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朝、目が覚めると、俺は触手になっていた……
「なんっっじゃ、こりゃあああああ!」
昨夜はいささか飲み過ぎた。近所で新しい居酒屋がオープンと言うことで、ビールが半額だったのだ。飲まないわけが無いでしょう。通常運行です。
そのあと、酔いの熱気を冷まそうと、冷たいアスファルトに頬を擦り付けて眠ったことまでは覚えている。そのあとか……む~、アスファルトが冷たくて……えっと、ちょっと吐き気なんかしてたりして……あ、膀胱もぱんぱんだと自覚していたんだけど……だめだ。何一つ覚えちゃいない。
ともかく、今の俺はうねうねとした肉質の紐を無数に生やした丸い物体だ。そしてここは、何も無い、真っ白な空間。
「……って、どこだよ、ここ」
上も、下も白い世界。四方にももちろん、どこまでも白だけが続く、何も無い風景。いかにも現実離れした空間の真っ只中に置かれては、今、踏みしめている足元の感覚さえもが怪しい。これは明らかに……。
【異空間。そう呼ぶがふさわしいだろう。ひどく曖昧な身体感覚と、妙に研ぎ澄まされた精神感覚。そのバランスがとれない】
俺は無意識のうちに触手をうねうねと動かした。これは『なろう』に投稿するうちについたクセで、思考に輿がのるとつい、キーボードで文字を打つしぐさをなぞってしまうのだ。
【俺は求めた。この状況を説明できる何者かを。ああ、今の俺のありようをこと細かに説明してくれるなら、山田さんでも構わないのだ!】
夢想のキーボードにそこまでを打ち込んだとたん、空間にポツリと染みがあらわれた。いや、違うな。真っ白だった中に、色のついたモノが現れたんだ。それは、制服を着た女子高生だった。
彼女は歌うように語尾を上げて話す。
「あたい、17歳JK!」
「山田さんだ」
「はい。そうですよ」
このふざけた感じ……間違いない。なろう作家友達の『山田太郎』その人だ。少なくとも、中身は。
「その格好は?」
「せっかく仮想空間の中なんだ。好きな格好させろや」
「仮想……空間?」
「ああ、そうか。説明して欲しいんだったな」
彼による説明は、実に驚くべきものであった。
「ここは仮想空間ナロー。脳神経を直接ネットにつなぐというNAROWシステムによって構築された世界だ」
つまりここは電脳空間なのである。
「はあ、そういうのって、フィクションでは良く見るけれど、実現されていたんだねえ」
「まだ試験段階さ。だから、なろう作家の中から被験者が選ばれた」
「なんでっ?」
「ここがあまりに無秩序な世界だからだよ」
ナローはまだ虚無の空間であり、それは状態で言えばカオスである。常識を持つ人間に耐えられるものでは無い。
「つまり、非常識に耐えられる、かつ、クリエイティブな脳が求められたんだよ」
「脳?」
嫌な予感しかしない。
「ああ、現実世界でのあんたの身体は、薬で強制睡眠状態な上に、脳みそに直接端子をぶち込まれて、脳みそそのものがNAROWシステムのパーツの一つとして組み込まれているんだよ」
「ぎゃああああああ! スプラッターっ!」
「まあまあ。試験期間が終わったら、元に戻してもらえるらしいし?」
「山田さんも、脳みそスプラッターなの?」
「いや? 俺はビジターだから?」
ビジターはもっと手軽にこの電脳空間に出入りできる。装備するのは特殊なヘルメットと操作用のグローブだけ。
「だから俺たちビジターには、あんたたちマスターみたいにこの世界に干渉する能力は与えられていない」
「マスター? 俺が?」
「何も知らないんだな。自分で応募したんじゃ無いのかよ?」
彼の説明によれば、脳みそをNAROWシステムに繋いだ『マスター』は、俺を入れて5人。その代償として、創作がこの仮想空間内で実現するという特典が与えられている。
「さっき、俺が説明しに来るって『書いた』だろ? だからたまたまここにアクセスしていた俺が呼び出された」
「え。待って待って……俺はいつものクセでこう、キーボードを打つ真似を……」
「ああ、初回特典かなんかじゃね? 本当は通常活動モードと、執筆活動モードの切り替えをするキーワードが決められているはずなんだよ」
そんなものは知らないし、それに、一番重要なのは……
「俺、そんな実験に申し込んだ覚えないんだけどっ?」
「ちゃんと、マイページの『お知らせ』を読んでるか?」
「あうううう」
何でも、被験者リストはきちんと開示され、俺の名前もそこに並んでいたそうだ。だが、本当に覚えが無い。




