33 信頼
帰って相談しようにも、まず自分の気持ちを整理しなければ始まらない。そう思って帰り道ずっと親父の提案について考えていたのだけれど、結局のところ僕が親父と母さんを信じることが出来るのか、問題は全てそこに集約するのだということが改めて浮き彫りになるだけで、どうにも踏ん切りがつかないというか──一言で言うなら、揺らいで、迷っているのだ。
人が他人を判断しようとした場合、今までの行動から推測するという方法を採る訳だが、その判断材料足る思い出が矛盾している。思い出が矛盾というと多少響きに違和感があるから、もう少し簡略化して言うと、行動に一貫性が無い、ってところだろうか。
今までの生活を通して感じた慮るような愛情と、そして先ほどの会話でわざわざ僕に忠告してくれた気遣い。これらと『牧場』の支配者であったのだという事実がどうしても結び付かない。
「どういうことなんだ、親父……」
思わず思考の帰結が現実逃避気味に口から零れる。勿論それに対する返答はない。ただただ獣道に虚しく響くだけだ。
−−−
「ただいまー」
僕が帰ると、出迎える二つの声。
「おかえり、兄さん」
「おかえりなさい、ジック」
そう言うと、夕暮は夕飯を作ろうと腰を浮かし、アリスはずっと読書をしていたのだろう、手元に開いてあった本を手に取り、再度視線を落とす。
緩慢な、いつもの光景だった。
僕はそんな日常に一石を投じるべく口を開く。
「あのさ、一つ相談があるんだけど」
「何? 兄さん」
反応したのは夕暮。自作感満載のキッチンスペースから首を伸ばして聞いてくる。
「あ、今夕暮忙しい?」
「うん、割と」
「じゃあ夕飯後にしよっか」
アリスは本から顔を上げなかった。
−−−
「「「いただきます」」」
三人の声が見事に揃い、夕飯が始まる。
今日の夕飯はチャーハン。どうしてもこういった場所では手早く作れるものになってしまいがちで、チャーハンも一週間の間で実は四回目だったりする。まぁ夕暮は料理上手なので飽きることはない。それに元々好きだし、チャーハン。
しばらく、三人が黙々とスプーンを動かす金属音だけが響く。初めの三日ほどはそれこそ嬉々とした会話があったものだが、次第に虚勢を張る気力すら失せてゆき、食事中でさえ会話はほとんど無いに等しかった。僕たちはあまりに精神的に疲れていたし、未来の展望も決して明るいとは言い難い。二進も三進もいかない状況というのは、それだけで疲れるものだ。
「で」
食事開始から十分ほどが過ぎた頃、腹がある程度は満たされ落ち着いてきた頃に、僕は切り出す。
「さっきの話だけどさ、今日、親父と母さんと会ったんだ」
「え」
「それって……」
いかに無気力を極めていた二人も流石にこの言葉には驚いたらしく、勢い良く顔を上げて、僕の方に視線を送る。
説明をせがむような視線を受けつつ、僕は話す。
「さっき電話があってさ、出掛けてただろ? あれで呼び出してきた相手が親父だったんだ。勿論事前に招致は知らなかったけれどね。電話じゃ一瞬で誰かなんて中々分からないし、それにまさか親父だとは夢にも思ってないから、いずれにせよ分からなかっただろうし」
「で……でもジックのお父さんってそれこそジックが……」
「殺したんじゃなかったの?」という言葉を口に出して良いものなのか躊躇っているのだろう。伏し目がちにアリスの瞳が揺れる。こんな時ですら気遣いが出来るというのは美徳だろう。
だからあえて僕は努めて明るく振る舞う。
「あぁ、殺した──はずだった。本人の言に則れば近代の医学が凄かったから助かった、ってとこらしいけど、それでもどんな生命力してるんだよ、って感じだけれど」
「そっか、お父さん生きてたんだ」
ちなみに夕暮にはあの日の翌日に話をしていた。その時に表情には出さないながらも悲しんでいた。基本的に夕暮は家族を憎めないのだろう。いかに正体が『牧場』の支配者であれど。だからこの呟きにはしっかりと安堵が含まれていた。僕としてはどうにも複雑だが。
「うん、車椅子だったから万全にまで快復したって訳じゃあないんだろうけれど。さて、でもこれはあくまで前置きなんだ。ここからが本題」
言って、僕は親父と母さんが『牧場』をクビになったこと、後任が二日後に訪れること、そしてそうなると親父と母さん、そして血縁者であり関係者であるところの僕たちが捕まれば全員遍く相応な処罰を受ける──つまり殺されるであろうことまで余すところなく説明する。
驚きからだろう、二人は絶句する。そりゃあ親父が生きていたっていうだけでも急展開なのに、それに加えて掃討者とでも言うべき敵が遠からず訪れるなんていう急展開ならぬ超展開。混乱するなという方が無理な話だし、僕も話していて未だに現実味を伴っていないのだ。
「それで、親父は手を組まないかって言ってきている」
少しして、頃合いを見計らって僕は言う。
「手を……組む? でもジックのお父さんってそれこそ元だとは言っても『牧場』の管理者じゃない。それが自分が追放されそうになってるから手を組もうだなんて……自分勝手よ。それに、その話だってどこまでが真か分からない。これは作戦で、私を誘き寄せるためのものなのかもしれないじゃない」
アリスの顔に浮かぶのは明確な厭悪の色。やはり感情が表情に直結し易い娘だ。まぁ実際、アリスでなくとも、夕暮でもない限りこの状況では同様な反応を示しただろうが。
『牧場』としてアリスを捉え、引き渡そうとしたのに、その一週間後には状況が変わったから手を組みたい──いい面の皮だと思われても当然ではある。
それに彼女にとって「敵」でしかなかった親父と母さんの言葉を信じられない気持ちも納得出来る。
「確かに僕もそう思う。だけど、もしこの話が現実だった場合、現実的に考えて簡単にこの要求を突っぱねて、その後僕たちは果たして生き残れるだろうか。子供三人で出来ることなんて、逃げられる範囲なんてたかが知れてる」
「そんなの……分かってるわよ……でも……」
現実は厳しい。本気でその掃討者が僕らを探したなら、僕たちはあっという間にひっ捕らえられて、殺される。もし仮に上手く逃げられたとしたって、その後の生活はどうなる。家は? 金銭面は? 結局僕たちはまだ子供でしかないのだ。いかに義務教育課程を修了したとはいえ、親の用意した箱に住まわせてもらい、親の稼いだ金で贅沢してきた、ただの子供。いざ親から離れて生活してみると余計に分かる。僕たちはどれだけ親に色々なことを押し付けて、学ぼうとしてこなかったのかが。
それは僕だけでなく、三人全員が感じていることだろう。だから、悩む。これが家を出た直後だったなら容赦も思慮もなく突っぱねていただろう提案。けれど、今やそれは意味を異としていた。
「分かってる……分かってるわよ」
弱々しく呟くアリスが視線を落とした先には彼女の細かく震える掌が。その原因は無論寒さなどではない。
アリスはこの中で最も親父と母さんから直接の被害を受けている。連れ去られ、眠らされた──拷問を受けたわけではないにせよ、その経験は彼女の心に少なからず恐怖心を植え付けたことだろう。
そうでなくともアリスは元々『牧場』で育っている。既に恐怖心は楔のように彼女の心に根付いていることだろう。それこそ、嫌という程。
その掌に労わるようにもう一つの掌が重なる。
夕暮だ。
「アリス……気持ちはよく分かる……私も昔農場に連れ去られて、そして……。でもね、それでも私は今回の提案を飲むべきだと思うの。現実的な問題もそうだけど、私は家族を信じたい。お父さんもお母さんもいつも言葉が足りない。だけどそれでも心は暖かい人だって、そう信じたいの。きっと今回だってどこかで何かが噛み合ってなくて、それでこうなっちゃってるんだよ」
平坦な声で、だけれど確信に満ちた力強さで、夕暮は言い切った。
「つまり結局この話ってさ、親父と母さんを信じられるか、そこなんだよな」
「うん」
訪れる静寂。
胃が痛くなる話だ。両親を信じるか信じないかで僕たち三人の生死が決まる。
可能性は五分五分。決して分の良い賭けではない。
だけれど──賭けねばならない。
やがて、アリスが諦めたかのように溜息を吐いた。
「はぁ……もういいわ、腹は括ったわ。私はジックのご両親を信じられない、ユウは信じたい。ならもうこの場合多数決的に考えたらジックがどっちを選ぶかってことになるわよね。いいわ、私たちはそれに従う。文句も言わない。それでいい」
さんざ話し合った結果、問題は何一つ形を変えることなく、僕の結論次第とは。
僕も思わず深く嘆息して、
「分かった。僕は────」