25 後悔と捜索
珍しくアリスもしっかり目を覚ました朝のことだった。
僕は着古した制服に身を包み、ブレザーのボタンもきっちり一番上まで留める。
「じゃあそろそろ僕は出掛けるけど、本当に気を付けてよ?」
「うん! 大丈夫よ! 今のところ攫われていないんだし、余裕のよっちゃんイカよ!」
「…………古くない?」
と、まぁこんな具合に僕は今日も学校に向かわねばならない。本当ならばこれからこの一件が解決するまで学校を休んでしまいたいところだったのだが、しかし学校を休めば必然親にも伝わってしまう。特に親父には散々釘を刺されているので、怪しまれるような下手は打てないのだ。
今ほど高校生という身の上を呪うことは無かったし、これからもきっと無いだろう。
心配で仕方がないけれど一緒にいられないもどかしさに、陰鬱になりそうになる。
だから、きっとアリスもそれが分かっていて、だから心配をかけまいといつもよりハイテンションに振舞って、こんなギャグまでサービスしてくれているのだろう。
そうでないと困る。そうであってくれ。
これから常にこの古臭いギャグを織り交ぜたハイテンションと付き合っていく勇気は今の所ない。
「とにかく、気を付けて。僕も出来るだけ早く帰るようにするから」
「うん、分かった」
こうして僕は今日も学校へ行かされる。意思とは真反対に。徒然なるままに。
−−−
そんな見立てが甘かったと知るのは、果たしてそれから十時間も経たずしてだった。
「アリスが、居ない」
「ただいま」という言葉と共に部屋に踏み入ると、そこは既にもぬけの殻。まさしく昨日の再現のようだ。
しかし、状況は昨日よりも悪い。最悪と言っても過言ではない。
何故なら僕は『牧場』の執着を知っていて、アリスは僕が心配することを知っている。
昨日あんな会話をしたその翌日にアリスが無用心にも散歩に出かけた、だなんていう楽観など、出来るはずもない。
だから逆に焦って飛び出すようなことはしなかったのだけれど、逆に言えばそれが現実的な危機を象徴しているようでもあった。
こういうシチュエーションならば、誰の仕業かということは自ずと明らかだろう。
「あいつらだ……『牧場』だ」
胃に冷たい液状の金属を流し込まれたかのような感触を感じる。
もうそれは予感ですらなく、確信でしかない。
「油断していたわけでは、なかったのに」
だが、もうことここに至っては迂闊だったと言わざるを得ない。
僕は親父に怪しまれる心配よりも先に、アリスが攫われる心配をしておくべきだった。
学校を、休むべきだった。休まなければならなかった──!
後悔先に立たず。八方塞がりの袋小路。
だけれど、まさかここで足を止めて諦めてしまうわけにもいかないだろう。
(それじゃああの時と同じになってしまうのだから)
「はぁ────ふぅ」
混乱と緊張で吐きそうになるが、それでも無理やりに気持ちを引き締めるために深呼吸をする。
(僕は冷静だ。僕は冷静だ。僕は冷静だ。僕は冷静だ。僕は冷静だ!──冷静で、なくてはならない)
挫けそうになる心を鼓舞しながら落ち着けて、僕は考える。
「っちィ! くそ! 全然わからない!」
考えたところで思い浮かぶべくもない。こんなことならば昨日の時点でアリスに『牧場』の場所を教えてもらうべきだった。今日情報収集活動の中で案内してもらう手筈だったのだが、これを想定しておくべきだったのだ。
それこそ悔やんでも悔やみきれない後悔なのだが。
全てのアクションが裏目に出ている気がする。そんな気しかしない。
だけれどそこで思考を止めてしまうことこそ最大の愚かだと、かつて学んだのだから。
(とりあえず、外に出てみるか)
一箇所で止まることに耐えかねたという気持ちも勿論ある。だが、それ以上に全く情報のない現時点で取り得る策といえばそれくらいしかないだろう──否、策とすら呼べないような言葉通りの苦肉の策なのだけれど。
ともあれ、そうして行動の指針さえ決めてしまえば迅速である。
手早く動きやすい私服に着替えて、最低限の道具──財布と、《時間泥棒》の際に使う仕事道具一式──を持って、外に飛び出した。
こういう時に、一番取ってはいけない行動というのがある。
それは、考えもなく虱潰しに走り回ることだ。体力には勿論上限があるし、それに走り回ることで一箇所一箇所に対する注意が疎かになりがちで、いつもは見落とさないものを見落としてしまうということもある。
だからこういう時は、ある程度狙いを絞って、あるいはあたりをつけてそこを注意深く用心して探すというのが定石だ。
幸い、アリスに『農場』の場所は聞いていないけれど、独自に農場について調べていたこともあり(アリスに親父から聞いた程度の情報しか持っていないと言ったのは謙遜の類である)、立地条件については多少なりとも理解はしているつもりだ。
曰く──民家であること。
曰く──ありふれていること。
これだけではどうあっても絞りきれない訳で、むしろ条件に合う建物がどれだけあるのかという話にはなるのだけれど。しかし、極め付けに、
曰く──《時間泥棒》の香りがすること。
これが加わればある程度は絞り込めようというものだ。
《時間泥棒》には厳密には匂いではなく気配なのだが、相応に特異さが現れる。
なんと言うのだろう。違和感、とでも言おうか。微かではあれど、現世ではあり得ない何かを感じ取ることができるのだ──とはいえ、それは微かなものなので、同じく《時間泥棒》にしか察知出来ず、それでも完璧に受信出来るわけでもない。
だから点というよりは範囲を確定するため、程度なのだ。
そしてこうして思考しつつ歩いているうちに、大体の位置は掴めた。
「ここを中心として、半径一kmってところか……まぁ未熟な僕ごときじゃこの程度か」
骨が折れる作業であろうことは確実である。
これからの行動を考えるに、それは相当の労力と、時間を要する類のものなのだから。
今からしようとしていること、それは──範囲内の条件に当てはまる家一軒一軒に忍び込んで『牧場』を探すこと、なのだ。
しかも今は夕方、普通の家庭ならば家に人が居て当然だろう。仕事で出払っているのならばそれに越したことはないけれど、全てがそうである確率は、それこそ天文学的確率だ。
それでも僕はこれから掛かるであろう手間と労力とを鑑みて、それでも気丈に、堂々と宣言する。
「それじゃあ始めようか。時間の──泥棒を」
《時間泥棒》をするわけではないんだけれどね──と、内心で訂正する余裕すらなく、僕は捜索のために動き出した。
−−−
────帳が下りて、もうすっかり空は暗闇。
「はぁ……はぁ……」
僕はひどく疲弊していた。
それもそのはず。数えることすら億劫になりそうなほどの民家に忍び込み、捜査をしたのだから。
幾度か見つかりそうになったものの、それでもなんとか成し遂げた。
いや、でもそれはいいんだ。それは取り立てて今更感じ入るところではない。
「くそ! 何でだ! どうして!」
──『牧場』が、見つからなかった。
その事実が確かな重みを持って僕の心を砕こうとしていた。どんなに一生懸命探したところで、目的のそれが見つからなければ達成感など得ようもない。感じるのは、疲労感──もとい徒労感だけだ。
『牧場』は基本的に民家の地下に隠されるように造られる、という情報を持っていたのだから、だから危険を冒しても家の隅々、庭からトイレに至るまで余すところなく触り、押して回ったというのに。
それでも見つからないとしたらそれこそお手上げである。
決して疲労から集中が切れたというわけでもないのに──むしろ探している最中は今までにない集中力を発揮できていたとすら言えるほどだ──それなのに見つかっていないのだ。
万策尽きたとはこのことか、である。
果たして今は何時なのだろう。とりあえず時間だけでも把握しておこうとスマートフォンを取り出してみると、
「もう九時半、か。どうりで空も暗いわけだ」
どうやら夕暮が心配しているようで、着信履歴に五つ夕暮の名前が並んでいる。
そこでふと思い出す。
「GPS……」
そう言えば、スマートフォンのGPS機能があるではないか。
アリスとは位置情報を共有しているのだし。
いやでもまさか『牧場』のやつらがアリスのケータイを没収し忘れる訳がないよな……とも思わないでもなかったが、というかその可能性が殆どではあったのだが、それでも藁にもすがる思いでアプリを立ち上げる。
「早く……早く……」
いつもはさして気にも留めないアプリの起動時間がじれったい。
そしてやっとアプリは起動し、
「うお!」
アリスのケータイの位置を示す光点が地図に現れた!
どうやら相手は相当の馬鹿らしい──そう思ってはしゃいだのも束の間。
その光点の明滅する場所は思いもよらぬ場所だった。