第9話 閃光と歴史のエコー
京総八幡宮の鳥居が見えた瞬間、空気が変わったのが分かった。
街の喧騒は、ここを境に一段落ちるはずだった。
だが今は違う。ざわめきが、逆に一点へと集まっている。
朱塗りの大鳥居。その向こうに続く長い参道。
石畳の両脇には年季の入った灯籠と、背の高い杉の木々が並び、昼でもひんやりとした影を落とす――はずの場所だ。
その影が、今は存在しない。
参道全体が、淡く白い光に満たされていた。
「……うわ……」
七海が思わず声を漏らす。
光は炎のように揺らめくでもなく、ネオンのように瞬くでもない。
ただ、均一に、しかし確実に“強すぎる”。
目を凝らすと、本殿の方向から放たれているのが分かる。
まるで巨大な投光器を、神社の中心に据えたかのようだ。
「如月さん、これ……昼ですよね?」
「昼だ。間違いなく」
夕方ですらない。太陽はまだ高い位置にある。
それなのに、境内の明るさは昼と夜の境目を無理やり引き裂いたような異様さを帯びていた。
鳥居をくぐった先、境内には既に警察車両が数台止まっている。
黄色い規制線が張られ、警官たちが慌ただしく行き交っていた。
「下がってください! 救護活動中です!」
怒鳴る声に促されるように、俺たちは足を止める。
その時、ようやく気づいた。
境内のあちこちに、人が倒れている。
石畳に仰向けになったままの中年男性。
社務所の縁側に座り込み、頭を抱えている若い女性。
泣き声を上げる子どもを抱きかかえ、必死に声をかけている母親。
救急隊員が駆け回り、意識の有無を確認し、担架が運び込まれていく。
「……倒れてる人、みんな同じ方向向いてません?」
七海が、抑えた声で言った。
言われて気づく。
本殿だ。
倒れている人間は、皆、例外なく本殿の方角に顔を向けている。
まるで――
「……光を、直視したな」
「え?」
「強烈な光を、正面から浴びた可能性が高い」
網膜への刺激。
急激な明暗差。
加えて、アーティファクト由来の“異常な光”だとしたら、意識を失っても不思議じゃない。
七海は唇を噛み、境内を見渡した。
「……これ。これが、怪盗?」
「普通なら、やらない」
“普通の”怪盗なら、だ。
怪盗というのは目立ちたがりではあるが、無差別に人を巻き込む真似はしない。
少なくとも、俺がこれまで捕まえてきた連中はそうだった。
だが、今回のはまるで、師匠の戦ってきた大怪盗達のやり方。
人々に恐怖を与えることを目的とし、愉しむ凶悪犯たちと全く同じやり口。
視線を、本殿へと向ける。
拝殿の奥。
本殿の扉が、半ば開いたままになっている。
その隙間から、白銀の光が溢れ出していた。
神域を侵すように、容赦なく。
「……とんでもないな」
神社という場所を選んだ意味。
この規模の発光。
人目につく時間帯。
全部が、“見せるため”だ。
予告状もなく、盗品も見当たらない。
それなのに、これだけ派手にやる理由は一つしかない。
「……宣戦布告、か」
その時だった。
「如月!」
聞き慣れた声が、背後から飛んでくる。
振り返ると、規制線の向こうで源さんが腕を振り上げていた。
いつもの不良警官然とした雰囲気はなく、顔は引き締まり、完全に“現場の人間”のそれだ。
「来たな。お前に正式に依頼だ」
源さんは一瞬、七海の方を見たが、何も言わず視線を戻す。
「この神社に侵入した怪盗ステラ・エトワールを確保しろ。
被害はこの通りだ。これ以上、市民を巻き込ませるわけにはいかねえ」
俺は短く息を吐いた。
やはり、そう来たか。
「……怪盗ステラ・エトワールだな?」
源さんは、苦々しそうに頷いた。
「ああ。現代のバカ怪盗と思って侮っていた」
俺も同じ言葉を、心の中で繰り返していた。
――こんな真似ができるような相手じゃ、なかったはずだ。
横を見ると、七海が本殿を真っ直ぐに見据えている。
その背中は、少しだけ緊張していた。
だが、逃げ腰ではない。
怪盗マリンランタンとしての顔ではなく、
一人の人間として、この異常事態を見ている目だ。
俺は、覚悟を決める。
「源さん。現場、入れてくれ」
大怪盗育成計画なんてものは、やめだ。怪盗ステラ・エトワール、こいつは俺の手で取り押さえろ。
覚悟を決めて規制線を潜り抜け、本殿へと一歩を踏み出す。
「源さん、七海。もし、ステラ・エトワールが逃げ出して来たら、そっちで捕まえてくれ。頼むぞ」
「えっ? 如月さん、あそこに行くんですか!? 危ないですって!」
七海が俺を止めようと手を伸ばすのを、源さんがそっと制した。
「ま、こいつなら大丈夫さ。門倉秀樹の隠し子だからな」
「違うって言ってんだろ」
ニッ、と無理に口角を上げ、師匠の形見の鹿撃帽を深く被りなおした。
そのまま本殿を見据え、一歩ずつ歩みを進める。
__周りをよく観察しろ。
師匠がよく言っていた言葉だ。
周囲で倒れている人達を見る限り、息はある。気を失っているだけだ。
__探偵が走っていいのは、目の前の怪盗を追うとき、市民を守るとき、それと女のもとに帰るときだけだ。
師匠がよく言っていた言葉だ。
今俺の目に怪盗ステラ・エトワールはいない。無駄に体力を使っていざというときに動けなくてもいけないし、そもそも走らなくてはいけない状況に追い込まれないよう、探偵というのは賢く立ち回るべきなのだ。
早鐘を打つ鼓動を感じながら、あくまでゆっくりと歩を進める。
__死ぬこと以外は掠り傷。
師匠がよく言っていた言葉で、形見の鹿撃帽に刻まれた……超常の力だ。
この鹿撃帽を被っている間、死に至らないすべてのダメージは掠り傷に変換される。
直視すれば気を失う光に向かう俺が、ただ眩しいと思うだけで済んでいる理由だ。
拝殿を抜け、さい銭箱を横目に見ると破壊された痕がある。
まさか、これほどの規模の騒ぎを起こして目的が賽銭泥棒ということはあるまい。
俺は信仰心に厚いわけではないものの、日本人として若干の気後れをしつつ、閃光に包まれた本殿の引き戸に手をかけた。
中に人の気配はない。
呼吸を整え、一気に開け放ち、突入する。
「でてこい! 怪盗ステラ・エトワール!」
返ってくるのは静寂と、強すぎる光の波だけだ。
やはり逃げ去った後か。
光源への対処に頭を切り替え、眩しさに目を細めながら最も光の強い方向を見遣る。
__あれは、
「豆電球……か?」
小さな豆電球が、単一の乾電池にセロハンテープで繋がれている。
小学生のころ理科の実験で見て以来の光景だが、網膜を焼くような白光は間違いなく豆電球から発されていた。
「これで……消えたか」
テープをはがし、乾電池から導線を離すと光は消え、背中から差し込む太陽をようやく感じることができた。
さきほどまで強すぎる光に辺りがほとんど真っ白に見えていたが、ようやく状況が見えてくる。
荒らされたようには見えないが、埃塗れの床板に、俺以外の足跡が一人分見て取れる。俺より一回り小さい足跡は、昨日の追跡時に感じた推理、すなわち怪盗ステラ・エトワールは女性という考えを補強する。
奥の戸棚は開け放たれており、右手の手形も残っているがそれも男性のものにしては小さい。
それ以外に見えたのは、例のカードだ。
赤い背景に下品な金文字、ステラ・エトワールがいつも残していくカード。
『鏡のアーティファクトはいただいた。怪盗ステラ・エトワール』
七海のフライパンが炎のアーティファクト、雑貨屋のルーペが光のアーティファクトと言っていた。
そして今回、実際に光に関係するアーティファクトの仕業としか思えない事件を引き起こしている。
ヤツはアーティファクトが見分けられるのか……?
「おい探偵見習い! どうなった!」
「如月さん! 無事ですか!?」
源さんと七海が本殿へと走りこんできた。
光が消えたのを見て、駆けつけたのだろう。
「ああ、大丈夫。全く問題ない。それよりも、ステラ・エトワールは逃げた後みたいだ」
カードを拾い上げ、源さんに手渡しながら続ける。
「それからそこの豆電球か乾電池、アーティファクトの可能性が高い。もしかすると両方かもな。魔鑑に回してくれ」
「まかん?」
七海が首を傾げる。
「魔道具鑑識課。アーティファクト専門の鑑識部隊だ。そんなことも知らないのか」
怪盗のくせに__と喉まで出かかったが飲み込む。
七海と話すとどうにも気が緩んでいかん。
「普通知りませんよ。それより、目は大丈夫なんですか?」
七海はあからさまにむくれたのち、純粋に心配の目を向けてきた。
自然とこぼれそうになる笑みを誤魔化すため、左手で鹿撃帽を深く被り直した。
「ああ、師匠から受け継いだものは事務所だけじゃないからな」
それにしても、鏡のアーティファクトか。
火だの光だの言っているうちは単なるバカ怪盗のカッコつけと流していたが、これは話が違う。
鏡のアーティファクト__それは師匠の宿敵・大怪盗モルスが狙っていた凶悪なアーティファクトの名前だ。




