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「ったく、つくづくツイてねぇ。よりにもよって、お出迎えが番号憑きとはよ……」
二人組の名乗りを聞きながら、親父が呻くように呟く。
ここでその会話を見咎められるとどうやら都合が悪そうなので、僕も同じくボリュームを落として、尋ねることにした。
「親父、番号憑きってなんだよ」
「今はそれどころじゃねぇんだが……まぁ、簡単に説明すると『農場』っつー組織の中枢にして中心みたいなとこかな。《時間泥棒》以外にも卓越した権能を持っていて、だから奴らはそれ単体で一騎当千ってなわけだ。それがよりにもよって二人だなんて」
「全く、馬鹿げてるぜ畜生」と、親父は吐き捨てた。
どうやら母さんもそれについての知識を持っているらしく、既に身に纏う空気が違っている。張り詰めている。
それでも腰を落として臨戦態勢にあるだけで動き出さないというのは──母さんほどの実力者が動き出さないというのは、もう既にそれが番号憑きの強大さの証左なのだろう。
よく見ると脂汗をすらかいている。母さんがここまで緊張しているのを未だかつて見たことがない。つまりは奴らは母さんと同等──否、更に強いのだと心得ておいたほうがいいのだろう。
そして、奴らは名乗りを終えて、嗤う。
その笑みは生物的嫌悪を覚えるほどに、生命に訴えかける気持ちの悪さだ。
──と、次の瞬間。
「くひっ、今のを止めますか」
車椅子に座った親父に刺突のような形で繰り出された刀──いや、長柄の鑢だろうか──を母さんがすんでのところでヌンチャクの鎖の部分で止めている、という目を疑うような光景がそこにはあった。
「まぁねー。っていうか流石にうちの怪我した主人を問答無用で殺しにかかるだなんて、いくらなんでも下種すぎないかなー?」
母さんは、満面の笑みだった。
しかし、分かる。伝わる。
母さんは今、これ以上ない程に起こっているのだ。母さんは親父が大好きで、だから──
「私のダーリンを殺そうとしたってことはー、もし私が勢い余ってあなたを殺しちゃってもー、文句は言えないよねー?」
「ええいいでしょう──いいでしょう。ですが、くひひっ! 番号憑きである私にに爪弾きであるあなたが、果たして勝てますでしょうかね?」
「勝てなくてもいいのよー。殺すだけ」
最後の音がいつものように伸びなかったのは、激しい憤怒の表れだ。こうなった母さんを止められる人間は、もういない。あとは果たしてそれが化け物にも通用するのか──つまりこの勝負はそういうことだ。
しかして、相手は『骨削依存』だけではない。
掠れた女の声が割り込む。
「二人で盛り上がっているところ悪いんだけどさ、私もいるんだよね」
得体の知れない包帯女。だが、その横っ面が何かによって引っ叩かれる。
何か──それは鞭だった。
「おうおう、お嬢さん。あんたの相手は俺がしよう。なぁに、怪我をしてるっつったってじゃじゃ馬一匹の調教くらい世話ねぇや」
「この……野郎」
「お、お転婆じゃじゃ馬嬢ちゃんもやる気出してくれたか。んじゃま、お互い始めましょうか」
どうやら母さんVS『骨削依存』と、親父VS『巨人の内臓喰らい』という悪夢としか思えないマッチアップが成立してしまったらしい。
ということは、僕たちはどう加勢すればいい? どう援護すれば、あるいは戦えば?
そう考えていると、器用にも一瞬で親父が車椅子で僕の近くまで移動してきて(自分で移動出来るなら母さんに押させずに自分で移動しろと深く思う)、耳打ちした。
「お前は、二人を連れて逃げろ。大丈夫、俺らも勝って追いつくからよ」
「そんな! だって、相手は相当な難敵なんじゃ……っ」
「ああ、ただまぁ、そういう星回りだったってこった」
「僕も戦う!」
「いいや、それはただの邪魔──やべっ、もう詰めてきた!」
僕と親父の会話に焦れたのだろう、包帯女が特攻してくる。
そして親父も同じく突進して──すんでのところで鞭を使っていなす。
その際に車椅子はバランスを崩しかける。
「危ない、親父!」
「っと、大丈夫だ、こんなもん! それより早く行きやがれ!」
「で、でも!」
「いきなさい! 時空!」
母さんも先頭の合間に声を飛ばしてくる。その隙を『骨削依存』が見逃すわけもなく、一瞬形成が傾く──が、母さんが敢えて裏をかいてヌンチャクを相手の左胸に向かって振る。
すると『骨削依存』もそれを避け、お互いに距離をとって仕切り直し。正しく一進一退。拮抗していた。
もしかしなくてもここで僕にできることなどないのかもしれない。だけれど、それでも──ここで逃げたら見殺しに……
「兄さん」
「ジック」
振り返ると、二人の少女。
「兄さん、逃げよう。お父さんたちの頑張りを無駄にしないためにも」
「そうよ、ジック。ここで逃げなかったら、二人の努力が無駄になっちゃうわ。逃げる勇気を持ちましょう」
二人とも、ぎこちないながらも僕を安心させようと、決心させようとしているのだろう。気が付くと、二人ともが僕の両手をそれぞれ握っていた。
だけれど──
「でも! ここで逃げたら親父たちが……」
そう、間違いなく死んでしまう。完膚なきまでに殺されてしまうかもしれないのだ。
二人だってそれは十分に分かっていることだろうに。
「だめ、ここで立ち止まったら、駄目。」
「行くわよ、ジック」
二人の目に宿るのは確固たる決意。
彼女たちはこの勝敗を既に見据えている。そして、自分たちが関わった程度で覆すことが出来ない結果であるのだとも、分かっている。だからこそ、今自分たちに出来ることを──せめて三人が生き残る道を選んだのだ。
それは決して臆病でも薄情でもなく、勇敢そのものだった。
あぁ──全く、あぁ────
「…………あぁ、わかった」
逃げ出す勇気──僕はきっとこの決断を一生かけて後悔するのだろう。だけれど、それでも、どんなに後悔しても、どれだけ納得できなくとも選び取らねばならない時があるのだ。
だから、僕は、僕たちは走り出す。二人が繋いでくれた命のバトンを守り抜くために。
それでもやっぱり往生際悪く後ろを振り向くと、親父の車椅子が倒され、母さんも所々鑢による擦過傷が見受けられる。ところが、奴らは未だ傷ひとつ負っていない。
完全なる劣勢。目を逸らしたくなる盤面だった。
最初の善戦の面影など、既にそこには無かった。
だけれど、だからこそ僕は最後に目を逸らさずに、逃げ出す者としての責任を果たさなくては。
「親父!! 母さん!!!! 絶対、勝てよ!!!!!! 待ってるから!!!!!!!!」
きっとこれは残酷な応援なのだろう。
けれど、確かに言わなくてはならない言葉だった。
親父と母さんは確かに手を挙げて応え、次の瞬間には再び戦場に身をやつす。
もう僕は、振り返らなかった。