5話
方舟学園は普通の授業を受ける学習棟、魔法を学ぶ、また職員室や図書室などもある魔法棟、そして体育館、学生寮の4つの校舎で構成されている。
入学式の前にまず教室に集合せよ、との事なので、隆太達三人は入学式が行われる体育館に行く前に教室に向かったのだった。
「おぉ……」
また隆太は驚きの声を漏らした。
「おっきな電子黒板……」
隆太の前には、青白い光を放つ巨大な液晶の画面があった。
通ってきた廊下の掲示板といい、エントランスの総合掲示板といい、全て電子化されていたからもしや、と隆太も思っていたが、やはり教室も黒板ではなくモニターへと交換されていた。前に通っていた普通の中学校は主な部屋以外ほぼ旧式、ただの黒板であったが、やはり市内随一の進学校は予算が掛けられているようである。
中を見ると、教室には既にこれから一年間何があろうと顔を付き合わせる面々が揃いつつあり、むしろ隆太達三人は後から数えた方が早いくらいだった。
カイが呆れたように頭を掻きながら言う。
「揃うの早すぎだろ……暇人かこいつらは?」
「シッ!いきなりそんなこといっちゃ駄目だよ!」
「いいっていいって。どーせ、嫌でもこれから会わなくちゃなんねえんだ。俺のキャラとか、扱いくらいすぐ覚えるだろうぜ」
「……でも、なぁ……」
「まぁまぁ。早いのは皆が真面目だからなんだって! きっと、いい人ばっかりなんだろうなー……」
「ゆらは楽観的だね……僕は知らない人ばっかりで不安だよ」
「そうかなー?誰も知らないって事は、これからさらに友達が増やせるって事でしょ?怖いどころかむしろ万歳、万々歳だよ!」
「そんなものなのかな……?」
未だにこやかな表情を変えないゆらに、首をひねる隆太。
うーん、と隆太が考え込んだ事でしばし会話が途切れる。しばらくして、カイが口を開いた。
「とりあえずまあ、立ち話もなんだな。どうせ席も近くだろうから、座ろうぜ?」
「そだね」
基本的に、入学直後は出席番号順で座る事が多い。
遠里ゆら、北方カイ、柏原隆太。
カイと隆太はか・きで連続しており、ゆらも一周し、隣りの列で近くの席になる。それが小学校、中学校の9年間続き、最初に座る席が離れた事はほとんど無かった。
そして、今年もやはり近くの席であった。三人は軽く談笑しながら同時に着席する。
ゆらが話を切り出す。
「……まぁ、それはそれとしてさ。とりあえず今何時?」
「時間?そんなのゆらが確かめればいいじゃん」
「えー?めんどくさいー」
「しょうがないなぁ……」
ぶーぶーと口を尖らせるゆらを見て、隆太は鞄から端末を取り出す。
「えーとね……8時23分。移動が28分だから、もうちょっと時間がありそうだね」
「ありがと♪」
「どういたしまして」
そんなどうでもいいやりとり。しかしこれが、灰色の中学校生活を支えた唯一の柱であった。
その後三人で少し話をしていると、隆太は耳に届くざわめきが少し増えた気がした。
「……っと、ねえねえ。なんか騒がしくない?」
「そういえば……」
「確かに……」
言い出した隆太も含め、三人はきょろきょろと周りを見回す。すると、ゆらが教室の入口付近を指差し、言葉を放った。
「あ、あそこに人がいっぱいいるよ!」
「ん……あぁ、ほんとだ」
次いでカイの呟くような声。それらの言葉に従い、隆太がその方向を見ると……確かに、多くの生徒が集まっている。その数は明らかにクラスメイトの人数より多く、他クラスからもやってきている事が伺えた。
「ホントだ、何かあったのかな……」
「ちょっとちょっと!行ってみようよ!!」
元気よく提案するゆら、しかし残りの二人は乗り気でないようで、不満の声を漏らす。
「はぁ?めんどくさい……」
「僕らには多分関係ないでしょ。教室の反対側だよ?初日から僕らが影口の対象にされてるとしても、あんな大きな声で、大勢で言う訳もないし。ま、触らぬ神になんとやらってやつだよね」
そう言う隆太達を見て、ゆらはつまらなさそうに口を尖らせた。
「えー、つまんなーい……」
「文句言われても、面倒な所には行きたくないし……」
「そうだぜ、野次馬なんかになった所でなんもねえよ」
最終的に留まることを決めた隆太達の元へ、人ごみを構成していた生徒が一人近づいてきた。見たことのない、眼鏡を掛けた男子生徒だ。
「ん?なんだてめえ」
「ちょ、最初から喧嘩腰は駄目だよ……で、なんですか?何かした覚えはないんですが……」
懐疑的になって、近づいてきた男に鋭い視線を送るカイ、それを焦りながらたしなめる隆太。いきなり睨まれた男は面くらいながらも、先を促された事で気を取り直し、まごつきながらも話を切り出す。
「こ、この中に柏原隆太、って奴はいるか?」
突然呼ばれた隆太の名前に、三人は驚きで目を丸くした。
話の主であるらしい隆太は、戸惑いながらも、ゆっくりと手を上げる。
「え……?隆太は僕、ですけど……」
「あぁ、お前か。なんか知らんが、取り敢えず来てくれないか?」
「なんか知らん……って、どういうことですか?」
「それは、言われた俺にもさっぱり……。と、とりあえず、来てくれ!」
「え、あ、……はい!」
あまりに抽象的、というよりは中身が薄すぎる言葉に隆太は首を傾げつつも、その必死さに負けて隆太は頷いた。しかし、何が目的か分からない呼び出しに不信感を覚えたか、カイがそれを制止する。
「おい、普通に付いて行っていいのか?」
「別にトイレに連れて行かれるとか、カツアゲされるとかそういうのじゃないんでしょ?じゃあ、心配なんていらないでしょ」
「……ま、それもそうか」
隆太の言葉にカイは納得したようで、食い下がることなくあっさりと引いた。その代わりに食いついたのは野次馬根性丸出しのゆら。
「でもでも、私は気になるからついてく!」
「……ねえ。いいかな?」
野次馬根性の覚醒したゆらは、朝見たように目をギラギラと輝かせている。自分しか呼ばれていないことを不安に思って男に問うが、男は慌てたように手をパタパタと。
「俺に言われても知らん! 俺はただ、柏原隆太って奴を連れてきてくれって言われただけだ」
「なら、一人増えても、いい……のかな?」
「わーい!じゃあ、れっつごー!!」
「ちょ、押さないで……」
そうと決まれば、と言わんばかりに、ゆらは超スピードで隆太の脇から腕を差込み、立ち上がらせ、そのまま人ごみを掻き分け、掻き分け。いつの間にか、人混みの渦中に立っていた。
あまりの早業に隆太は驚く。
「え!? え!? 何が起こったの!?」
「はいはいはーい!皆さんお探しの柏原君はここ……」
戸惑う隆太をおいてけぼりに、ゆらが元気に運んでいったその先。
人ごみの中心には、数多の視線を集める一人の少女がいた。
「やぁ、君が柏原隆太クン、かな?」
そういう少女は、ゆらとは少し違った優しさのある笑顔をして、隆太の名前を呼んだ。
「あ、はい。そうですけど」
「ぁ、ぁあわわわわわわ……!」
戸惑いながらそう言う隆太。
その肩を持つゆらは驚きに目を見開き、わなないている。
「へぇ、この子が……」
その異常とも言える、ゆらの珍しい行動に隆太も驚き、少女が僅かに放った呟きを隆太が聞くことはなかった。無論、周囲のクラスメイトも同様に。
「え?ゆら、どしたの?」
「あぁ、あぁあぁぁあああの人、あああの……」
「駄目だ、完全に混乱してる……えっと、どなたですか……?」
少女は意外そうな顔をした。
「あり? ボクのこと、ご存知ない?」
「え、えーっと、すいません……」
そう言った瞬間、周囲のざわめきが3倍に膨れ上がった。マジかよだの、ありえないだの、何のためにこの学校に来たんだだの、常識知らずだのうんぬんかんぬん。少女自身も「ボクもまだまだだな~。もっと頑張ろっと」と言いつつこめかみを掻いている。
「えと、あの……」
「いや、いいよ。ボクの頑張りが足らないだけなんだし気にしないで。ではでは、自己紹介をば……」
そう言って、気を付けの姿勢。
「ボクは特務委員会の委員長、笠原愛佳。一応、この学校の生徒会長もやらせてもらってるよ。どうぞ、よろしく~」
「………」
しばらくの沈黙、そして驚愕。
「えっ……特務委員会!?笠原って、あの!?」
「誰を示してるかはわかんないけど、特務委員会委員長笠原愛奈を指してそう言っているなら、答えはイエスだよ」
「す、すご……初めて見た」
モニターの向こう側の住人である。その纏うオーラのようなものに隆太は気圧されていた。そして、理解した。
「あぁ。だからゆらはびっくりしていたんだね」
「あわわわわわわ」
「訂正。びっくりしている、だね」
上記の通り、ゆらはこの笠原愛佳に心酔する生粋のファンである。
「そちらの方も初めまして。遠里ゆらさん、だっけ?よろしく~」
愛佳はそう言って、ゆらに手を差し出した。それを見て、ゆらの震えが見て取れるほどに大きくなった。それを見る視線は、まるで宝を目の前にしたトレジャーハンターのよう。好奇心と僅かな畏怖が入り交じっている。
「え、ええ~っ!?い、いいんですか!?」
「ボクの手くらいなんてことないけど……」
「い、いいいえいえいえ!つ、つつしんで?おうけ……違う。遠慮なく……でもないな。じゃ、よ、よよよよよよよよよよよよろしく、おおおおお願いします……」
そう言って差し出された手を、愛佳は自分から掴んだ。ゆらはそれを確認するように軽く上下に振り、その後数回上下にブンブンと振り回した。その勢いに押されて愛佳は汗を浮かべながらも、浮かべた笑みは崩さず。
「うん、これからよろしく!」
それからしばらくして、ゆらは恍惚の笑みを浮かべて両手で頬を押さえた。
「っ!……あぁ、今日はなんて運がいいんだろう……今年いっぱい幸せ確定……」
「あはは、大袈裟だなぁ~」
「ゆらは愛奈さんの大ファンだったんですよ。で、すんごい舞い上がっちゃって……なんか、すいません」
「いいよいいよ!ファンだなんて、ボクにとって最高の名誉さ!」
そう言って愛佳が笑う。その笑顔はその場のほとんどの視線を釘付けにした。隆太も少しの間見とれてしまったのだから、ゆらの反応は言わずもがなである。
弛んだ頬を引き締めたゆらが、決意を込めた表情で口を開く。
「わ、私は! 愛佳さんみたいな特務委員になるために、ここへ入学しました! 私にも、頑張れば愛奈さんみたくなれますか!?」
その言葉を聞いた瞬間、愛佳の笑顔の中に、若干ながら強ばりが生まれたのを、隆太は見逃さなかった。
(……?)
しかし、他は誰も気づかぬようだ。口を挟むタイミングでもないので、隆太は後で聞くこととした。
当の愛奈は、少し考えて、口を開いた。
「うーん……自分で言うのもなんだけど特務委員になるのは、かなり難しいよ」
「そう、ですか……」
その発言にゆらは俯き、肩を落とす。しかし、励ますように愛佳は言葉を紡いでいく。
「でも、でもね。ボクも全然、才能なんてなかったんだ。だからずっと、ずっとずっと、ずーっと『魔法』を使って、自分にできる事をし続けてた。毎朝早起きして魔法の特訓をしたし、勉強だって頑張った。そうやって毎日を過ごしてたら、魔法のレベルも上がって、特務委員になって、いつの間にか委員長にまでなってた」
「………」
「話がまとまんなかったね、ごめん。要するに、ずっと頑張ればきっとなれるって話。努力次第でなんにでもなれる、だから、きっと君も特務委員になれるよ! だから、これからも頑張ってね!」
長年憧れの的としていた相手からの励ましの言葉に、ゆらは感極まって涙を浮かべた。しかしその相手の目の前で涙を流すわけにはいかず、それを慌てて袖で拭い、勢いよく頭を下げた。
「……あ、ありがとうございます!」
「いやいや、君みたいな熱意をもった新人が入ってきてくれると、うちのモチベーションも上がるからね。応援してるよ!」
「は、はい! ありがとうございます! 頑張ります!!」
うんうん、頼もしいねぇ……、と言って満足そうに頷く愛佳。
そこに強気そうな女の声が届いた。
「おーい、愛佳!もう時間ないし、そろそろ行くわよー!?」
「ん、翠の声……って、ヤバ!時間ないじゃん!そろそろボクは行かなきゃ!!」
愛佳が視線を送ったその先には時計。それは8時25分を示していた。生徒会長である愛佳は、この後行われる入学式に在校生代表として話をする事になっていた。おそらく、その準備に向かうのだろう。
ゆらは頭を下げる。
「すいません!長い間、引き止めてしまって!」
「別にいいよ。ボクも、やりたかった事はできたしね。それじゃ、またね~!」
「ありがとうございましたー!」
手を振りながら、愛佳は廊下の向こうへ消えていった。それまでゆらはずっと、神を崇めるかのように頭を下げ続けた。
そして姿が完全に消えた後、ゆらはさらに5秒間頭を下げ続けてようやく顔を上げた。浮かべる表情は、とろけきったニヤケ顔。
「やった……初めて話せた……」
へへ、うへへとおよそ年頃の乙女が発してはいけない笑いを漏らしながら、にやにやと。その様子を、そばで苦笑して見る隆太。
そして、隆太がふと気付く。
「……あれ?愛佳さんって、何しにきたんだろ?」
「……さぁ?」
その場にいる人間全員が頭上に疑問符を浮かべ、首を傾げる。
その時、隆太は愛佳が言っていた言葉を思い出していた。
(やりたかった……事?)
しかし理由を聞こうにも、時すでに遅し。突風の如く突然現れ、そのまま風のように去っていったのだった。