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イラストは名犬ジョン様からお借りしました。
NAROWシステムとは、とある大手小説サイトが開発した体感型ネットワークのことである。
ここでは『書き手』が書き上げた物語が具現化され、読み手はその世界を体感し、文字通り『物語の世界にどっぷりとつかる』事が出来る。操作性も簡単で、脳幹と信号をやり取りするヘルメットと、手元の動きを伝えるグローブだけで仮想空間にダイブできる手軽さがうけ、利用者は30万人を越えると言われていた。
そうして構築された電脳空間ナロー。
もともと、このシステムの被験者に選び出されたものは5人。うち1人は『犠牲者』となった。もちろん、これはトップシークレットである。
犠牲となった男を知る者たちには緘口令が敷かれ、彼の存在は完全に闇に葬られた。
そう、あの噂が立つまでは……
この世界でのジョンの姿は『犬』である。だから感情の動きは全て尻尾に出るのだが、その話を聞いたときはさすがの尻尾も、驚きのあまり垂れたままであった。
「兄さんが生きている?」
もちろん、実の兄ではない。弟のように可愛がってくれた某なろう作家を、この犬は未だにそう呼んでいる。
そもそも現実の世界での彼は犬ですらないのだ。ネット内にアバターを送り込み、それと精神を連動させるバーチャルシステムの中で、彼は使い勝手のいい犬の姿を選んだだけである。そして彼の会話の相手は『鳩』であった。
もっとも、半分獣の姿だの、伝説上の生き物が闊歩する『ファンタジー区画』では、その姿さえ真っ当なほうであるが、ともかく二匹は『いかにもファンタジー風』な酒場の片隅で、酒を酌み交わしている最中であった。
しばしうなだれていたジョンの尻尾が、思い出したように横に振れる。
「じゃあ、兄さんは死んでなかったんだね!」
「そういうわけじゃないだろう。師匠の葬式のとき、死体を確かに見たじゃないか」
ハトは渋い顔でスマホを引き寄せる。ファンタジー世界にスマホとはそぐわないが、これも彼の精神端末の具現なのだから仕方がないだろう。人間は使い慣れた形を仮想の中でも好むものだ。
「ところが、だ。これ、師匠のマイページね」
その男が死んでから放置されたままになっているはずのページに、新作があがっている。
「誰かが兄さんのアカウントをのっとったって事かッ!」
「俺も最初、そう思ったんだけどね」
ハトはきょろきょろと目玉を動かしてから、あたりをはばかるように声を落とした。
「……最近、化け物が出るって話は?」
「うん、聞いたよ。『境目に立つ者』でしょ」
電脳の中だからこそ、使い勝手のいい分類が必要だ。ナロー世界はここが小説サイトだったころの分類システムを流用して、文学、恋愛、歴史、推理、ファンタジー、SF、ホラー、コメディ、冒険、学園、戦記、童話、詩、エッセイ、その他という、15の区画に分けられている。どの区画の、どの場所に現れるのも簡単だからこそ、区画の境目は誰も見た事がなかった。
その境目に化け物が住んでいるという噂がたったのは先月のことだ。
もちろんここは虚構で構成された物語世界なのだから、誰も見たことのない境目で起きた話など、誰かの創作として片付けられた――最初のうちは。
だが、それを最初に見たのが運営の人間だった事が伝わると、噂は一気に信憑性を帯びて一気に広まった。
『境目に立つ者』などという洒落た名前をつけられたあたりは、さすがに創作者の集まるナローではあるが、ともかく、その姿は大きな触手であるという。
だからこそハトは『ある懸念』を抱いたのである。
「触手といえば?」
「兄さんだ!」
故人はネット内で触手を演じることを好み、被験者としてナロー内に取り込まれたときも触手の姿だったらしい。
「その触手の噂が流れ始めたのが先月のはじめ、そしてこの新作が投稿されたのも、ちょうどそのころなんだ」
「兄さんが『境目に立つ者』?」
「だと、俺は思っているんだが」
ジョンの尻尾が強く立ち上がる。決意をこめて、ピンと。
「確かめに行こう、エミーリオさんッ!」
しかし、ハトは首を振る。
「師匠の性格は知っているだろう、もし生きているなら、真っ先に俺達に知らせるだろうさ。それがないってことは、だ」
「やっぱり、ただの触手ってこと?」
「もっと最悪のことも考えられる。俺達のことなど覚えてもいない、本当の化け物になってしまったのかもしれない」
「それでも、僕は行くよッ!」
「つらいことになるかもしれないぞ」
「それでも本当に兄さんが生きているなら、僕は会いたいッ!」
「まあ、言うと思ったよ。だからこそ、お前に話したんだ」
「エミーリオさんッ!」
ピコピコと尻尾を振る犬を制して、ハトは翼を広げる。
「まあ待て、この姿じゃ不便なので」
「『ライト』だねッ!」
ナロー内で自分の文章を具現化させるには、通常行動モードから執筆モードに移行する必要がある。さもなくば全ての言動が具現化され、無秩序はなはだしいことになるからだ。




