38 日常に潜む怪物
「大丈夫?……って言っても、もう僕も両手が塞がっちゃってて持てないから、心苦しいばかりなんだけれど」
「大丈夫よ。これくらいへーきへーき! それよりジックこそ布団五人分なんて大丈夫なの? 幾らロープで巻きつけてるって言ってもすっごく重いでしょ?」
「まぁ……それなりにね。やっぱりこれどう考えても二人で運べる量じゃないよな。せめて夕暮連れて来れば……」
「そうね……確かにこればかりは認識が甘かったと言わざるを得ないわね」
約二時間後。全ての買い出しを終えて、現在僕らは帰宅するべく荷物を携えて──というか括り付けて無理やりに歩いている。
こんな会話が五分前ほどから続いているのだが、こうして愚痴を言い合ってしまうのも仕様がないと言ってしまえるほどに、とにかく荷物が重い。
「いやはや本当に、まさかここまでだとはね……」
言いながら、僕はまだ二人きりの買い物をエンジョイ出来ていた、近しい過去に想いを馳せる。
−−−
「まずは、食品か。腹が減っては戦はできぬ、なんて言うように、何につけても第一に食べ物がないとだしね」
「分かったわ、行きましょう!」
僕達はまずスーパーの地下一階である食品売り場へ向かった。
メモに書かれている食材は、テントに仮住まいしていた時とは違い、五人分。だけれど、それこそいつ追っ手が来るか分からない状況において、買い溜めという策は愚策であろうということで、今日買う分は、きっちり今日使い切れる分のみだ。
具体的には本日の夕飯分と、明日の朝食分。メモに書いてある食材の量からしても、きっと夕暮が持ち運びの負担も考慮して献立を決めたのだということが窺い知れる。出来た妹だ。
だから、そういうわけで、食品の買い物については労なく、どころか、
「これどっちの豚肉がいいかな?」
「どれ? あーどうせなら国産! って言いたいところだけれど、今後のことを考えるとやたらめったらに高いのを買うっていうのも考えものか……」
「じゃあ、こっちカゴに入れとくわね!」
「おう」
そんな、夫婦めいた──とまでは言わないにしても仲睦まじい会話をする余裕すらあった。正直幸せを実感して、噛み締めた時間だった。
だけれど、問題はそこから。
食材を買った後、僕らはスーパーの三階で寝具やらその他諸々の生活用品を買うことになったのだが、いかんせん、量が多い。
それはまぁ居を移す、というのにはやはり物が必要になるわけで、だから致仕方ないと言えばそうなのだけれど、それにしたって多い。というか、どう考えても家から持ってきた方が良かっただろう、という物が多々見受けられる。
我が両親はどうしようもなく抜けている夫婦であり、それは僕にも遺伝されているのであまりキツく言えたものではないのだが、それでも愚痴の一つや二つ……どころでは済みそうにないけれど。言いたくなるのも仕方のないことではなかろうか。
特に大変なのが寝具。
「これ、本当に運ぶんだよな?」
「そうね……一、二、三、四、五……五人分きっちりあるってことはそういうことよね」
布団を五つ──そもそもあの部屋にそれだけの枚数を敷けるのだろうかという疑問はあるけれど、ひとまずそれは棚上げして。
それでも五人分の布団というのはやはり大きさとしても重さとしてもそれなりに──否々! かなりに大変なことになっている。これを果たして運ばなければいけないのだが、もう既にその他の買い物を済ませた僕たちの手には四つのビニール袋。状況は絶望的、である。
よもやこんな庶民的なワンシーンに危険が潜んでいようとは思わなんだ。
ともあれ。
現実、これを運ばなくてはいけないわけで。
「アリス、ごめん。この袋持ってもらっていい?」
「うん、分かったわ」
食材や飲料など、アリスが持っている袋に比べて重いものの入った袋(流石にレディに重い方を持たせるほど僕は配慮の足らない人間ではない)をアリスに持ってもらい、
「うおおおおおおおおおおお!」
「そ、それはまさか!」
裂帛と共に懐から取り出したのは、仕事道具が一つ、頑丈なロープだ!
いつも壁に張り付く際の命沙として利用しているそれを使い、僕と布団を一体とする。つまり、おんぶ紐の要領で、強引に布団を持ち運ぼうという蛮行である!
「ジック、すごい! 五人分の布団を、一人で!」
「これは僕に任せろ! さぁ、帰るぞ!」
−−−
そして、現在に至る。
「あぁ……はしゃいでいた時代が僕にもあったよね……」
初めの五分──スーパーを出て少し歩いた辺りまではまだ、その場のテンションやら何やらでそこまでの苦痛を感じなかったのだけれど、流石に十分ともなると話は違ってくる。
テンションやら気合いでは誤魔化しようのない重さの暴力、それが確かに僕の体を襲っていた。
《時間泥棒》を日常的に、あるいは恒常的に行っているので、それなりに体は鍛えられているわけで、だから筋肉が悲鳴を上げ、歩けなくなって倒れる、ということはないのだが、とにかく全ての重みを支える足に乳酸が溜まっていくのだ。
一歩毎に、なんていうんだろう……どんどん足が重くなっていく感覚。
行きはスーパーまで十分ほどだったのだけれど、やはり目に見えてペースは落ちており、まだ道のりは残すところ三分の二。
果たして体力と気力的に持つのだろうか。
だが、考えてみよう。力尽きて倒れたとしよう。ただでさえ布団五人分を巻きつけている男なんて目立って仕方がないというのに、起き上がれなくなってころころ転がり続けたらそれこそ恥の上塗り、生き恥である。
だから僕はこんなところで諦めるわけにはいかないのだ。
「よし、アリス! 絶対この苦境を乗り越えよう。僕たちなら出来る! そうだろう?」
「そうね、ジック! 頑張りましょう!」
言い合って、僕たちは力強く一歩一歩地面を踏みしめるのだった。
……その十五分後。
あらゆる苦難苦節を乗り越えた後に、僕の罵詈雑言──もとい正当な文句・主張が親父と母さんに叩きつけられたのは言うまでもないだろう。