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41 規格外にして想定外

 走れ。走れ──心臓を蹴飛ばせ。

 もっと、もっとだ。アスファルトを蹴り壊すほどの勢いで踏みしめろ。


 僕らは、走った。走って、疾走って──ようやく数字憑きの気配を感じないところまで逃げて、やっと減速する。

 

 「はぁ……はぁ」


 「ぜぇ……ぜぇ……」


 「けふっ……ふぅ」


 よもや僕らに余裕など在るべくもなく、三人が三人とも息を切らして、肩で息をしていた。

 

 「あぁ……はぁ……もう、流石に大丈夫だよな?」


 一体全体何を以てして大丈夫だと判断できようか。

 奴らの追跡速度の異常さは身を以て知らしめられただろうに。

 しかし、それが分かっていても、ひとまずの安心を得たかった。そうしなければ恐怖に、見殺しに対する罪悪感に潰されてしまう。


 答えたのは、アリスだった。


 「多分……そんなにすぐには追ってこないはず。数字憑きは一騎当千であるが故に絶対の自信と自尊心を持っているから、まさか獲物から目を離して他の相手を狩りに行くなんてしないから。完膚なきまでに敵を潰さなければ戦いを終えない──そういう奴らよ」


 もしかするとアリスにとって数字憑きという存在は少なからず因縁のある相手なのかもしれない。

 どうにも知識だけでない憎悪のようなものを孕んでいるような物言いだった。

 

 それについて尋ねておきたい気持ちは山々なのだけれど、それよりも今は優先して知りたい──差し迫って知らなければいけない事柄がある。それも、アリスが数字憑きについて詳しいのならば尚のこと。


 「アリス、親父と母さんは、もってどれくらいだと思う?」


 最早ことここに至って「勝てそうか?」なんて望むべくもない。あいつらは紛れもなく本物で、どうしようもなく強大で、討つことなど到底出来ないのだという大前提で話を進める程度でなければならないだろう。それはネガティブですらない。至って現実的で論理的な思考だろう。

 期待してはいけない。希望してはいけない。

 後が辛くなるだけだ。

 言い聞かせろ、最悪を想定するんだ。


 「持って、三十分くらいかな。ジックのお父さんとお母さんは相当の手練れみたいだけれど、それでも……数字憑きは本当に化け物だから」


 「そうか、分かった。じゃあそれまでにどうにかしてどうにかならないとだよな」


 だけれど一体どうしたら──そう考えていると、ズボンのポケットにある異物感に気が付く。手を突っ込み、それを取り出してみると、


 「これは……親父……」


 きっと僕に耳打ちしに来た時にさり気なく入れておいてくれたのだろう。異物感の正体は、次の目的地の物件の見取り図と、一万円札が数十枚挟まった通帳、更には親父の携帯電話だった。

 あぁ全く、あんな適当でも親父は結局父親で──大人だったんだと、実感させられる。

 そして僕の無力さと、幼さも。

 敵わないなぁ──本気でそう思う。


 「どうやら親父と母さんは、相当に過保護らしい。僕たちを逃がすだけじゃ飽き足らず、その先の逃走ルートの確保までしてくれやがった。畜生……全く、最高だよ」


 息子に恨まれてまで家族を守り、息子に撃たれても尚家族の為の犠牲になるだなんて、普通じゃない。

 だけれど、きっとそれが親父で、だから──


 「さぁ行こう。親父と母さんの思いを無駄にしないために」


 「「うん」」


−−−


 「流石にー、数字憑きは格が違うわねー」


 一方、戦場。

 時空の母──廻は、有体に言って苦戦していた。

 体の至る所に擦過傷と打撲の跡が見られ、その失血からか足取りも覚束ない。こうして口を動かすことすら億劫だと言うように、表情筋は最早殆ど動いていない。それでも口を開くのは、単純に時間稼ぎ故だった。

 《時間泥棒》が時間稼ぎとは──笑えない冗句である。


 「くひっ! ですがその数字憑きにここまでの善戦をするなんてそれこそあなたも尋常ではないでしょうに! まさか一度も名が広まったことのない、無名にして沈黙のプレイヤーって訳でもないでしょう?」


 しかし、相対する敵──骨削依存は全くと言って差し支えないほどに無傷だった。

 「ここまでの善戦」──というのも額面通りの字面通りではなく、「よくここまで時間稼ぎが出来たものだ」という程度の意味である。

 身にまとっていた燕尾服に似た拘束衣がに多少のほつれはあるものの、身体には擦り傷一つないのだから、まずこの戦闘において優勢に立っていることは疑う余地もない。

 その余裕からだろうか、饒舌に動く──蠢く口はこれでもかというほどに釣りあがっている。

 笑顔──それもとびっきりに不気味な。

 

 「そうねぇー。でもほらー、私ってあまり自己主張したくないっていうか、引っ込み思案だからー。だからさながら貝のように黙して、表舞台には出なかったのよねー。ほら、沈黙は金ってやつー?」


 「成る程成る程。それはそれは。それなら世界に見る目がなかったということでしょうか──ともあれ。それにしても更に惜しいのが、その才覚が本日を持って消えてしまうこと、ですかね」


 「それはそれは途轍もない背徳で──興奮しますね」と、そう続く。

 本気で身震いすらしているその様は根源的にして生理的な厭嫌を呼び覚ますほど。

 しかし、廻は別段それに対して眉を顰めることも、口をへの字に曲げることもしない。

 

 「いやだなー。まさかそんなことが起こるわけもないじゃないのー。だってそれほどまでの才覚たる私が、そう簡単に負けるわけないんだからさー」


 どこからどう見ても虚勢である。だけれど、そこには、その立ち姿には不思議と悠然たる気迫のような、それこそ才覚のようなものが感じられた。

 流石の骨削依存も一瞬驚いたような表情を浮かべる。最も、その更に一瞬の後にはまた気味の悪い笑みが張り付いたのだけれども。

 そして、そのまま「くひひっ!」と一つ声を上げて、


 「成る程──確かに、これは脅威ですねぇ。いやはや、想像以上ですよ。ですけれど──ですから、そろそろ終わりにして差し上げましょう! お喋りは終わりです! ここからが『骨削依存(わたくし)』の本領発揮ですので!」


−−−


 「おっさん相手にそんなにムキになるなって、小娘よ」


 「小娘ではない。私には憂波留という名前がある」


 「おー、そうかそうか。──して、小娘よ」


 「…………」


 随分と穏やかな会話ではあるが、それは戦闘の中で──最中で交わされていた。

 始めこそ赤口が車椅子の運転に慣れていなかったために幾度となく窮地に陥っていたものだが、そこは流石曲がりなりにも『農場』の支配者(マスター)を務めていた者というべきか、次第に状況は好転し、今や奇妙な膠着状態が生まれている。

 そう、時空の予想に反して赤口と包帯少女の戦闘は拮抗しているのだった。

 ただ、その膠着状隊にも理由があって。

 

 「小娘よ、随分とまぁ不慣れな動きじゃあないかい?」


 「…………」


 「はっ! 図星か!」


 『巨人の内臓喰らい(ジャイアントキリング)』こと憂憂波留は実践経験が乏しかった。

 いや、その表現ですら、彼女を表すには正確ではない。

 実践経験が皆無だった。

 

 その事実は、今回のこの戦いにおいては致命的だと言わざるを得ないだろう。

 相手は百戦錬磨、それでいて相手をおちょくる才能ならピカイチの刻喰赤口なのだから。

 

 現状こそ拮抗してはいるが、実践経験というものは戦いが長引けば長引くほどにモノを言う。

 だから、彼女は焦っていた。


 「おっと、そんな攻撃は入らねぇよ」


 しかし、焦れば焦るほど攻撃は単調になる。突き出す拳も、蹴り出す足も、どれだけ爆発的な威力を秘めていようが、当たらねば意味がない。

 そして──


 「隙ありぃ」


 鞭のしなる音。

 段々と単調な連撃の合間に、赤口の攻撃が入るようになっていた。最早拮抗状態ではなく、じわりじわりと赤口の優勢へと、戦況は変わっていた。


 やがて────


 「よし」


 呟いて、赤口は車椅子の車輪を思いっきり前に押す。

 車輪を前に押せば、その推力は後ろに働き、両者の間に大きな距離が生まれる。

 勿論憂波留としては逃がす道理もなく、地面を思い切り蹴ろうとしたのだが、


 「おっと、動かねぇ方がいいぞ。もうそこは俺のフィールドだ」


 「それはどういう──」


 言って、赤口の忠告を無視して一歩踏み出す憂波留。

 いや、一歩踏み出すことすら出来無かった憂波留といった方が正確だろうか。

 踏み出そうとした憂波留の右足のふくらはぎに、赤い糸が浮かんでいた。


 赤い糸──それは血だった。


 「あーあ、だから言ったのによ。小娘、お前と戦闘している間に、そこには『糸』を張り巡らせてもらった。糸のような刀だ──刀のような糸だ。激しく動くとバラバラになっちまうからそのままでいることをおすすめするぜ」


 「ま、待て……解いて……」


 「それでおいそれと解くくらいなら、そもそも戦ってねぇって」


 赤口はカラカラと笑い声を上げる。

 人を一人殺そうというのに普段と変わらぬその笑いは、却って残酷さを強調した。


 完全にチェックメイト。

 勝敗は喫した。

 もう憂波留の居る空間は完全に封鎖され、閉じられた死の空間となった。

 やがて疲労からでも何でも憂波留が今の姿勢を崩して倒れこんでしまえばバラバラの肉塊の出来上がりという寸法だ。


 斬糸を用いた戦闘法──『死の範囲キリングレンジ・デッドフィールド』。

 赤口のスタイルでもあり二つ名でもあるそれを聞き及んでいれば勝っていたのは憂波留だったかもしれないが、それはもう過ぎたこと。後悔先に立たずだった。


 「さて、それじゃあ母さんの援護にでも行こうかなっと」


 憂波留に背を向け、廻が戦闘している方へ振り向いた──その刹那。


 微かに音がした──否、それすら些事である。本当に特筆すべきは音ではない。確かに音もこれから起こる異常を表す上で欠かせないエフェクトだけれど。それ以上に、異常なことが起こった。


 気配。気配。気配。

 露骨にして濃密なる殺意。

 空間すら──赤口の範囲すらも歪めるような。

 明確なる殺意。


 「なんっ」


 赤口の背中に悪寒が走る。ありえない、ありえないはずなのに、その気配は憂波留から放たれていて。

 赤口が恐る恐るもう一度先ほどまでの戦場に視線を戻すと──


 「なんでいねぇんだ!?」


 そこに憂波留は居なかった。ピアノ糸は彼女の血液にまみれているのに、あるはずの肉塊がないのだ。

 肉塊が無い──ならば、憂波留は生きている。

 

 「おいおいおいおい…………」


 視線を四方に飛ばして憂波留を探す赤口──そして、衝撃が。


 赤口の胸にありえないほどの衝撃が走る。

 それは衝撃なんて生易しいものではなく、暴力そのもののような──。

 

 そして、気が付くと、彼は車椅子と共に電柱に叩きつけられていた。

 叩きつけられた電柱が傾ぐほどの勢い。

 勿論生身の人間に耐えられるわけもなく、


 「かはっ」


 吐血する。

 そのまま数度咳き込んで、それでも死ななかったのは持ち前の丈夫さ故だろうか。

 ただ、車椅子はそういうわけにもいかなかったようで、どうやら右側の車輪が回らなくなっているようだ。

 

 そして、そんな絶望的な状態すらも霞んでしまうような存在が、目の前に佇んでいた。


 「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す────」


 憂憂波留が立っていた。

 両手と脚を広げて。

 まるで、主たるイエズス・キリストが十字架に磔にされた時のような姿勢で。

 しかし背後に十字架は無い。

 背負うべき重荷など──皆無である。


 そこにあるのは、ただただ狂気。


 「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すころすころすころすころすコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス────」


 声。声。声。

 ──それはまるで。


 声は普段の掠れたそれからは全く想像できないほどに明瞭で、研ぎ澄まされた殺意そのもののよう。

 気持ちが悪い、赤口は素直にそれだけを思った。

 

 また、ミイラの如く巻き付けられていた包帯は跡形もなく、そして解き放たれた肉体には傷しかない。

 額から、裸足の爪先まで、余すところなく傷付いて、傷付けられていた。

 

 そんな肉体の中でもとりわけ目を引くのは、肉付きの薄い左右の胸の間から禍々しく空いている穴──それは「眼」だった。

 黄色い眼の奥に深淵の瞳孔。

 それは生物的ではなかったけれど無機質ではなく、さながら悪魔のような──。


 「これは、やべぇなおい……。こんなの、規格外(イレギュラー)もいいとこだぜ」


 ──がばぁ。


 あるいは、にちゃぁ、と。

 嫌に生物めいた音ともに、悪魔の瞳の奥の瞳孔が開く。


 『巨人の内臓喰らい(ジャイアントキリング)』。真の姿を現した暴虐の瞳が、身体が、丸呑みにせんと赤口に迫る。

 



 

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