8話
ここから非日常
隆太は、頬に当たる僅かな感触で意識を取り戻した。
風ではない、ほのかに暖かい感触。
その心地よさにずっと浸っていたくなるが、その欲望を断ち切り、目を開いていく。少しずつ、黒に染まった視界が色に染められていく。
「あっ……」
「えっ……」
目が合った。
隆太の目の前には、四つん這いになって、自分の頬に手を伸ばしている少女がいた。ほのかな温かみの正体はこれだったのだ。
髪は黒、長さは肩より長い程度。目は小さめで、色は同じく黒。髪の向こうに僅かに覗く青は、自分も着ている制服の色。つまり、自分と同じ方舟学園の生徒という事だ。
正直、普通というのが印象であった。まぁゆらといい、渡といい、愛佳といい、印象が強すぎる人が多いのもあるが、どうも印象が薄い。確かにかわいらしいのだが、それ故に特徴がなかった。。
「……」
「……」
互いに言葉を発する事ができず、ただ見つめ合って十数秒。
「はっ!?」
先に我を取り戻したのは少女の方。体を起こし、地を這う爬虫類も真っ青なスピードで後ろに下がり、距離を取った。
そして飛び上がり、そのまま淀みのない動きで土下座の体勢へ移行。地面に頭を擦りつける。むしろ叩きつける。
「ご、ごめんなさいごめんなさい!悪気はないんです魔が差したっていうか衝動に負けてしまったというかなんか寝顔可愛いなーなんいやなんでもありませんごめんなさいあうあうあ」
「い、いや、いいよ!顔上げて!別に気にしてないから!」
「いえいえ私は欲望に負けて寝ている人の顔を勝手に触る愚図なんですー!!」
「う、うーん……どうすればいいんだ……」
話を聞かず、ただ泣き叫ぶ少女に隆太は右往左往。何をすればいいのか分からず視線をあちこちへと向けてこめかみを掻いた。
しばらく時間が経って、鼻をすする音が少なくなってきた頃。少女は体を起こした。
「……ぐすっ。でも、これ以上泣いてたら、きっと隆太君が困りますね。だから、ここで泣き止みます」
「あぁ、うん」
「ですが、最後にもう一回。本当に、ごめんなさい」
「あぁ、うん……うん?あれ?」
真摯に頭を下げる少女、そのペースに乗せられ生返事しかできなかった隆太であったが、ふと気付いた。
「へ?何か私、変な事しましたか?あぁ、変な事はしましたごめんなさい」
「い、いやそういう訳じゃなくて。君、僕と初対面だよね?なんで名前……」
「えっ!?」
そう言った時、少女は見るからに落胆した。そして、今度は座り込んでのの字なぞ書き始める。何か地雷を踏み抜いてしまったのだろうか、と隆太は自分のミスを悟った。
「そりゃー、私地味ですし、可愛くないですし、影が薄いですし……でも、ですからって名前すら覚えてもらっていないなんて……悲しいです……」
「あぁごめん!え、えーっと……」
その落ち込み方は尋常ではなく、放っておけば地面に埋まっていきそうだ。様子を見て慌てて隆太も記憶を掘り返すが……ヒットなし、該当件数は0。しばらくうなっている内に、少女は覚えられていない事を悟ったようで。
「……覚えて、らっしゃらない?」
「……ごめん。一回でいいから、名前を言ってくれないかな?ちゃんと覚えるから!」
「じゃあ、一回だけですよ?」
そのあとしばらく悲しげな顔を浮かべていたが、こほん、と可愛らしい咳払いを一つしてからは、明るい笑顔になった。
「私の名前は一ノ瀬かすみって言います。方舟学園一年五組、出席番号は13番。よろしくお願いしますね」
「よろしく……って一年五組!?クラスメイトだったの!?」
「そーです!だから、覚えてくれてないって言われて……」
「あぁ、そういう事だったのか!ごめんね、あの時ちょっとウトウトしててさ」
(……嘘もたまには必要)
実は全く聞いてなかったのだが、あえて言う事をしなかった。おそらく本当の事をいえば、かすみは傷ついてしまうだろう。隆太の気遣いの結果、それは意外とよい方向へ繋がってくれたようだった。
「へー、やっぱり学年主席さんは違いますねえ。夜遅くまで勉強してたんですか?」
「……あ、あぁ、うん!そんなところかな」
「さすがです!また、私にも教えてくださいね?」
「うん、いいよ」
そこで一度言葉は途切れた。隆太は、これ以上かすみが泣かなかった事に安堵し、見えない所でほっと胸を撫で下ろす。
そして、落ち着いた事でようやく周りが見え始めた。
「ここは……何処だろう?」
今いる部屋は何かの事務所のようだ。机が数多く並び、いくつかの椅子がある。床には、何故か大量の塩のような物がぶちまけられていた。どこかの窓が空いているのか、僅かに入ってくる空気が何枚かの紙を持ち上げ、床へと運んでいく。しかし、ここがどこか判断できるような物はなかった。
「何かの建物の中のようですね……」
「って、あれ?知らないの?」
「はい。起きたらここにいて、そしたら隣で隆太君も寝てて。何がなんだかって感じで……」
「起きたら……って、もしかして君も気を失って?」
「はい。ご飯食べようって、弁当箱を鞄から出したら、いきなり真っ暗になって……」
「君もなのか……。まぁ、何をするにもまず状況を確認しなきゃね」
何をするにもまず情報という。隆太はひとまず、自分の端末を取り出して起動した。
「時間は3時半。……大分、時間が経ってるみたいだね。とにかく、GPSで現在位置を……って、あれ?」
「どうかしましたか?」
「圏外だって……」
そう言って、隆太は画面をかすみに見せた。そこには確かにでかでかと『圏外』と表示されていた。下に細々と、マップが表示できないという内容の事も書いてある。かすみは驚きに目を見開いた。
「け、圏外……ってありえないですよ!地下鉄でさえ電波が届くのに、電波が届かない建物なんて!」
「まぁ、地下鉄よりさらに深いところにある事務所なんて事もないことはないだろうへけど……まぁ、それだったとしてもSCだったらしつこく中継ポイントを設置するだろうし、それはないね」
「では、ここはどこなんでしょうか……」
「うーん、これじゃどうにも……」
二人が揃って首を傾げた瞬間。
突然画面に、机に肘をついた人間が映った。
「うわっ!?」「きゃっ!?」
二人同時に悲鳴を上げるも、画面に映る人間は無反応。どうやらテレビ電話ではなく、向こうからの一方通行のようだ。
画面には高級さが伺える小奇麗な黒の机、電子書籍用の端末、性別はわからないがスーツ姿の人の上半身、カーテンの締め切られた窓が映っている。
「な、なんだこれ!?」
「わ、わかんないですっ!」
『あー、声は届いているかの?まぁ答えを聞くことはできんが』
声は人の手によって加工されており、一応聞き取れるがやたらと甲高くなっていた。分かることはその爺言葉から、おそらく男性であり、かなり年齢を重ねていることくらいだろうか。
隆太が思考を重ねているうちに、男は言葉を連ねていく。
『さて、君たちは今、どこか分からぬところにいるはずじゃ。でも、それは当然じゃ。なぜなら、そこは桜庭市じゃないからの』
「はっ……?」
「桜庭市じゃない……つまり、市外ですか?」
「そういうこと、なんだろうけど……」
「確か桜庭市って、独立した後からずっと外に出れないようになってるんですよね?」
「うん。市……いや、独立したから国なのかな?まぁ国境まで行った事はないけど、確か道路をバリケードで封鎖してあるって聞いたような……」
疑問は尽きないが、その言葉が画面の向こうまで届く事はない。男の言葉は続いていく。
『君らは今、桜庭市外にいる。それは、君らにとあるイベントへ参加してもらっているからじゃ。その名も、『特務委員選抜サバイバル』』
「特務委員選抜……!」
「サバイバル……って……!?」
放たれた男の言葉に隆太とかすみは驚き、思わず息を呑んだ。頭の中が混乱しかけるが、男が言葉を続けたので、二人揃って男の言葉に耳を傾ける。
『きっと、混乱しとる者も多かろう。今から説明するから安心せい』
そう言った後、男は机に置いてあった端末を操作した。すると、こちらの端末の画面にいくつかの文が表示された。そして同じ文が保存されているのか、男は自分の端末を見ながら、男は言葉を続ける。
『まず念頭に置いておいて欲しいのは、このイベントの拒否権はないこと。君ら以外にも参加者がいること。そして、イベント参加者全員に『特務委員』になる権利があることじゃ』
「『特務委員』になる権利……」
その言葉を聞いて、隆太はまずゆらの笑顔を思い出した。
(ゆらも、ここに来てるのかな……)
どこかにいるかも知れない少女に思いを馳せてみる隆太だが、いつの間にか男が話を続けていたので、慌てて意識を現実に戻す。
『さて、では本題に入る。君らの近くに、大きなバッグがあるじゃろう?』
「え?一ノ瀬さん、それっぽいのってあった?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね………………あ、あれじゃないですか?」
そう言ってかすみが差すその指の先には、登山家が使うような大きなリュックサックと銀色のアタッシュケースが無造作に転がされていた。
「あれのことかな?」
「多分……ですけど」
『その中に、一つ黒い板があるはずじゃ。それを取り出せ』
「板……ちょっと待ってて」
「あ、はい」
隆太は端末をかすみに渡し、転がされているリュックをガサゴソと探る。するとその中に、確かに黒い板があった。不自然な凹みが4つあること、さらっとした感触だった事以外は、特に変な細工はされてなさそうだ。
「多分これ……だよね?」
「いや、そんなこと言われても、私は知らないですし……」
「あ、それもそうか。ごめん」
『そこには4つ、穴が空いておろう?そこに、これをはめ込んでもらう』
そう言って男がスーツのポケットから取り出したのは、輝きを放つ小さな白い石。
はぁ、とかすみは感嘆の溜息を漏らした。隆太も、その美麗さに息を呑んだ。
その大きさ、見た限りで10cmはあるだろう。しかし宝石についての知識は皆無であるため、あの宝石がどれほどの値段になるかまでは見当もつかなかった。
『これを4つ集め、ここにはめ込んだ瞬間、サバイバルは終了となる。そのペアの端末に帰り道の案内を送るから、それで市内に戻ってこい。そうなって、晴れて特務委員になることができるのじゃ。当然、枠には限りがあるから早めにの。……そうじゃな、ゴールしたらその度にメールでも送ろう。それで残りの枠がいくつ残っているのかを確認するのじゃ』
二人は食い入るように画面を見つめていて、会話はない。ただ無音の空間に男の声が響いている。
『そして、この白い石の集める方法じゃが……簡単じゃ。モンスターを狩ること、それだけじゃ』
…………。
「モンスター?」
男の真剣さもあってある程度現実味のある話であったが、モンスターという発言で一気に胡散臭いものに大変身。隆太もかすみもポカン、と口を開いてしまった。
少し間を置いて、老人はほっほっほ、と笑い出した。
『ほっほっほ、君らの呆け面が目に見えるようじゃわい。じゃが、冗談でも嘘でもでまかせでもない。もう一度言う、君らにはモンスターを狩ってもらう。特務委員の仕事というのは、そういうものなのじゃからの。まぁ、これについて話していると時間がかかるから、カットするかの』
そういうもの、と少し気になるフレーズがあったものの、それきり何も語らなくなったから事実を知ることはできなかった。
『さて、君らはテストの時に書いたことを覚えているかの?心理テストのようなやつじゃ』
「……そんなの、ありましたっけ?」
「うん。確か、だけど」
記憶の中に僅かに残っているのを掘り起こす。確か、魔法に対する心構えとかだったような気がする。
『その中にこんな話があったはずじゃ。『もし、自分がモンスターと戦うことになったら何の武器を使いますか?ちなみに、逃げることは許されません』といった風なものが』
瞬間、記憶がつながった。魔法云々の中
「……あぁ!思い出した!」
「そう、ですか?私は思い出せません……」
『そこで書いた物を、君らに支給させてもらった。それはサバイバル用品とは別にしてある。銀のアタッシュケースじゃ』
「それが……」
「あれか……」
その言葉に釣られるように、二人揃ってアタッシュケースの方を向く。
『中には無回答、また現在の技術では作成できない物を書いた者には、それに似た物にしてある。また、その者に使えそうにないものであれば調整させてもらった。それら全て、モンスターに通用するものじゃ。うまく使えよ』
そこで口の中が乾いてしまったか、どこからか取り出した湯呑みを傾ける。
『ふぅ、年を食うと長話すらできん。えっと、武器の話が終わったのじゃったな。では、これからの予定を要約するぞ。白い石を集めて、板にはめ込む。すると帰り道が示されるから、それに従い市内に帰還する。そしてめでたく、特務委員の仲間入り。一応、理解できたかの?』
そこで言葉を切った男はついていた肘を動かし、手を腿の上に置いて姿勢を正した。
『……では、最後に三つ、忠告じゃ。老人の長話は辛かろう?さっさと終わらせるぞ』
男は人差指を立てる。
『一つ。必ず、ペアの者と協力すること。今回、全てのペアが男女で組まれておる。女子が生き残れる為に、こういう組み合わせにしたのじゃ。まぁ、君らがどんな選択をするかは自由じゃがの』
そして、中指。
『二つ。今回、君らに端末にプログラムを送信した。それは、近くにいるモンスターの危険度が目標値より高かった場合アラームが作動するものじゃ。自分の力を過信するな、儂の言葉には従わんでも、絶対にアラームには従うのじゃ』
薬指。
『三つ。プログラムを送信すると同時に、君らにはメールを送らせてもらった。そこには、君たちの象徴とも言えるもの、魔法について記してある。必ず、利用するように』
そして、机に再び肘をつき、指を組む。
『さて、戦いの始まりが近づいている。特務委員候補に選ばれた、君らの善性を信じておるぞ。……健闘を祈る』
音もなく画面は消え、再び画面には圏外の文字が。
変な切り方ですが、事情があるので勘弁を。
あと宝石の話はにわかです
※更新は一日二話ペースのつもりです
※2 前から見てくださっている方は、一話から大幅(?)な改変が加わっているので、ご確認願います。今後の伏線も隠されてます(多分)