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身の危険を感じた俺は、とっさに絢音を抱えて横に身を引く。最後の触手の一本を縮めるのと、包丁を抱えた女がおもちゃの山に飛び込むのとは、ほぼ同時であった。
しゅおっ、と、おもちゃの山は無為な二進法となって崩れ落ちる。女は床に投げ出されて「きゃう」と小さく鳴いた。しかし、包丁を拾い上げ、すぐに立ち上がる。
少し甘えたな泣き顔には、心当たりがあった。
「百佳?」
「はい、そうですよ」
ぐっと握りなおされる包丁。
「あーちゃん、ひどい、私を弄んで……子供までいたなんて……」
「ぬあ、今日の百ちゃん、怖いっ!」
「覚悟っ!」
俺は執筆モードを展開する。
【大きな、分厚い壁。それが急にせり上がり、百佳の行く手を阻む。石造りのそれは、包丁などではとても壊せはしなかった】
ぶわっと床が伸び上がり、形を変えて壁となる。その向こうから、百佳の声が響いた。
【モード移行。執筆を開始します】
「来るぞ。絢音、離れてろ!」
手元の幼女を突き放した俺は、次の展開に備えて触手を振り上げる。百佳の文章が空間を浸食し始めた。
【私は、浮気な彼に下すための鉄槌の呪文を唱えた。魔力がほとばしり、行く手を遮る壁を破砕する】
「やべえっ! いきなり全力かよ!」
百佳は一人称使いだ。そして、中二病でもある。これがファンタジー書きにとってどれほどの武器となるかは、ご存知であろう。
ぴし、めしっ、と石壁が軋み、崩れ落ちた。
「やばいやばいやばいって!!」
焦るなって? 無理だ。
百佳はつい最近、もう一つの属性を身につけた。それはすなわち……。
「あーちゃん? どうして浮気ばかりするの?」
ゆらりと、包丁を構えた女が揺れる。
「そうか、目玉があるから、他の女の人ばかり見るんだね。いいわ……私しかみえないようにその目玉をくりぬいてそのままでは腐ってしまうからきれいなビンでホルマリンに漬け込んで私の部屋の出窓に置けばそれは日の光にきらきらときらめきながら私だけを見下ろして……」
「ぬあっ! ヤンデレ怖いっ!」




