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インサイダー幕引き 〜ダメ怪盗の少女と、名探偵の街〜  作者: 日高 純
第一章 ダメ怪盗ステラ・エトワールの杜撰な計画
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第8話 星明かりと約束のシェイプシフター

無機質なアルミベンチの冷たさを感じながら、逃亡猫のシェルナに引っ掻かれた右手を軽く撫でる。


「もう一度見つけること自体は何とかなりそうです。この街で猫がいそうな場所は把握していますし、実際その一つであるこの沼尻公園にいたわけですから。そういう意味では、素直な猫ですよ」


まさか怪盗事件だけでなく、こちらにも苦戦するとは思わなかった。


「でも、捕まえる方がちょっと困りましたね。俺やこいつが近づけないのはともかく、佐藤さんでも無理となると……」

「そうですわね。どなたか、シェルナが安心できる方がいらっしゃればいいのですけれど」


飼い主である佐藤さんも、お手上げとばかりに大きくため息をついた。


「お姉さんには懐いているんですよね? お姉さんに来ていただくことはできませんか?」

「姉は……ごめんなさい。ちょっと難しいかもしれません。仕事もありますし」


いよいよ困ったな。暇そうなやつを何人か当たってみるか。


「シェルナちゃんの好きなものとかはありませんか? 食べ物でも、おもちゃでも」


七海が横から口を出す。


「食べ物なら焼き鳥が好きみたいです。それで警戒を解いてくれるといいのですが」

「ほう、北園寺で手に入りそうなもので助かりました。先に聞いておくべきでしたね。さっきも偶然持っていたのに」

「これはわたしのですー」


いや、さすがにそこは提供してくれよ。




 佐藤さんとは公園の入口で別れた。


 シェルナのことは引き続き俺が探ると伝え、連絡先を再確認してからだ。佐藤さんは何度も頭を下げていたが、正直なところ今は無理に動く段階じゃない。警戒心が強くなっている以上、こちらが焦れば余計に遠ざかる。


 猫探しと怪盗ステラ・エトワールの調査を兼ねて、俺と七海は街の最南エリアへ向かうことにした。

 次の目的地は、たい焼き用の鉄板を盗まれた例のたい焼き屋だ。


 商店街を抜けるにつれて、人通りが一段落ちる。

 観光客向けの賑やかさが消え、地元の人間だけが使う生活圏の匂いに変わっていく。


「こっち、なんか空気違いますね」


 七海が周囲を見回しながら言う。


「北園寺の南側だ。派手さはないけど、住んでる人間にはこっちの方が大事な場所だな」

「へぇ……」


 歩いていると、鼻先をくすぐる香ばしい匂いが漂ってきた。

 炭と脂が混じった、間違えようのない匂いだ。


「……寄るぞ」

「え、また寄り道ですか?」


 そう言いながら、七海の視線は無意識に暖簾へ吸い寄せられている。

 古びた看板に小さな店構え――志摩屋。


「おっ、真守じゃないか」

「二本。タレで」

「はいよ」


 注文を済ませると、七海が一拍遅れて聞いてきた。


「……あの、わたしの分は?」

「ない」

「即答!?」

「これはシェルナ用だ。焼き鳥が好きだって話だったろ」

「……あ」


 七海は一瞬納得しかけた顔をしたあと、すぐに別のことに気づいたらしい。


「……でも、もし見つからなかったら?」

「その時は俺が食う」

「ずるくないですかそれ」

「金出すの俺だからな」


 七海は口を尖らせかけてから、ふっと思い出したように腹を押さえた。


「……そもそも、さっきケーキ食べましたし」

「満腹か」

「満腹です。それに今月ピンチなんで」


 ずいぶん素直だな。


 焼き上がった串を受け取ると、七海がじっとそれを見つめてくる。


「……それ、さっきわたしが買ったやつより絶対おいしいですよね」

「よく分かったな。北園寺で焼き鳥といえば一番は志摩屋だ」

「さっきの匂いで。絶対そうだと思いました」


 怪盗としてもそれくらい鼻が利くようになるといいな。


「なんでさっき教えてくれなかったんですか! それともあれですか!? 訊かなかったわたしが悪いとでも言うんですか!」

「言う」

「ひどい!」


 文句を言いながらも、七海は自分の財布に手を伸ばしかけて、そっと引っ込めた。


「……次は、最初に教えてください」

「気が向いたらな」


 俺は焼き鳥を紙袋にしまい直す。

 猫が見つかれば、これは餌になる。

 見つからなければ――まあ、その時は俺の腹に入るだけだ。


「たい焼き屋、もうすぐだ。寄り道はここまで」

「はい……」


 七海は少し不満そうだったが、足取りは軽い。

 今日はずっと楽しんでたからな。遊びじゃないというのに。




 志摩屋を離れて数分、たい焼き屋へ向かう途中だった。


 商店街から外れた通りは、建物の背が少し低くなり、空が広く見える。

 そのせいか、七海がふと足を止めた。


「……あ」


 視線の先。

 古いビルの壁に取り付けられた、色褪せた看板が目に入った。


 丸いドームのシルエットと、星の散った紺色の背景。

 北園寺プラネタリウム――そんな文字が、どこか懐かしいフォントで並んでいる。


「プラネタリウム……」


 七海は、看板を見上げたまま呟いた。


「昨日、部屋のベランダに出て思ったんですけど……東京って星ほんと見えないですね」


 妙にしんみりした声だった。


「街は明るいのに、空は暗いままで。

 なんか……損してる感じしません?」


「まあな。光が多すぎるんだよ、東京は。事務所のあたりは多少マシだけど」


 七海は看板に近づき、貼られたポスターをじっと読む。


『6月17日より

 開館30周年記念プログラム上映』


 その下に、小さく英語が添えられていた。


 ――since 17.6.1995


「……えっと」

 七海が首を傾げる。


「しん……せ……この英語、なんて書いてあるんですか? 日付っぽいですけど」

「ああ、それか」


 俺も看板を見上げる。


「“1995年6月17日から”って意味だな。

 つまり、そこから始まって、今まで続いてるってことだ」

「へぇ……」


 七海は少し目を丸くした。


「じゃあ、もう三十年も星を映してるんですね」

「そうなるな」

「すごいなぁ……」


 看板の星を、指先でなぞるように眺めながら、七海はぽつりと言った。


「……時間あったら、行ってみたいですね」

「まあ、いいとこだよ。だいぶ前に一度入ったきりだけど」


 七海は小さく笑って、また歩き出す。

 俺も視線を外し、たい焼き屋の方角へと足を向けた。

 心なしか北園寺の街並みも、いつもより輝いて見えた。


 __いや、待て。


「ん? うーん、気のせい、か……?」

「どうしました? 如月さん」


 ほんの微かに違和感を感じるだけだが、いつもより、比喩でなく輝いている気がする。

 街の北側の方向から感じる光が、それ以外の方向から感じる光の量と、その分布のバランスが合わない。そんな感覚だ。


「七海、あっちの方。いつもより明るくないか?」

「いつもがわたしには分からないです」


 確かにそうだ。話す相手が悪い。


「でも、如月さんがそう思うなら、そうなんじゃないですか?」

「え?」

「だって、詳しいじゃないですか。北園寺のこと。単に地元ってだけじゃ説明できないくらいに」


 そうだったな、俺は世界で2番目にこの街に詳しいんだ。

 この街の探偵でもある。探偵が違和感を覚えるってことは、それは何かが実際におかしいはず。

 そう、言い切ってしまえるだけの教えは師匠から受けている。


「そうだな。悪い七海、ちょっと引き返す。街の北の方だ」

「はーい。北の方はまだ行ってないしちょうどいいよ」




 街の中央部付近まで戻ってきたとき、俺の勘が正しかったことが周囲の会話の断片から分かり始めた。

 街の最北端に位置する神社、京総八幡宮けいそうはちまんぐうで異常な発光現象が起きている。それが何らかの事故なのか、怪盗の仕業なのかはわからない。大まかな状況はこうだった。


「如月さん、これっていったい……」

「行ってみないとわからん。だけど仮にアーティファクトの力で、怪盗の仕業なんだとしたら、今時の自称怪盗達とは格が違う」


 とにかく、俺は仮にも師匠からこの街を託された探偵だ。行かないという選択肢はない。

 問題は七海を連れていくかどうかだ。

 相手がステラ・エトワールであれば敵対関係にある怪盗マリンランタン。先日の追跡劇を見る限り多少は戦力として期待できそうなのは事実。

 一方で、それ以外が相手ならどういうスタンスを取るのかは未知数だ。


 __そう考えていた時だ。ポケットの中で携帯が振動する。

 取り出してみると、交番勤務の源さんからだ。すぐに通話を繋いだ。


「もしもし源さん? 今、京総八幡宮で__」

「知ってるなら話は早い。久しぶりに警察からの依頼にしてやるから、さっさと来い! 出たぞ、怪盗だ」


 やはり怪盗。騒ぎの規模から考えて、大物のはずだ。

 俺の顔を覗き込む七海に、表情を読まれないよう顔を逸らした。


「怪盗ステラ・エトワールだ。とんでもない暴れ方をしていて、警察も手が付けられない!」

「なっ!?」


 怪盗ステラ・エトワール……そいつは、現代のバカ怪盗のはずだろう?



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