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14 忠告と転調

 「ごめんなさい……」


 「ごめん、アリス……」


 「これは……」

 

 夕食を終え、親父はすぐに風呂に入ったので、これ幸いとばかりに冷蔵庫から食べれそうなものを見繕ってきたのだが、親父も夕暮もその日に使う最低限のものしか買わないために冷蔵庫に食材はほとんどなかった。

 それでもなんとか見繕ってきた品々が今目の前に並んでいるというわけだ。

 問題はその種類にあって、

  

 ──魚肉ソーセージに、おやつカルパス、人参のみじん切り、海苔、味噌、卵、そしていちごジャムとブルーベリージャム。


 色とりどり──といえば聞こえはいいが雑多に過ぎるラインナップで、その実腹にそこまで溜まらないであろう物ばかり。そりゃあこんな雰囲気にもなる。

 夕食の残りを持ってこよう──と初め僕も夕暮も話し合っていたのだが、親父のハンバーグ恐るべし。そのあまりの美味しさに気が付けばハンバーグは消えていて、おまけに炊飯器も空になっていたのだ。薄情この上ない。申し開きのしようすらない有様だ。

 だから今できることはといえば、こうして己が身を差し出すことしか無いだろう。

 

 そういった事情で、今僕と夕暮は表情を引きつらせたアリスに土下座を敢行しているのだった。


 「ごめん、ついハンバーグもお米も食べちゃって……私達は家族なんだからとか言ってこのザマじゃ……本当にごめん」


 「僕もごめん。あのハンバーグの魔力にしてやられたんだ」


 そんな僕らの謝罪にアリスはしばらく唸っていたのだが、やがて覚醒したかのようにくわっと突然目を見開いて、ハンバーグの上の目玉焼きとして三つ減った六個入り一パックの卵から一つ白い楕円を取り出して、大きな海苔を一シート取り出すと手頃な大きさに手で切って、その上で割った。仕上げに魚肉ソーセージも手でちぎって乗せて、味噌を塗る。

 そこまででわずか十秒。

 驚くほど鮮やかな手口に僕と夕暮がポカーンと口を開けている間に、アリスはその料理? をパクリ、と口の中に。


 「これ、案外いけるわよ! 普通に美味しい! もしかしたら新たな食の道を切り開いちゃったかも!」


 そう言ってはしゃいで見せる。

 すると、まだ呆気にとられてうもすも言えない僕と夕暮にも同じものを十数秒で作って手渡す。


 「ほら、ジックもユウも食べてみなよ!」


 受け取って矯めつ眇めつ見てみるが、三百六十度どこから見ても海苔。かといって開いて仕舞えば卵がでろっと溢れてしまいそうで開けることも出来ないというなんとも間抜けな状態になる。

 これはどうやら食べてみるしかなさそうだ。覚悟を決めて一息に口に放り込む。


 「んんっ!?」


 瞬間口に広がるのは、猛烈な卵感。するっとした白身とでろっとした黄身が海苔のパリッと感と謎のフュージョンを見せ、更に味噌の塩味、そしてゴロッとした魚肉ソーセージと一緒くたになって──なんというか、これは────!


 「なんとも言えない……」


 率直な感想だった。

 本当になんとも言えない、微妙な味だった。


 続いて夕暮も食べてみたようだが、


 「うん……なんとも言えないね……」


 「……」


 「……」


 結果、部屋はそれこそなんとも言えない沈黙に支配されることとなったのだった。


−−−

 

 その後、人参のみじん切り以外の食材の残りをアリスが平らげるのを待って、少し雑談に花を咲かせていると


 「おーい、夕暮。風呂空いたぞー」


 三十分くらいかけて風呂から出てきた父親の声がバスルームから聞こえ、夕暮は風呂へ、僕もずっと部屋に篭っていると怪しまれるだろうということでリビングへ向かうために一旦解散の流れとなった。


 そういうわけで、僕は風呂上がりの親父が待つリビングへ。


 「おい、親父」


 思わず言葉遣いが乱暴になってしまうのもやむかたなしだろう。

 リビングに広がっている光景、それは親父が全裸で冷蔵庫からビールを取り出しているというおよそ絵面的に最悪な物だったのだから。

 

 「なんだ時空、そんな乱暴な呼び方しなくたってパパンはちゃんと振り向くよ? それとも何かい、反抗期か?」


 そうしてビールを右手に掴んだ親父は振り返りながら立ち上がったのだが、もう最悪。


 「どうしてこう親父には羞恥心ってもんがないんだ……。いいからせめて下だけでも隠せよ」


 全裸ということはつまり何も身につけていない状態。そのまま振り返ればそりゃあ更に事態は悪化する。

 陰鬱な面持ちで片手を顔に遣る僕の言葉など何処吹く風。親父はわざとなのかなんなのか腰に手を当て仁王立ちしながらビールを煽るようにグビリと一口飲んで、快活に笑う。


 「がっはっは! 家族間の羞恥心なんて無きにしも非ず! むしろ頬を赤らめながら隠された方が気持ち悪いだろう?」


 「いやまあそうだけど……。ってかどうでもいいけど無きにしも非ずの使い方間違ってる」


 「それでも流石に夕暮にゴミを見るような視線で射抜かれた時は傷付いたぞ。人間ってああも冷たい感情を人に向けることが出来るんだな」


 「ならその時点で何かしら着てくれよ……」


 そんな僕の嘆願がようやく届いたのか、はたまた親父の気まぐれか、ようやくパンツだけは履くと、椅子に腰掛ける。

 そして「ほぅ……」と息を吐くと、


 「ところで、あの話の続きをしたいんだが、いいかな?」


 完全に不意打ちだった。家での親父の態度があまりにも普通だったから、もしかするとあの時のは何かの間違いだったのではないかという勘違いを──いや、希望的観測が過ぎたが故の油断をしていたのだ。これを愚かと言わずして何と言おう。


 先ほどまでの快活で変態チックで馬鹿な親父はもう居なかった。怜悧な視線は僕の心胆のそこまで覗き込むようで、纏う空気も冷え切っている。

 それはアリスと共に父親と遭遇した時の再現のようで、僕は、人間ってああも冷たい感情を人に向けることが出来るんだな、と先ほど父親があっけらかんと言っていたのと同じ感想を抱いた。

 さながら、蛇に睨まれたカエル。

 僕は冷や汗が頬を伝うのを確かに感じながらゴクリと唾を飲んで、しかしそれでも竦んで動けない。


 「なぁに、そんなに硬くなる必要はないさ。ただ父親が息子の彼女について質問したいってだけなんだから」


 嘘では、ないのだろう。ただそれが全てを表していないだけで。

 また、その言葉の真意は言葉通りの額面通りではないのだということも、分かる。


 ただ、ここで逃げ出すことは許されない──親父の目が語る。

 

 「分かったよ」


 「彼女ではない」という文言を挟むこともなく短く応答すると、僕は親父と向かい合うように席に着く。

 

 パンツ一丁の親父と、息子がリビングで真剣に向き合っている──状況だけ見れば少しコメディ要素を含んだ日常の一コマに過ぎない。が、現実はどうだろう。

 

 「…………」


 あまりのプレッシャーに胃がムカムカし始めたのを意志力だけで押さえ込み、親父の言葉を待つ。

 やがて、永遠にも思える一瞬の後に、


 「アリスちゃん、と言ったんだっけ、あの少女は」


 「あぁ、そうだよ」


 「じゃあそのアリスちゃんとはどこで出会った?」


 「家に帰る途中の、交差点」


 親父は少し考える素振りをした後に、口を開く。


 「ではその時、何が起きた?」


 「何がって……」


 思い至る節はある。

 アリスと出会った時、普段はうるさいほどの交通量を誇る道路から車は消え、僕たち二人以外の人間は誰一人、影すら見当たらなかった。 あまつさえ時節にそぐわぬ雪すら降り出す始末。

 それは、偶然と呼ぶにはあまりにも異常な光景で。

 だけれど────


 「特に変わったことは何もなかったけど?」


 嘘を吐いた。

 何故だろう、ここで事実を話してはいけないような気がして、僕は自然と嘘を吐いていた。

 

 「本当にか?」


 再度の問い。

 もしかしたら親父は嘘に気付いているのかもしれない。

 凄むようにして、更に眼光を鋭くして聞いてきた。


 「あぁ」


 ここで声が掠れなかったのはほぼ奇跡のようなものだろう。

 なんとかそれだけ言うと、またしても短い沈黙の後に、


 「そうか。じゃあ質問を変えよう」


 ──呼吸音。


 「時空は本当にアリスちゃんを家に送り届けたんだろうね?」


 それは最早確信を持ったような声音だった。

 僕はそんな響きに一瞬動揺を瞳に映してしまってから、


 「そんなの、もちろ」


 「帰していないのならば、早々に家に帰すべきだ。別に俺は時空を疑っているわけじゃあない。ただ、危険なんだ。だからもし居場所を知っていて、それで俺に隠しているのなら言ってくれないか」


 「意味が分からない。本当に僕は家にしっかり届けてきた。それなのにこうして聞いてくるってことがもう疑ってるってことじゃないのかよ?」


 緊張で喉が渇く。

 だが生憎手元に飲み物は無く、誤魔化すようにして唾液で口内を湿らせる。


 ──と、親父も同じ胸中だったのかビールをまた一口口に含んでから、この会話で初めて軽く歯噛みするような表情になって、


 「もう一度質問する。確認する。本当にアリスちゃんを家に送り届けたんだな?」

 

 「ああ、確実だ」


 僕は断言する。嘘を胸の中だけに押し込んで。

 すると親父はこれまでの鋭く重い雰囲気を霧散させて呟く。


 「……分かった。もうこのことに関して今回は何も言わない」


 「ああ」


 「だがな、もうこれ以上あの娘には近付くな」


 「それって、どういう……」


 「そのままの意味だ。もうあの娘には会うなということだ」


 ──ガガガッ。


 勢いよく椅子から立ち上がり、食い下がろうとしたが、親父は話は済んだとばかりに大きな溜息を吐いて、まだ半分ほど残るビールを飲み干してゆっくり立ち上がる。


 「そういうわけだ。俺は寝る」


 未だ事情が飲み込めず、遣り場のない感情を持て余す僕を置き去りにして、親父はリビングのドアノブに手を掛けて、最後に


 「憑詠有栖──彼女は危険だ。くれぐれも、選択を誤るなよ」


 意味深に低い声で呟いて、部屋を後にした。




 

 


 



 


 


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