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34 新生活

 「よう、やっと来たか。きっかり七時。待ってたぜ」


 翌日の朝七時、僕たち三人は刻喰家の前に来ていた。

 それが、僕の出した結論だった。僕たちの出した結論だった。

 もう一度親父と母さんを信じてみたい、そう思った──家族なのだから。

 

 その決断を口にした時のアリスの苦々しくも「しょうがないわね」とでも言いたげな笑みを思い出す。

 きっとアリスは僕がこの決断をすることを予期していたのだ。そんな気がする。

 だが、それでも彼女の内心では凄まじい葛藤があったことだろう。家族の思い出のないアリスにとって僕の決断の理由は度し難いものであると同時に、恐らく羨望するものだろうから。

 それでもそれを想像した上でこの決断をした僕は、果たして正しいのだろうか。


 「おかえりなさーい」


 母さんも父さんの車椅子に手を掛けながら、優しい笑みを浮かべて出迎える。

 どうやらまだ父さんは自力では歩けないらしい。

 

 そんなこんなで、一応は今の所親父も母さんも剣呑な雰囲気ではない。

 とはいえ、母さんの武術は到底常識の範疇ではないので、気を抜くわけにはいかないけれど。母さんがその気になれば僕たち三人の制圧ごとき、造作もないことだろうから。

 

 (いざとなったら……これをまた使うしかないな)


 僕はそっとポーチの中の冷たい鉄の塊の存在を確認する。言わずもがな、拳銃だ。

 背中を撫でる淡い罪悪と憂鬱を意識して思考から追い出して、僕も挨拶を返す。


 「ああ、ただいま」


 「ただいま」


 続く夕暮。しかしそれに続かず無言を貫くのが約一名。

 夕暮の背中に隠れているアリスだ。

 流石に急に親しげに接しろというのも酷な話だろう。無神経な親父ですらそれを理解しているのか、指摘することはない。

 

 ──ともあれ、それでもどうやら無事に新生活が始まりそうな雰囲気にそっと胸を撫で下ろす。


 (この調子がずっと続いてくれればいいのだけれど)


 一度裏切られた身としてはやはり今まで通り無条件に全幅の信頼を寄せるというのは難しく、また、してはならないことだと思うわけで、だからまぁ、ひとまず現時点ではこんなところで、新生活のスタートである。


−−−


 「さあて、まずは荷物をまとめて車に運び込もうか」


 親父の号令により、引越しの支度が始まった。

 僕たち三人は最低限の荷物を持って家を呼び出してきたわけだから、さほど片付けに手間取ることはないだろう──と、そう思っていたのだけれど。

 いざ部屋に足を踏み入れてみると悩むものである。親父からダンボール一箱に入る程度の荷物にしてくれと言われているのだが、明らかに持っていきたいものを列挙すればその倍、いや三倍……五倍にまで届いてしまうかもしれない。僕は基本的に欲張りだから、断捨離精神とは無縁なのである。

 でも、現実がそれを許してはくれず、僕は部屋の中でうんうん唸っているのだった。


 「あ、お兄さんまだ終わってなかったの」


 そこに現れたのは片付けをものの十分で終わらせた夕暮だった。

 その背中には先ほどと同様にアリスも顔を覗かせる。親父と母さんを警戒するあまり夕暮の背中が定位置になってしまったようだ。なんだか背後霊みたいだ。


 「いやまぁ、持っていきたいものが多くてね」


 「こんな漫画とかゲームとか要らないでしょう? 遊びに行くんじゃあるまいし」


 「でもな、捨てられるかと言われればどうしても踏ん切りが付かない男心というか……分かってくれるよな、夕暮?」


 溜息。どうやら妹君を本気で呆れさせてしまったらしい。

 純粋な気持ちをお伝えしただけなのに……。

 そしてそんな妹君は目は気怠げなまま、視線でそれらを指し示すと、


 「アリス、ここら辺のどうでも良さそうなの全部捨ててきちゃって」


 「うん、分かったわ」


 「ちょ、待って! マジで待って! それは俺が長年かけて集めたコレクショ……あぁぁ!」


 言うが早いか、アリスはそこらに積んであったお宝を遍く抱えて持って行ってしまった。案外力持ちで──速っ!

 もう追い付くことは叶わない。僕に出来るのはただ愕然と項垂れることだけだった。

 

 「ま、良かったんじゃないの? このままだったら兄さん永遠にあれ捨てられなかっただろうし」


 「鬼! 悪魔!」


 「何か言った?」


 「いえ、なにも」


 無表情で凄まれるってすごい怖いんだね。体感気温が五度くらい下がった錯覚に僕は思わず口を噤む。

 それに確かに夕暮の言うことも一理あるんだよね。不本意ながら。

 

 「まぁ、しょうがないか……」


 そのまま立ち去った妹の背中にそう呟きながら、僕は通帳やら保険証やらの本当に重要な貴重品の整理に移るのだった。


−−−


 (しまった)


 アリスは内心で自分の迂闊さを呪った。

 どうして今まであれだけ警戒しておきながら肝心なところでこうも抜けているのだろうと、そう考えずにはいられなかった。

 その理由は明白。


 「あぁ、アリスちゃんじゃないか」


 目の前にいる人物──つまり時空のお父さんとお母さんである。

 アリスは二人に一度、それも直近と呼べるほどに近しい過去に誘拐されているのだ。その前、遊園地の帰りにも猛烈な殺気のような感情を向けられているのだから、それは苦手意識とかそういった問題ですらなく、理由ありきの「苦手」そのものであると言えよう。

 だから今日は集合の時から夕暮の後ろに隠れて、露骨に避けていた。

 そうでもしていなければ、二人と相対することが出来なかったからだ。

 それなのに、よりにもよって時空と夕暮のいないこのタイミングにこの二人と遭遇してしまうというのは、考え得る中で最悪のアクシデント。運命の悪戯といってもこれはやりすぎだろう──と、運命を司る神とやらに文句を言ってやりたい気持ちのアリスである。


 「こ、こんにちは」


 「そんなに堅くならなくてもいいんだぜ」

 

 あれだけのことをしておいてよく言える! という憤りよりも恐怖心が上回って感情がうまく言葉を成さない。もう、指先の感覚も曖昧なくらいだった。

 そんなアリスに助け舟を出したのは時空のお母さん──廻だった。


 「本当にお父さんはデリカシーがないんだからー。それじゃあ余計に怖がっちゃうでしょー? ただでさえお父さんは顔が怖いんだからさー。ま、私はそんなところも全部含めて大好きだからいいけど、アリスちゃんはそういうわけじゃないだろうしー」


 毒を吐いているんだか愛を語っているんだか分からない仲裁。語尾が間延びしていることもあって最早仲裁の体を成しているのかすら怪しいところではあるのだが。

 ともあれ、それでリズムが崩れたというか、空気が仕切り直されたような感じになり、アリスの緊張も少しばかり和らぐ。指先の震えが微振動くらいに落ち着いた。


 「あ、あの……私……戻らなきゃ、なので」


 それでもアリスは居た堪れないわけで、早くも脱走を試みる──が。


 「ちょっと、待ってくれ」


 引き止めたのは時空が呼ぶところの親父──つまり赤口だ。

 彼は毎度、アリスがその時に一番して欲しくない行動を取る。それはこの引き止めるというワンアクションも然り。アリスは内心で更に赤口への苦手意識を上方修正する。


 「な……なんでしょう」


 「なぁに、そんな大した話をしようってんじゃないんだ」


 赤口がこういう前置きをする時に限ってロクな展開にならないのだが、しかしまだアリスはそれを知らない。どころか、彼女の素直な性格により、少しばかり張っていた気を緩めたほどである。

 

 赤口は一つ咳払いをして、


 「ほんっとうに、すまなかったぁ!」


 全力で頭を下ろした。車椅子に座った状態であるので膝に思い切りの良い頭突きが入りそうになるが、それすら気に留めず、謝罪は続く。


 「今まで色々しちゃってきてさぁ……怖がらせちゃっただろ? それでさ……いや、許してくれなんて横暴で傲慢で恥知らずなことは言わねぇさ。けどよ、それでもこうして謝意を表すことだけは許可してくれ」


 その半ば強引な謝罪に後ろの廻も「そんなんだから怖がらせちゃうんだってばー」と赤口の頭を一つ叩いてからではあるが、頭を下げる。


 「本当に、ごめんねー」


 そして、その謝罪を受けたアリスはと言えば、


 (う、うわぁ……すごく居心地悪い……)


 正面から謝られるというのは中々にやりづらいものがある。謝意を感じてはいるものの、どうやらそちらに気を取られて軽く引き気味に頬を引きつらせていた。最早恐怖心など消え失せている。

 とはいえ、このままいてもそんな状況が膠着するだけだと悟ったのだろう。


 「顔を上げてください。もう、いいですから」


 何かと大人になることを強要される機会の多い少女である。なんというか、難儀だ。


 「いや、そういうわけにも……」


 「いいですから」


 「そうか……。まぁ、なんだ。えーっと、これからはその、家族になるわけだ。厚かましく図々しい話ではあるんだが、何かあったら、いつでも頼って欲しい」


 「ありがとうございます。ご配慮、痛み入ります」


 「だからそんなに堅くならなくてもいいのよー」


 「え、あ、はい……」


 なんだか話の終点が見えなくなってきて、どう会話を打ち切ろうかとアリスが悩んでいると、


 「おーい、アリスー手伝ってー」


 タイミングよく時空の声。どうやら片付けが苦手な彼の少年はまたしても物の整理に苦戦しているらしかった。

 だが、そのだらしなさが今は有難い。これ幸いとばかりにアリスは二人に「じゃあ、ジックが呼んでいるので」と断りを入れて、そういえば起き忘れていたゴミを捨てると時空の部屋へ駆けてゆく。


 「家族……か」


 走りながら漏れたその呟きは、悲喜交々といったような響きだったけれど、しかしそれを聞いていたのは本人だけで、そして本人ですらその意味は分かっていなかった。


 



 


 

 

 

 

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