第5話 蛍光と土地勘のロスト
「待てー! 観念しろ怪盗ステラ・エトワール!!」
夕闇に染まる北園寺の歓楽街。
そこに響き渡るのは俺の声じゃない。怪盗マリンランタン、いや、七海灯の声だ。変声機を使っていないので間違いようもない。
全身深い青を基調とした軽装で、目元を覆うマスクが街灯の光を反射してきらりと光る。服のあちこちには淡く青白いラインが走り、動くたびに水面のゆらぎのように瞬く。怪盗としては隠密性ゼロのくせに、やけに様になっているのが腹立たしい。
七海は屋根と電柱を縫うように駆け、跳ね、落ちてはまた浮かぶように重力をいなして進む。着地は驚くほど静かで、まるで夜の街を泳いでいるみたいだ。
ただでさえ目立つ格好で、目立つ動きをして、俺と同じくステラ・エトワールを追っているらしい。
「おい! お前は何してるんだ!? お前も何か盗んだのか怪盗マリンランタン!!」
おそらくそうではない。
大方ステラ・エトワールを見つけて、例のフライパンを取り戻そうとしているのだろう。
だが、この騒ぎっぷりだ。
このままでは、大怪盗育成計画の候補2人がまとめて逮捕――なんて最悪の展開もあり得る。
七海には、ここは一度引いてもらう必要がある。
彼女がちょうど頭上を追い越していったタイミングでもう一度声を張り上げる。
「それともお前、ステラ・エトワールの仲間なのか!?」
「__えぇ!? きさ⋯貴様、いや、あの、如月探偵ではないか!」
俺を如月真守と知っていて不自然がないか、考えたな。
わたわたと言いよどんだ挙句、この街の探偵である俺の名前を怪盗マリンランタンが知っているのは特段おかしなことではないと判断した。七海にしては上出来だな。
考えてから喋れるとなお良いが。
「怪盗マリンランタン! あいつに何の関わりがあるか知らないが、邪魔するならお前から捕まえるぞ! 引くというならこの場は見逃してやる!」
「邪魔なんかしません! 捕まえたら如月探偵に差し上げます」
七海はそう言い放つと、走る俺を文字通り跳び越し、頭上の送電線をがしっと掴むと、そのままジップラインのように滑っていった。
そんなこともできるのか。身体能力は文句なく昔の怪盗の水準にあるな、と変な感心をしながら目線で追うと左手に何か握りこんでいるのが見えた。
__あのやたら滑る菜箸だ。あれをパルクールに取り入れるとは。考えたな。
俺たちは歓楽街の細い路地を抜け、赤いマントを翻して逃げるステラ・エトワールを追っていく。
奴は右へ、左へと迷いなく折れ、雑居ビルの隙間を風のように滑り抜ける。夜の仕込みに忙しい飲食店の裏口から漂う油の匂いが、走るたびに切れ切れに鼻を掠めた。
七海は屋根の縁を蹴り、送電線の上から流れるように追走している。俺は地上から最短距離を選んで食らいつく。
歓楽街のざわめきが遠ざかり、視界に背の高い商業ビル群の裏通りが迫ってきた。コンクリートの壁が反響する足音が、獲物と追手の距離を刻むメトロノームみたいに響く。
追いながらも、俺は確信し始めていた。ステラ・エトワールのヤツ、多少なりとも土地勘がある。
闇雲に走ってこうなるはずがない。普通ならどこかで袋小路に突っ込み、あるいは屋根にいる七海にあっさり捕まるようなルートを偶然選ぶものだ。高低差のある場所を選んで進む判断なんて、慣れていないとできない。
このままだと逃げられるかもしれない。大怪盗育成計画のことを考えればそれでもいいのかもしれないが、純粋に悔しいという感情がまず一つ。
そしてもう一つ、視界の端でぴょんぴょん跳ねている“土地勘のないバカ”こと七海灯を、どううまく逃がすかという頭痛の種だ。
「おいマリンランタン! その辺にしておけ! これだけ派手に走り回ってるんだ、直に警察も来る!」
「如月探偵には関係ありません!」
それはそうだ。
七海は自分の正体がバレていないつもりでいるだろうし、俺も気づいていないふりを続ける必要がある。
見知らぬ怪盗同士の追跡劇に、探偵の俺がどれほど関わろうが本来は無関係だ。
さて、どう説得したものか、と考えあぐねていると、七海がステラ・エトワールまで十メートルほどという距離まで一気に詰めた。
左手側の屋根から、まさに獲物を狙う猫のように位置を合わせているのが分かる。
このペースなら三十秒もあれば追いつくが──
「おい! 手伝うつもりなら右から行け!」
「えぇっ!? そんな急には無理ですよ!」
言い合いの最中、俺たちの前方にビルの影が割れるようにして、家電量販店『エドガワカメラ』の巨大な外観が姿を現した。
ステラ・エトワールがもしここで右に曲がるつもりなら──
「あっ」
ようやく気づいた七海が小さく漏らした声は、もう遅い。
ステラ・エトワールはエドガワカメラの立体駐車場へと飛び込んでしまった。
ここは地上二階から八階部分まで続く自走式駐車場で、外から内部の様子はほぼ見えない。柱と壁が複雑に入り組む死角の多い構造で、監視カメラも最低限。
平日のこの時間帯は車も少なく、もし協力者が車で待機しているなら一瞬で逃げ切れるし、服を着替えて売り場に紛れ込むことだって造作もない。
ここに入られた時点で、追跡は途切れたも同然だ。
俺が足を止めると、七海も屋根から地面へ軽やかに飛び降り、不思議そうに俺を見た。
「え……追わないんですか? 如月さ──如月探偵」
「ここに入られた以上、追っても捕まえきれない。だから俺は追わない」
──お前は追え。そしてどこかで着替えて、うまく逃げろ。
言葉にはできないので、目線だけで合図する。
「えっと……? わたしは追いかけた方がいいと」
「早く行け。俺は探偵だぞ」
突き放すように言うと、七海はそそくさと駐車場の奥へ消えていった。
バカでも、入れば言いたいことは分かるだろう。……たぶん。
俺はしばらくその入口を見つめていたが、やがて肩の力を抜いた。
ステラ・エトワールも七海灯も、このままじゃいずれ痛い目を見る。
……さて。俺は俺で、明日に備えるとするか。今の追跡でわかったことがある。
翌朝。カドクラ探偵事務所の安っぽい回転椅子に腰を沈め、俺は窓の外へ視線を投げていた。
名探偵ってやつは、朝からこうやって推理でも練ってるんだろうな――そんな姿を想像しながら、それっぽく腕を組んでみる。
机の上には昨夜のメモ、シャーロック気取りで開いた古い洋書、そして飲みかけのコーヒー。
……うん、雰囲気だけなら悪くない。
問題は、俺が名探偵じゃなくて“名探偵の弟子どまり”だってことだ。
だが昨日の追跡で、2つだけ確かなことが分かった。
1つは、ステラ・エトワールが北園寺の地形にやたら詳しいってこと。逃走中のとっさの判断であのルート選びは普通できない。最低でもこの街を生活圏にしている可能性が高い。
そして2つ目。ステラ・エトワールの正体は女性だ。あれだけ距離を走れば、どれだけ服装で誤魔化そうが骨格で分かる。身長は俺より少し低い、百七十センチ弱の若い女だ。
昼頃には昨日の騒ぎについて、交番の源さんにも何か情報が届くだろう。
猫探しの方も、連中が昼寝してる時間に回った方が捕まえやすい。
そんなことを考えていた時だった。
__カラン。
事務所のドアベルが鈍く鳴った。
「おはようございます。如月さん」
「おや、昨日ぶりですねお嬢さん……はぁ、もういいか。どうした七海」
昨日さんざん振り回され、依頼人としての敬意を持つ気を失わせてくれた女――七海灯、その人だ。あの後、捕まらずに帰れたらしい。まあ、それは良かった。
こいつ、本当に自分がマリンランタンだとバレてないつもりなんだな。でなければ、昨日の今日で探偵事務所に堂々と来られるわけがない。
「なんですかその言い方。依頼人が敬語で喋ってるのにおかしくないですかー?」
七海が頬をふくらませて唇を尖らせる。
おかしいのは否定しないが、昨夜あれだけ光る衣装で跳び回った怪盗が目の前にいると思うと、別の意味で文句を言いたくもなる。
「そもそも如月さん、だいぶ若く見えますけど何歳なんですか? わたしの方が年上かもしれませんよ」
「18だ。これでも探偵歴3年で、怪盗専門では長い方だ」
「ふーん、へーえ。18かぁー、そんな感じなら真守くんって呼ぼうかなー?」
若さを理由に舐められるのは師匠が生きてた頃から慣れているはずなのに、こいつに言われると妙に腹が立つ。
「絶対にやめろ。で、今日は何の用だ? ステラ・エトワールのことなら調査中だ」
「あ、そうそう! うちの下の階の部屋、大家さんに聞いたら空室らしいです」
そりゃそうだ。
鯉のぼり伝いに侵入してきた怪盗……なんてバカすぎる。昨今の怪盗のバカさ加減は想像を越えることがあるから疑ってはいたが、さすがに下の階が怪盗本人ってことはなかったか。
「そうかい。じゃ、帰ってくれ。探偵には落ち着いて思考を整理する時間が大切で__」
「それとですね!」
人の話を聞かないやつだな。だからバカに育つんだぞ。
「北園寺のことをちゃんと知らなくちゃなって、昨日思いまして……」
ほう。昨日ステラ・エトワールを取り逃した理由が土地勘の差だと気付いたのか。
こいつ、勘だけは悪くない。
「今から北園寺を案内してください、如月さん」
「は? なんで俺が」
「今ヒマそうにしてたでしょ。ま・も・る・く・ん?」
「それやめろって言ってんだろ。……はぁー、全く」
しかし、七海を大怪盗に育てるつもりなら、まず拠点となるこの街の地形を教えるのは悪くない。昨日のようなパルクールが得意なら、なおさら地形活用は叩き込む必要がある。
……目的には、合致してるんだよな。
「チッ。怪盗の痕跡調査と、あと猫探しに出る。勝手についてこい」
「やった。さっすが如月さん、よっ! 名探偵!」
七海は小さくガッツポーズし、調子のいいことを言いながら、スースーと音の出ていない口笛まで吹き始めた。
本当に、こいつといると調子が狂う。
鹿撃帽をラックから掴み出し、出かける準備をしながら、ふと気になって尋ねる。
「七海……さん、は何歳なんだ?」
女性に年齢を聞くのもどうかと思ったが、まあ見た目が若いんだし問題ないだろう。
「わたし? 17」
「年下じゃねーか! さっきの反応は何だったんだよ」
まったく、つくづく調子の狂うやつだ。




