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44 手帳

 僕たちが次なる住処に辿り着く頃には、既に帳は降りて、すっかり空は真っ暗になっていた。

 京都駅からバスを使っても一時間半。ここに住むとしたら、不便が過ぎる立地だけれど、家賃の節約を考えると仕方がないのかとも思う。


 二十時。深夜ってほどの時間ではないけれど、それでも追われている身として、夜というのはそれだけで怖い。

 だから、これからの数日──あるいは数時間(にならないことを祈るばかりだ)を過ごすこととなるボロいアパートを発見した時には、感慨にも似た安堵が去来した。


 「ふぅ。さざなみ荘。名前を聞いた感じで海の家を少しマシにしたようなのを想像していたけれど、それよりは全然いい感じだね」


 我ながら酷い発言である。

 よりにもよって海の家とは。

 だが、それは偽らざる本音だった。あまりにハードルを上げるとがっかり感もひとしおだろうということでかなりハードルを下げていたのだ──とはいえ、流石に下げ過ぎの感は否めないが。


 隣を向けば、アリスと夕暮。

 二人ともかなり疲労困憊しているようで、ハンカチで汗を拭き取る様も、どことなく億劫そうだ。


 「じゃあ、大家さんから鍵もらってくるから、二人はその間ここで待ってて」


 返事を返すのすらキツイのだろう、二人とも肯定の意を、片手を上げることだけで済ませる。

 それを見て取ってから、僕は大家さんの部屋へと。

 こういう経験はこの十余年でもそうそうあるもんじゃなしに──というか、皆無なので、ノックする際にはかなり緊張した。

 だが、案外と大家さんという人は温厚そうな女性で、僕たちが子供達三人で訪ねてきた理由にも特に触れることなく、すんなりと鍵を渡してくれた。

 少しばかりの肩透かし感はあったものの、何の問題もないのなら是非もない。挨拶と謝辞を無難に済ませ、僕は二人の元へと戻る。


 「あ、ジック早かったのね!」


 「ごめんね、全部お兄さんにやらせちゃって」


 小休憩を挟んだからだろうか、二人とも幾分か元気を取り戻したようだ。それでも疲れの色が表情に表れているのは、この場合仕方のないことだろう──僕もきっと似たり寄ったりの表情をしていることだろうし。


 「あぁ、大丈夫。きっと父親父と母さんが色々手を回しておいてくれたんだろうね、随分と楽にいったよ」


 いかに大家さんの人格が素晴らしくたって、何もなければ流石にそう簡単にいっていなかっただろう。

 だからこの場合、親父か母さん(母さんはこういう方面は完全に苦手なので、恐らく親父だろう)が前々からそれなりの信頼関係を築いて、ある程度の説明をしてくれていたのだと考えるのが妥当だろう。

 もっとも、本当に大家さんが些事を気にすることのない大らかな──大らか過ぎるほどに大らかな性格をしていたから、という理由も無視できないほどにあるのかもしれないけれど。

 そこらへん、人生経験のない僕には判断のつかないところだった。


 「じゃあ、部屋に入ろうか」


 とりあえずはそれらの問題は棚上げすることにしよう。

 とにかく眠たい。今は現実を省みずにただただ布団に入りたい──もっとも、その布団すら大破した車の中にあるのだが。


 「前途であろうと中途であろうと、どこまでいっても多難だな……」


 僕は大きく溜息を吐く。


−−−


 その日の夜、もっと詳細に言うならば深夜。

 アリスと夕暮がすっかり寝静まるのを待って、僕は動き出す。

 

 僕がいかに一介の高校生とはいえど、いみじくも《時間泥棒》の末席を汚す者として、それなりの暗順応の速度と明度を持っているので(とはいえ、大仰に表現してはみたものの地味な便利さでしかないけれど)、夜の暗闇は僕のフィールドだ。

 そういうわけで、今から僕は二人の寝顔鑑賞を密やかに──と、いきたいところだけれど、それは非常に心踊る案なれど、それでも断腸の思いでそれを諦めなくてはならない。

 というか、正直言って現状そんなことをしている場合ではないのだ。そんなことより──自分の趣味を「そんなこと」と割り切るのに些かならぬ抵抗は覚えるものの──為さねばならないことが、僕にはある。


 二人が寝息を立てていることを再度確認して、布団から出る。しかし、ここで重要なのは完全に立ち上がらないことだ。息を殺して、気配を絶って。腰を落とす。さながら獲物を狩る野生動物のような姿勢でアリスの枕元へ。

 そこには無防備で幸せそうな、魅力的極まりないアリスの寝顔──おっと、駄目だ駄目だ。本当に今日ばっかりは。

 音を立てずに首を振ることでなんとか邪念を振り払って、目的の物へと手を伸ばす。

 目的の物──リュックサック。

 アリスが『農場』から出てきたときからずっと愛用しているリュックサックを、手元に引き寄せて、そして躊躇わずして開ける。

 

 他人の私物を勝手に覗き見るという行為はどうあっても褒められる行為ではないし、道徳的にも、ましてや規定的にも反しているのだが、それでも僕はリュックサックを漁る。

 中に入っているのは、基本的には衣類。ワンピースが二着に、動きやすいパンツやTシャツがこれまた二枚ずつ、そして可愛らしい下着が三セット──これだけでリュックサックの容積のおよそ八割ほどを占めてしまっているのだ。

 洋服一着一着を取っても、アリスの女子力というか、女の子らしさが垣間見える。なんというか、イメージどうりというか、期待を裏切らないというか。

 しかし、今日に限っては、それら衣類は全くと言っていいほど目的に関連していない。

 

 とりあえず中身が見えやすいように衣類を全て取り出して、すると、おお、大分すっきりした。

 その他の荷物はといえば、携帯電話、懐中電灯、折りたたみ傘、そしてスタンロッド──あ、見つけた。

 リュックサックの底に隠れるように、あるいは隠されていたかのようにして仕舞われていたのは、可愛らしい猫のキャラクターが描かれた手帳。

 これこそが、僕の目的である。

 

 番号憑きから逃げている途中で、アリスが手帳を落とした時の慌て様──一度は何か推し量れない事情があるのだろうと納得しかけたのだけれど、それでも考えれば考えるほどに釈然としない。どころか、不安が、まるで零した水が段々と時間を掛けてカーペットを濡らしてゆくように広がって、気が付けば、こうするしかないように思っていた。

 もしこれで何もなければそれでいいのだ。けれど、そうも楽観していられないのが現状。

 アリスを信頼していないわけではない。ないんだ──が、疑わざるを得ない。

 どう言い訳しても繕えないだろうが、それでも確かめないと。

 手遅れになる前に。


 思考を終え、僕は再度手帳に視線を落とす。

 装丁こそ可愛らしい、オンナノコオンナノコしているけれど、それはひどく使い込まれいて、よれていて、どこかくたびれているようだ。それなりに長い時間をアリスと共有していただろうことが伺える。

 これも『農場』で買い与えられたものなのだろうか。まるで親が子供に普通におもちゃを買ってあげるように。


 一瞬の逡巡。


 リュックサックを開くときに躊躇わずして、此の期に及んで躊躇しているのは些か錯誤しているようだが、それでも何故だろう、不思議と緊張していた。『農場』のことを思い出したからだろうか。

 喉が乾く。心臓が跳ねる。


 「……ふぅぅ」


 大きく、しかし二人を起こしてしまわぬよう細心の注意を払いながら溜息を吐く。

 そして、唾を飲み込んで。

 ページを一枚、繰る。


 そこには一面びっしりと文字、文字、文字。

 余すところなく、余白など一切許せないとばかりに、さながら壁画のように文字が綴られていた。

 では、その内容とは。


 「『農場』という組織は、《時間泥棒》を育成し、利用するための道具として精製する場所である」

 「ママやパパは、俗に支配者(マスター)と呼ばれ、どうやら『農場』を文字通りに支配しているらしい」

 「使い潰された《時間泥棒》はやがて建物内から消えてゆく。後をつけてみると、外に連れて行かれていた」


 などなど、『農場』についての情報を、微に入り細に穿ったような説明が箇条書きにされていた。

 その文面こそ無感動で淡々としたものではあったけれど、それでもその文字が──叩き付けるかのように殴り書きされたようなそれが、アリスの激情を何より雄弁に語っていた。

 

 更にページを繰る。もう一ページ。もう一ページ。


 同じようなページが、大体三十ページに渡って続いていた。

 いくらメモ帳のページは普通のノートに比して小さいとはいっても、それでも三十ページまで至れば、それは相当な情報量になる。

 アリスは『農場』の存在に気付いてすぐに飛び出してきた、みたいなことを言っていたが、どうやらそれは全くもって事実ではなく、長期にわたって『農場』を調べ上げてから、機を伺って、万全を期して抜け出してきていたのだろう。そうでなければ、この情報量に説明が付かない。

 

 ──と、ページを捲っていた手を止める。

 それはなんのことはない、ただ単にメモ帳の残り数ページを残して記述が終わっていたからなのだけれど。それでも。それだけじゃない。

 

 気が付けば、止まっていたのは、手だけではなかった。

 口も。目も。表情が完全に止まった。

 動かなかった。

 それほどまでに僕は驚愕し、動揺していた。


 やがて、口から乾いた呟きが溢れる。

 

 「おいおい……こりゃ、最悪中の最悪手じゃないか。こんなのって……」


 僕が見つけた項目は、それこそ最後の最後。

 「『アリス』について」という、その項目。


 「『アリス』は《時間泥棒》からのみ時間を泥棒できる稀有な存在である」


 震える。


 「『アリス』は時間を三十日まで貯めておくことができる」


 さざめく。

 

 「『アリス』の脳のメモリは無限である。それ故に、不死身である」


 慄く。


 「『牧場』の情報は『アリス』にすべて集められ、保存される」


 蠢く。


 「それから導き出される解決策として、アリス自身である私が出した答えは──私が死んで、『農場』を殺すことである」


 総毛立つ。


 悪い夢でも見ているようだ。というか、悪い夢であって欲しい。だけれど、救えないことに救いなどなく、確かにこれは現実なのだった。


−−−

 

  一度パラ読みしただけでは分からなかったことも、流石に三度じっくりと読めば咀嚼できる。

 そういうわけで、やっと僕は『アリス』について完全ではないまでも、それに近しい度合いまでは理解できた。


 手帳はもう既にリュックの中に戻してあるから、布団の中でその内容を忘れないように反芻する。


 『アリス』という存在は、メモリースティックの最高級(ハイエンド)のような物で、情報を永続的に保存できる、さながら個人資料館のような役割を担っている。そして『アリス』は殺しても死なないほどに頑強ときた。情報というものは、データとして保存していても、どんなに強固なプロテクトを施したところで、政府にはそれ以上の技術者がいるらしく、毎度クラッキングされてしまうために、『アリス』に全ての『牧場』のデータを集めることになっている。それが最も安全性の高い保存方法だから。

 そしてどうやら今のアリスは二代目であるらしい。初代はつい十年ほど前に殺されている、とのこと。また、『アリス』は《時間泥棒》と同様に遺伝性の体質のようなものであるから、初代はつまり『アリス』のお母さんだということになる。 

 父親については──幸か不幸か記述されていなかったけれど。


 ともあれ、僕は合点した。

 アリスはだから家族というものをあれほどまでに神聖視──ではないが、幻想視していたのだな、と。

 お母さんがもう死んでいることを知った時、果たして彼女はどう思ったのだろう。

 泣いたのだろうか。喚いたのだろうか。それとも、かの少女のように乾いた呟きを漏らしただけなのか。

 だからどうだと問われれば、意味などない、ただの感傷だ。感傷でしかなく、傍観にしかならないのだろう。それに対して、僕に出来ることなど何もないのだから。


 ──と、今考えねばならないのはそこではない。

 これからについてだ。

 

 ともあれ、だから前述の通り、『アリス』はいわば『牧場』の心臓で、決して欠けてはならないパーツなのである。だからアリスはここまで調べて思い至った。否、思い至らない訳がない。こんなのガキでも分かる論理だ。それを実行しようと思えないだけで。


 「自分が死ねば、『牧場』も死ぬ」──そんなの、心臓を潰せば人間は死ぬのと同等なほどに容易い理論で、明快な論理だろう。

 『アリス』という存在が《時間泥棒》の最高級(ハイエンド)であっても、いや、辿り着いた続き(ハイエンド)であるからこそ、唯一の弱点がある。

 殺しても死なない少女──それでも初代『アリス』は殺された。

 ならばその死因は?

 勿論のこと「餓死」である。

 初代『アリス』は強固で堅牢な護衛を掻い潜って攫われ、三十日間逃げ切られて殺された、とのこと。

 

 そして、ならば今の状況は正しくそれだった。

 アリスが《時間泥棒》を発症していないというのは嘘で、まさか餓死という名の自殺を試みているだなんて、誰が思うだろうか──いや、それでも気付かなくてはならなかったのだろうけれど。ヒントは今から思えばそれとなく散らばっていたのだから。

 アリスが僕の元を訪ねてきたのが確か二十五日くらい前だったような気がする。更に親父とアリスの会話の中で出されたいた「あと一週間」という言葉、これはきっとそのタイムリミットに違いない。

 そう考えれば納得がいく。いや、むしろそうでないと辻褄が合わない。


 なんてことだ、それじゃあ親父も母さんも知っていて──知らなかったのは僕と夕暮だけ、か。

 アリスを守っているつもりで僕はアリスの殺害計画の一部となっていたってのか。


 タイムリミットは──三日あるかないか……か。

 それもかなり楽観的に見ての話だ。

 だから、動き出すなら早い方がいいだろう。

 

 アリスを死なせずに、それでいて『牧場』を殺す方法。

 考えて考えて──なんとしてでも成し遂げなければ。




 


 

 


 


 

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