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トウモロコシ  家族のそれぞれの岐路


 いくつも季節が巡り、ある夏の初めにアユが恋をした。

 それは柚木家にとって突然押し寄せた嵐のようなものだった。


 高校生になったアユはますます綺麗になり、祖母は『親の欲目なしにも綺麗すぎる』と心配していた。


 校則だからと明るい色の髪を無理やり黒に染めさせられても、母譲りの瞳が目立ち逆効果だった。

 長い手足、小さな顔に大きな目、まるで人形のような姿。学校では男子たちの視線をさらう事で、女子の妬みが積もっていく。

 勉強を頑張って入った高校なのに、アユは遠巻きにされいつも孤独だった。


 夏休みを前に、鬱々としたアユの足取りが次第に飛び跳ねるようになり、色を失いかけていた瞳がきらきら輝いて、毎日が楽しくて仕方ない様子になった。友だちができたのだろうと家族が安堵したのもつかの間、アユの心は地べたに叩きつけられ、無残に踏みにじられた。



「ただいま。……どうしたの、アユ」


 アユは縁側に座り込んだまま、一点を見つめてまるで憑りつかれたかのようにトウモロコシをかじっている。

 がりがり、しゃくしゃくという音だけが響いた。

 リスみたいだなと思いながらじっと眺めていると、ごっくんと飲み込んだ後、アユは深々とため息をついた。


「ナオも食べな。おばあちゃんがたくさん茹でてくれたから」


 見ると、姉のそばにつやつやと黄色に光るトウモロコシがザルに積まれていた。


「うん」


 ザルをはさんで隣に座り、一口かじる。じわりと甘い汁が口の中いっぱいに広がった。


「……今年のは、ずいぶん甘いんだね」


「うん。これ、新しい品種だから」


 水分をたっぷり含んだトウモロコシの確かな重みを手のひらで量った後、尚は答える。

 父の又従弟から種を貰い、新しく畑を一面開墾して植えてみたら意外と豊作になった。


「え? 知らなかった」


 夏雲がまだ浮かんでいる空は確実に高く澄んできて、二つの季節が重なり合うなか、姉弟はひたすら黄色の粒を食べ続けた。


「これ、東京で人気なんだ。売れるよ」


「……ナオ。あんた何歳?」


「十歳」


 まだ十歳。子供の尚に出来る事は少ない。


「……ナオ」


「うん」


「……吐きそう」


 尚は庭に飛び降り、口を押えるアユにサンダルを履かせ、近くの側溝まで手を貸した。


「う……」


 しゃがみこんだ姉の背中をひたすら撫でる。

 縁側に転がるトウモロコシの芯は五本。

 食べ過ぎなのか、それともこれが『つわり』というものなのか、尚にはわからない。


 お腹の子の父親はなんと、既婚でアユの担任だった。


 しかし彼は白を切り名誉棄損で訴えるとまで言い出して、長い間揉めた。

 アユは学校を辞め、桃の花が咲く頃に元気な男の子を産んだ。ミナが「強い名前にしよう」と言い、『武蔵』と名付けた。体育教師だった男に似て頑丈で大きな赤ん坊だった。


 しかし彼が会いに来ることは一度もなく、僅かな金が振り込まれ、アユの恋は終わった。


 武蔵を遠くへ養子に出せだの何だの周囲に散々言われたが誰も相手にせず、尚たちは年の離れた弟が生まれた気分で可愛がった。

 祖母は育児の傍ら通信教育でアユを学ばせた。



 農作物も収穫でき、なかなか順調の日々が続いたところで、また落とし穴が現れた。


 それはまたしても正月の事だった。

 本家の酒の席で、厨房の手伝いに来ていた母の身体を跡取り息子が堂々と触って前職を揶揄し、その場にいた父は上座までものすごい速さで駆け、跡取りの顔面を殴り飛ばした。

 そのまま派手な取っ組み合いとなり、父は警察へ連行された。


 事を知った祖母はすぐにアユの件で知り合った弁護士に連絡を取り、粛々と本家と争いに備えた。

 すると、喧嘩に巻き込まれて破損した本家に伝わる掛け軸が鑑定の結果、贋作と判明し、祖母はにやりと笑った。


「本家の馬鹿息子も、正月早々なかなか良い仕事をしたね」


 しかし、分家が本家を殴って暴れるなど、古い慣習が残る集落であってはならないことだ。

 器物破損による損害賠償および治療費を請求され、いわゆる村八分にされた。

 里山の暮らしは助け合いで成り立っている。

 柚木家は大きな打撃を受けた。


 しかも折悪く健の高校受験目前だった。

 ずば抜けて成績優秀な健はいずれ東京の大学への進学も可能だろうと目されていたが、進路を変更し、就職に有利な工業高校への入学を決めた。


「大丈夫。働きながら勉強できる会社もあるから。そこに就職できるように頑張るよ」


 兄弟の部屋で二人きりになった時、尚の頭に優しく手を置いて健は明るく言い切った。


「そもそも長男の俺が農業継ぐのが普通なんだけど、尚も知ってる通りからっきしでさ。手際は悪いしコツも飲み込めないし。ほんと向いていないんだ。だから代わりに外で働いてお金を稼ぐ。こんな兄ちゃんでごめんな尚」


「兄ちゃん」


 賢くて、かっこよくて。

 尊敬する兄だ。

 家電や農機具に不具合が起きればいつも健がみてくれた。

 母の言葉もよく理解して、ちょっとした行き違いに気付けばすぐに仲直りさせてくれる、我が家で一番気遣いのできる人だ。

 野良仕事が苦手でも、健にはたくさんの可能性がある。


「兄ちゃん。俺は田んぼと牛が好きだ。兄ちゃんは勉強と機械が好き。それでいいだろ」


 尚は一生懸命言葉を探す。すると健は、ぱあっと夏の陽のような力強い笑みを浮かべた。


「ありがとう、尚」


 ごしごしと健の繊細な指先が尚のまっすぐな黒髪を撫でまわして鳥の巣のようになり、最後には二人で笑い合った。



 

 それから間もなく、次女のミナが家族を前に胸を張り声も高らかに宣言した。


「私、ヤス叔父さんちの子になる」


 その傍らには父の又従兄弟の泰明がいて、緊張で目を何度も瞬かせながら話し出す。


「あのさ、ほら。うちは子供を授かれなかったから、女房がずっとミナちゃん欲しいって言っていたんだよ。苗字は同じだし、うちに就職したって感じのノリでどうかな。ほらミナも中学生になると何かと物入りだしさ」


 泰明の家は柚木家と本家集落との中間地点で小規模な畜産を営んでおり、牛が好きなミナと尚は時々泊りに行っていた。

 軽い口調のわりに泰明が本気なのは、落ち着かない様子から明らかだ。

 祖母は腹をくくった。


「マイカが良ければ構わんよ」


 三日三晩考えて、母の出した答えはミナの将来を委ねることだった。

 泣きながら泰明夫妻に頭を下げる母に、ミナはぎゅっと抱き着いて言った。


「お母さん、待ってて。ミナは日本で一番凄腕の牛飼いになるから」


 ちなみに要領の良いミナは泰明夫妻を『パパママ』と呼び、彼らの心を鷲掴みにした。


 そして健は工業高校へ特待生で進学し、ミナは泰明の正式な娘になった。

 家を立て直すべく大人たちは懸命に働くが、悪い事は続くもので病害虫や害獣に作物をやられたり農機具が壊れて収入が格段に落ち込んだ。


 そんななか、尚はぼんやりと考え込んでいるアユの姿をよく見かけた。


 良からぬことを考えてるのではないかと不安に思っていたが、まさかアユが十八歳になった翌日に身一つで出ていくとは、予想できるわけがない。


『出稼ぎに行ってきます。武蔵をよろしく☆』


 そんなふざけたカード一枚を遺して、アユは消えた。

 あまりにも軽装だったため、見かけた人たちは誰も気に留めなかった。


「え。もう行ったの? 今日?」


 祖母から呼び出されたミナは、あっけらかんと事前に知らされていたことを認めた。


「なんか新しい農機具が買えるくらい稼いだら、連絡するって言ってたよ」


「いったい、アユは何をするつもりなんだい」


「さあ? とにかく多分東京にいるよ?」


「あの子ときたら……」


 祖母は心配のあまり眠れぬ夜を繰り返し、ある日限界を超えた。


「アユーッッッ!」


 夕暮れに祖母は庭の端に立ち叫んだ。腹の中から力いっぱい絞り出した絶叫は、「あゆ、あゆ……」と木霊していく。

 そこは麓の集落まで棚田の傾斜が綺麗に下り、その先の海まで見渡せる絶景スポットだ。

 赤く染まった視界の先の、海の波間に夕陽が落ちて空の茜色がじわじわと紺色に染まるまで両足を踏ん張って眺め続けたのち、深呼吸をして何事もなかったかのような顔をして家の中へ戻った。

 普段からは想像できない姿だが祖母なりの折り合いの付け方なのだと、尚は理解する。祖母の大絶叫はしばらく続いた。




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