡と言う他ない。


 そこは一先ず胸を撫で下ろすことを許されるポイントだろう。だけれど、そんな奇跡の余韻など、僕の頭には欠片としてない。

 僕はただただ思う。思うだけだった。疑問に思って──動転するだけだった。


 (どうして、どうしてアリスが目を覚ました!? あれは、あの睡眠針はそんな生半可な物じゃあなかったはずだ。少なくとも二時間は目を覚まさないはずなのに!)

 

 動転していても呼吸を合わせることは忘れない。だが、それでも未知への恐れから僕はアリスから後ずさりをする。

 地面に横たわっているアリス。横たわっていたアリス。

 少女は細い腕で、しかし何よりも力強く自分の体を持ち上げて。

 そして、更に数秒を要して完全に二本の脚で立ち上がる。

 

 嗚呼、ああ、あぁ。

 なんて存在感。

 これがアリス。これが『アリス』。

 だとしたらなんて圧倒的で、そしてなんて透明無色なんだ。

 透き通るほどの純潔。高らかなる高潔。

 

 彼女はそのまま、直立状態からのブリッジでも敢行しようとしているかのように大きく上体を反らす。

 そして、反らしたということは勿論。

 

 「「ふ、ざ、けるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」


 今度はそれこそ前屈するかのように両腕を前に振りかぶって。

 肺の中身を全て吐き出さんばかりの大声を上げる。

 僕もそれに合わせて同じ声量で、大声を出す──が、同じ声量だというのに、込められたエネルギーのなんという差異。

 目の前の少女は──目の前の神話は、目の前の『アリス』は、目の前のアリスは。それほどまでに強大だった。

 

 彼女は息を整えるようにしばらく荒い呼吸を繰り返して、そしてキッと僕を睨み──だけれどその表情はものの五秒と持たず、崩れる。

 目元と口元はたわむように下がり、鮮やかな色彩の瞳からは大粒の涙が溢れ出す。それはさながら安心したようであり、悲しんでいるようであり、怒ったような号泣だった。

 

 「「うっぐ……ううっ、えっ……うぅ……どうして、どうしてぇ……」」


 「「どうして、どうして勝手に私を助けて死のうとするの……? うぅ……あぁ……うぁぁ」」


 ぽろぽろと、溢れるように、ぼろぼろと、崩れるように。

 彼女は涙を流す。

 また、よく見ると右手の小指から地面に向けてポタポタと紅い何かが滴っている。

 まさかインクでもないだろうから、どう見てもあれは血だろう。きっと意識を覚醒させるために爪を剥がしたが故の、傷であり、痛み。

 痛ましい、傷。

 痛々しい、痛み。

 

 やめてくれ、やめてくれ。そんな表情は、そんな有様は。

 僕はアリスに傷付いて欲しくないのに。

 そのためなら、幾らだって傷付くことができるのに。

 痛い。痛い。

 見ていられない。

 胸が張り裂けそうだ。

 頭蓋が割れそうだ。

 

 「「いやだ……嫌だよ……もう、嫌なのよう……私の眼の前で、私の大好きな人が死んじゃうのは……」」


 彼女は嗚咽のように、嘆願のように泣く。

 懇願するような弱々しさで。地面にへたり込む。

 ああ、お気に入りであるはずのワンピースが汚れてしまう。


 「「『牧場』でもそうだった。それが嫌だったからこうして飛び出したのに……なのに……こんなの……こんなのって」」


 痛々しい、あまりにも痛々しい姿──だけれど、だからって僕はそれに流されて《時間泥棒》を止めたりはしない。

 アリスの発言──それは確かに苦しい、悲しいものだけれど、それでも納得出来ないのだ。


 (アリス、それを言うなら君だってそうじゃないか。それで君が犠牲になってしまったら、それこそ報われない。それなら僕だってそうだけれど、それでも君と僕との差異はある。アリスはきっと苦しみのまま、後悔の只中で落命しようとしているのだろうけれど、僕は希望のために、愛の最中で命を落とす。僕は死を恐れているけれど、それでも幸せなんだ。君のために命を捧げられる喜び──そのためなら、僕は君の嘆願にすら耳を貸さない)


 それを声を大にして叫んでしまいたいけれど、しかし《時間泥棒》の最中にそれは許されない。

 だから、ただただアリスの言葉を聞くのみ。それが自分勝手な自己犠牲に身をやつす僕の最低限の礼儀だろうから。


 ──残り時間は十分。

 物語は佳境を迎えようとしている。

 

 

 


 


 

 


 

 

 

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