18 来訪の理由
「うん、知ってるよ」
僕は答えた。きっと僕の顔には様々な懊悩がさぞ鮮やかに映し出されていたことだろうが、アリスはそれに対して気付いていたのだろうけれどあえて触れず、話を進める。
「やっぱり。まぁ、《時間泥棒》であるなら少し深く調べようとすればいくらでも分かることだしね。でも、ジックがそれを知っているのは他の理由、でしょ?」
「…………」
「ごめん、今はその話じゃないね──私の話をしなくちゃだものね」
アリスは一つ深い深呼吸をして、まるで罪人が己の咎を告白するように、言った。
「私ね、小さい頃からその『牧場』で育ってきたの」
「うん」
「驚かないの?」
「驚いたよ。でも、さっきアリスの口から『牧場』って単語が出てきた時になんとなくそうかなって予想してたからっていうのはあると思う」
「なるほどね。じゃあ驚かせるなら突然告白した方がよかったかな?」
そう言って笑うも、アリスにいつもの元気はない。空元気だ。
「ま、いいか。じゃあ話を進めるね。私は『牧場』で育ってきた。だけど、一度も《時間泥棒》はさせられていないの」
「どういうこと? 流石にアリスが十歳より下ってこともないだろう?」
十歳──《時間泥棒》になる年齢──いわば契機をまだ迎えていないというならあるいは、と考えた僕の発言だったけれど、アリスは首を横に振る。
「レディに齢を聞くのはマナー違反、と言いたいところだけど、仕方ないわね。うん、私はこの四月で十八歳になるわ」
「え!? 嘘だろ!? 俺、僕より一つ年上!?」
思わず一人称が変わるほど取り乱してしまったが、それは仕方のないことだろう。アリスの外見年齢はかなり盛っても十五歳やそこらってところで、発展途上なのだ。……具体的にどこが、とは言わないが。言ったら殴られるじゃ済まないだろうし。
「何よ、その驚きは! ほら、どこからどう見たって、三百六十度どの角度から見たってお姉さんじゃない!」
「それってもしかして、自虐ネタ?」
「違うわよ!」
「笑おうか?」
「そんな哀れみを込めた視線で見るなー!」
「嘘吐くのって、辛いもんね」
「一回死なないと分からないのかしら、この馬鹿は……」
ふうふう肩を上下させているアリスを改めて見ると、確かに十八歳に見えなくも……いや、ないな。発育が遅すぎる。十五歳でも背の順なら最先端を行くことだろう。
「How old are you?」
「I am eighteen years old!」
英語で聞いてみても同じ答えが怒気をはらんだ語調で帰ってくるだけだ。どうやら本当に十八歳だということらしい。
「分かったよ、じゃあもし万が一、億が一アリスが十八歳のお姉さんだとして」
「なによその疑り深すぎる仮定は!」
「アリスが十八歳だとして、じゃあ《時間泥棒》を一度たりとさせられていない、ってのはどういうことなんだ?」
流石にこの話題に戻ればアリスも大人しくなる。逆立てていた長い亜麻色の髪を落ち着かせるように手櫛で整えながら、
「実はまだ私、《時間泥棒》が発現していないのよ」
「え、どういう……」
「《時間泥棒》が基本的に十歳で発現するってのが常識っていうのは勿論私も知ってるし、だから荒唐無稽なことを言っている自覚はあるのよ。でも現実に、私という非常識がこうして存在している以上、信じないわけにもいかない、そうでしょう?」
「じゃ、じゃあ実は《時間泥棒》じゃなかったとか」
「それこそありえないわ。私の両親は《時間泥棒》だったみたいだし、それに私自身も『牧場』に連れ去られた際に全身くまなく検査されたものだけど、陽性だったみたいだからね」
みたい──と曖昧なのはきっと物心付いた時から両親は居なくて、そしてきっとこれらの話は『牧場』で聞かされた話だから、ってとこだろうか。
それにしても不可解だ。こんなケース、聞いたことがない。《時間泥棒》は男女問わず、出生から十年目のいつかに目覚めるものなのに。
でも、合点がいったという気持ちも少しだが、ある。
アリスはこの家に来てから一度も《時間泥棒》を行っていないのだ。
「なるほど……確かに、そういうこともあるのか」
「うん、だからね。実は私、気付いていなかったのよ。自分が生まれ育ったのが『牧場』だなんていう物騒なところだってことに。だってそうじゃない? 物心ついた時からそこで生まれ育っちゃえば、それが当たり前になるんだから──っていうか実際、特に変わったところは無かったと思うわ。そりゃ確かに一般家庭とは違うけど、それでも育ててくれた人たちは優しかったし、友達も居たし、だから幼稚園とか学校みたいな感じかしらね。どっちも行ったことないから分からないけど」
「じゃあ、なんで今アリスはここに居るの?」
「結局、ハリボテだったのよ」
「何が?」と疑問を挟む間も無く、アリスは続ける。
「私の幸せも、気の置けない友達も、優しい大人も、何もかもが嘘っぱちだって分かっちゃったの。私、見ちゃったのよ、育ての親に当たるあの人が、友達を椅子に縛り付けて無理やり《時間泥棒》をさせているのを。その当時は《時間泥棒》なんて知らなかったから何をしているのかは正確には分かってなかったんだけど、それでもこれがおかしいことだっていうのは分かったわ。異常なところで育ったやつの価値観なんて信用できないって言われちゃうかもしれないけど、でも、すごく……」
掛ける言葉が見つからなかった。想像するだに恐ろしい『牧場』の本質を、今まで育ってきた場所がそうだって知った時の少女の内心なんて、どんなに推しても知ることなど出来ないのだし、ましてや分かった気になって同情の言葉など、掛けてはいけない。
でも、それでも何か、彼女に伝えたかったから。
僕は、アリスの手を握った。
初めは驚いたのと混乱からか、手から脈打つ血液と強張る筋肉の様子が、その頼りなく小さな掌から伝わってきたが、十秒も経つと落ち着いたのだろう。
「ありがとう。優しいね」
言って、ふんわりと僕の手を押し返す。
「大丈夫?」
「うん、ごめん。もう大丈夫。それでね、私は数日間それで寝込んじゃったんだけど、その数日で考えたのよ。このどうにもならないここをどうにかしないとって。それでそこから少しずつ隙を見つけて情報を集めて」
「で、逃げ出してきた、ということか」
「そう。これがこの家出の本当の顛末。今まで中々言い出せなくてごめんね」
「いいや、仕方がないよ。中々言えることじゃないからね。それで助けを求めたのが僕だってことも勿論理由があるんだよね」
それに関しては大方予想は付いているのだけれど。
「まぁ──そうね。人の弱みにつけ込むような形になっちゃうのが心苦しいばかりなんだけど」
アリスは自信なさげな言葉とは裏腹に確固たる意思を瞳に宿して、
「ユウ──刻喰夕暮という『牧場』によって形成された『メモリースティック』を妹に持ち、『牧場』に少なからず──いえ、確かな厭悪の情を抱いていること、それが私が刻喰時空に助けを求めた理由よ」
そう、言った。
確かにその姿は堂々として、なるほど十八歳というのも頷ける話かもしれない、と僕は場違いにも思ってしまったのだった。