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「厄介だな」
山田が呻いた。
「これは俺の憶測なんだけど、あんた、あちこちで女、口説いてるじゃない? その誰かに謀られたんじゃないかなあ」
身に覚えがあり過ぎて、何も言えない。
「この世界での死は、精神の崩壊を意味する。つまり、現実世界の肉体は生き残っていても、その中身が無くなっちまうんだから……」
「死んじゃうねえ」
「つまり、あんたに惚れた誰かが、可愛さ余って憎さ百倍、この機会にあんたを亡き者にしようとしてるんじゃないのかなあ?」
「ああ、そうか」
「ずいぶんとあっさりしているんだな」
「そうだね」
なんとなく、それが正解なのでは無いかと思う。それならば愛する女の手で死を与えられるのも悪くは無い。少なくとも、殺されても惜しく無いほどには彼女たちのことを愛しているのだから。
「どの子とも真剣に付き合っていたんだけどなあ……」
そんな俺のぼやきに、応える女の声。
「それが旦那様のいけないところにゃ~」
振り向くと、咆哮する虎の模様をがっつりと染め抜いた付け下げ姿の女が一人。艶やかな朱の口紅がいかにも極妻風だ。
「もしかして、恵美?」
「いやん。やっぱり、解っちゃう?」
「あ~、いや、解るけどさあ……お前こそ、俺が良くわかったな」
今の俺は触手だ。うねうねと蠢く無様な塊でしか無い。
「だって、触手といえば旦那様、にゃ~」
「そうだったな」
所詮は顔も知らずに結ばれる、ネット上での人間関係。容姿など形骸に過ぎぬということか。
「旦那様、お覚悟!」
恵美は、両腕を前に出し、手のひらを真下に向けた。ちょうどキーボードで文字を打つときの、あの手つきだ。
山田が叫ぶ。
「気をつけろ! ライトする気だぞ!」
「へ? え? 光るの?」
「あんたは……本当に英語が弱いな。ダブリュー、アール、アイ、ティー、イー! Writeだ!」
「うにゃ?」
そこへ、凛として響く恵美の声。
【執筆、開始!】
白一色だった空間が、ぶわっと光を放った。
「まぶしっ!」
「ばか、目をそむけるなっ!」
恵美の指先がカタカタと、言葉を紡ぎ始める。
【恵美はいわゆる極妻である。彼女は今、夫の浮気を質すべく奥座敷に彼を呼び出した。白い障子紙は夕方近い日の色を吸い上げて茜に染まり、室内の調度に暗い影を与えていた。】
世界の構築が始まる。白は変幻自在に形と色を変え、足元はたたみに変化した。そして、俺たちを取り囲むようにせりあがる障子。いかにも極道モノにふさわしい広い和室の完成だ。
恵美がさらに言葉をつづるのが見えた。
【彼女の傍らには、旦那様が護身用にとつけてくれたボディガードが三人、常につきしたがっている。この男たち、揃いの黒服に身を包んでいるのだが、恵美の見立てであろうか、ひどく質がいい。今日日見かけない英国仕立ての……】
俺は小さく呻く。
「さすがは恵美だ」
彼女の武器はその色彩センスによる描写。仕事柄なのであろうか、実に美しい色を選んでくるのだ。現に、空間に半分ほど構築され始めた男たちの黒服一つとってみても……。
「って、ボケてる場合じゃ無いぞ!」
山田が俺の手を引く。
「突っ立って、殺されるのを待つ気かよ!」
「ああ、それもいいね。愛した女に殺されるなんて、ちょっとかっこいいかも」
「馬鹿なこと言ってんなよ。戦え! それが嫌ならせめて逃げろ!」
そうは言っても、男たちはすでに構築された後である。そろいの黒スーツがパンパンに張り詰めるほどの筋肉質。足なんかも実に長くて、いかにも運動向きで、這って進むしかできない触手の姿がかなうとは思えない。
「山田さんは逃げなよ。俺は……面倒だからいいや」
制服のスカートが翻った……と次の瞬間、そこには見目麗しい美丈夫が肩をいからせて立つ。そして、触手の一本に腕を絡めての、ひどく甘いささやき。
「絶対に死なせ無いからな。その触手は、一本残らず俺のもんだ」
「おおお、すげえ! どうやったの?」
「あのさあ、せっかくのシリアスムードをぶち壊さないでくれよ」
「うんうん、ごめんごめん。それより、なにその変身。俺でもできる?」
「あんたは脳みそを繋いじゃってるから、無理じゃないかなあ。俺たちビジターは、ほら、アイコン変更とかあるだろ? あんな感じで自分の見た目をいじれるんよ」
「へ~、かっこいい~」
もうちょっと緊迫感を持つべきだと? まったくその通りだ。




