39 執行人
逃亡生活二日目──筋肉痛により、一日のほとんどをグータラと過ごしたけれど、それでも最低限生き残るべく《時間泥棒》をした。慣れない土地だったのでそれなりに大変ではあったけれど、それでも失敗するほどでは無かった。
逃亡生活三日目──取り立てて特筆すべき事柄はなし。強いてあげるならば、アリスが大分家に馴染んできて、親父や母さんともそれほど硬くならずに話すようになったことぐらいか。
そして逃亡生活四日目──とうとう物語は動き出す。
−−−
「おい、急いで支度しろ。居を移すぞ」
昼頃のことだ。
今日も今日とていつもの如く、五者五様(語呂が悪くて仕方がない)に、めいめいに今日という一日を過ごしていたのだけれど、そんな中唐突に親父は言う。
そしてその親父の声がまた切羽詰まったもので。
親父を除く四人は困惑と不安を抱いたのだが、それを代弁するように母さんが口を開いた。
「どうしたのー?」
「ついに来ちまったんだよ、奴らが」
それだけで全ては伝わった。
この状況下で奴らと言えば、その正体はただ一つ、であろう。
『農場』がとうとう僕らの住居を突き止めて、殺しにくる──それしかあるまい。
「それは、本当なのか? だって僕たちの家からここって結構離れているわけだし、四日目にしてバレるほどに目立つ場所でもないだろう?」
一縷の望みに縋るように、僕は尋ねる。しかし、親父は「ハンッ!」と鼻で笑うと、
「そんなの今までにしたって同じだっただろう? 今回がそうでないとどうして言える。それにこの情報は、俺の数少ない《時間泥棒》の知り合いからの情報だ。幸か不幸かは別として、信頼に足る情報だよ」
なるほど確かに一理ある──と、言うか、そもそも元より親父の情報が嘘であるなどという疑いなどこれっぽっちもなかったのだけれど。疑問系の形を取っていながらその実僕は答えを知っていたのだから。身を以て。だから、これはただ単に言ってみただけ、ってやつだ。
ともあれ、そうして差し迫っている状況であるのならのんびりしている暇はない。
もう『農場』に二度も大事な人を攫われた身だ。同じ轍を三度も踏むわけには流石にいかないだろう。
(今度こそ、護り切る)
心の中で密かに決意をし直して。
「よし、じゃあ三十分後には遅くても出発だ。さぁ、ここからが本番だぜ」
親父の宣言に合わせて僕たち家族は大きく頷き合った。
−−−
刻喰家と決別した時と同じく、僕たちは大型のバンに乗り込む。
確かに以前より荷物が増えているために、多少自由に使えるスペースは減ったような気はするけれど、それでもまだまだ十分に広い。
「よし、じゃあ、出発進行!」
流石に前回と同じ過ちは犯さない。親父の掛け声に応対するものはおらず(というか、毎回家族でも僕しか反応していなかったのだから当然か)、バンはゆるゆると加速を始める。
それからしばらくは取り立てて驚嘆することも、ましてや恐怖することもなく、文字通り平常運転の安全運転で僕たちの引越しは進んでいたのだけれど、しかし、まさかそのまま素直に逃げ切れるほど、この旅は甘くなかった。
変化が起きたのは、あのボロっちいマンションを出てから三十分が過ぎようかという頃だった。
「そこで俺は言ってやったのさ……おい」
親父はそれまでしていた、誰も耳を傾けてすらいない自慢話を中断し、低い声で言う──というかそれは最早言う、というよりかは呟きに近い。
「おいおいマジかよ……恐らくだが、今この車は尾行されてる。ッチィ、ありえねぇ……よりにもよってこんなに早く……これでもかなり裏をかいたルートを、予定よりよっぽど早いペースで進んできたつもりだってのに」
親父の呟きが苦々しさを増すのに比例するように、バンの中の空気も次第に張り詰めたものになる。最早誰も疑問を口にすることすらしない。どころか、後ろを走っているはずの尾行車を確認しようとすらしない。
ここで尾行車を振り向くような真似をして、それこそ顔でも見られてしまえばそれなりにリスキーであると、全員が理解しているから──と、いうかマンションを出る際に言い含められているからである。
「とうとう、来るべき時が来たんだね」
夕暮が言う。
来るべき時が来た。来るべき敵が来た。
だけれど僕たち家族は途轍もなく冷静に、次どのようなアクションに出るべきか模索する。
「なぁ親父、このまま逃げ続けて撒けないのか?」
「それはまず無理だろうな。そもそも現時点でつけられてるって時点で奴らは相当に「やる」奴らだ」
「つまりは結局ー、何処かしらでケリを付けるしかないってことだねー」
「そうなりますよね」
「だけれど俺たちは奴らの情報を何一つ知らねぇ。人数も。性別も。能力も。遍く不明だ」
「それはどう考えても奴らにとってアドバンテージ……だな」
じゃあこの不利な状況を打開するにはどうしたら──そう考えていた、最中だった。
──ドゴオオオオオン!!!!
車内に、途轍もない、途方もない衝撃。
まるで車の後ろから莫大な質量が、エネルギーが衝突したかのような──いや、まさにその通りである。
信じられないことに、後ろの車が僕らの乗ったバンにぶつかって来たのだ。
事故ではなく──故意に。
「痛っ……」
首を鞭打ったのだろう。寝違えた時のような気持ちの悪い痛みに思わず呻く。
いくらシートベルトを着用していたからといっても、ダメージゼロとはいくまい。
それでも今の所首を鞭打ったくらいしか痛みがないのは奇跡的な僥倖と言えるのかもしれない。
どうやら僕以外も皆そんな調子で、どうやら一安心──いや、そんな楽観的な状況ではない。
僕たちは今、明確に敵に捉えられたのだ。
打開策など何も浮かばず、着の身着のまま、防具などないまま僕らは戦いの舞台に引きずり出された。
そこは、偶然にも開けていて、なおかつ人通りの少ない──そんな舞台だった。
あつらえたかのようだ、と一瞬思ったけれど、きっと相手はここに出るのを待って衝突事故に打って出たのだろうから、「ようだ」ではなく、まんまあつらえた場所なのだろう。
最早移動手段としての役割を果たせそうにないバンから出てみると、そこに立っていたのは一人の男と、一人の女。
男はさながら飴細工の如き弱々しさ、というか細さでありながら、しかしそのカマキリのような体躯にはえも言われぬ禍々しさが滲んでいる。髪の毛は丸刈りにしてあって、なんというか、こう言ってはなんだけれど、犯罪を犯しているのだと言われなければ納得できないような出で立ちだ。
一方女はと言えば、毒々しいほどに緑に着色された煤けたツインテールと、妖しく緋く蠢く左目以外を遍く包帯でぐるぐる巻きにしている。背丈は男が長身であるとはいえ、その半分ほど。だけれど少女と呼ぶにはあまりにも禍々しい。
そうして僕がその二人組を観察しているうちに、親父と母さん、夕暮にアリスもバンから這い出す。
すると、どうやらそれを待っていたのか、というか親父の車椅子が出る長い時間に攻撃を加えなかったから待っていたのだろう。その珍妙にして奇怪極まりない二人は名乗りを上げる。
まずは男から。
「くひひひひ! どうもこれはこれは、裏切り者の皆様、御機嫌よう。先ずは手荒な挨拶となっていしまったことを謝らせていただきたい。って、そんな前置きは要らないですかねぇ。そうですか。では早速名乗らせていただきましょう。私はこの度執行人として参上奉りました──《時間泥棒》の中の規格外、数字憑きが一人、『骨削依存』こと雨野金音と申します」
そして、女も、ひどく掠れた声で名乗る。
「あたしは『巨人の内臓喰らい』こと憂憂波留。右に同じ」
「というわけで、今後ともどうぞよろしくお願いします。もっとも、お願いする今後があなた達に訪れるとは言ってませんがね」
男が笑う。女も、笑う。
笑って──嗤い──嘲笑う。
紅い三日月のようなその笑みは、これから始まる殺し合いの狼煙となった。
戦いが、始まる。